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てつ さんのレビュー一覧 

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/08/01

    このディスクは他に比して頭ひとつ突き抜けています。どれだけすごいかは、皇帝の第二楽章を聞けばわかると思います。冒頭4小節だけでも、深い祈りの音楽が優しく響きます。ラトルとはこう言う演奏ができる指揮者だったのか、その深化に心から共感しました。内田さんとの録音を聞き直してみましたが、室内楽的アプローチはされているものの、まだ「重量級」であり、BPOに引っ張られている感じがありました。ラトルのベートーヴェンやブラームスはなんとなく「借りてきた猫」感が引っかかっていましたが、今回のLPOとの演奏ではそれは皆無。皇帝の第一楽章主題部でも、力任せではなく、計算された旋律線を描きます。結構個性的な表現なので、賛否はあるかもしれませんが、私はこのラトルの読み満載の表現、諸手を挙げて賛成です。もちろんツィマーマンも最高、特に弱音の美しさは筆舌に尽くし難く、皇帝第一楽章再現部前など、「こんな表現初めて聞いた」レベル。それにツィマーマンも伸びやかかつ力を抜くところは抜き即興的な部分を見せるなど、ピアニストも指揮者突き抜けた演奏を繰り広げるのですから、悪いはずがありません。それにしても、ラトルにはビックリしました。故郷に帰り、ゆっくり余生をのんびりペースで過ごすんだろうな、なんて勝手に思ってましたが、なんとさらにパワーアップして新天地に行くとは。ラトルは深い読みで表現の幅を大きく広げたけれど、これは完全に指揮者主導の音楽で、オケは彼を信じて喜んで従うことになります。こうなるとウィーンフィルに再登場する目はますます薄くなったし、ベルリンフィルへの客演も減るんじゃないのかな、と懸念しております。今度はバイエルンでツィマーマンとブラームスを録音して欲しいと、願わずにいられません。それにしてもツィマーマンはあのシューベルト以降独奏曲の録音がありませんね。録音嫌いとも思えないし、完璧主義者なんだとは思いますが、なんとかもう少し・・。これだけの美音と弱音を聞くと、なんとしても今年こそは秋の来日が実現する様祈りたいと思います。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/07/09

    「現代音楽のカリスマ」「圧倒的なテクニックと表現力」という賛辞が並ぶエマール。初のベートーヴェンのソナタはなんとハンマークラヴィーア。これはデヴュー戦に超大物と戦うボクサーのようだが、そもそもエマールというボクサーは井上なみのモンスターだから超大物を呆気なく手中に収めている。正直もう少し神経質な演奏をイメージしていたが、あまり小節毎の強弱には拘らず、大きな流れを作る。非常に堂々とした太字の書のような演奏である。美音とテクニックで旋律線と和声をしっかり聴かせてくれて、第一楽章の冒頭を聞けばエマールの意図がわかる。しっかり響かせながら。微妙な音量差で旋律線を表現する。それに加え一音一音が明晰なのだから、並みの作品では演奏自体がオーバースペックになってしまう。だからこそエマールはベートーヴェンのソナタ初録音としてこの難曲を選んだのではないだろうか。特に第三楽章などはuna cordaになると何かすごく遠くを見ているような、そんな感じすらする。エマールに見えているものは神なのか自然なのか、私如きには全くわからないが、永遠とか深淵とかいう言葉が頭をよぎる。第四楽章はどこをとっても、「まだ余力が残っている」感が満載。余裕があるから、焦らない、急がない、慌てないとどこかの標語みたいだ。余裕を見せながら最後に向かって高揚感も付け加えてくる。脱帽レヴェルである。この人の辞書に「難曲」という文字はなさそうだ。加えて、この曲の第二楽章のトリオがエロイカのオマージュであることから、カップリングにエロイカ変奏曲を持ってくるセンス。エロイカ変奏曲は名曲の割には意外に名盤が少なく、ギレリス以来の名演が登場した。ここでもエマールは余裕とスケールでこの曲を演奏しており、安心してお任せできる。さて、デヴュー戦が圧勝だったのでこの後もベートーヴェンのソナタに連続挑戦して欲しいというのがファン心理だが、どうもこのお方、圧勝したんだからもうベートーヴェンはいいだろ、とか言いそうである。伝説のデヴュー戦後即引退なんて辞めてください。お願いします。キングインターナショナルの方、エマールにそう伝えておいてください。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/06/27

    ライナーノートに記されているシフの言葉がこの演奏の根幹である。フルトヴェングラーも、ブラームスの本質は自然で純朴であり、時代が求める音楽的質量の拡大とは違う道をブラームス自身が選択した、と「ブラームスと今日の危機」と言う論文で述べている。まさに分厚い重量級の演奏のアンチテーゼとして、フォルテピアノ的響きのするピアノを用い、手兵の古楽集団と共に、清明なブラームス像を目指している。ベルクルンドの交響曲全集のように薄い響きがブラームスの音楽の骨格を剥き出しにする。かと言って表情づけは薄くなく、陰影は濃い。その良さは特に緩徐楽章で発揮され、1番の第二楽章など清浄感が素晴らしく、過去聞いたことのないレベルで沁みてくる。シフのピアノ自体も音自体がクリアなので、各声部の見通しが良く、特にトレモロがしっかり響くのでブラームスの意図が伝わってくる。このピアノ、現代ピアノとフォルテピアノの良いとこドリのようなピアノの音がする。本当に1850年代にはピアノは楽器として相当発展していたんだなと感心した。音のレンジがフォルテピアノに比べると相当広い。なんとなくシフ得意のベーゼンドルファーに似ている感じがした。この演奏、オーケストラが小ぶりなことも相まって、必要以上に大音量を出さない。大音量にするとバランスが崩れ、演奏ポリシーに反するから当然なのだが、この抑制を是とするならば、この演奏の魅力に取り憑かれるだろうし、物足りないのであれば従来の重量級で良い。シフは自らのポリシーに従って、この清明さが優しさにも繋がる演奏を繰り広げた。一方フルトヴェングラーは私から見れば自らの意見と演奏が食い違う。言行不一致か?いや違う。彼は「両方ともブラームスだ」と言うことを身をもって示した。私も両方ともブラームスだと思う。

    このコンチェルト好きなら聞いておくべきディスクをシフは作ってくれたのだが、一つだけ難癖つけると、シフの考えとジャケ写が合わない。従来の「秋の夕暮れ」的ブラームス像を踏襲していて、シフの革新的(確信的?)意図とは異なるのがもったいない。これに限らず最近のシフのECM録音は薄暗い風景写真見たいのばかりでよろしくない。さて、シフは演奏会ではブラームスの独奏曲を取り上げているので、いずれは録音してくれるだろうと信じているが、できればベーゼンドルファーでお願いしたい、と私は思ってしまう。このディスクを褒めておきながら、情けないけど。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/06/12

    まず持って、クラシックCD史上最高のジャケ写に最大の賛辞を贈りたい。まさにこの二人は「コンビ」である。所属事務所は吉本興業と言ってもいいくらいだ。ヨーヨーがアックスを指差して「コイツですよ、真面目なのは」とツッコんでいて、アックスは「わかったわかった、まったくお前は〜」と優しい笑みをたたえる。ベートーヴェンのソナタ全集というアルバムで、よくまぁこの写真をジャケに採用したなぁ。プロデューサーに敬意を表したい。さて本題だが、まさに自然体というか、余計な力みが全くないという演奏と思う。ヨーヨーは2009年メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲の録音あたりからマッチョ系から脱却して、自然体かつ曲想に寄り添うようになってきたと私は思っており、今回のベートーヴェンもまさにその通りの演奏だった。その意味では曲想が雄大な3番のソナタとか物足りないかも、と一瞬思ったが、できるのにやっていないだけなので、返ってそれがこの曲の偉大さを浮かび上がらせると気が付いた。曲の深さとスタイルが合うのが4番。第二楽章など特にコンビのフレージングの息がぴったりで、かつメリハリはあっても抑制が効いている好例。5番のフーガなども余裕が粋の領域。ユダスマカベウスに至っては最初から脱力系で「勇者なんてウソくさいぞ」的アンチテーゼまで透けて見える。そうだ、ヨーヨー・マが愛されるのは、もちろん彼の音楽性もあるが、彼がヒューマニストだからでもある。アックスもヨーヨーマの意向に沿って優しい音楽を作っている。このコンビも結成50年になると思うが、これからも良いアルバムを出して欲しいと願わずにいられない。底抜けに明るく、人を思いやる芸術家が自然体で演奏してくれたベートーヴェン。私はこのディスク大好きになった。それに、もしジャケ買いしたとしても損はない!

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/05/04

    このディスクを聞いてやっとわかった。ブロムシュテットが何を目指しているのか、そのためにどれだけ努力しているのかを。彼の名盤と言えばやはりドレスデンとのあの「第九」だろう。私もあの重厚長大というか、フルトヴェングラーが現代にいたら、おそらくああいう演奏をすると思い込んで愛聴していた。それの印象が強過ぎたのかもしれないが、ゲヴァントハウスとのベートーヴェンの全集は、なんか少し軽いなと思っていた。この前のブラームスの1番も同様。N響で聞いたブルックナーの9番は心底震撼したが、そのあとのエロイカは、やはり軽いと思った。作曲家によってアプローチが違うのかなとすら思い込んでいた。ところがこのディスクを聞いたら、最初から「あれ、良いじゃん」と思った。何が良いのか、スコア見ながら何回か聞いた。そして理解したのが、当たり前のことなのだが、巨匠は「スコア通り」の演奏をしようと全身全霊を傾けていたこと。余計にテンポは動かさない。私が軽いな、と誤解した違和感は「これだけ精緻なのに、インテンポを墨守する」ことにあった。ドレスデンとの第九のようなタメがないよな、もっと曲に合わせないと、なんて思い込んでいた私の感覚は誤りだった。だから巨匠はベーレンライター版を使いベートーヴェン全集を作ったのか。芸術は常に進歩しないとダメだ、現状維持は後退だ、という巨匠の矜恃が私はわからなかった。自分の無知を懺悔するほどこのディスクは凄い。スコアを読み切り全て表現しようとした巨匠。最近のベートーヴェンはどれだけ深読みしたかを競うような演奏が多いが、ブラームスではそれはいらない、とにかく書いてあることをやれば良い、というのがブロムシュテットの結論なのだろう。そう思って再度聞いたら、第一楽章のあの第二主題で涙が止まらなかった。スコア通りの中で限りない精緻を目指しつつ、テンポを犠牲にしないこの演奏だが、最後はちょっとだけ、タメてくれる。これがまた泣かせる。この曲はジュリーニとロスフィルを超えるものはないと思っていたが、そんなことはない。このディスクが一番である。これほど演奏に感謝したのは何年ぶりだろうか。巨匠、またひとつ学ぶことが出来ました。本当にありがとうございました。またの来日、心からお待ちしています。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/05/03

    10年前、このディスクが出たときのことを覚えていますが、今回約半額で再発されたことを喜びたい。とは言えですねぇ、先日ベートーヴェンの全集を激賞したばかりでありますが、彼のハイドンは評価が難しいと思います。93年録音のロンドンクラシカルプレーヤーズとの演奏と基本的には同じ。ベートーヴェンと同じ路線を期待していたのに、なんでかなぁ、このレガートの多用は。レガート自体を否定するものではないのですが、HIPアプローチと合わない気がして仕方ありません。もしかしたら、融合を目指したのかもしれませんが、ハイドンとは違う気もします。この演奏は、もちろんサーロジャーのような素晴らしい指揮者が検討に検討を重ねた録音であり、私ごときがどうこう言える話ではないことは理解しております。それでも、アーノンクールや弟子のファイのハイドンを聞くと、サーロジャーは少しもどかしく思えます。演奏って難しいものなのだと、改めて思いました。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/04/26

    これは参った。名盤です。ノリントンを見直しました。掘り出し物と言ったら失礼だけど、2002年の段階で彼がこの演奏をしていたとは!そもそもノリントン、N響客演のモーツァルトの39番の終結時に、ジャンプして観客の方を向くというパフォーマンスをして以来、私はちょっと違和感があり、レガートを多用するスタイルも、これでHIPなのかなと好きではなかったので今回のベートーヴェンも正直期待していませんでしたが、聞いてビックリ。楽譜に書かれたリズムをしっかり読み取り、推進力を前面に出したスタイル。これに加えてHMV指摘のクリアなパートバランスが絶妙。細部までしっかり読み込んでいて、新しい響きを提供してくれます。例えば4番第一楽章245小節の1stVnと2ndVnの掛け合いなんて「ここ面白いでしょ」ってノリントンが教えてくれます。響き自体も低弦がしっかり支えてくれておりモダンオケがノリントンに共感しているのがよくわかります。全曲に亘り金管がリズム刻むところを強調するのですが、モダンオケのおかげでそれが強調され過ぎずほど良いアクセントになるのです。曲順に言うと1番はノリントンの姿勢がわかる名演。推進力が曲に新しい光をもたらします。2番も同様なのですが、強調される音形が1番より新鮮。一楽章のコーダなどスゴい。エロイカは最初は早いテンポが違和感あるものの、メリハリが効いていて、ここぞという時にはティンパニがガツンと鳴らしてタメを効かせる爽快な演奏。4番は全集の白眉。ここまで読み込んだ演奏を聞くと、彼が悪いわけじゃないけどクライバーはもう過去。5番は脱力かよーと思わせながら、しっかり締めてくる。田園は推進力をエネルギーとしたこの全集からすれば、少し意図と曲がマッチしないけど、工夫がよくわかる。7番はモダンオケのHIPアプローチが効きまくる。二楽章のダクテュロスリズムが沁みてくる。8番は4番と並ぶ大名演。アダム・フィッシャーが8番の最高と思ってたが、ノリントンの方が全曲に亘り集中力を切らさずこちらの方が良いかも。9番は最近の名盤の先駆けと言えるような演奏。もしかしたら皆この演奏を聞いていて、これに触発されたかも、と思ってしまう。とにかく、曲を読み切って、モダンオケでここまでやった演奏は稀有。それでいてインテンポにこだわらず、聴かせどころはしっかり聴かせる。特筆すべきはどの曲もビオラが効いていること。サー・ロジャー。脱帽です。村井先生もこの全集聞いてくれないかなぁ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/04/14

    この演奏は聞いた方が良いと思います。クルレンツィスは彼自身がインタビューで言っている様に「スコアから人と違うことを読み取ることが出来る」のであり、それを具現化しています。その意味で既存概念とは違うものを常に求めており、この演奏もそうです。いつもの通り、繰り返されるパッセージには必ず違うニュアンスを与え、デュナミークには細心の注意を払います。なるほど、と思わせる第一楽章第一主題とか、あれ、電源落ちたかな、と思わせる様な第二楽章冒頭とか。今回も彼の想いが詰まっています。私は好き嫌いではなく、こういうクルレンツィスの姿勢を支持します。クラシック音楽も常に新しい可能性にチャレンジしないといけない。スコアから限りない可能性を読み取り、表現する演奏者を心から支持します。だからこの演奏に対して、従来の尺度で批評することは適当ではないと思います。クルレンツィスとムジカエテルナの挑戦についてどう思うか、という観点のみで批評するべきと思います。この演奏は「好き嫌い」だけではなく、そのものの価値について考えるよう、我々に要求する、そういう演奏です。その上であえて言いますが、彼らの既存の演奏よりも「おおっ!」と思わせるところが多くない。ベートーヴェンの7番については他にもスコアを読み込んでこの曲の真価に迫ろうとした演奏が少なくない。私の知る限りアダム・フィッシャーの方が「そうだったのか」と思わせる部分が多い。ヨッフムも、もっと立体的に構造しようとしたと思います。それにクルレンツィスの演奏は今回やや神経質的ですが、フィッシャーもヨッフムも、こだわりながら従来的「聞かせる」演奏にも寄り添っています。この曲にのみ関して言えば、クルレンツィスも最大限頑張った、と思えるもの、唯一無比の表現を提供してくれた、とは言い難い。それでも若い指揮者はこのディスクを聞いて「世界は広い」ということ知って欲しいと(ちょっと偉そうに)言いたくなる、そういう演奏です。だから、やっぱり、このディスクは聞いた方が良いですよ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2021/04/08

    ブルックナーの合唱曲は全て、ブルックナーの世界そのものである。特にモテットは交響曲のような構造上の問題がないこともあり、ブルックナーの和声に身を浸すことのできる至福の瞬間である。日本には早くからペータース版の楽譜が輸入されており1970年代には既にアマチュア合唱団のレパートリーだった。WAB11,23,30,51あたりは大名曲だが,
    特にWAB52のVerga Jesseはブルックナー合唱曲の白眉とも言える。これほどの名曲揃いだが、録音となると1966年のヨッフム、85年のフレーミヒ、98年のガーディナーあたりが国内盤で入手出来たものの、ミサと併録が多こともあり、録音に恵まれていた曲とは言えないだろう。そんな中登場したこのディスクだが、とにかく上手い。ヨッフム盤ではオールドスタイルでヴィブラートかけまくりのヴェルディのような合唱だったが、ここでは恐るべきノンヴィブラートで静謐かつ至純のハーモニーが聴ける。これは本当にありがたい。また最高傑作のVirga Jesseはブルックナーの指定がallabreveであるものの、これで演奏するとフレージングがせせこましくなるため、4/4が望ましいのだが、この辺りもしっかり押さえてくれている。クラーヴァは決して大袈裟にならず、節度を保った指揮であり、それがモテットにはふさわしい。重箱の隅をつつくと少しバスが弱いが、逆にそれがハーモニーの純度をあげているとも言えるし、ブルックナーのモテット集の名盤の誕生を喜びたい。ブルックナーはカトリックだったので宗教曲が多いが、自身がリンツで男声合唱団にいたこともあり、男声合唱の世俗曲も多い。ところが録音はほとんどない。あと3年で生誕200年だし、どこぞで録音してくれないものだろうか。

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     2021/03/24

    ベビーフェイスと早熟の天才性、屈託のない美音。陽光のヴァイオリニスト、ギル・シャハム。DGへのデビューアルバムが16歳の時だった彼ももう50歳。白髪は増えたものの、その美音と伸びやかさは健在。2018年の来日公演がBSで放映されているが、クライスラーなどシャハムの美音と音楽性がマッチすると、もう無双状態である。そのシャハムが初のベートーヴェンの協奏曲を録音した。彼のディスコグラフィーを見ると、ベートーヴェンはソナタの録音がなくロマンス2曲だけだった。冒頭のティンパニを聞けばわかるがパートナーはHIPオケ。プロデューサーは実質シャハム自身ではないかと思われ、その意向が大きく反映されている。ベートーヴェンは一言で言うとシャハムの美音とHIPスタイルの融合。シャハムは決してノンヴィブラートじゃない。このスタイルなら、HIPじゃなくて、グランドスタイルでやって欲しかった、と思ってしまう。第三楽章の前にティンパニ必要なの?それならこれだけの音を朗々と響かせて、横綱相撲を取って欲しかった。スタイルが噛み合わないと思えてしまう。しかし、そんな私のようなゲスの考えは当然シャハムの想定内。聞き手のこういう固定概念こそが、彼の音楽の敵ではないのか。同じスタイルでの演奏こそ、自己模倣に陥ることになり、音楽家の敵ではないのか。このベートーヴェンはそういうシャハムの声が聞こえる。良し悪しではなくシャハムの「現在」を聞かなければならないのである。ブラームスは手を加えておらず、カデンツァもヨアヒムなので、意外と大人しい。シャハムの基本的アプローチはアバド盤と変わらないが、今回フレージングに伸びやかさが加わっており、再録音らしさが出ている。でも、アバド盤をもう一度よく聞いたら、アバドが結構リズムをたたみ込んだり工夫しているのがわかった。そうなるとやはりBPOとザ・ナイツでは格の違いが出てしまうのは仕方ない事だ。ベートーヴェンでは冒険するのにブラームスではしないのか。もしかしたら、シャハムはベートーヴェンに対して特別な意識を持ってるのかもしれない。満を持しての録音と思うが、それは過去の名盤、いやシャハム自身の過去とは一線を画したものだった。これがシャハムの矜恃なのだろう。そうだ、そもそもシャハムは「FOR TWO」シリーズとか、ちょっと違う路線が好きだったのだから。シャハムは協奏曲よりも室内楽が良いのかもしれない。また、来日してくれたら絶対に行きたい。ピアノは長年の盟友、江口玲氏でお願いします。

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     2021/03/06

    一聴して「ホーネックってこんな凄い指揮者だったっけ」とビックリした。既出のエロイカ、5番、7番は現代オケにおける従来アプローチにHIP的要素を加えて見通しの良さ狙いだったと思うが、この9番は現代の大オケに自らの読みとHIPアプローチを徹底させたものであり、あくまでHIPありきな点が無比と言っても良いのではないだろうか。ホーネックの深い読みについては村井先生がご指摘いただいているので、是非そちらを参照いただきたいが、この結果「彫りの深いHIPアプローチ」演奏がここにある。インテンポには拘らず、じっくり歌うところは歌う従来型アプローチでHIP演奏しているのだ。これを聞くと、あんなに良かったと思うパブロ・エラス=カサドの演奏が「ちょっとキツすぎる」と思えてしまうほどだ。それにしても、ピッツバーグ交響楽団もよくここまでやってくれたと思う。例えば村井先生ご指摘の第一楽章コーダにおける弦のスル・ボンティチェロなんて、どことは言わないが日本のオケでやろうとしたら総スカン食いそうな気がするけど、よく応じていると思う。ホーネックへの信頼の証ではないだろうか。この路線で突き進めば、このコンビは無双状態だと思うが、これだけの演奏を実現するための努力をしている事に心から敬意を表したい。

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     2021/03/04

    人は追憶には抗うことができない。追憶の中で生きている。そして、その追憶は、リマスターに弱い。1994年、私は広島で彼の演奏会を聞くことができた。曲目はグリーク 。アンコールはラヴェルの鏡から。グリークというのがなんとなくリヒテルのイメージと合わなかったのもあり、どうしようかな、と悩んだが一度は聞いておきたいと言うのが演奏会に行った動機だった。いつもの通り舞台を暗くしてヤマハを弾くリヒテル 。しかしその音は想像を超えていた。彼のピアノは打楽器であり、フレームの鋼鉄が唸りを上げていた。トロルドハウゲン婚礼の日の凄まじい音は今でも脳裏に残っている。リヒテル以降こういうピアノの音に出会ったことがない。キーシンが少し近かったくらいである。そのリヒテルが残したディスクがこれ。私は旧STR33353を所持しているが、故宇野功芳氏が「本当にすごい演奏はレコードに入りきらない」と言っていたのが残念ながら実感できた。しかし、リマスターされたと聞けば、ああ、もしかしたら少しでも私の追憶に近づくことができるのではないか、と思ってしまい、ポチってしまった。さて、追憶はさておき、このディスク自体は、少し録音が遠いが、リヒテルの叙情は十二分に伝わる。夜警の歌がじっくり聞かせるし、蝶々はリヒテルのピアニズムの発露。どんな曲にもリヒテルの想いが詰まっている。この曲集のディスクとしては全集を除けば最も良いと思う。有名なギレリスのDG盤は、残念ながら夜警の歌とか、トロルドハウゲンや、佳曲のOP54-2のGANGERとかが入っていないのが痛い。このリヒテルに並ぶのはアンスネスだが、ディスクがばらけているので、まとめて欲しい。グリークのこの曲集、彼の一生の友のような曲集だし、名曲の多さと、始まりと終わりが輪のようにまとまる良さも相まって、もっと多くのピアニストに取り上げてもらいたい。ところで、今回のリマスターはレンジが広がり一聴して「よくなった」とわかるものだったが、リマスターに劇的向上なんて言葉は似合わない。それにしても、それがいつも期待以上の劇的効果をもたらすことはない、とわかっていても、追憶はリマスターに弱いことを思い知った。これを思い知ってもなぜまた繰り返してしまうのだろうか。リマスター自体が既に追憶なのかもしれない。

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     2021/03/01

    うむ〜、全部持っているのに、リマスターでセット化ですかぁ。おそらく良くなっているのは間違い無いけれど、買い直すかと言うと即決できないなぁ。でも、Altusは、通常盤→HQ盤→SACD→アナログレコードという四変化が得意だから、ここは冷静に見送るか。いや、でも欲しいなぁ・・と二転三転のファン心理なのでした。我が祖国はもう説明の必要がない大名盤だけど、1965年の3枚がイケてます。筋肉質のクーベリックとバイエルン、これを聞いた当時の方は、「すごい」としか思えなかったでしょう。私はヒンデミットはサロネンと並ぶ名演だと思うし、フランクももっと注目されてしかるべきだと思っております。あーでもものディスク買うなら、NHKのDVD買えるんだよなぁ。でも欲しいなぁ。レビューでもなんでも無い独り言になってるなぁ。このリマスター盤は所持していないけど、レビューに書き込みしてしまいました。スミマセン。

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     2021/01/05

    良い演奏は冒頭を聞けばわかる。29番第一楽章を聞いたら「マッケラスってこんなに凄かったのか」と本当に瞠目した。マッケラスと言えば、今でも”ウィーンフィルとのヤナーチェクだよね”と私も思っていたし、ブレンデルがマッケラスをパートナーに選び、再録音したモーツァルトの協奏曲がリリースされた時に購入したが、「なんでマッケラスだったんだろう」と言うことが私には当時全くわからなかった。ところがマッケラスは1992年から始まったECOとの関係の中で、早くからこのモダンオケにピリオド奏法とナチュラルホルン、トランペット、ティンパニを導入、新しい表現を目指していた(これはライナーに書いてあったから事実だろう)。その終着点とも言えるのが2007年と9年に録音されたこのディスクである(レクイエムは2002年)。特に最晩年の29、31、32番とハフナーとリンツは物凄い名演。29番は優しい響きの中にも立体的な響きと、細かいニュアンスの両立が奇跡に近い。これを聞いてしまうと、勢いが良い29番の冒頭とかもう聞きたくなくなる。また、ハフナーはピリオド奏法でありながら推進力と暖かみが両立し、また各声部の音量調整が見事。第一楽章の終結部とかたまらない。特に第二楽章がここまで心に染みる演奏は他では聞けない。三楽章はリズム処理が見事だし、終楽章もしっかり鳴らしてくれる。リンツに至ってはこの美点にスケール感が加わるのだから鬼に金棒とはこう言うことを言うのだろう。従来のピリオド演奏では曲の構成感とインテンポのためにモーツァルトの持つ慈愛が失われていたんだなぁと改めて気付くことになった。38−41も悪かろうはずがない。プラハは演奏の難しい曲だが、対位法の良さを引き出しながら、細かいニュアンスに心がこもる。それがジュビターになるともう一つギアを上げて曲にふさわしくボリュームアップする。やはりこの曲は別格なんだなと思わせる。このディスクの素晴らしさについてはいくらでも書けるが、従来のSACDから通常CDになったがボックス化して求めやすくなったし、これを機に多くの方にマッケラスの至芸を聞いて欲しいと願わずにいられない。なお、ブックレットに記載されたSCOのドナルド・マクドナルド総裁(なんちゅうお名前じゃー)の「Some reflections and reminiscences」と言う寄稿は、2020年の8月に書かれたもので、没後10年経ってもなお、マッケラスへの敬愛をはじめ、ブレンデルやラトルとのエピソードやこのディスクに対する誇りが記載されており、心に残る。

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     2020/12/26

    ユーリ・エゴロフは「意志をピアノに込める」ことができるピアニストだったと私は思っている。彼にはロシアピアニズムの系譜とも言える、力強い打鍵はない。しかし、彼の出す音には彼の感情とか意志が詰まっている。どうしてエゴロフがこう言う音を出せるようになったのか、私は知らない。でも、カーネーギーホールライブのショパンの幻想曲を聞けば、リリシズムの上に強い意思が聞こえてくる。冒頭などはまるでシベリアのツンドラのようだ。何もない寂寥の世界。こう言う表現が出来るのがエゴロフだ。だからエゴロフは短調の曲が似合う。皇帝よりモーツアルトの20番が似合うのだ。このアルバムのジャケの屈託のない笑顔の奥底に、エゴロフ自身だけが知る世界があった。このアルバムは、そう言う孤高のピアニストのエッセンスが詰まっている。エゴロフは走り去ってしまったが、もし、彼を聞いたことがない方がいれば、是非聞いて欲しいと願わずにいられない。死後32年、でも彼の音楽はこうやって聞き継がれている。

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