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トップ > My ページ > karajan fan さんのレビュー一覧
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3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/04/22
私のBest Choice盤の一枚。 やはりカラヤンにこの手の楽曲を振らせると天下一品! 曲の歌い方、響かせ方、盛り上げ方など豪華絢爛でベルリンフィルの機能を十分に堪能できる。 ややもすると細切れになりそうなこの手の楽曲のメロディーラインを、カラヤン特有の大きなフレージングとレガートによって謳いこんでいる。 咆哮する金管群もロータリー系の楽器(トランペットやワーグナーチューバ)を多用しているので、ケバケバしさが無く上品に仕上がっている。 そしていつものように響きがとても美しい! 例えば、「夜明けのジュリア谷の噴水」では弱音器を付けた弦楽器群と木管群が朝靄の中で零れ落ちる噴水からの水しぶきを見事なまでに描写している。 そして「アッピア街道の松」では極上のピアニッシモから最高級のフォルテシモを味わうことが出来る。 この「アッピア街道の松」、実にゆったりと落ち着いたテンポに聞えるが、他の演奏とタイミングを比較してみると意外と早いことにまず驚く。 そしてティンパニーの刻みから最終小節のハーモニーまで、実に線で引いたようなクレッシェンドで終曲する構成は、かのイタリア人師匠も脱帽するはず。 素晴らしい。何度聴いても素晴らしい。ここにカラヤンの真骨頂がある。 昔誰かのライナーノートに書かれていた「アッピア街道の松」の一文を思い出す。 「詩人は街道筋の松の下でうとうとと休んでいた。 幻想的な朝靄の街道のはるか向こう側から進軍喇叭が聞えて来た。 古代ローマ軍の進軍路だったサクラ街道を整然とこちらに向かって執政官の軍隊は行進し、やがて私の前を通り過ぎてゆく。」
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
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3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/04/20
私はまだ北欧に足を踏み入れた事がありません。 しかし、この演奏を聴くと「嗚呼、フィンランドってこんな情景なんだろうな〜」というイマジネーションが沸きます。 そして写真や映像でしか見たことないフィンランドの澄んだ空気と風を感じることが出来るのです。 「フィンランドのオケによるシベリウス」だから? 「伝説の演奏会だった」から? と言う先入観がそう思い込ませるのでしょうか? いやいや多分そうではありません。 渡辺暁雄氏のシベリウスに対する愛情と作品に対する祈りが聴く者を遠い北欧の地に誘うのでしょう。 そして上品で気品に満ちたこの演奏は静寂と透明感の中にも内に秘めた情熱が迸っています。 この1番は、カラヤンの演奏を聴き続け、バーンスタインの演奏で開眼し、そしてこの演奏で琴線に触れました。 シベリウスの交響曲第1番が良いのか、渡辺暁雄氏の1番が良いのか、 その後ベルグルンド、ヴァンスカ、セーゲルスタム、ヤンソンス、バルビローリ、ヤルヴィ、マゼールと聴きましたが、やはりこの演奏に回帰しました。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/04/12
私のスヴェトラーノフ初体験盤であり、現在でもベストチョイス盤の一枚。 グラズノフの四季は数多の四季とは違い冬から始まって秋が終曲と言う構成になっています。 それはまるでロシアの厳しい大地でたくましく生きる農民讃歌のようであり、広大な原野を流れる季節が極上の風景画のように描写されている様はグラズノフの秀逸品と言えます。 中でも終曲の秋は、壮大なバッカナールと哀愁的なアダージョによって構成されており、ロシアの短い秋を豊作への感謝と祈りによって映し出しています。 さて、この演奏ですがスヴェトラーノフには珍しく、実に洗練されたそして上品な演奏に徹しています。 自然の様をモチーフした各旋律のアンサンブルは軽快に流れ、とく夏の部分は白眉で、ロシアンワルツ(矢車菊とケシのワルツ)をとってもチャーミングに仕上げています。 そして終曲の秋は圧巻で、まさに壮大なバッカナールが展開されます。 そして静寂なアダージョはまさにスヴェトラ節全開で、晩秋の透き通った空気が冬を感じさせるに余りある演奏です。 これはイギリスのフィルハーモニア管ということもあるのかも知れませんが、ロシアのオケとは一味違うスヴェトラ節を聴かせてくれます。 また、カップリングされている「演奏会用ワルツ」もUSSRSSO盤と比べると優雅で気品があるように感じます。 やはりこれもフィルハーモニア管との相性なのかもしれません。 下のレビューにもあるとおり、重戦車型の演奏では無いのでスヴェトラファンにとっては賛否が分かれるところかもしれません。が、お勧め度★★★★★★
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/04/12
サウンド的な透明感は素晴らしい。 曲の構成もこれまでの巨匠達にはない解釈で、とても新鮮さを感じる。 とくに第4・5楽章はまるで天上の音楽を聴いているようだ。 透明感がありバランスの良いハーモニーはまるでメンデルスゾーンの「讃歌」(交響曲第2番)や壮大な賛美歌を思わせる。 しかし、心に迫って来るものがない。 下のレビューにもあるとおり、音楽に昂揚感がなく、アナウンサーが読んでいる原稿のようだ。 ここでもBoulezはマーラーを後期ロマン派ではなく、新ヴィーン学派への架け橋的な位置付けで捉えている。 (たぶんこれはBoulezのマーラー解釈のスタンスなのだろう。) それはある意味、それはバッハ的な回帰なのかもしれない。 マーラー的(恣意的)な要素を全て排除し、対位法と和声楽の解剖学的な旋律にサウンドをコーティーングしただけのような印象が残る。 ではマーラーに何を求めて聴くのか? わたしは、中欧の多言語が入り乱れた抑鬱感と刹那的な悶絶と恍惚を露にした演奏である 。 これはあくまで嗜好の問題なので、このBoulezのような透明感溢れる「復活」があっても良いのではないかと思う。 演奏的には素晴らしいし、現に多くのレビュアーの方々が称賛されていることからも分かる。 ただ、この演奏でウィーンフィルが果たしている役割は??? シカゴやクリーヴランドのようなある意味くせのないオケを起用した方がこの演奏や解釈にはプラスに働いたように思える。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/04/02
レビューアの評価は真っ二つに割れていのが面白い。 カラヤンのこれまでの悲愴の延長をイメージすると大きな期待はずれにあう。 熱いライブ感を再現したEMI盤。音響美を極限まで研き上げた76年DG盤。 どちらもカラヤンの悲愴の代名詞であり、これらの盤もご他聞にもれず賛否両論ある。 つまり、カラヤンの悲愴自体がアンチの格好の標的にされていると言うことなのであろう。 さて、このレビュー欄はそのような議論をする場所ではないのでこのCDについての主観的感想を書きましょう。 下のレビューにもあるように「耀かしい音」から「枯れた音」、とくに第3楽章はこれまでのような重厚な推進力は影を潜め、軽妙なマーチになっています。 しかし、終楽章はカラヤン特有の「音楽を作っている」(作られた音楽)から「滲み出る音楽」という印象を受ける。 そして、これまでにない人間臭さに満ちたカンタービレを再現している。 ただ、ウィーンフィルの音色がこの《悲愴》という曲に合うか? と言われれば??である。 (ウィーンフィルの音はあまりにも陽気すぎるような気がする) 多分、マイヤー事件が無ければこの一連の交響曲もベルリンフィルと録音していたはずであるが、もう少し重厚でディープな演奏が好みであれば、88年の来日演奏盤をお勧めする。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/03/18
HMVレビューの評論家諸氏のお言葉を読んで購入しましたが、残念ながら★←1つ! スヴェトラーノフは好きな指揮者で、色々なディスクを聴いていますが、これはダメ!。 今まで、こんなに期待はずれだったディスクも珍しいです。 では、どこがどうダメか? ホントに呼吸感が無いです。なので当然音楽も流れない。 妙なテヌートがかかりまくりで和音は後押し(−<)状態。 ブラスの和音は澄明なのかも知れないが、まるで練習前のロングトーン。 ここ一番で盛り上がらない様は滑稽としか言いようがない。 (マイスタージンガーの寝ボケたような演奏は耐えられない!) まるで抑揚のないオルガンで弾いているような感じ。 当時のミュンヘンフィルの演奏と言われればその通りなのかもしれない。 ちなみに私はチェリとミュンヘンのコンビの音楽が合わないので、、、、 スヴェトラ節を期待して聴くと ↑ こんな感じ。 評価が高いレビューの皆さん、これは私個人の嗜好で皆さんに対しての批判ではありませんので悪しからず。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/02/15
余り称賛のレビューばかりだと、気持ち悪いと言われそうですが、色んな思い入れ(最後の来日、最後の生演奏etc.)を差し引いてもとても素晴らしい演奏です。 これまで彼によってリリースされてきたどの悲愴よりも、一音一音に魂が宿り、フレージングの長い、そしてどこまでもディープに謳い込まれている様は、これまで人工美と揶揄されて来たカラヤン流の「美」はそこにありません。 カラヤンのこれ程鬼気迫る演奏も珍しく、一度聴くとしばらく聴く気が起きない演奏で、彼の白鳥の歌であることは間違いないでしょう。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/02/13
残念だけど、あまり面白くありませんでした。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
5人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/02/05
テンションの高さで一気に煽っている様は、それはそれでエスプリが効いているのかもしれませんね。 パリ管の出来立てホヤホヤ演奏。音楽院のスライドと言ってもやはり「熟れていない」感は否めない。何だかあまりにも「フランスのオーケストラによる、フランス人の指揮者による、フランスの音楽」的な「評判」な演奏なだけにそれに見合った評価かどうかは?? 悪い演奏ではないし、聴いていて違和感があるわけではない演奏。ミュンシュも肝煎りで頑張っていることは伝わってきます。 結論:オケがあまり上手ではない。ミュンシュも力んでいて流麗さが余無い。
5人の方が、このレビューに「共感」しています。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/02/05
クレンペラーは完全にこの曲を標題音楽としては捉えていない。その理由は、各楽章に作曲者自身が付記しているエピソードのドラマ性を全て排除しているからである。 第1楽章の「夢・情熱」という表題はどこ吹く風、ソナタ形式に則った謳い出しはサイケデリックさを微塵も感じさせない絶対音楽として解釈している。感情移入を感じさせない弦楽器群の乾いた音、そして両翼配置から聴こえてくる各パートの旋律はベルリオーズが恣意的に演出しようとしている幻想的な雰囲気をグロテスクなまでに白日に曝している。 第1楽章から第5楽章までを一つの大きな建築物と感じさせる構築力に巨匠たる所以を見ることができる。 カラヤンのように美しくはない。ミンシュのように熱くもない。クレンペラーの世界がそこにあるのみ。
カラヤンはこの交響曲を作曲者自身が付記しているように、失恋体験を告白することを意図した標題音楽として忠実に再現している。そして、ベルリオーズが意図的に演出しようとしたサイケディックさを極上の美しさをもって幻想的に仕上げている。 とくに私にとっては第1楽章の「夢、情熱」がこの中では白眉である。むせ返るような、やるせない恋の感情を、弦楽器群と木管楽器群の見事なアンサンブルで表現している。やはりこの当時のBPOは上手い! どちらかと言えば毒々しい狂気的な印象がある曲だが、カラヤンは「断頭台への行進」や「ワルプルギスの饗宴」までも美しく、そして上品に創り上げている。 そして最後の最後まで張り詰めた緊張の糸が途切れず、一気にクライマックスを作り上げるところはカラヤンならではの構成である。 さすがにカラヤンにこの手の楽曲を演奏させると上手い! とにかく、美しさではこの盤の右に出る演奏にはお目にかかっていない。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/02/03
交響曲第5番について: カラヤンのマーラーとは対照的?な演奏。沈美的な美しさを追求したカラヤンに対し、抑圧された妄想気質、まるで精神分裂的な表現はレニーの晩年の人生とsynchronizeしているようである。 恣意的なドロドロと粘着気質な演奏は、透明感と言う言葉からはほど遠い印象を受ける。 また、ウィーンフィルも卓越した合奏力でその気質を忠実に表現している。 とくに第3楽章においてはそれが如何なく発揮されており、沈鬱な中にも狂気的な推進力が感じられる。 私はマーラーの音楽には恣意的な+αが必要と感じている。その+αが何かと問われれば、それはきっと「自分がマーラーの再来」と感じて曲作りを行う勘違い野郎の感性なのかもしれない。 ある意味で一つの頂点を極めた名演。(クレンペラーの5番を聴きたかった)
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/02/03
カラヤンのマーラーとは対照的?な演奏。沈美的な美しさを追求したカラヤンに対し、抑圧された妄想気質、まるで精神分裂的な表現はレニーの晩年の人生とsynchronizeしているようである。 恣意的なドロドロと粘着気質な演奏は、透明感と言う言葉からはほど遠い印象を受ける。 また、ウィーンフィルも卓越した合奏力でその気質を忠実に表現している。 とくに第3楽章においてはそれが如何なく発揮されており、沈鬱な中にも狂気的な推進力が感じられる。 私はマーラーの音楽には恣意的な+αが必要と感じている。その+αが何かと問われれば、それはきっと「自分がマーラーの再来」と感じて曲作りを行う勘違い野郎の感性なのかもしれない。 ある意味で一つの頂点を極めた素晴らしい名演。(クレンペラーの5番を聴きたかった)
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/01/28
近年の小澤はこれまでのちょっとせっかちな演奏からとても謳い込んだフレーズの長い演奏に変化してきている。 2008年に発売されたBPOとの悲愴(カラヤン追悼演奏会)は現代の巨匠としての風格をにじませている秀演であった。 今回のこの幻想、とにかくオーケストラが上手い。多分現在の日本のオーケストラの中では秀逸であろう。 アンサンブルのまとまりや自信に満ちたアタックは、さすがにソリストを一同に会していると言える。 第一楽章から第二楽章はまるでヨーロッパの一流のオケを聴いている様である。しかし、第三楽章の終わり頃から第四楽章、第五楽章とだんだんとアンサンブルが崩れてくるのと同時に発生も荒くなってくるのがわかる。 特に第四楽章、第五楽章はちょっとせっかちになり、集中力が切れているような感じがする。 じつに惜しい演奏である。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/01/25
70年代前半のカラヤン〜BPOの絶頂期とも言える演奏。とにかく迫力があって、響き的には豪華絢爛。 そしてこの曲を丁寧に最高の美意識を持って創り上げている。特に第4楽章のアダージョの美しさは周知の如く。多分、後にも先にもこれからもこの沈美性を感じれる演奏には出会う事が出来ないと思われる。 そして第5楽章のメカニカルな部分を壮大なスケールと気品に満ちたマーラーとして表現している。実に素晴らしい演奏である。 しかし、これが本当のマーラーか? と言われれば答えは??である。 マーラーを聴き終えた後の疲労感があまり感じられない。そして卑しさが全く感じられない。 総じてバーンスタインを好むリスナーには物足りなさを感じるかもしれない。(カラヤンの美的感覚には合わないのかも知れない)
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