本サイトはJavaScriptを有効にしてご覧ください。
ゲスト 様
様
プラチナ会員
ゴールド会員
ブロンズ会員
レギュラー会員
本・CD・DVD・ブルーレイ・グッズの通販はHMV&BOOKS online
詳細検索はこちら
トップ > My ページ > ヒューブーン さんのレビュー一覧
前のページへ
次のページへ
検索結果:247件中16件から30件まで表示
%%header%%
%%message%%
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/10/04
これはいただけないブラ1だ。同じ曲をロスフィルで録音した一枚もあるが、それとは似て非なる演奏。ジックリネットリ進めるのも、ロスフィルくらいのレベルになるとそれはそれで面白く聴けるけれど、このウィーン盤はそこまで徹し切れてもおらず、ただただ義務で演奏…というのが言い過ぎなら、「ここはこうあるべき…と言ったような固定観念が先立ってしまっていて、音の自然な流れになっていない」といったもどかしさがあちこちに感じられる。そういった意味であまり好きになれない演奏ではあるが、その水準の高さからして、★3つ未満にはし難いかも。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
このレビューに共感する
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/07/29
これはもう両曲とも同曲中のベスト盤カップリングと言える。 ドヴォルザークの方は、ソロ的にはロストロポーヴィチやデュプレなどと双璧とも言えるが、それらと比較してもオケはダントツ素晴らしい。端正で引き締まっているにもかかわらず、ドヴォルザークならではの土の香りが満載という120点の名演である。 ハイドンは比較する対象の音源をあまり聴いていない…というか、耳にしてもこの演奏が素晴らしすぎ、他の演奏が耳に残らないというのが実際のところ。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/07/16
この全集の聴きどころは、なんと言っても1番と2番だろう。不当に評価されがちなこれら2曲だが、スヴェトラーノフの「バリバリのロシア節」で聴くならば 習作的なイメージとは全く別の意味を持った音楽が迫ってくる。僕自身もスクリャービンの音楽は「リストの交響詩の後継」のように漠然と位置づけていたが、この演奏からは、もっとわかり易い、身近な魅力がふんだんに盛り込まれていることがわかる(はたして作曲者自身はそう考えていたかどうか?は疑問だが…)。反面 評価の分かれそうなのが『法悦の詩』と『プロメテウス』だろう。最初聴いたときは「これって何の曲だっけ?」と思えるほど違和感があった。これらの曲は「神秘主義」とか「光響曲」などのスリコミもあったせいか、透明感のほとんど感じられないドロドロ表現に戸惑ってしまったのだろう…が、結果的には面白く聴けて、楽しめた。価格が高いのが難点だが、演奏を安っぽく感じさせないためにもある程度の高価格は仕方ないかもしれない。。。(とはいえ、もうチっと安くならないものか…)
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/06/27
タイプは違うが、この演奏は、リヒター盤やクレンペラー盤に、唯一匹敵する名演だと思う。ただ難を言えば、声楽パートが今一つ飛び出してこないもどかしさがある。器楽部分に関しては、文句なく★5つなのだが・・・
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/05/20
全集を意識して録音されたわけではないせいだと思うが、首尾一貫した主張は感じられず、やや「詰め込み」的要素も感じられる点 そして録音が現代の基準に即したらやや貧弱な点で、満点には一歩及ばなかったが、一曲一曲の評価で合算と言う考え方ならば、文句なく★5つだ。 特筆すべきは4番。この曲は例えばザンデルリングあたりの評価が高く、それはまさにこの曲の神髄のみを追求した感がある名演だが、この演奏はその部分をまたさらに燻してもはや”ブラームス純度100%”にまで昇華したような演奏。同曲を代表する一枚と言える。 次いで素晴らしいのは第2番だろうか。この演奏はむしろ「聴者をノセる」吸引力があり、渋みや古典性はやや薄いためか、ひじょうに耳あたりがよい。 そしてもし評価が分かれるとすれば第1番ではないだろうか? 文句付けどころのないガッチリした演奏であり、ひたすら楽譜に没頭している演奏=聴衆の方を向いていない演奏と言える。この曲にベートーヴェンらしさを求めても滑稽な演奏になってしまうことが多く、むしろエンターティメントとして開き直った演奏の方が私個人的にはしっくり来る。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/05/20
典型的な「名演」と言えるのかもしれないが、僕は一回聴いただけで飽きてしまった。演奏がどことなく「器用」に感じられるのだ。もちろん器用なブラームスがあってもいいように思えるのだが、ブレーキを思いっきり踏みながら、アクセル全開したような、そんなブラームスが僕の好みなので・・・
なんとなく同曲s中最高の名演 といえるオーソドックスさが全編を覆っているが、アルゲリッチデビュー盤のようなスリリングさは薄い。そのためか僕は滅多に取り出して聴くことがない盤になってしまってはいるが、客観的に考えるなら文句なく星5つ級以外にないといえる。ただジャケットがどうしてモノクロなのか? これではモノラル録音のイメージが漂い、害あって利なし だと思うが…
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/05/20
最初の数秒で、最高の名演が確信できるかのような演奏だ。現代最高のピアニストと、現代最高の指揮者の組んだディスクなわけで、これはもう反則といっていいくらいの条件なので当然かもしれない。 むろんコケ脅しではなく、最後まで聴覚をとらえて離さない、おすすめ度バッチリの一枚。で、もし難癖を無理やりつけるとすれば… ツィマーマンにはバーンスタインと組んだ同曲もあるが、そちらに比べると「アク」が薄くなっているということくらいか? 曲そのものがもともと不格好で、怪獣キメラ的な音楽なので、この曲にはそういった”ダサさ”を求めるリスナーには、少し物足らないかも?
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/05/07
同曲(協奏曲)は、ムター/マズア、あるいはムター/カラヤン で聴くことがほとんどで、このCDも借りてはみたものの、「きっとムター盤に聴きなれた(僕の)耳には薄味に感じられるんだろうなァ」という先入観で聴き始めたのだが…。コレが意外とよかった。とりわけブラームス臭?の強烈な第1楽章、レーピン盤は確かにムター盤ほど灰汁が強いわけではなかったのは想像通りだったが、決して物足らない感じはしないし、なんか新鮮に素晴らしい演奏を聴いている気がした。第1楽章に比べればブラームス臭のやや薄い第2&第3楽章に関しては やはりムターの演奏が慕しくもなったりしたので★は4つにしておいたが、お薦め度としては充分満点だと言えた。それと二重協奏曲、他の演奏を聴いていないので何とも批評できないが、良い曲だと思うし、演奏も非常に気に入った。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/04/09
小編成オーケストラは大嫌いだが、指揮者がいいとそうも言っていられなくなる。このブリュッヘン、他では例えばインマゼールなどは編成にかかわらず充分に感動を運んでくれる。ただやはり「ニュアンス」の意味で、表現に限界があり、それが満点に出来なかった理由だ。ブリュッヘンの大編成オーケストラ版を聴いてみたいものだ。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/03/07
インバル/東京都 の一連のシリーズに対して低い評価をするのには気が引ける。このロマンティック、フランクフルトとの旧録音に比較したら、かなりベターになったとは言えるが、まだまだ『軽すぎ』な感じがどうも納得できない。(ここで軽いというのは、精神的な軽さである)。インバルはマーラーもブルックナーも双方得意な珍しい指揮者だというもっぱらの評価だが、出てくる『音』は、マーラーに向いていることはあっても、ブルックナーに焦点の合った音はほとんど聴いたことがない。このCDに限って言えば、通常の意味では文句ない名演だと思う。とりわけ第3楽章なんかは、このままで全く問題ない。しかし両端楽章などは、あまりに『楽し過ぎ』なのではなかろうか?そこには、とても健康的で、苦労知らずで、才能だけは充分に備わった立派な人間の紡ぎだす音楽があるだけで、『境界線を一歩踏み越えてしまった世界』の音楽は、まったく聴こえてこない。。。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/02/15
『冥王星』は、単独でまぁまぁ面白い曲なのでCDとして一聴の価値はあると思い★3つにしてみたが、正直『惑星』の演奏としては、かなり物足らないと言える。ボールトやオザワやカラヤンやレヴァインなど、この曲の決定的名演候補と言いえる演奏に比して、このMARK ELDERの演奏はあまりに彫りが浅く、このCDを聴いて初めて、前者4人に代表されるいわゆる「名演」って、実はドイツ音楽のように「重心が低く」演奏されていたんだなと気付く。また、ではムード音楽のようなポップな親しみやすさがあるのか?と言われれば、そうでもなく、世界観よりも楽器を感じてしまう。また『冥王星』は面白い…とは書いたが、その前の7曲の後に置かれる曲としては、やっぱ作曲者の違いがどことなく見え見えであり、強引な例えを許してもらえるなら、ブルックナーの第9番に「テ・デウム」をくっ付けた系の違和感を感じざるを得ない。
日本人の作曲と言う意味で、あえて比較すべき対象を考えるなら、貴志康一とか林光とかになるのだろうか? しかし大澤壽人の作品は、前者2人に比してほとんど「大衆性」を感じず、「日本人」も感じない。(他の方々も書いておられたように)確かにプロコフィエフ風でもあるし、はたまた僕は、緩楽章にハチャトゥーリャン風のムードも感じる。当時のソ連は、主義のみならず、文化芸術においても「輸出国」だったということなのだろうか? 貴志氏や林氏の作品の方が僕にはわかりやすく楽しめるのだが、突き放して考えると、やはり彼ら2人の作品は、完成度の高さにおいては、大澤氏の域まで達しておらず、中途半端が故に親しみやすさを醸し出しいているのだが、大澤氏の作品は、日本人離れしたレヴェルであるが故に、例えばプロコフィエフが苦手な僕なんかにとっては、あまり親しめる作品群ではない。
10人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/02/06
21世紀の今聴いても…と言うより、今聴くからこそ、ショルティのマーラーの凄さが実感できる全集と言える。超名演として知られるバーンスタインやテンシュテットに関して、彼らの演奏スタイルは、ショルティと比較するとき、とても似通っていると言えるのではないか? 録音当時は一世を風靡したと言えるだろうショルティの演奏スタイルに、めぼしい「後継者」がいないということもまた、ますますショルティのマーラーに、不動の存在価値を与えているように思える。中でも5番、6番、8番は、唯一無比の輝きに満ち満ちている。 惜しむらくは… シカゴ響と「新録音」された数曲に関しては、ロンドン響との演奏の方が、より鋭角的な個性が露骨で生々しく、全集としてはこちらの「旧」で合わせた方がまとまりがよかったのでは?と思わせる。例え個々の演奏が、シカゴとの新録音の方が魅力的に感じられたとしても…だ。
10人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/02/01
前回の「Dolce」の魅力が、「グラビア度80%+選曲20%」だったとすれば、今回の「Carmen」は、それら2点の絶対量を変えずに、演奏の魅力が80%以上食い込んだ超オススメCDと言える。音色そのものはむしろクールでありながら、不思議と冷めた情熱に満ち満ちており、どの曲も聴覚をとらえて離さない。瞬間瞬間に意味が込められているような、高密度な仕上がりとなっていて、これからどのような演奏を聴かせてくれるように成長していくのか?とても興味深さと期待を感じずにはいられなかった。個人的意見かもしれないが、日本人ヴァイオリニストで、(このCDに聴ける)彼女以上の表現として記憶にあるのは、強いて言えば五嶋みどりくらいしか思いつかない。
ページの先頭に戻る