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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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     2022/08/08

    2019年の来日公演でも披露された通り、マクヴィカー演出『ファウスト』はロイヤル・オペラの看板演目の一つだが、2004年のパッパーノ指揮による第1回録画はもう手に入らないだけに、15年ぶりの再録画はありがたい。メイキング映像にも演出家自身の出演はなく、最近はすっかり落ち着いた巨匠になってしまったマクヴィカーは、自分の若き日の仕事をもはや評価しないのかもしれないが、改めて見直してみても面白い『ファウスト』の舞台が見たい人には、やはり第一に推せる映像だと確認した。時代を作曲の時代、第二帝政下のパリに移した演出と言えば、パリのラヴェルリ演出もそうだが、マクヴィカー版は禁欲(宗教音楽)と快楽(オペラ)の間で引き裂かれた作曲者グノー自身を老ファウスト博士に見立てるという枠があり、一段と凝った仕掛けがほどこされている。そのため舞台の両端にはそれぞれ教会のオルガンとオペラのボックス席があり、これが教会の場、バレエ「ワルプルギスの夜」、最終場などで効果的に活用される。台本がひどく説教臭い(まったくゲーテらしくない)のに閉口させられるオペラだが、演出は早くも「金の子牛の歌」あたりからメフィストのお供のダンサーたちを出して挑発的な舞台を作っている。キャバレー『地獄(ランフェール)』でのワルツの場面、「ワルプルギスの夜」での痛烈な『ジゼル』のパロディなど、何度見ても痛快だ。
    アラーニャ、ゲオルギウ、ターフェル、キーンリーサイド、コシュを揃えた旧録画を凌ぐのは容易ではないが、新しいキャストの面々もなかなか健闘。特にシュロットはさすがのカリスマ性で舞台をさらっている(女装もなかなかサマになる)。コロラトゥーラの軽やかさとドラマティックな力を兼ね備えたルングも出色。トウキョウ・リングの頃から大物の片鱗を見せていたエッティンガーがオペラ指揮者としての成長を感じさせてくれるのも嬉しい。因襲的なページも多いオペラだが、第4幕以降はさすがの表現力。なお、前回録画と同じく、オリジナル第4幕冒頭の「紡ぎ車の歌」はカット、したがって第4幕は教会の場から始まる。 

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     2022/06/04

    ネルソンスが年を追うごとに同郷の先輩、ヤンソンスのスタイルに近づいているのは慶賀すべきか、それとも憂うべき事態か。『ドン・ファン』『ティル』『ツァラトゥストラ』『英雄の生涯』『アルプス交響曲』ほかには10年ほど前のバーミンガム市響との録音があった。すべての曲で演奏時間が延びて、音楽の恰幅が良くなっているが、私の好みを言えばいずれも前回録音の方が良かったと思う。『ドン・ファン』など肥満体になりすぎて作品自体の求める若々しさ、颯爽とした感じが失われている。『ツァラトゥストラ』は名高い冒頭以外でもティンパニを強打させて迫力を出そうとしているが、私には前回録音後半の追い込みが忘れがたい。『アルプス交響曲』の細部深掘りも前回の方がアグレッシヴだったような。『英雄の生涯』だけは曲自体に対するアレルギーが強すぎる(大嫌いな)ので申し訳ないがパス。
    でもこのセット、はじめて録音される曲はどれも良い。『ブルレスケ』と『ドン・キホーテ』は理想的な独奏者を得て、素晴らしい出来。『ドン・キホーテ』の冷徹なイロニーは最もシュトラウスの本質に近いと思うが、ロトのシャープさ(二回の録音、どちらも切れ味鋭い)とこの録音の描写の巧みさは甲乙つけがたい。現在のネルソンスはかなり楽員の自発性に任せて要所だけ締めるという振り方なので、特にこういう曲に合っている。あまり演奏されない『家庭交響曲』もゴージャスな演奏で、改めて凄い曲だと確認できた。豪快な『マクベス』もなかなか(同時に出たヴェルザー=メスト/クリーヴランドの細身な演奏とは対照的)。『火の危機』の「愛の場面」もいい曲で、もっと演奏されるようになるだろう。しかし『メタモルフォーゼン』は天才シュトラウスの「だしがら」のような作品で、人が言うほどの名曲だとは思えなかったが、もはや現代のライプツィヒの楽員の心に響く音楽ではないようだ。

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     2022/06/03

    冒険的なのは第20番終楽章のカデンツァだけではない。第22番第1楽章の自作と思われるカデンツァでは途中から木管楽器が加わってくる。第24番第1楽章の自作カデンツァにも管楽器の参加があり、同じハ短調の管楽セレナードK.388の一節が引用される。第26番第1楽章のカデンツァも独特で、おもちゃのピアノのような響きが挿入される(EMI盤はテープの切り貼りだと思ったが、今回は違うかも)。その他のカデンツァ、緩徐楽章の旋律装飾もすべてセンス良く、タッチの変化も美しい。現代ピアノによる全集のなかでは、ピアノ・パートに限れば随一と言えるかもしれない。ただ唯一惜しまれるのは、オケが小編成ながら伝統的なモーツァルト・スタイルのままであること。我々は今やHIPの方に慣れてしまっているので、ここぞというところで管楽器やティンパニが前に出て来ないと物足りなく感じてしまう。このあたりが指揮者ツァハリアスの限界か。

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     2022/05/26

    このコンビの全集、人が言うほど感心しないが、この一枚だけは別格。まず最初にいわゆる交響曲第10番、シューベルト最後の未完の交響曲ニ長調D.936aの第2楽章。オーケストレーション以外ほぼ完成している素晴らしい音楽だが、これをローラント・モーザーの編曲で。ついで同じロ短調の『未完成』交響曲。さらに若書きだが、非常に特異な変ホ短調の管楽合奏曲『フランツ・シューベルトの葬送音楽』(この題名も不思議で「フランツ・シューベルトの書いた」ではなく「フランツ・シューベルトのための葬送音楽」とも読める)。ローラント・モーザーによるこの曲への『エコー』と続く。肝心の『未完成』も、かつての甘やかなロマンティック・イメージを吹き飛ばすような酷薄極まりない演奏。最後のヴェーベルン編曲『ドイツ舞曲集』でやっと「救い」が来るが、アルバム全体のコンセプトが実に良く出来ている。

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     2021/12/31

    完全な現代化演出だが、出色の出来ばえ。何とも猥雑なガーター亭の眺めからして実に素敵だが、人物達が大麻を吸っていたり、濃厚なセックス描写(演ずるのは演技だけの人たちだけど)など60年代カウンターカルチャーの雰囲気が漂う。これに対し、セレブの奥様たちはプール付きの邸宅に住まう。フリットリやシエラは水着姿も披露。だだっ広い平面になりがちな最終場も、とても工夫のある作り。歌手陣も全く隙がない。何よりもミヒャエル・フォッレの「ちょい悪オヤジ」ぶりが完璧に役にはまっている。かつてのF=ディースカウは確かに達者だったけど、こういう「ちょい悪」の雰囲気は出せていなかったので、ドイツ系バリトンでは随一かもしれない。フリットリ、バルチェローナはもとより当たり役だし、デムーロ、シエラの若い恋人コンビも良い。ダーザのフォードとファルスタッフの二人の手下たちも抱腹絶倒の演唱。
    ただひとつ、惜しまれるのは相当にテンポの遅くなったバレンボイムの指揮。ここぞという所ではもっと俊敏さが欲しいけれど、響き自体は重くないし、的確なポリフォニーの処理など聴くべき所もあるので、かろうじて及第点。

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     2021/12/29

    最初に聴いた時には、さすがにこれはやりすぎだと思った。でも、この演奏については、しばらく「寝かせた」ことで印象が逆転。特に複数の映像を見たことですっかり考えが変わった。デジタル・コンサートホール内にあるベルリン・フィルのメンバーとの2019年3月ライヴも悪くないが、フランス国立管メンバーとのyou tube上にある演奏はさらに良い(France Musique制作、収録は2021年か?)。それでも、演奏が練れているという点では、このディスクの面々が一番。5人の器楽奏者たちはさすがの腕っこき揃いだが、完全にコパチンスカヤの意図を理解して、彼女に寄り添ってくれている。ピラルツィク/ブーレーズ以来の「マジメな」現代音楽としての演奏が間違いだったとは言わない。しかし、作曲者がほんらい望んでいたのは、ウィーンやベルリンの文学キャバレーでこのように演じられることではなかったか。女優であるバーバラ・スコヴァならこのように語ることもできたはずだが、やはり前例にならって、あと一歩踏み込むことができなかったのだ。コパチンスカヤのシュプレヒ・シュティンメは第1曲「月に酔い」から誰とも違うが、特に第9曲「ピエロへの祈り」、クライマックスの第11曲「赤ミサ」に至ると相当にハメを外している。でも、作曲者の指定した音の高さはそんなに外していないようだ(それが決定的に重要とも思わないが)。何よりも得難いのは、すべての言葉に対する表情が選び抜かれていて、全くハズレがないことだ。極端な早口の第12曲「絞首台の歌」など、これまでのすべての歌手を顔色なからしめるような名人芸。彼女は今後も「二刀流」を続けてゆくつもりのようで、2023年3月の大野/都響によるリゲティ生誕百周年演奏会にはヴァイオリン(ヴァイオリン協奏曲)と声(マカーブルの秘密)の両方で出演することが予告されている。
    余談ながら、カップリングも実に秀逸。『月に憑かれたピエロ』の後に『皇帝円舞曲』(シェーンベルク編)を続けるなんて、誰が考えついただろうか。しかも『ピエロ・リュネール』の次に演奏されると、このワルツの序奏は、骸骨が骨をカタカタ鳴らす死の舞踏のように聞こえるではないか。個人的にはホーネック指揮『第9』とこれが今年のベスト2。

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     2021/12/28

    ブラ4は2018年4月のライヴで第9より前の録音だが、このコンビ、ベートーヴェンの奇数番録音でHIPの成果を大編成オケに生かす術を完全に会得してしまいましたね。弦は16型だが、管楽器はホルンを5に増強した以外、楽譜指定通り。それでも従来のバランスに比べれば、ホルンとティンパニがきわめて雄弁。弦はヴィブラート控えめだ。アゴーギグに関しては、両端楽章終わりとも極端な追い込みはない。第1楽章はほぼ標準的なテンポ(12:38)、神経細やかな開始(フルトヴェングラー風)に始まる第1主題の詠嘆調とタンゴ風とも言われるリズミックな楽想の対比が鮮やか。おなじみの指揮者解説でも述べられている通り、コーダの入り(351小節)ではホルンが続く三連符音型を先取りするのを、かつてないほどはっきりと聴かせる。第2楽章は近年のトレンドに比べれば、やや遅め(11:06)。行進曲というよりはカンタービレ重視だが、それでも終盤のクライマックス(84小節)でのティンパニの打ち込みは強烈。
    第3、第4楽章はかなり速い(5:54/9:26)。精力的な第3楽章では相変わらずホルンが大活躍。282小節でのティンパニとコントラバスの掛け合いなど実に面白い。終楽章第3変奏でのホルンの激しいシンコペーションは初めて聴くし、第12変奏のフルート・ソロはそんなに遅くないが、さすがの名人芸。最後、暗い音色で響きを殺してしまうところなど、実にうまい。再びテンポを上げた後の第17変奏では弦楽器がほとんどトレモロに近いスル・ポンティチェロと、例によって手練手管満載だ。

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     2021/12/15

    あまたある『冬の旅』音盤の中でもこれほど個性的、特異なものは他にないだろう。ツェンダー他の編曲版は別にして、とにかく普通でない『冬の旅』が聴きたいという人には第一にお薦め。「シューベルト時代の歌唱様式に沿う」ことをうたった三大歌曲集録音の完結編だが、とにかく歌手もフォルテピアノも譜面通りに歌わない、弾かない。伴奏者トビアス・コッホがインタヴューに答えて述べている言葉を借りれば「『原典版』とは別の音、装飾、レチタティーヴォ風の挿入、拡張、休止、経過句、思いがけぬ変転」が至るところにある。第6曲「溢れる涙」など、全く別の曲のように変奏されているし、歌は随所で語り、シュプレヒシュティンメに接近している。初演者ヨハン・ミヒャエル・フォーグルはこういうスタイルで歌ったのだろうが、『竪琴弾きの歌』連作と違って、残念ながらこの曲にはフォーグル版の譜面はなく、演奏者たちのファンタジーが頼りだ。名曲中の名曲だから、ここまで譜面を無視するには相当な勇気が必要だったろう。さて、首尾はどうかと言えば、上々の出来、三大歌曲集の中ではこれが最も良いと私は聴いた。この曲集のモノクロームな色彩、絶望の色濃い曲調に、このような装飾的な歌唱はふさわしくないのではないかと危惧していただけに、私としても意外だった。聴き手の方が慣れてきたという以上に、演奏者の方法論が練り上げられてきたせいだと思う。全体はかなり速めのテンポで進められており、くどいといった印象は皆無。フォルテピアノがきわめて雄弁で、声と鍵盤楽器のための協奏(競争)曲と化しているのも、この演奏の特色だ。

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     2021/12/10

    歌手よし、指揮よし、演出よし。この魅力的なオペラの理想的な映像ソフト。ペーターゼンは小悪魔的なマリエッタにぴったりなだけでなく、パウルを妄想から救い出そうとするけなげな面も見せる(夢の中だけど)。この役には彼の声は少し重すぎるかとも思ったが、カウフマンの達者な歌と演技は相変わらず見事。指揮は通俗音楽に寄せたノスタルジックな面と20世紀音楽らしいモダンな側面をバランス良く表出。第2幕フィナーレあたりの畳みかけは、いかにもペトレンコらしい。
    演出は完全な現代化演出だが、非常に巧み。特に第1幕終わりで登場するマリーの亡霊が抗がん剤の副作用でスキンヘッドになった姿なのは秀逸。これで彼女の遺髪が保存されている理由が良く分かる(このアイデア自体は映像ソフトになっていないウィーンのデッカー演出と同じだが)。この亡霊(
    とその分身たち)は第2幕、第3幕でも要所要所に登場し、パウルのオブセッションを印象づける。演出としては難所の「教会の行列が部屋の中に侵入してくる」シーンの見せ方も実にうまい。最後が従来通り、パウルの自殺を暗示して終わるのではなく、亡き妻の写真と遺髪を燃やした彼が妻の死という現実と向き合おうとするところで終わるのも新鮮だし、現代ではそうあるべきだ。

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     2021/12/09

    またしても、やりたい放題やってくれましたね。第4番は提示部反復をすれば10分を超える、しかしハ短調のまま終わるかに見えて、とってつけたようにハ長調に転調して終わってしまう終楽章がどうも締まりなく、これをどう終わらせるかが大問題。この演奏は最後に思い切ったリタルダンド、しかも終結和音をディミヌエンドにしている。完璧な解決策だ。第5番は第1楽章は「すっきり爽やか」だが、第2楽章は速いテンポ(8:15)にも関わらず、ト短調への転調部など、すこぶる陰影が濃い。ト短調のメヌエットはきわめて峻厳、トリオもアーノンクールと違ってテンポを落とさない。さらに最後に急激なアッチェレランドをかけて非常に速い終楽章へのブリッジにしている。終楽章でも提示部反復の時だけ第二主題を遅く始めて、アッチェレランドでテンポ・プリモに戻すなど、ここでもやりたい放題。

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     2021/10/29

    もちろん発売直後に買ったのだが、どうも納得できないところが多くて、あと何度か聴いてみようと「寝かせて」おいた。でも、やはり疑問は解消できなかった。特に失望したのは第14番。歌手は二人とも良い。オポライスのキャラクターへの憑依力は「ローレライ」「自殺」以下の各曲できわだっているし、ツィムバリュクも粗いところのない美声なバスだ。しかし、指揮は美しいが緊張感のない音響のたれ流しに終始し、最後まで心に響かなかった。交響曲とはいえ、作曲者にとってはより重要なジャンルである弦楽四重奏の拡張版であるこの曲、ネルソンスには最も合わない曲だったと言うしかない。ボストン響の美演をベースにしたこの全集、もとよりグランド・マナーな所が取り柄であったわけだし、これが現代のショスタコーヴィチ演奏のトレンドなのだと言われれば、そうかもしれない。けれども、切れば血が出るようなロストロポーヴィチから、ささやき声から絶叫まで極大の振り幅を誇るクルレンツィスに至る音盤で養われた第14番についての私の感覚は、そう簡単には変えられない。
    第1番と第15番の組み合わせはゲルギエフもやっているが、とてもいいセンス。両曲ともオケをマッスとして扱わない「管弦楽のための協奏曲」だからだ。こちらは第14番ほど悪くないと思うが、尖鋭さという点では、近年の録音に限っても、ヴァシリー・ペトレンコに負けている。

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     2021/10/23

    音楽面では非常に水準が高い。ストゥンディーテ、グリゴリアンともに本当に声が良く伸びる。細やかさも申し分なく、この二人がやはり圧倒的。バウムガルトナーも悪くない。ヴェルザー=メストとウィーン・フィルがいつもの洗練にとどまらぬ、逞しい表現力を見せるのは、作品の性格をそのまま反映したとも言えるが、コロナ下ゆえの特別なテンションの高さか。
    現代の衣装によるワルリコフスキ演出、今回の新機軸は以下の通り。1)音楽が始まる前に、夫を殺したばかりのクリテムネストラが出てきて、これは娘イフィゲニアを生贄にされたことの復讐であると自己主張する(ホフマンスタールの台詞ではない。ソポクレース原作の独訳か?)。2)エレクトラのモノローグおよび終盤でアガメムノンの亡霊(もちろん黙役)が舞台に出てくる。3)クリソテミスがボーイッシュとも言えるタイトないでたちなのに対し、エレクトラは花柄のスカートを履いている。従来のクリシェの逆を行こうという意図。クリソテミスは母親とその愛人殺害に積極的に関与するなど、明らかにキャラを変えている。4)副舞台としてクリテムネストラの部屋が設けられ、さすがに殺しの瞬間は見せないが、殺害後の状況をリアルに見せる。血しぶき、さらに不気味な蠅の大群を見せるプロジェクション・マッピングは終盤、大活躍。映像投影が派手な分、歌手たちの演技そのものが控えめなのは、近年の演出の悪弊ではあるが、全体としては新解釈の意欲は大いに買える。

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     2021/10/11

    4つのスケルツォはその激しさ、シリアスさにおいてショパン全作品中でも高峰の一角をなす重要なジャンル。ほとんど時を同じくしてチョ・ソンジンの新録音も出た。あちらも切れ味鋭く、端麗な申し分ない出来ばえだったが、この録音はもはや別格とさえ言える。ベアトリーチェ・ラナを「新鋭女流ピアニスト」ぐらいに思っていた認識を改めねばなるまい。1番、2番、4番とも中間部は悠然と歌うが、主部もまた畳みかける所と立ち止まる所のコントラストが鮮やか、しかも間のセンスが実にいい。1番などホロヴィッツのように一気呵成に突進するかと思いきや、最後まで余裕綽々だ。2番も冒頭の応答音形から左手のえぐり、右手高音部のきらめくようなタッチに至るまで、この聞き慣れた名曲を初めて聴くよう。誰とも似ていない個性的な演奏と言えば、思い浮かべるのはポゴレリッチ、プレトニョフ(2000年カーネギー・ホール・ライヴ)だが、表情の多彩さでは彼らを凌ぐほど。練習曲集 Op.25もまた凄い。この曲集では、かつてのポリーニの録音が無敵だと思っていたが、ラナを聴いてしまうとポリーニですら音楽の縦構造、ポリフォニーの把握に弱点があったことを思い知らされる。

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     2021/10/10

    ピアノ協奏曲の緩徐楽章のみならず、両端楽章でも旋律装飾を試みた演奏。しかも、これまでに聴ける限りでは、最も大胆なタイプのものだろう。特にK.503は構えは大きいが、どうも内容空疎で、最後の8曲のピアノ協奏曲中ではいちばん魅力薄な曲だったが、奔放な旋律装飾で面目を一新した感がある。もちろん譜面は残っていないのだが、モーツァルト自身が弾いた時には、このようなインプロヴィゼーションを加えたのであろう。K.466は曲の性格上、心持ちおとなしめだが、両端楽章の自作カデンツァなどは聴き応え十分。小回りのきくセントポール室内管の合わせも申し分ないし、間のロンド K.511もすこぶる美しい。ただひとつ、惜しまれる所があるとすれば、旋律装飾のセンスは称賛に値するのだが、ピアニスト自身のタッチの冴えがやや乏しく、音色的にほんの少し、単調と感じられるところか。

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     2021/09/05

    ウォーナー演出はもちろんトウキョウ・リングとは全く違うもので、パロディ色はなし。象徴的でありつつもかなりリアルな感触。各幕の舞台はDNAを表象する螺旋状の構造物が見られる塔のような建物のワンフロアといった感じ、これは良くできている。(神々ではない)人間達の衣装や調度などは現代のものにも見え、超時間的な舞台だが、ワルキューレ達のいでたちがすこぶるワイルド、いや明らかに土俗的なのが印象的。同じことはヴォータンにも言え、定番の眼帯ではなく、リアルな特殊メイクで右目をつぶしているが、どちらがフンディングか分からないような粗暴な人物になっている。第2幕の幕切れでも言葉でフンディングを殺すのではなく、実際に槍で刺し殺してしまう。『ラインの黄金』のヴォータンならこれでもいいかもしれないが、私が『ワルキューレ』のヴォータンに期待する威厳や孤独感といったものがほぼ感じられない。最終景はなかなか壮観だが、そのために第3幕冒頭(ワルキューレの騎行)からエンディング直前まで、ずっと大きな壁の前で演技せねばならぬというのは、本末転倒もいいところ。
    音楽面ではパッパーノの指揮が相変わらず好調。総譜の読みが深く、非常に立体的に音楽を響かせている。ただし、かつての指揮者で言えばショルティのような即物的な音楽なので、さすがにワーグナーになると「含みが乏しい」などと文句を言う余地もあろう。歌手はコノリーのフリッカも含めて女声陣の圧勝。ステンメはやはり現役世代最高のブリュンヒルデであることが改めて確認できる。マギーも(女性のお歳を話題にして申し訳ないが)実にキャリアの長い人。ドラマティック・ソプラノへの転身が成功した典型的なケースで、演技もうまいので、見応え十分。メジャーになる前のダヴィドセンが端役で出ている。スケルトンは声は立派だが、見た目に関しては、もう少しダイエットしてほしい。クプファーのように、あちこち走り回る演出じゃなかったのは幸いだが、これでは殺される前に息が切れてしまいそうだ。ランドグレンも声楽的には見事だが、前述の演出にも災いされて、私のイメージする『ワルキューレ』のヴォータンとはずいぶん違う。

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