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M さんのレビュー一覧 

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/04/02

    バラード3番と4番の演奏が存在価値が高いと思う。3番はまさに”水を得た魚の様”という形容がふさわしい。フランソワの資質が曲にピッタリ嵌った感じ。4番は本来どんな曲かと考えると、曲のクライマックスに向かって収斂していくような背後の力を感じる変奏曲形式なのだと思われる。それはベートーヴェン的思考でもある。で、その事を解らせてくれたのが最高の演奏と考えられるコルトーの29年録音であった。このフランソワも路線を一にするが、コルトーよりもう少しアッサリしたところに音楽センスを感じる。スケルツォ集も各曲の音楽的特徴をよく把握している。これでテクが充分なら曲集としてのベストだったかもしれないだけに少し残念。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/03/27

    41番 最近種々の演奏で聴いてみた上での感想。ワルターは身上である<歌わせる>というスタイルで曲の隅々まで表現が行き届いている。しかしその結果、当名曲の世界がまるで心に沁みてこない。これでは焼き過ぎて材料の味を損なった肉とか魚料理とおなじではないか。ステレオ録音でも39番など良いものもあるが。以前はモーツァルトといえばワルターかベームかという時代もあったが41番に限り曲の核心を突いたベームとはえらい違いだ。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/03/01

    当録音の実演を聴いているが、当時の記憶が蘇り感慨深い。スイトナーのフィガロの結婚のディスク中のでみせた伴奏指揮!鬼神が乗り移ったような音楽。あれこそがモーツァルトではないのか?この交響曲の演奏も底流にあるものは同じだと感じられる。一度流れ出した音楽はもう止まらないのだ。古典的な造型性や完璧な技術性と内に秘めた巨匠的オーラの共存がスイトナーの特質だったと思う。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/01/13

    まず、HMVのレビューが期待外れでなかった事を言いたい。当演奏の特徴を挙げると、ひとつはピアノも含めて、やや人工的であると同時に十分にコントロールされた精緻さのもたらす快適さがあるということ。もうひとつは言葉と音楽の結び付に絡んだ問題で千変万化する声色を駆使する歌唱スタイルということ。クラシック以外の分野ではよくあることだがクラシックでは珍しいのでは。そのことが、或る曲では曲が本来持っていた潜在的可能性を引き出させることとなり、或る曲では従来曲に感じていた詩情を薄めることにもなっている。兎に角、内容と広がりの点で管弦楽曲やピアノ曲と同等の重さを持つと思われる割りには知名度が低い歌曲の分野の愛好者には必聴のディスクではないか?更にこのスタイルでシューベルトの3大歌曲やシューマンの詩人の恋等も聴いてみたい。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/01/01

    かつてのホロヴィッツと同様な意味で、こうしたライブでのオムニバス的アルバムを商品化できる事自体ピアニストの実力の証拠でもあると思われるが、自分の手持ちのセッション録音の重複曲目で比較してみると当アルバムがライブの為か、より曲を自分のものにしている感じが伝わって来る。特に優れていると思ったのはバラード1番と幻想ポロネーズ。バラードは夢幻的な美しさ。幻想ポロネーズでは作曲者のもっている狂気(病気の苦悩の無関係ではないだろう)にまで足を踏みいれた趣がある。夫々曲の新境地を開拓した感がある。他にソナタ3番の第一楽章主部の音の捌き方の美しさ。英雄ポロネーズでは前録音と異なった音楽作りで納得できるものがあった。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/11/06

    モントゥーのダフニスは第1部が断然素晴しい。他の演奏の及ぶところではない。わけても「全員の踊り」この演奏ではラヴェルの理想郷が永遠に刻印された印象を受ける。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/09/29

    楽器を操る技能的な点で言うと、そもそもヴァイオリンはピアノと異なり発音が長時間持続できる楽器だが、その中で音色とか音のたたずまいを旋律線に呼応させながら自在に変化させられるセンスがボベスコの最大の特質だと思う。この人を知ったのは五味康介がフォーレのソナタの演奏を賛美していたのがキッカケだが、曲と演奏と奏者の容貌がイメージの一致をみるような不思議な体験をしたのを覚えている。精神的品格とエロティズムは言葉の世界では相反するように思えるが、彼女の演奏では苦もなく同居している。だから芸術というものは面白いし奥が深い。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/09/20

    独奏曲について:かつてLPで出ていた組合せでなつかしい。葬送ソナタ・低回するマグマと凄まじい技巧が織り成す一種異様な雰囲気が忘れ難い。
    バラード1番・ホロヴィッツのバラード1番のベスト。泉のほとり・絶美
    最高のホロヴィッツのひとつ。ノクターン5番・ノクターンの中ではホロヴィッツのピアニズムに最もふさわしい曲。ハンガリー狂詩曲・得意分野 文句無し。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/21

    68年録音の独奏曲集に聴かれるピアノの”ねいろ”はポリーニの録音の中で最初で最後のものだ。その後グラモフォンレーベルに移行してからは美というよりも記号的な正確さを暗示するような無機的なねいろに変容してしまったのは何故か。録音条件なのか、楽器を替えたのか、求める音が変化したのか。当録音ではポリーニ本来の和声構造の克明な再現性+センシティブなねいろによりショパンのピアニズムが青白い炎を放つような感興を覚える。特にノクターンの5番。またバラード1番は以上の特質に加え凄まじい集中力でホロヴィッツを足元に見下す、すべてのバラード1番のベストだと思う。この録音はショパンのオムニバスものとしては驚異的なタッチの芸術であるホロヴィッツのSP録音と小生の中では双璧をなすものである。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/13

    演奏そのものはブラ1のベストだと想像できても鑑賞用としては、同指揮者ウィーンPO/52年 ベルリンPO/53年 ベーム・ベルリンPO ケンペ・ベルリンPO 等の後塵を拝していた。”録音さえ良ければ”の思いのファンも多いのでは。それ位、音に不満があった。問題はVn合奏の出力不足。当復刻では初めて7割方その問題が解消されている。その結果ティタニアパラストのデッドな響が不満の原因でないことが明らかになった。むしろ、ある種の味わいがある程である。そういうわけで、鑑賞用としても少なくともベストの一枚の仲間入りを果たしたと思われる。積年の懸案に終止符が打たれた感があり感慨深いものがある。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 12人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/21

    これ程の演奏の割には話題性が少ないのは、従来技巧の斬れやタッチの美しさの点で世界の一線級のピアニストとは認められない事に原因があるだろう。しかしこの平均律は画期的内容。仮にバッハらしくないとか本旨を外しているという意見があるとしたら、あまりに既成のものに依存した感受性でしかないだろう。当演奏の特質は、必ずしも的を得ていないだろうが物事を分かりやすくする為の言葉をあえて使えば「個々の曲の文学的内容の追求」とでもいったところとなる。特にフーガについていうと従来の演奏では、例えばグールドならグールドのフィッシャーならフィッシャーとしての定まった対位法的感性なり手法で表現されるが、バレンボイムでは奏者の個々の曲への性格の分析によって手法が自在に変化する印象を持つ。これを可能にするのは奏者の驚異的な音楽的才能、直観力という他ないが又指揮者だからこそ可能となった世界ということも間違いなくいえるだろう。。

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  • 17人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/08

    生前はベーム、ベームと騒ぎ立てたくせに死後手のひらを返したように関心が薄れた日本の聴衆は軽蔑に値する。欧州でも評価は高くないらしいが、新古典主義的演奏スタイルが過去のものとみなされているのだろうか。少なくとも小生にとってはブルックナー、マーラー以外のドイツ、オーストリア交響曲のレパートリーを埋めるについて、現在でもフルトヴェングラーと双璧である。音による劇といわれるベートーヴェンの音楽の典型と思われる英雄の第一楽章であるがフルヴェンのように句読点、メリハリをつけてもベームのように直線的にやっても同様に音による劇が充分感じられる点が興味深い。又ベームだとジュピターの第一楽章に通じるフォルム美をそれとなく感じさせるところがフルヴェンにはない美質だと思う。又後のウィーンフィルとの演奏だが、特に何もしなくても音楽は隅々まで俯瞰され心に染み渡っている充足感がありベルリンフィル盤と甲乙つけ難い。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/03

    近年出たポリーニ盤(P)との比較。CD1ではPは曲集前半の特質である
    ピアノの音をオブジェとして意識されるような曲の在り型にふさわしいタッチが良い。Mは所謂ショパンらしさでもあったサロン風の美意識ではない自然体な語り口と適度な色彩感がそこはかとない魅力をかもしだす。CD2では両者の音楽性の差が出てしまった。Pは概してつまらない。Mはより深い音楽性を宿しながら、どこかまとまりに欠ける後半の曲群から実に重層的、多彩な美を引き出している。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/05/24

    コンセルトヘボウ歴代指揮者別の特色を言うと、ベイヌムは新古典主義スタイルでオケの蒼古とした響きを前面に打ち出した演奏。ハイティンクはオケの特色ある響への関心が比較的低かった(響に凝縮度が不足している)が絵の具で絵画を描くような音楽作りはオランダ的。このシャイーであるが第1番ではベイヌムのような音がして従来からあるブラームス像に近いが、2番4番(3番は曲がつまらないので割愛)では緻密ではあるが従来にない滑らかな弦に木管を融合させるデリカシーの妙によってブラームスの管弦楽法の精緻さを徹底追求したものと言える。聞き応えがあるが聞き疲れする音楽でもある。このように同じオケを振っても個々の演奏で意識的に響の性格を変化させる試みはフルトヴェングラーが行っていた(と思われる)ことで、その意味でも、この人は才人なのだろう。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/03/13

    ”フルトヴェングラーの実演を聴いた者は口々に、レコードと隔たるところ遠いという”(中野雄氏) 当ディスクには、その実演の片鱗を感覚させる情報が詰め込まれているというべきか。録音状態が充分でない記録からはアゴーギグやダイナミクスを自在に操ることが彼の天才たる所以と考えられているわけだが、録音さえ良ければ、同時にオケ(そこで鳴らされる楽器)の音色、ニュアンス、表情が自在で馥郁たる香りを与えることにかけても並ぶ者の無い存在であったことが想像できる。”隔たるところ遠い”というのはその事ではないのか。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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