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2 people agree with this review 2014/03/06
その昔、黛敏郎が出演していたサントリーの「メルツェン」というビールのCMで使用されていた「モルダウ」が気に入って入手した記憶があります。 40年近く前の話しで、当然LPでした。 チェコスロヴァキア(当時)とハンガリーの作曲家のアルバムで、この暗いジャケットと選曲がそのまま当時の中欧のイメージとオーバーラップして聴くのになんとなく覚悟がいるような印象がありました。 さて、このアルバムの中で「モルダウ」と「前奏曲」は過去にPOやBPOと、この後もBPOやVPOとレコーディングを重ねているカラヤンの十八番ですが、私が推したいのは、「高い城」です。 あまりメジャーとは言えず、連続作品からのワンピースですが、カラヤンはこの曲を完全に単独な「交響詩」として仕上げています。 カラヤンの演奏は曲によってはちょっと呼吸感が速く感じられる場合がありますが、このジャンル(交響詩や序曲など)では奇を衒った抑揚や緩急が皆無で、聴いていてとても自然で音響のバランスとテンポがとても心地良く感じられます。 曲自体は短調で少し暗い感じがするのですが、冒頭に奏でられるハープの重奏による「我が祖国の主題」からすでに中世のボヘミア王国の物語に引き込まれます。 そして終盤に再展開される主題の金管ユニゾンの謳い方や盛り上げ方は圧巻で、とてつもなくドラマチックな演奏になっています。 名盤として誉れ高いアンチェルやクーベリックのような侘びの世界ではなく、やはりこれも豪華絢爛なカラヤンワールドの人工美的な音楽です。(この暗いジャケットとはほど遠い) なので、当然賛否両論あるところですが、「美しくドラマチック」な「音響」に感動したい方には是非ともお勧めします。
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4 people agree with this review 2013/11/15
カラヤンが残した録音の中で最もカラヤンらしい録音なのではないでしょうか? 力強いシャリアール王の主題は、カラヤンご自慢の低弦軍団に支えられた重厚な金管和声。 そしてこれまたカラヤンご自慢のMシュヴァルベによって美しく謳いあげられるシェエラザードの主題。 出だしの5分を聴いただけですっかりこのカラヤンワールドに引き込まれてしまいます。 物語性を重視した構成は、まるで各主題を楽劇での動機のように捉え、そしてそこで展開される音楽は常にシェエラザードによって語られていることを私達に意識させているかのようです。 つまり、カラヤンはこのシェエラザードを声無き楽劇として演奏しているのです。 幻想交響曲同様、このような標題音楽を演奏させるとカラヤンは上手い! 美しさと豪華さ、そして構成力においてこの盤に太刀打ちできる演奏は無いでしょう。 お勧め度★★★★★★(とくに初めて聴く方に)
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3 people agree with this review 2013/09/26
発売当時、モーツアルトの代名詞のように云われた名盤。 飾り気のないベームのこの演奏は、来日ブームもあってか当時のクラシックファンには圧倒的な支持を得ていました。 この時期、カラヤン&BPO、ベーム&VPOととかく比較されがちで、各フリークはそのどちらかに優劣をつけたがりましたが、今聴いてみると実にベームの演奏は華やかで、まるで万華鏡をのぞいたような演奏をしていることに驚きます。 60年代にBPOと録音したいくつかの曲を70年代に入ってVPOと再録音しています。 このモーツアルトもそうですが、BPOとの演奏に比べると指揮者の恣意的な要素が全く感じられない自然な演奏のように聞こえます。 ベームの器の中でウィーンフィルが好き勝手に演奏しているかのようです。 (これは晩年にカラヤンがVPOと演奏した時にも感じることです。) それほどまでにVPOの特徴を前面に押し出した演奏で、在りし日のベーム&VPOの金字塔ともいえる演奏です。
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1 people agree with this review 2013/09/18
なんと素晴らしい演奏なのでしょうか。 カラヤンお得意の小品を集めた演奏会の模様ですが、視覚、聴覚から伝わるものは壮大な絵巻ロマンス物語をイメージさせます。 なかでも《道化師間奏曲》と《修道女アンジェリカ間奏曲》が感動的です。 カラヤンの「こぶし」に寄り添いながらむせび泣く弦楽器群は、遠い昔のベルリンフィルです、、、 なんだかんだ云ってもこのコンビの紡ぎ出す繊細な音楽には脱帽です。
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4 people agree with this review 2012/08/22
はじめて聴いたのはLPでした。出だしの「おお運命よ」の部分に何度もレコード針を寧下して、すっかり磨り減らした思い出があります。 (その点、CDは何度再生しても変化が無いので良いですね。) さてこの演奏ですが、出だしのタメと強打する打楽器群の迫力にしびれます。 ムーティの若さみなぎる積極的なリズムとテンポ設定は、何かしら中世の妖艶さが感じられ、まさにエネルギッシュで劇的な演奏です。 さすがコレペティートアから出発したムーティらしく、一つの歌劇として演奏しているのを感じます。
ムーティは、フィラデルフィア管のシェフに就任してから、それまでの歌劇を中心としたレコーディングから、管弦楽曲を中心にしたレコーディングへとレパートリーをシフトしています。 オーマンディからフィラデルフィアサウンドを踏襲しつつも、極めて明るく動的で、情熱的な演奏スタイルへと変容し、レスピーギ、ストラヴィンスキー、リムスキー=コルサコフ、交響曲ではベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、スクリャービンなど、この時期に多くの優れた楽曲を録音しています。 その中でもこの幻想交響曲は、若々しいムーティの情熱的な解釈と、フィラデルフィア管の明るい音色がマッチした色彩豊かな楽曲に仕上がっています。 そしてとても爽やかさが前面に押し出されており、幻想交響曲によく形容される狂気や不気味さは微塵も感じられません。 絵画で例えるなら、薄暗いルネッサンス期のフレスコ画というよりは、フランス印象派の絵画のようで、フィラデルフィア管から紡ぎ出される繊細な響きは、まさに温暖な南欧の陽射しを感じます。 そうそう、ムーティはナポリ人だったのですね。 この曲の醸し出す失恋の切なさよりも、恋する情熱を躍動感をもって表現していますが、一方で第四楽章や第五楽章ではレクイエムにも通じる敬虔な荘厳さを感じることができます。 幻想交響曲は暗くて嫌いと思っている人にお勧めです。
2 people agree with this review 2012/06/27
カラヤンの悲愴の中で一番人気がある演奏かもしれません。 この悲愴はカラヤンフリークの中では誰しもが認めるカラヤン&BPOの黄金期に当たる70年代前半に録音されました。この時期はそれまでDGと結んでいた独占契約を解消し、EMIとも次々に録音を始めた頃であります。 どのような基準で両社にレパートリーを振り分けていたのか、詳しいことは解りませんが、この両社の録音の特徴として、DG盤は後の「新ウィーン楽派」に象徴されるように、録音技術を駆使した、実演ではとうていあり得ないようなサウンドを、方やEMI盤はホールの残響を利用したライブ感を重視した「響き」を持っています。 とくにこの演奏は残響音が長く、実際のホールで聴いているような臨場感を味わうことができます。 演奏(録音の仕上がり)自体も細部にはあまり拘らず、勢いで一気に畳み掛けています。スピード感を重視しており、チャイコフスキー特有の対位和声を一糸乱れぬ重厚なアンサンブルで引っ張り回す様は、まさに彼らの黄金時代と呼ぶにふさわしく、かのレニングラードの貴公子を彷彿とさせます。 また、録音データを見てみると71年9月16日〜21日となっており、これまた日程的にも一気に録音しています。これはもともと第4番から第6番までの3枚組のレコードだったので、たった5日間で3つの交響曲を録音したことになります。 まさに驚異的なやっつけ仕事と云われても仕方のないデータですが、それが却って「余計な手を加えていない」というカラヤンにとっては新鮮な仕上がりになっているのかもしれません。 この後、EMIで録音される管弦楽曲のほとんどは、連続した短期日程で一気に録音する場合が多く、その仕上がりもこの演奏に象徴されるようなライブ感覚になっています。 なにせスピード感と迫力があり、磨き抜かれたBPOサウンドはカラヤンを象徴しており、これぞカラヤンサウンドという見本の演奏です。
3 people agree with this review 2012/03/28
振り間違いがあった。アンサンブルが崩壊した。BPOと戦争中だった。 いろんないわく付きの演奏でしたね。 しかし、そんな先入観を払拭して聴いて(見て)みて下さい。 シンフォニーホールの音響を試すために用意したかのようなプログラムにカラヤンの粋を感じませんか? モーツアルトのディヴェルティメントは、とても伸びやかでBPOの弦楽セクションの機能美が光っていますね。今ではもう聴くことの出来ないモダンスタイルで纏め上げています。 そしてドンファンやローマの松は(当時の)スーパーオーケストラの機能を十分に見せ付けています。 とくにローマの松はオリジナルの大編成で重心が低く中間音域の厚い、まさに当時のBPOの響きがあります。 そして各演奏を見て思うのはカラヤンの指揮の上手さです。 ロボットみたいと云う人もいますが、カラヤンの指揮の通りに音楽が奏でられているのがわかります。やはりライブは良いですね。 最後の「アッピア街道の松」の盛り上がりは、先年にスタジオで録音した同曲とは明らかに熱の入りようが違います。これを粗さととるかどうかは主観の問題ですが、このDVDを見るたびに、「嗚呼このコンビってやっぱり凄いな〜」と感動しています。 それとやっぱり演奏会は燕尾服ですよね、、、、
3 people agree with this review 2011/10/16
レビューアの評価が真っ二つに割れていのが面白い。 確かにこれまでのカラヤンの悲愴をイメージすると大きな期待はずれにあう。 熱いライブ感を再現したEMI盤。音響美を極限まで研き上げた76年DG盤。 どちらもカラヤンの悲愴の代名詞であり、これらの盤もご他聞にもれず賛否両論である。 つまり、カラヤンの悲愴自体がアンチの格好の標的にされていると言うことなのであろう。 さて、このレビュー欄はそのような議論をする場所ではないのでこのCDについての主観的感想を書きましょう。 まず、大前提としてカラヤンは自身の感情を直接ぶつけるような演奏はしないということ。 そして、彼自身がインタビューなどで何度も言っているように、演奏会ではオーケストラに最大の自由を与えるということ。 後者はセッション録音時の全てに当てはまるか?というとそれは違うであろうが、基本的にはオーケストラの自乗的な演奏を心がけていたと云うことだろう。 つまり、BPOとVPOの違いがすなわちこれまでのカラヤンの悲愴とこの悲愴の違いということである。この理屈は非常に単純なようだが、実は途方もなく深遠な問題である。 この悲愴は下のレビューにもあるように「耀かしい音」から「枯れた音」、とくに第3楽章はこれまでのような重厚な推進力は影を潜め、カラヤン特有のレガートも優美さを欠いた軽妙なマーチになっている。しかも、この時期のカラヤンの身体的な状況を考えると、老いてなおこのテンポ設定は早く、積極的で生きいきとしたと表現になている。 しかし、終楽章は一転してこれまでの彼の美意識からは大きくかけ離れた、これまでにない人間臭さに満ちたカンタービレになっている。 それは彼の音楽には一番不適当な「告白」という表現が用いられてもおかしくないような印象を受ける。 いわゆる一部の評論家たちが盛んに用いる「精神性に満ちた」という表現がこれなのかもしれない。 この時期、諸般の事情が無ければ多分ベルリンフィルと録音していたはずであるが、このVPOとの作業を通してきっとカラヤンは新しい悲愴感を得たはずである。 そしてこの演奏を経験した延長上に88年の来日演奏があるのだろう。
3 people agree with this review 2011/10/15
発売当時、モーツアルトの代名詞のように云われた名盤。 飾り気のないベームのこの演奏は、来日ブームもあってか当時のクラシックファンには圧倒的な支持を得ていました。 この時期、カラヤン&BPO、ベーム&VPOととかく比較されがちで、各フリークはそのどちらかに優劣をつけたがりましたが、今聴いてみると実にベームの演奏は華やかで、まるで万華鏡をのぞいたような演奏をしていることに驚きます。 60年代にBPOを録音したいくつかの曲を70年代に入ってVPOと再録音しています。 このモーツアルトもそうですが、BPOとの演奏に比べると指揮者の恣意的な要素を極力排除した演奏のように聞こえます。 つまり、ベームは器を提供しているだけで、その中でウィーンフィルが好き勝手に演奏しているかのようです。(これは晩年にカラヤンがVPOと演奏した時にも感じることです。) それほどまでにVPOの特徴を前面に押し出した演奏であり、在りし日のベーム&VPOの金字塔ともいえる演奏です。
2 people agree with this review 2011/10/15
もともとは2枚に分かれていたもの。 スッペ序曲集:喜歌劇《軽騎兵》序曲、喜歌劇《ウィーンの朝・昼・晩》序曲、喜歌劇《スペードの女王》序曲、喜歌劇《美しきガラテア》序曲、喜歌劇《怪盗団》序曲、喜歌劇《詩人と農夫》序曲、 ロッシーニ序曲集:歌劇《どろぼうかささぎ》序曲、歌劇《絹のはしご》序曲、歌劇《セミラーミデ》序曲、歌劇《セビリヤの理髪師》序曲、歌劇《アルジェのイタリア女》序曲、歌劇《ウィリアム・テル》序曲、 何故、現在はこれらが抜粋盤としてしか入手できないのか不思議だ。 云うまでもなく、この手の音楽をカラヤンに振らせると右に出る指揮者は皆無であろう。 とくにロッシーニに関しては、ジュリーニ、アバド、ムーティなど自国を代表する巨匠達が名演を残しているが、曲の構成力、流麗さにおいては後塵を拝するに留まる。 なにせオーケストラが上手い。 まるでワーグナーでも演奏するかのような勢いで鳴らすスッペは、そこに軽妙さを決して忘れていない。 そして磨き抜かれたアンサンブルはカラヤンのドライブにきっちりと寄り添いながら、スリリングなアップダウンを繰り返してゆく。 癖のない、でも一度聴いたらやめられない演奏です。 早いところ、それぞれの全曲盤を再販して下さい。
16 people agree with this review 2011/10/14
このブランデンブルグ協奏曲集は1978−79年の録音で、日本ではその年の内に発売されたと覚えています。 発売当時はほとんど話題に上らず、またまた「大袈裟なバッハ」とか「豪華絢爛なバッハ」「時代遅れのバッハ」などと酷評されていたと思います。 現在のバロック音楽はピリオド楽器によるピリオド奏法が当たり前ですが、この流れを作ったのは、この録音の数年前にレオンハルトによってリリースされた同ブランデンブルグ協奏曲集が発端になっていると考えています。 時代はピリオドに向きつつありました。 多分カラヤンもこの流れを意識した中でこれを録音したに違いありません。 60年代半ばに同じくブランデンブルグ協奏曲を録音していますが、それとは明らかにアプローチの仕方が違い、演奏人数も減らしたこじんまりとした編成によって行っています。 つまり、ピリオド楽器によるピリオド奏法への潮流に逆らうかのようにモダン楽器によるモダン演奏を真っ向からぶつけたのだと思います。 リヒターやパイヤールを聴いて育った年代の私には未だにピリオドには違和感を覚えます。 カラヤンもきっと彼自身の美的感覚の中にこのピリオドは存在しなかったのでしょう。 新感覚を意識しながらも、自意識の中で原点に回帰しようとした演奏ではないかと思っています。 それともう一点。 このレコードジャケットはホルガー・マティスのデザインで、バッハがこの協奏曲集を献呈したケーテン候の宮殿の立体地図と思われますが、メタル地にすることであたかもコンピュータの基盤のように新しいもの、対向する光は宇宙ステーションからみる太陽を表しているようでもあります。 やはり昔のレコードはある種の芸術品と云えたのではないでしょうか。 オリジナルジャケットは、その演奏が意味するものまで象徴的にデザインしています。 このデザインにはこの演奏は懐古趣味に陥ることなく、古いものの中に新しいものを取り入れ継承していくというカラヤンの決意のようなものを感じます。 オリジナルジャケットはそれほどまでに重要な意味を持ち、私達リスナーに語りかけてくれるのです。
16 people agree with this review
5 people agree with this review 2011/10/05
カラヤンの到達したマーラーへの彼岸。 この演奏については、親カラヤン派の中にも否定的な評価者も居るだろうし、アンチカラヤン派でも肯定的な評価者も居るだろう。 この演奏を聴くと唯一カラヤンが思い通りに出来なかった作曲者だったと感じる。 カラヤンがスタジオ録音では実現できないと判断した唯一の曲なのだろう。 79年のスタジオ録音から3年余り、再録音としては余りにも期間が狭すぎる理由は、この曲に対する美意識の再考なのだろう。 アンチ派が唱える音楽のぶつ切りと貼り合わせではマーラーという作曲家の芸術は再生できないと感じたに違いない。 カラヤンは79年にスタジオで録音したディスクとこのライブディスクは全く違うものと言いたいのかもしれないし、それを私達に問うているのかもしれない。 わたしも両方のディスクを良く聴くが、両方ともカラヤンらしいアプローチであると感じる。
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7 people agree with this review 2011/10/05
本当に素晴らしい!! その一言! カラヤンのキャスティング、選曲、そして構成力。 この1枚のアルバム、一夜の演奏会のプログラムにカラヤンの芸術性が如実に表れている。 VPO、ノーマン、ワーグナー、どれが欠けてもいけません!! 未聴の方は是非とも聴いて下さい!
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10 people agree with this review 2011/10/05
「ベームの晩年は鈍重」という印象が強いですが、決してそんなことはありません。 確かにスタイリッシュな演奏ではありませんが、HMVレビューにもある通りソナタ形式を重視したドイツ的なアプローチにより輪郭線のはっきりした重厚な響きになっています。 この解釈は下のレビューにもある通り、カラヤンやムラヴィンスキーのようにロシア的なアプローチをとった演奏家とは一線を隔したもので、とくに「悲愴」はロマンチズム的ではなく、新古典主義的なブラームスの4番の延長上にあるような印象を受けます。 ベームは自分のキャリアの中にチャイコフスキーのレパートリーが無いことを非常に気にしていたようで、DGに対して再三、このチャイコフスキー後期の3作品の録音を希望していたようです。しかし、DG側はベームのチャイコフスキーは売れないと判断していたようで、まして同時期にカラヤンもこの3作品をDGに録音していたので、ベームの出番は無かったようです。それでも再三に渡ってDGに交渉し、ようやくこの時期に名誉会長に就任したロンドン響に白羽の矢が立ったという話しです(ベームがこの録音のために就任したとも言われている)。 本当は独墺のオケと録音したかったのでしょうね、、、 しかし、この演奏についてはロンドン響を起用したのが功を奏しているのかもしれません。 もしもこれが独墺系のオケであれば重厚さを増し、ややもすると鈍重になった可能性は十分に考えられます。 聴けば聴くほど味が出る演奏です。
10 people agree with this review
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