Top 100 Japanese pops Artists - No.33

2003年10月29日 (水)

日本最古にして、最高にやばくて、いかれたロックンロールを鳴らしたバンド・村八分。彼らほど「伝説」という言葉が相応しいグループは他にいないだろう。その暴力的かつセクシーなサウンド世界は解散から30年近く経った今も、強烈にキケンな匂いで充満している。

69年に、アメリカ放浪から帰国した柴田和志(vo/通称チャー坊)とカルトGSの雄ダイナマイツ山口冨士夫(g)の邂逅をきっかけに、京都で結成。初期のメンバーは山口富士夫(G),浅田哲(G),柴田和志(Vo;チャーボー),青木真一(B),恒田義見(Dr)。2代目Drは上原裕。71年青木脱退。72年4月,上原脱退。三代目Drはカント(渡辺作郎)。72年8月2日,二代目Bに加藤義明加入。浅田哲はライブ村八分録音直前(73年2月頃)で脱退。

73年5月5日京都大学西部講堂にてラストライヴ(ライブ村八分はこの時の録音)ローリング・ストーンズ直系の骨太アーシー・サウンドとチャー坊の京都弁丸出しの煽動的なヴォーカルを軸とした本物ロックンロールを展開、関西を中心に人気が爆発していく。「音源の発表はいっさいナシ、活動はライヴのみ」というスタンスも手伝ってか、カリスマ的な存在となっていった。73年には、京都大学西部講堂伝説のライヴを収録したライヴを発表(唯一の正式音源)。彼らの噂は全国的なものへ広がっていく。しかし、メンバー間の不和が原因で人気絶頂の73年に突如、グループは解散。伝説のまま終焉を迎えた。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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