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jasmine さんのレビュー一覧 

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     2024/04/24

    昨今はベルグルンドやヴァンスカ、サラステ、さらには俊英ロウヴァリといった故国フィンランドの指揮者による本場の名盤が目白押しだが、以前はバルビローリかコリンズ、或いはカラヤンかオーマンディくらいしかなかった(若きマゼールの怪演もあったが)。その中で現在も通用するのは、やはりカラヤンということになろう。シベリウスを取り上げても、カラヤンが演れば磨き上げた美音で流麗に歌い抜かれた音楽となるのはいつもの通りだが、流石に作曲者本人も絶賛しただけのことはある。コリン・デイビス、サイモン・ラトルと共に、今後も聴かれ続けていくであろう名演と思う。

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     2024/01/13

     カラヤンの全盛期の映像によるチャイコフスキー。こう聞いただけで「買い」ということになろうが、ベートーヴェンやブラームスと違って、チャイコフスキーには71年のレコードがある。この映像が収録されたのが73年なので、当然両盤の演奏はよく似ている。カラヤンには、64年から66年にかけてと75年から77年にかけてDGGにレコードを制作しているが、これらは録音ポリシーもコンセプトも異なっており、先の二つの作品とはかなり性格が違っている。最初のものは世界最高のオーケストラ=ベルリン・フィルの盟主として、新時代のスタンダードを示すという気概をもってレコーディングされた『規範的』な演奏、71年のEMI盤はクォドラフォニックという録音方式の可能性を追求した『挑戦的』な演奏、73年の映像盤(本盤)は、5.1チャンネルと映像の組み合わせで、さらに臨場感を狙った『意欲的』作品、75年から77年のDGG盤は譜面上の音符を克明に鳴らし、楽曲の構造を描き切ろうといく『究極的』演奏というように、制作にあたってのコンセプトがそれぞれに異なり、それに伴って録音のポリシーも演奏スタイルも変えていることが聴き取れる。71年EMI盤と73年の映像盤の共通点は、
    @個々の楽器の音を拾うより、オーケストラ全体のサウンドを鳴り響かせ、その空間の中に各楽器の音像を立体的に位置付けるというマルチ・トラックの特長を活かした録音ポリシー
    A縦の線を揃えて、譜面上の音符を正確に奏でるよりも音楽の流れや勢いを重視し緩急やダイナミックスの巾を広くとって、ライヴ演奏のような臨場感を感じさせる演奏スタイル
    の二点である。

     75年から77年のDGG盤は作曲者の意図や意志は譜面上にあると信じて、その完全なる再現を徹底して追求した演奏スタイルをとり、録音方式もステレオ録音に回帰して、一つ一つの音を細大漏らさず積み上げていく『マクロ』集積的な録音ポリシーを採択している。当初75年の「第5番」を聴いた時は、ある種の「ぎこちなさ」「力み」或いは「グロテスク」な印象をもってしまい、馴染めなかった記憶がある。

     そもそもカラヤンの美点は、鍛え上げた合奏能力を駆使して音価を保ちつつ旋律を歌い抜くテヌート奏法で「美しさ」と「スケール感」を両立させる絶妙なバランス感覚にあって、その言うは易く行うは難い演奏行為を「さりげなく」「スマートに」やり遂げるところに長けていたのだが、65年から75年までの10年間はそのスタイルが確立し、最高の練度にまで達したのであった。

     従って、私はチャイコフスキーの後期交響曲に関しては、レコードならば71年EMI盤を、映像ならば73年盤をカラヤンの最高の成果としたい。ただし、それだけカラヤンの特徴が明確に打ち出されているということで、アンチ・カラヤンの方には60年代のDGG盤をお勧めする方がいいかもしれない。

     尚、カラヤンは晩年にウィーン・フィルともう一度レコードと映像を遺したが、これは特殊な演奏だ。カラヤン自ら《テスタメント》と称して取り組んだ作品だが、かつての「さりげなく」「スマート」なスタイルをかなぐり捨てて、「主情的」ともいえる表現に驚かされる。確かに「感動的」だが、何度も聴くと「苦しく」なってくる。レコード芸術としては全盛期のものを採るべきであろう。

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     2024/01/12

     カラヤン全盛期の映像によるブラームス全集だ。カラヤンはレコードで3回、映像で1回(2度目は未完に終わった)ブラームスの交響曲全集を収録した。いずれもベルリン・フィルとのセッションによるものである。その他に、ウィーン・フィルやフィルハーモニアとも少なからず録音を残しており、いずれも存在意義のある名演ばかりだが、本命はやはりベルリン・フィルの全集とみて間違いなかろう。それらの内、演奏本意で評価してもっとも優れているのは、73年の1月から3月にかけて収録された、この映像による全集ではないだろうか。カラヤンの全盛期はザルツブルグ復活祭音楽祭を創設した67年から椎間板の手術を受ける75年までの9年間だが、その間に制作された作品は極上の輝きを放つ逸品ばかりで凡演はひとつとしてない。ところが75年半ばになると絶頂にあったカラヤンの健康が蝕まれ、同年末には手術を余儀なくされるが、セッションのさなかにも関わらず、立っていることさえままならない状況も一度や二度ではなかったという。術後も幾度となく入退院を繰り返したが完治することはなく、健康問題は生涯付き纏うストレスの原因となった。一般にはカラヤンの盤歴を60年代、70年代、80年代と10年毎に区切って論ずるケースが多いようだが、70年代はカラヤン自身「いま、私とベルリン・フィルは最高の状態にある」と豪語していた前半と最悪のコンディションの中で苦悶していた後半とでは芸風も大きく変化することに加え、レコード制作のコンセプトやポリシーも録音方式がクォドラフォニックに果敢にチャレンジしていた前半からステレオ方式に回帰した後半とでは違ったものになるのは必然であり、それを一括りに論ずるのには問題がある。また、60年代もウィーン国立歌劇場やミラノ・スカラ座の芸術監督を兼任し、ヨーロッパ音楽界の《帝王》として君臨した64年までのスタイルとベルリン・フィルとの活動に集約しつつも理想のオペラ上演を目指してザルツブルグ復活祭音楽祭を創設した後半のスタイルとでは少なからず違いがある。カラヤンにとって人生でもっともハッピーだった時代はベルリン・フィルの終身常任指揮者となった55年からウィーン国立歌劇場の音楽監督を辞任する64年までだろうが、皮肉にもベルリン・フィルの常任指揮者のポストだけとなってしまったその後の10年間が、レコーディングに関しては全盛期となった。得意のブラームスであることから、どの作品をとっても見事な出来栄えであるものの、絶頂期の演奏の素晴らしさは一頭地を抜いている。映像を伴うことは一長一短で、強烈なインパクトがある反面、イメージが固定化されて想像力を掻き立てられない、映像に気を取られて微妙なニュアンスを聞き逃してしまう、などのデメリットも生じ易い。私達の世代の者にとって、カラヤンの指揮姿や演奏スタイルはあまりにも身近で馴染み深いものであるが、若い世代の聴き手にとっては、20世紀最大の指揮者カラヤンの全盛期の映像が見られるだけでも、測り知れない価値があるのではなかろうか。

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     2024/01/12

     カラヤンが全盛期に取り組んだ映像による全集。

     カラヤンはベートーヴェンの交響曲全集をレコードに4回、映像に2回収録した。最初の全集はフィルハーモニア管弦楽団と、後はいずれもベルリン・フィルだ。その内どれを採るかは聴き手によってまちまちであろうが、私は70年代の二種の作品をお勧めしたい。とりわけこの映像による全集は興味深い。ここには映像作品としての可能性をとことん追求した足跡が刻印されている。

     まず67年の『田園』では、音楽の内容を映像で補完する為にここまでする必要があるのかと思うくらいに衝撃的な画像の切り替えを多用する。確かにインパクトは絶大だが、あまりの唐突さに違和感を感じるのは致し方のないところだが、カラヤンはインタヴューで「ああするしかなかった」と答えている。演奏は素晴らしいのだが、画面に現れる強烈な映像に気を取られて、興が削がれてしまう。楽曲の理解に資するところはあるものの、音楽学的にはともかく、芸術的には逆効果の感も無きにしも非ずだ。

     『エロイカ』と『第7』はオーケストラを雛壇のような舞台上に配置し、その前でカラヤンが指揮をとるというユニークな構想で、何故このようにしたのかという意図は理解できないが、『田園』ほどの違和感はない。71年の収録で演奏は万全。『田園』と違って画面の頻繁な切り替えがないので、音楽の流れを妨げられることはなく、問題はない。後にも先にもこのような作品はなく、必然性はともかく、価値は高い。

     『第九』は70年収録のセッション収録のものと77年のライヴがあるが、いずれも素晴らしい。演奏本意でいえば、70年の方が完成度は高いが、ジルウェスター・コンサートという祝祭的な場での高揚感溢れる77年ライヴも感動的だ。画像も本拠地のベルリン・フィルハーモニーザールでの演奏会の風景を基本に録っているので安心だ。

     その他の映像はオーソドックスな演奏会のライヴ風で問題はなく、演奏も優れている。私はカラヤンの全盛期はザルツブルグ復活祭音楽祭を創設した67年から椎間板の手術を受ける75年迄の9年間と捉えているが、カラヤン自身「今、私とベルリン・フィルは最高の状態にある」と豪語していた。この全集は正にその期間に収録された貴重な記録であり、カラヤン・ファンならば見逃がすことの出来ない作品といえよう。

     奇想天外な画像に不自然さを感じるなど、少なからず欠点もあるとはいえ、作品の魅力を何としても伝えたいという執念の前では、些細なこと。カラヤンの絶頂期をとらえた必見のヴィデオ。未聴の方には是非ご覧いただきたい名品である。

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     2024/01/10

     カラヤンのベートーヴェンに対する総決算的な全集だ。

     カラヤンは生涯を通して夥しい数のセッションをこなし膨大なレコードを制作したが、レコーディングに関して全盛期といえるのは、私はザルツブルグ復活祭音楽祭を創設した67年から椎間板の手術を受ける75年までと捉えている。その間にリリースされた作品は驚くべき完成度を誇り、本人も含めてそれらを凌駕する演奏は未だに現れていない、と断言できる至高の境地に達している。

     しかしながら、75年には絶頂を極めていたカラヤンの健康が蝕まれ、同年末には手術を余儀なくされたる事態となった。決して周囲に漏らすことはなかったが、復帰を危ぶむ声も囁かれていたというほど深刻な状態だったとのことだ。

     75年半ば以後の録音の中には、時としてバランスを欠いたような違和感を感じるものも散見されるようになる。そもそもカラヤンの美点は、ベルリン・フィルの鍛え上げられた合奏能力を駆使し、譜面に書き込まれた音符の音価を保ちつつ歌い上げ、美しさと壮大さを調和させる絶妙なバランス感覚にあった訳だが、この年を境に、ある種の「ぎこちなさ」や「力み」、或いは「グロテスク」なまでの表現が顔を出すようになった。ディレクターの手記には、カラヤンがそうした問題となる部分の取り直しを拒むこともあったことが記されている。この頃のカラヤンの体調は最悪で、セッションの最中であるにも関わらず、立っていることさえままならない深刻な事態にあったことも一度やニ度ではなかった、という。この時期に制作された作品のレコーディング・データを閲覧すると、たった一日でセッションを終えているものもあれば、何日も、時には年度をまたいでまで取り直しているものもある。私の考察するところ、一日でセッションを終了したということは、よほど会心の演奏が出来たか、或いは取り直しを出来る状況になくセッションを打ち切ったかのどちらかではないかと考えられる。先に述べた「ぎこちなさ」や「力み」乃至は「グロテスク」さを感じさせる作品,具体的には、ブルックナーの《ロマンティック》やチャイコフスキーの交響曲第5番は、僅か一日でセッションを終了している。それに対し、オペラの全曲盤やこのベートーヴェンの交響曲全集などは、何度も何度も、年度をまたいでまで彫塑に彫塑を重ねた跡が観てとれる。

     ベルリン・フィルというドイツ圏を代表するオーケストラの盟主であるカラヤンにとって、ベートーヴェンは正に『牙城』とも言うべきメイン・レパートリーであって、その『規範』を示すことが求められていることは、自他ともに認めるところであった。それだけに、他の演目ならばいざ知らず、この全集だけは納得のいくカタチで世に出したいという執念がそうさせたのではなかろうか。逆に、そうした中にあって《田園》一曲だけは一日で収録を終えている。これは、会心の演奏が出来たからに他ならず、取り直しの必要がなかったのであろう。演奏内容も完璧で、非の打ち所がない名演となっている。

     くり返すが、私はカラヤンの全盛期は67年から75年までの9年間と見做しているが、このベートーヴェンだけは例外である。ベルリン・フィルの常任指揮者となって5年、新たな『規範』となるベートーヴェン像を示した(62年)カラヤンが映像作品にもチャレンジし(67年-73年)そうした経験を踏まえて更なる高みを目指して打ち立てた《金字塔》、それが75年-77年の新全集だ。先の(60年代の)全集も優れた作品ではあるが、その水準をあらゆる意味で超越した驚異的な名盤である。

     カラヤンは晩年になって、もう一度全曲を録音した。自ら《テスタメント》と称して映像作品とそのサウンド・トラックというカタチでの収録であった。しかし、それはすべてをやり尽くした上での融通無礙の世界。よほどのカラヤン・ファン以外には勧め難いレコードだ。

     演奏本位で考えれば、67年から73年にかけて映像作品として収録した全集も素晴らしい(何しろ絶頂期の演奏だ)が、深刻極まりない状況にありながら、困難を乗り越えて最上の演奏を刻印しようという気概に満ちたこのレコードに、一日の長があるように思う。ベートーヴェンが「難聴」という作曲者としての苦悩に打ち勝って名作を書き上げた姿とだぶるようにさえ思えてくる。75年の1月から77年3月まで足掛け3年に亘る入魂の全集。レコーディングに関してあらゆる経験をしてきたカラヤンでさえ、これほどまでの期間リリースを見合わせ、セッションを繰り返し熟成させた作品も他にはない。それだけの拘りをもって完成させただけのことはある完全無欠の名盤だ。

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     2024/01/10

     これは驚くべき《未完成》だ!

     シューベルトというと、ワルターやベームを思い浮かべても、カラヤンの名を挙げる評者は少ないのではないか。最近は古楽器を用いたHIP演奏に主流が移行てしまったかの感もあるが、改めてワルターの《未完成》やフルトヴェングラーの《グレイト》を聴くと、やはり感動する。個人的には《未完成》ならばケルテス、《グレイト》ならばセルやベーム(ベルリン・フィルとの旧盤)も忘れ難い思い出がある。HIPには、なるほどと感心はするけれども、私が感動するのは伝統的、伝説的名盤の方だ。

     広範なレパートリーを誇るカラヤンだったが、ことシューベルトに関しては「難しい」と語っていた。カラヤンが商業録音として初めて取り上げたシューベルトの作品は《グレイト》で、1946年の収録とかなり早い時期からレパートリーとしていたが、これは当時EMIのカタログになかった演目を網羅するという意味合いが強かったようだ。来日公演のプログラムにも《未完成》は載せても、他の作品が組み入れられることはなかった。フィルハーモニア時代に《未完成》と第5番が、ベルリン・フィルとは《未完成》と《グレイト》がリリースされたが、これもカタログの充実の為であったと思われる。

     もちろん、カラヤンが演奏して悪かろうはずはないのだが、正直言って「カラヤンでなければ」というような決定的な魅力を、私は見出し得なかった。

     ところが75年に《ロンドン》との組み合わせで《未完成》が突如リリースされる。「カラヤンの新譜だから、一応は聴いておくか」といった気持ちで針を落としたのであったが、これが驚嘆すべき演奏で、何度も聴き返したのを思い出す。それまで聞き馴染んできたどれとも違う決然とした表現に、《未完成》交響曲という楽曲のイメージを根底から覆されたのだった。

     3年後にカラヤンはシューベルトの交響曲をすべて収録することとなるが、何か期すものがあったのであろうか? はたまたEMIの営業戦略上の要望に応えたものだったのか?

     カラヤン自身「難しい」と語っていたシューベルト。それでもカラヤンが振れば並大抵の演奏では終わらない。初期の作品も《グレイト》も、極めて充実している。ただし《未完成》の水準には及ばない。流石に長年にわたって弾き込んできただけのことはある。この名盤がSACDでリイッシューされたのは快挙といえるが早くも絶版となった。誠に残念なことである。今は通常のCDを探すしか手立てはない(音質は落ちる)が、それでも聴いてみる価値はある。未聴の方は、是非聴いてみて欲しい。きっとこの魅力に打ちのめされることと思う。

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     2023/12/30

     おそらく「最美」のブルックナーと言ってよいだろう。弦のざわめき(ブルックナー開始)に続いて伸びやかな第一主題が上方へ向かってどこまでも伸びていく。痺れるような美しさだ。

     これまでブルックナーというと「武骨」で「田舎臭く」「野暮ったい」といったイメージがつきまとっていたが、カラヤンのブルックナーは正反対だ。しかし、カラヤンは「恣意的」な表現を排し、楽譜(作曲家の意図)に忠実に「普遍的」な演奏を目指す指揮者であり、これが紛いものであるとは言えない。むしろ、ブルックナーの専門家とされる指揮者の方が、極端なギアチェンジやデフォルメされた表現を多用する。日本では、長い間こうしたかなり個性的というか、癖の強い音楽がブルックナーらしいとされてきた歴史がある。要するに、カラヤンはそうした我々にブルックナーの作品そのものの魅力を開示したとも言える。新たな『規範』の流布といえばよいだろうか?

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     2023/12/29

     カラヤンならではの、ユニークな《ロマンティック》だ。ユニークといっても、癖があるとか、デフォルメされているということではない。もとよりカラヤンは『恣意的』な表現は採らず、あくまで作曲者の意図=楽譜に忠実な『普遍的』な演奏を旨とする指揮者である。

     それではどのようにユニークかといえば、それはサウンド・ステージの設定の仕方である。このレコードはもともと4CHの録音方式を前提に収録された。この録音がなされる少し前にカラヤンはDGGとの専属契約を修正し、EMIと新たな契約を締結、ミッシェル・グロッツをプロデューサーとしてクォドラフォニックによる一連の作品を制作した。これはその第一弾となった作品である。

     カラヤンがグロッツとともに定めたコンセプトは

    @個々の楽器の音を拾うよりもオーケストラのサウンドをホール全体に鳴り響かせその空間に各楽器の音像を位置づけていくという『立体的』で『マクロ的』な捉え方をする

    A演奏スタイルも、縦の線(アインザッツ)を揃えて譜面上の音符を正確に音化するよりも音楽の流れや勢いを重視し、緩急やダイナミックスの巾を広くとってライヴ演奏のようなスケール感、臨場感を追求する

    というもの。ステレオという2次元の世界から3次元の世界にワープするというのが目標だった。

     カラヤンは共演する相手やプロデューサー、録音会場や録音方式などの諸条件に応じてレコード制作のコンセプトや演奏のスタイルを変化させる。そのことだけでもユニークといえるが、ほとんどのアーティストが見向きもしなかったクォドラフォニックという録音方式の可能性を信じ全身全霊を傾けていくチャレンジャー精神には、とてつもないエネルギーを感じる。

     この《ロマンティック》は冒頭の弦のざわめき(ブルックナー開始)から一筋の光明が差し込み、やがて霧が晴れて威容に満ちた姿が現れるかのように始まるが、カラヤンの手にかかるとその広がりがどこまでも続いていくかのようなスケール感が際立ち、またなんとも言えない美しい響きに満たされて、これまでどちらかというと武骨で近づき難いブルックナーのイメージが、親しみ易い幽玄な音楽に感じられる。

     残念ながら、クォドラフォニックは姿を消した。もしかしたら、この作品の真価は4CHで再生された時に初めて明らかになるのかも知れないが、ステレオで聴いてもカラヤンの意図は伝わってくる。どこまでも美しく、幽玄で、壮大なブルックナー。こんなブルックナーは、他には絶対にない。

     初出時にはレコード・アカデミー賞を受賞した名盤である。

     

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     2023/12/29

     これは、カラヤンの最高傑作ではないか?

     カラヤンにはピークが3回あった。1回目のピークは、恩師ウォルター・レッグと出逢い、EMIに続々とレコーディングを成したフィルハーモニア時代、2回目はベルリン・フィルの常任指揮者となりDGGと新たな契約を締結し、レッグとともに確立したレパートリーを再録音していった時代(この時期はウィーン国立歌劇場の音楽監督も兼任し、DECCAにも歴史的名盤を残している)、そして3回目は、最愛のウィーン国立歌劇場と訣別し、それでも理想のオペラ上演を目指して故郷のザルツブルグで復活祭音楽祭を創設した1967年から椎間板の手術を受ける75年までの10年間だ。

     カラヤンが凄いのは1回目よりも2回目、2回目よりも3回目と、ピークの山が加速度的に高まっていくところ。70年代に入り、カラヤンはEMIと新たな契約を結びミッシェル・グロッツとともに4CHの録音方式に挑戦するが、それらの諸作品は、カラヤンの長い盤歴の中でもひときわ異彩を放つ名作が並び立つ。

     カラヤンは、共演する相手やプロデューサー、或いは、録音の会場や方式に応じて制作にあたってのコンセプトを変える。よくカラヤンのことを『商業的で、売れると思えば何度でも同じ演目を繰り返し収録するが、録音技術の進歩以外には何の変わり映えもしない作品ばかりだ』と批判する声を耳にするが、これは大きな間違いだ。もしそうなら、何故カラヤンは64年から77年までの僅か10年足らずの間にチャイコフスキーの後期交響曲集を3回も録音したのか? 他のものをリリースした方が余程セールスも期待できたであろうに、敢えてチャイコフスキーを取り上げている理由は如何に?

     そのことは、これらの三作品を聴けばたちどころに分かる。60年代のものがベルリン・フィル常任指揮者としての「規範」を示さんという内容であったのに対して、71年のEMI盤は4CHという新たな可能性に挑んだ「挑戦的」なもの、そして、75年から77年にかけてのDGG盤は彫塑に彫塑を重ねた、この作品に対する「最終対」な結論ども言うべき演奏である。その違いは、レコードを実際に聴いた者なら誰でもハッキリと識別できる。カラヤンには、そうしなければならない明確な理由があったのだ。

     71年盤の特徴は何といってもクォドラフォニックという録音方式にある。ここでのコンセプトは、この作品の立体的な再現にあって、収録にあたってのポリシーとして、@個々の楽器の音を拾うよりもオーケストラのサウンドをホール全体に鳴り響かせ、その空間の中に各楽器の音像を立体的に位置付けることを目指している。DGGの一連の録音が「ミクロ的」とすればEMIの方は「マクロ的」である。またA演奏のスタイルも、縦の線(アインザッツ)を揃えて譜面上の音符を正確に音化するよりも、音楽の流れや勢いを優先し、緩急やダイナミックスの巾を広くとって、ライヴ演奏のような臨場感を出そうとしている。カラヤンがDecca時代に体験したカルショウが開発した【ソニック・ステージ】を超える3次元的な空間再現の可能性を追求した画期的な取り組みだった。

     75年から77年にかけてのDGG盤はまったく方向性が違って、個々の楽器の音をミクロ的に積み上げ、楽曲の各フレーズを克明に描き、彫塑に彫塑を重ねている。EMI盤がコンサートの実演のような臨場感を狙っているとすれば、DGG盤はレコード芸術としての究極の姿を模索したもの。それこそがカラヤンが再録音に踏み切った理由である。その結果は一聴瞭然、どう見ても(聴いても)録音の違いだけではない。

     カラヤンはDGGに対しブルックナーの交響曲のセッションを要望していた。しかし、会社はヨッフムの全集を企画制作中だった為、それに応えることはなかった。ところが、カラヤンがEMIからブルックナーをリリースし、それを契機にブームが到来すると、今度は一度も演奏したこともない初期の交響曲までも録音させた。おそらく、カラヤンが演りたかったのは、後期の三曲とロマンティックくらいだっだろうに・・・。

     商業的なのは(当たり前だが)会社側であって、カラヤンは純粋に芸術的な観点からレコーディングを考える。だから、たとえマーラー・ブームが起こったからといって、《復活》も《千人の交響曲》も録音しようとはならないし、逆に、会社がセールスに自信がないから新ウィーン楽派の管弦楽曲の企画に躊躇しているのに業を煮やし、セッションの費用を自身で負担してでもやり遂げたのだ。儲け主義の人間が、売れるかどうか分からないプロジェクトに自費を投入するだろうか? そして《ドン・ジョヴァンニ》も《ボリス・ゴドノフ》も《サロメ》も、主役となる歌手が見つかるまで、じっと時を待った。カラヤンはそうした誠実で忍耐強いアーティストだった。

     そんなカラヤンが夢見たのは、ステレオの先を行くクォドラフォニックの世界を切り開くことだった。そして、その可能性に全身全霊を傾けたのである。その題材として取り上げたのがブルックナーであり,チャイコフスキー、R.シュトラウスだった。結局、クォドラフォニックは立ち消えになった。しかし、その試みは、カラヤンとベルリン・フィルにしか成し得ない、とてつもないスケール感と臨場感をともなった作品として結実した。本来は4CHで聴いて初めて真価が発揮されるということなのだろうが、ステレオ再生でもカラヤンが意図した世界は垣間見ることが出来る。

     このチャイコフスキーは、全盛期のカラヤンが企てた革命的な挑戦の産物であり、その前人未到の世界に到達せんとするエネルギーが乗り移った、奇跡的な演奏なのである。

     

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     2023/12/29

     何度も繰り返し録音してきた《ドン・ファン》と《ティル》だが、この72年盤をもって代表させるべきと考える。

     ウィーン・フィルとのDeccaへの録音も捨てがたいし、デジタルで再録音した80年代の演奏も素晴らしいが、他の指揮者のものも含めて、カラヤン全盛期の完全無欠の名演に勝るものはないのではないか。

     これ以上ではないかもしれないが、別の味わい深い名演ということで、フルトヴェングラーやケンペの名盤を挙げることは出来る。しかし、録音も含めて、カラヤンのこの決定的な名盤には敵わない。

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     2023/12/29

     これは素晴らしいレコードだ。もともと《ツァラトストラ》はカラヤンが有名にした、といっても過言ではない楽曲だが、ウィーン・フィルとの旧盤での経験も踏まえて、完璧な演奏に到達したといってよいであろう。

     カラヤンは若い時から作曲者本人からも認められR.シュトラウスを得意としており《薔薇の騎士》の名盤も残しているが、Deccaデビューも、DGGデビューも、更には初のデジタル録音も、いずれもR.シュトラウスの作品を選んでいる。そういえば、映像作品の本格的なデビュー作品も《薔薇の騎士》だった。

     このレコードが最初にリリースされた時のキャッチ・コピーに「演奏の素晴らしさを伝えるべきでしょうが、それにしても凄い音です」とあって、録音はともかく、有名なウィーン・フィルとの名盤と比較してどうなんだろうと思ったものだが、一聴して途轍もない演奏だと驚嘆したのを思い出す。冒頭から『この曲はこのように演奏するものだ!』と言わんばかりの、確信に満ちた表現に圧倒される。未だにこれを超える演奏は現れていないし、今後も難しいであろう。実際、カラヤン自身も、デジタルで収録し直したが、これを凌駕すろことはできなかった。

     キャッチ・コピーにあったように、録音も優れており、同曲の決定盤と断言して間違いない名盤である。

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     2023/12/29

     カラヤンがウィーン国立歌劇場の音楽監督時代に、ジョン・カルショウのプロデュースで録れた最初の《オテロ》である。同曲の決定盤の呼び声も高い名盤だ。

     実際このレコードは歌手のスター性も指揮者とオーケストラの磐石さも録音のリアリティも、三拍子揃った名作といえる。同時期に収録された《アイーダ》ともどもドリーム・キャストによる夢の共演が実現した、今では信じ難いレコードだ。

     長いレコード産業の歴史上でも、これほど条件の整った作品は、そう多くはない。

     ショルティの《指環》カラヤンの《薔薇の騎士》ベームの《コシ・ファン・トゥッテ》ブリテンの《戦争レクィエム》くらいではないか?

     こうして見ると、プロデューサーの力量の大切さが分かる。結局、ジョン・カルショウとウォルター・レッグの作品が残ったことになるではないか。

     カラヤンは天下のオテロ歌い=マリオ・デル・モナコを主役に立てて、カルショウとともにレコード史上に残る《金字塔》を打ち立てた後に、改めて《オテロ》に再挑戦している。カラヤンが旧録音に不満を感じた訳ではなかろう。その時点でやり残したことがあったということでもないだろう。ただ、芸術家として経験を重ねるうちに、もっと何か伝えたいものが生じたのであろう。カラヤンの二度目の《オテロ》には、はち切れんばかりの思いが刻印されている。その叫びは私達の心を打つ。しかし、レコード(作品)としての完成度は旧盤に及ばない。実際、再演盤は、レコード・アカデミー賞まで獲得したにも関わらず、現在は廃盤の憂き目にあっている。

     歴史に残る名盤を生み出すには優れた演奏を収録する(必要条件)いうだけではなく、伝説を生み出す(十分条件)ことが必要だということなのだろう。

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     2023/11/18

     カラヤンだけでなく凡そドイツ・オーストリア系の音楽家にとって、バッハは特別な存在なんだろうと思う。

     カラヤンは、バッハの作品を、キャリアのごく早い段階から演奏してきた。実演の場でも、自らチェンバロを弾きつつ、愉しそうにブランデンブルグ協奏曲を指揮する姿が目に浮かぶ。そう、カラヤンのバッハは「美しく」「愉しく」「温かい」。

     カラヤンが最初にブランデンブルク協奏曲を収録したのは、1964年の夏。ウィーンとミラノという欧州の二大オペラ・ハウスに加え、ベルリン・フィルとウィーン・フィル、ウィーン交響楽団、それにフィルハーモニー管弦楽団という要職を兼任し、《ヨーロッパ音楽界の帝王》と称されたカラヤンだったが、同年の5月にウィーン国立歌劇場の音楽監督を辞任し、生涯の伴侶と言うべきベルリン・フィルとの活動に集約せざるを得ない状況になる。しかし、ヨーロッパ各地を転々とする超多忙なスケジュールから解放されたカラヤンは、夏の休暇中には、ベルリン・フィルの主要メンバーを別荘のあるサンモリッツに招待し、その街の小さな教会で、小編成のオーケストラ向けの楽曲のレコーディングをおこなうのが慣例となった。その第一弾として採り上げたのが、バッハの管弦楽組曲とブランデンブルク協奏曲だった。本拠地ダーレムのイエス・キリスト教会で組まれるセッションでの緊張感溢れる雰囲気とは違い、もっとリラックスした、インティメートな空気感の感じられる佳演には他のどのレコードとも異なる魅力が横溢している。カラヤンは最後の砦=ベルリン・フィルとの絆を強固なものにすべく、休暇中にも行動をともにし、1970年代には自身をして「いま私とベルリン・フィルとは最高の状態にある」と豪語するほどの関係を築いたのであった。

     マタイ受難曲は、70年代の半ば、カラヤンの絶頂期に、幾度にもわたるセッションの結果、彫塑に彫塑を重ねて完成させた名作である。ここに聴く音楽は、やはりカラヤンらしく穏やかで、温かい。しかし、サンモリッツで収録されたブランデンブルクとは違う。より「シリアス」でしめやかなもの。ダーレムのイエス・キリスト教会での緊張感に満ちた空気を感じる。

     当時、「マタイ」といえばカール・リヒターの峻厳な音楽が正統とされていて、イエスが人間の犯した罪を一身に背負って磔になる受難の物語の理想的な再現として認識されていた。

     それに対してカラヤンの「マタイ」は、イエスの《復活》、人類の《救済》を信じる「やさしさ」に満ちている。しかし、その「やさしさ」は、それを信じて疑わない、本来の意味での「強さ」に裏付けられるもの。カラヤンの「マタイ」には、そうした強さがある。

     リヒターの「厳しさ」とカラヤンの「やさしさ」のどちらもがバッハの音楽の真実であり、これらはどのような角度で作品を見、解釈し、具現化するかの違いでしかないと思う。実際、リヒター盤も、カラヤン盤も、甲乙つけ難い名盤と言わねばなるまい。

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     2023/11/14

    『カラヤンがマーラーを振る』ということで大いに話題になったものの、リリース時、日本では酷評された。曰く「マーラーにしては美し過ぎる」とか「音楽に没入していない」とか。

     当時はマーラーといえばワルターかクレンペラー(作曲者の直弟子)或いはバーンスタインがショルティか、だった。マーラーを理解出来るのはユダヤ系の指揮者だけだ、といった風潮があった。極東の地日本において《本場もの》を有難がるのは無理もないところかも知れないが、同郷人でなければ評価に値しないとまでなると、それは偏狭な考えと言わざるを得ない。また、バーンスタインの独自の芸風がマーラーにフィットすることに依存はないが、狂乱や自己陶酔ばかりがマーラーの解釈とはいえない。

     あの頃はブルックナーに関しても、同様な傾向が見られた。『ブルックナーを振れるのは、クナッパーツブッシュかシューリヒト、或いは、ヨッフムか朝比奈くらいのものだ」とされていたのだ。カラヤンはキャリアのごく早い時期からブルックナーを得意とし、重要な節目のコンサートでこれを採り上げ、アメリカ公演や来日公演でもプログラムに組み入れ、聴衆を興奮の坩堝に陥れた。本場ヨーロッパでは、リッカルド・ムーティが述懐しているように、カラヤンのブルックナーは「まるで神の声を聞くようだ」と絶賛された。私も、ブルックナーの8番を、カラヤン以上に見事に演奏し切った例をを挙げるのは難しい。ところが、日本の評論家諸氏は、カラヤンのブルックナーは「都会的過ぎる」とか「洗練され過ぎる」として批判した。

     素人ならいざ知らず、プロの批評家であるならば、好き嫌いを超えて優劣でクリティークすべきと思うが、客観的な判断より主観的な見解を示すことの方が先に立つような評論が罷り通っていた。

     話をマーラーに戻す。巨匠の時代が終わりアバドやラトル、マイケル・ティルソン・トーマス等の個性的なマーラーが登場し、また、HIP系の演奏様式が古楽やバロック音楽のみならず、古典派やロマン派の音楽にも適用されるようになると、従来の偏った見方は通用しなくなった。さらに、カラヤンの没後何周年かの企画で発売された「カラヤン・アダージョ」に収録されたアダージェットがヒットし「美しいマーラー」が支持を得るとともに、当盤の価値や意義も見直されるようになった。

     こうしてようやく客観的で正当性のある評価判断が下されるようになるわけだが、それでは、カラヤンのマーラーの評価や如何に? と問われれば、当然のことだが、特Aクラスの名演ということになろう。勿論、バーンスタインやワルターも素晴らしい。しかし、マーラーはそれだけではない。近年では、初演時の楽器や奏法を取り入れた演奏も試みられるようになり、多面的な見地からマーラーの音楽にアプローチすることが可能になった。そして、それぞれの演奏の(欠点を指摘し合うのではなく)美点を見出しそれを受容できるというように、聴き手側も成熟を遂げた。

     マーラー・ルネッサンス以後、混沌や異型、没入や狂乱といったグロテスクなマーラーばかりではなく、古典的、普遍的なマーラー、精緻に磨き抜かれたマーラーもところを得て、その音楽の理解も一層深まったということなのであろう。喜ばしいことである。

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     2023/11/11

     作曲者本人も絶賛し、お墨付きを与えたとされるカラヤンのシベリウス。おそらく同郷の指揮者以外ではもっとも早い段階から取り上げていたと思われるが、その後も何度も録音を重ねていくこととなる。

     一般には1960年代にDGGからリリースされたものが名高いが、私は断然フィルハーモニア管弦楽団とのものが優れていると断言したい。迸るようなパッションが感じられ鮮度が高い。シベリウスに不可欠の澄んだ空気感、大自然にこだまするかのような壮大さが際立っている。ベルリン・フィルとの演奏は、迫力はあるが少々重厚に過ぎ、とても見事な演奏ではあるけれど、フィルハーモニア盤に比べると爽快感に欠ける。ベートーヴェンやブラームスに爽快感は必要ないかもしれないが、シベリウスには不可欠だ。また、フィルハーモニア時代特有の品位もある。この辺りはレッグの影響かも知れない。

     カラヤンの演奏スタイルは初録音の頃から既に確立していたが、実際にレコードを聴けば、フィルハーモニア時代、Decca時代、DGGの60年代、70年代、80年代と、それぞれに違いがある。私は、その違いは、プロデューサーによるものであると理解している。フィルハーモニア時代はウォルター・レッグが、Decca時代はジョン・カルショウが、そしてDGGの60年代にはオットー・ゲルデスが采配を振るっていた。その個性は、単に録音の技術的な問題に止まらず、楽曲の解釈や、レコーディングのコンセプトそのものにも違いを生じさせた。カラヤンは、そうした違いを受け入れる柔軟性と、それを見事に演奏に反映させることが出来るテクニックを有していた。

     フィルハーモニア時代の特徴は、LPレコードという媒体に、それぞれの作品の規範となる演奏を刻印していくんだという、レッグの確固たる意志を感じさせるもの。19世紀的なロマンティックで濃厚な個性を誇ったスタイルからノエル・ザッハリッヒカイトという潮流を経た後の新しい基軸を世に示していくに相応しい指揮者としてレッグが白羽の矢をたてたのがカラヤンだった。そして、カラヤンは、その役割を見事に演じた。この時代のカラヤンの演奏には、凛とした気品があった。それは、プロデューサーのウォルター・レッグとフィルハーモニア管弦楽団というレッグが創設した新しいオーケストラの個性を強くてイメージさせるものだった。

     ここには、シベリウスの作品のスタンダードたり得んとする気概と気迫が満ち溢れている。それは、DGG時代のベルリン・フィルという世界最高のスーパー・オーケストラと成し遂げた圧倒的な完成度を誇る演奏の素晴らしさとは異なる、若々しさと勢いを感じさせてくれる掛けがえのない作品なのである。

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