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Tan2 さんのレビュー一覧 

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/03/11

    20世紀前半はクラシック音楽の激動の時代だった。しかし、その時代のドイツ音楽はほとんど演奏されることがない。せいぜいリヒャルト・シュトラウスぐらいだが、演奏されるのはほとんど19世紀中の作品ばかり。フランスがドビュッシー、ラヴェルから、ルーセル、6人組、メシアンなど連綿と受け継がれているのに。 唯一の例外といえるのがヒンデミット。代表作は、ナチス政権になってから作曲されフルトヴェングラーが「ヒンデミット事件」を引き起こすこととなる交響曲「画家マティス」と、アメリカ亡命後に作曲された「ウェーバーの主題による交響的変容」だが、そこに至る過程で様々な試行錯誤をしていた作品が一連の「室内音楽」である。
     この曲集にはアバドが指揮したベルリン・フィルによる録音もあり、そちらの方がアヴァンギャルド&ヴィルトゥオーゾ的で、第一次大戦後のワイマール共和国の百花繚乱な猥雑感が感じられる。それに対して、このシャイーの演奏は洗練されて優等生的なのでこの曲を客観的に味わうには向いているが、どちらをとるかは好みが分かれるところである。
     このCDには、一連の「室内音楽」シリーズでありながらアバド盤には収録されていない木管五重奏曲の「小室内音楽、作品24-2」も収録されているのがうれしいところである。

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     2021/03/11

    今日は東日本大震災から10年の日。この曲を聞いて思いを寄せています。敬虔で清楚な美しい曲です。この曲は1985年に作曲されています。日常の中で、生き、祈り、亡き人を思う中で、このような空間と時間が日々新たに創造され、それが共有されている・・・。
     ひるがえって考えて、現代日本にそれと同じような、多くの人が時空を共有する音楽が生み出されているだろうか。そもそも存在するのだろうか。「花は咲く」や「ふるさと」がそうなのだろうか。J-POPやいわゆる「復興ソング」にはそうなり得ているものもあると思います。でも、クラシック音楽がその役目を果たせていないことは、残念ながら明白です。
     音楽が単なる「古典芸能保存」ではなく、常に現在進行形で生きているヨーロッパ社会にうらやましさを覚えます。社会の「伝統」とはそういうものなのでしょう。
     このCDに収められた演奏は、作曲者自身も関与しており、この曲の真価を伝えてくれる素晴らしい演奏だと思います。心から感動します。

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     2021/03/10

    20世紀前半はクラシック音楽の激動の時代だった。しかし、その時代のドイツ音楽はほとんど演奏されることがない。せいぜいリヒャルト・シュトラウスぐらいだが、演奏されるのはほとんど19世紀中の作品ばかり。フランスがドビュッシー、ラヴェルから、ルーセル、6人組、メシアンなど連綿と受け継がれているのに。
     唯一の例外といえるのがヒンデミット。代表作は、ナチス政権になってから作曲されフルトヴェングラーが「ヒンデミット事件」を引き起こすこととなる交響曲「画家マティス」と、アメリカ亡命後に作曲された「ウェーバーの主題による交響的変容」だが、そこに至る過程で様々な試行錯誤をしていた作品が一連の「室内音楽」である。この曲集にはシャイーが指揮したコンセルトヘボウによる録音もあるが、このアバド指揮の方がアヴァンギャルド&ヴィルトゥオーゾ的で、第一次大戦後のワイマール共和国の猥雑感が感じられる。
     シェーンベルクらの革新的な音楽とは別の、ドイツ音楽における調性の枠内での新しい試みを追体験する意味で、もっと演奏され聴かれてもよい曲たちではあるまいか。

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     2021/03/09

    シベリウスは不思議な存在だ。19世紀末から20世紀前半と、クラシック音楽の大激動期を生きながらも、超然として伝統的な響きの中に自分の世界を作り続けた。そして晩年の長い沈黙・・・。その意味で保守的なイギリスの音楽風土に共通するものがあり、シベリウスがイギリスで評価され愛好されているのもそんなところに理由があるのだろう。
     シベリウスはもっぱら交響曲や交響詩の作曲家とみなされているが、実はそれ以外の作品の演奏を聴く機会が非常に少ない。唯一の例外はヴァイオリン協奏曲。室内楽、ピアノ曲、そして管弦楽曲でも劇付随音楽として作曲されたものの演奏頻度や録音が極端に少ない。単独で「クオレマ」の「悲しきワルツ」が演奏されるぐらいか。
     そんな中、セーゲルスタムが劇付随音楽をまとめて録音したこのCDは非常に貴重である。フィンランドの地方オーケストラであるトゥルク・フィルも実直に透明な音色で高いレベルの演奏をしている(トゥルクは人口19万人の都市らしい)。
     シベリウスが、20世紀前半にどのような音楽を作り続けたか、そしてなぜ沈黙に至ったのか、そういったことを少しでも追体験・想像するための手がかりとして、実際の音楽として耳にできる貴重な録音である。
     シベリウス・ファンはぜひ。

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     2021/03/09

    この「牝鹿」は、数あるこの曲の演奏の中で最も「はじけて」いて楽しい。プレートルにはフィルハーモニア管を指揮したバレエ全曲録音(といっても約35分)もありそちらも模範的でよい演奏だが、こちらのパリ音楽院管の組曲版の演奏の方が断然楽しい。マリー・ローランサンの絵に触発されて作られたという、1923年に作曲されたプーランク24歳のときの代表作。
    「狼」はアンリ・ディティユーが1953年に作曲したバレエ音楽で、軽々で華麗な音楽。
    「世界の創造」はミヨーの代表作の一つであり、ジャズの要素を取り入れた1923年作のバレエ音楽。
    いずれも、これらの曲の代表的な演奏とされる本家、本場、本ものの名演です。

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     2021/03/09

    ドヴォルザークはブラームスの推薦とバックアップで世に出たので、ブラームスに敬意を払って伝統的な音楽づくりをしてきた。9曲の交響曲やほとんどの作品はその路線上で作られた。
     ところが、恩人ブラームスが最晩年で実質上引退した1890年代になると、にわかにワーグナーやリストの「新しい音楽」に接近し始め、歌劇での成功を目指して「ルサルカ」(1901年初演)などを立て続けに作曲したり、交響詩の分野に意欲を示すようになる。一連の交響詩群(「水の精」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」「野鳩」「英雄の歌」)はこの時期にまとめて作曲されている。交響曲第9番「新世界から」やチェロ協奏曲よりも後の、最も円熟した時期である。しかし、その完成度の高さの割にはほとんど演奏されないのは、ブラームス〜ドヴォルザークというプロトタイプ路線から外れているためだろうか。何とももったいない。
     このCDには、これら晩年の交響詩5作が最上級の演奏で収められている。交響詩はいずれも題名から想像されるものとは異なる陰惨で怪奇な内容を取り扱っているが、それをドヴォルザークがどのような音楽に作り上げ、それによってどのような「新しい音楽」を目指したのか、実際の音楽を聴きながら想像してみるのもよいかもしれない。「ボヘミアの民族作曲家」で埋もれることを打破したかったのかもしれない。なお、最後の交響詩「英雄の歌」をウィーンで初演したのは指揮者マーラーであった。
     もちろん、名高い「スラブ舞曲集」や「序曲」なども最右翼の名演である。ただし愛らしい小品たち(セレナーデ、チェコ組曲など)は収録されていない。

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     2021/03/08

    ショスタコーヴィチの歌曲はロシア語の歌詞であることでかなり損をしている。日本はおろか、西ヨーロッパでもなかなか演奏されることがない。
    ここに収められている「ミケランジェロの詩による組曲」も、元の詩はイタリア語であるが、そのロシア語訳が使われている。ミケランジェロはイタリア・ルネサンス期の有名な彫刻家だが、かなりの詩作もしたらしい。当時の権力(ローマ教皇、最大のパトロンであるメディチ家など)との軋轢や複雑な心情が盛り込まれているので、ショスタコーヴィチとしても共感するところがあったらしい。
     この曲は、ショスタコーヴィチが死の床で作曲を進め、完成を急いではじめピアノ伴奏の歌曲として「作品145」として発表された。その後直ちに管弦楽編曲されて「作品145a」とされたが、作曲者は初演を聴くことなく他界した(初演を指揮したのは息子のマクシム)。そのため「歌曲」として扱われているが、ショスタコーヴィチ自身は交響曲第16番とするつもりだったらしく、全11楽章の構成や、楽章間の関連(意味合いやアタッカでの演奏)が交響曲第14番の楽章構成に見事に対応している。そこに秘められたショスタコーヴィチの思いは、語られることはなかったようである。
     交響曲全集が次々とリリースされているが、この曲が含まれることも、この曲の演奏や録音が増えることもほとんどない。おそらく国内盤は皆無なのではあるまいか。「訳詞」はインターネットでいくつか見ることができるので、輸入盤で聞いてみてはいかがだろうか。このCDは、最近活躍が目立つウラディーミル・ユロフスキーの父親であるミハイルの指揮であり、この曲の真価を味わうには十分である。
     そうはいっても、今後交響曲を得意とする指揮者の演奏・録音が増えることも望む。

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     2021/03/07

    デオダ・ド・セヴラック(1872〜1921)は、南フランスの生まれで、ドビュッシーなどと同じ時期にフランスに生きたが、後半生をスペインに近い南フランスの田舎で作曲活動を行ったため「田舎の音楽家」と呼ばれ、自然の中で作った音楽はドビュッシーからも「土の薫りのする素敵な音楽」と評価された。作品がスペインの香りがするのは、南フランスという土地柄と、パリでアルベニスの助手を務めて指導を受けていたこともあるのかもしれない。
     このCDに収められた「セルダーニャ〜5つの絵画的練習曲」がセヴラックの代表作で、「セルダーニャ」は作曲者が晩年を過ごしたスペイン国境のピレネー山脈にまたがる地方の呼び名。スペインの香りの漂う躍動感と情緒の両方を備えた絵画的な作品である。
     「休暇の日々から」は、晩年に折に触れて作曲された小品をまとめたもので、第1集(8曲)と第2集(3曲)があり、このCDに収められた第2集はショパンに敬意を払って作曲されたという。第1曲は「ショパンの泉」と題されている。
     セヴラックは日本ではほとんど演奏されないが、もっと演奏されてもよいように思う。
     チッコリーニの演奏はこの曲の特徴をよく引き出しており、この作曲家の音楽を味わうには十分な出来栄えである。

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     2021/03/07

    デオダ・ド・セヴラック(1872〜1921)は、南フランスの生まれで、ドビュッシーなどと同じ時期にフランスに生きたが、後半生をスペインに近い南フランスの田舎で作曲活動を行ったため「田舎の音楽家」と呼ばれ、自然の中で作った音楽はドビュッシーからも「土の薫りのする素敵な音楽」と高く評価された。
     このCDに収められた「ラングドックにて」は比較的初期の代表作で、「ラングドック」は作曲者の生まれ故郷の地名である。5曲からなる組曲で、色鮮やかな風景画のような生命の躍動感と人なつっこい優しさが同居している。
     「休暇の日々から」は、晩年に折に触れて作曲された小品をまとめたもので、第1集(8曲)と第2集(3曲)があり、このCDに収められた第1集はシューマンに敬意を払って作曲されたという。第1曲「シューマンへの祈り」と7曲の小品からなり、終曲の「ロマンティックなワルツ」は単独に演奏されることもある。
     セヴラックは日本ではほとんど演奏されないが、もっと演奏されてもよいように思う。
     チッコリーニの演奏はこれらの曲の特徴をよく引き出しており、この作曲家の音楽を味わうには十分な出来栄えである。

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     2021/03/07

    1920年頃から「フランス6人組」の一人として頭角を現したオーリックであるが、1930年頃からは指導者のジャン・コクトーに影響されて映画の世界に活動の中心が移る。「映画」は、当時の「レコード」「ラジオ放送」とともに、大衆に音楽を届ける手段として多くの作曲家が手を染めることになる。
     オーリックは映画音楽の世界で成功したことから、映画音楽以外にこれといった「代表作」が存在しない。そんなオーリックが、自己の音楽の集大成と考えたのか、70歳を迎えようとする1968年から書き進めたのがこのCDに収められた6曲の Imaginees である。「想像、空想」というような意味なので、宮澤賢治風に「心象スケッチ」などと呼ぶのがよいのかもしれない。
     曲はピアノと様々な楽器の室内楽の形式であり、ドビュッシーが最晩年にいろいろな楽器のための6曲のソナタを書き上げようとしたのと同じような動機かもしれない(ドビュッシーは3曲で絶筆した)。オーリックが「フランス6人組」の一人として名を残すにあたっての矜持を示す自信作に違いない。
     演奏は、コラールのピアノをはじめ、フランスの一流演奏家が参加していて、これ以上の布陣は考えられない最高のメンバーである。

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     2021/03/07

    プーランクを除いてはふだんほとんど聴くことのないフランス6人組のピアノ曲を集めたアルバム。6人組のメンバーといわれながら、さっさとたもとを分かったルイ・デュレの作品などはかなり貴重です。
     いずれも軽快で機知に富んで諧謔的という点で共通していて、「反ロマン主義、反ドビュッシー」を標榜していたことがよく分かります。6人組として活躍し始めた1910〜20年代の作品が多いので、特にそういった「とんがって」いた時代の記録なのでしょう。紅一点のタイユフェールは晩年の作品も収められています。
     このコリンナ・サイモンの録音は2017〜18年のものですが、ビリアーナ・ツィンリコヴァが同様のレパートリーを2019年に録音したアルバムも出ており、この分野・時代に焦点を当てた演奏が増えて来るとよいなと思います。

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     2021/03/05

    「イリュミナシオン」は、作曲家自身の指揮で盟友ピーター・ピアーズが歌った名盤があるのでテノールのための曲と思われているが、もともとはソプラノ歌手のために作曲されている。なので、このCDのように女声によって歌われるのは何の不思議もない。(ただ、内容からするとイアン・ボストリッジのような中性的な男声の方が向いているとは思うが)
     歌唱、演奏とも極上で、この曲の真価を味わうには十分である。
     また、若きブリテンが師匠フランク・ブリッジの主題に基づいて、師匠の様々な側面を描いてトリビュート(というよりも「ヨイショ」かな)した「ブリッジの主題による変奏曲」はブリテンの天才的な側面を見せるよい曲である。この演奏もなかなか良い。
     「管弦楽入門」からは卒業して、ブリテンの真価を味わうには絶好の1枚だと思う。ただし、ランボーの詩による「イリュミナシオン」はフランス語の歌詞。まあ、対訳を見ても「何のこっちゃ」ではあるので、何語であっても同じだけど。

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     2021/03/05

    第2次大戦がドイツの降伏によって終結し、ドイツの西半分にはアメリカ軍が進駐した。バイエルンのガルミッシュ・パルテンキルヒェンの別荘に隠遁していたリヒャルト・シュトラウスのもとに、進駐したアメリカ軍に従軍していたピッツバーグ交響楽団のオーボエ奏者ジョン・デ・ランシーが訪れ、オーボエ協奏曲を作りませんかと持ちかけたが断られた。ところがR.シュトラウスはその年のうちにオーボエ協奏曲を作曲した。訪問してきたのが誰か覚えていなかったので、初演はチューリヒで別な奏者によって行われた。さらには、デ・ランシーはフィラデルフィア交響楽団の2番奏者として移籍していたため、アメリカ初演も行えなかった(アメリカでは協奏曲は主席奏者が担当する契約らしい)。デ・ランシーはその後フィラデルフィア交響楽団の首席奏者に昇格し、長らくその地位をつとめた。
     そして、1959年にジャン・フランセに委嘱して作曲されたのが、このCDに収められているオーボエと管弦楽のための「花時計」である。
     「花時計」とは、咲く時間の異なる花を配置して時を示す時計のことで、「午前3時〜毒イチゴ」から「午後9時〜トリナデシコ」の7曲からなる美しい曲である。20世紀後半にもこのような音楽が作られ続けていた。
     もちろん、委嘱者のデ・ランシーが録音したものもあったはずだが、どうも見当たらない。ということで、このCDはドイツの演奏家によるものだが、端正なたたずまいで清楚な美しさであり、この曲の真価を味わうには十分な演奏だと思う。

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     2021/03/05

    もともと定評のあるプレヴィンの3大バレエ全曲が、全部まとめたセットになってこの値段なら絶対に買いでしょう。全曲盤は「組曲」にはない様々な魅力があり、そもそも「バレエ」というストーリーを持った音楽なので、ストーリーの流れに沿って聴いてこそ真に楽しめます。
     全曲盤を初めて聴く人にも安心してお勧めできる演奏です。
     「白鳥の湖」はチャイコフスキー自身の初演版に基づいていますが、第19曲の後にいわゆる「チャイコフスキー・パドドゥ」とも呼ばれる追加曲(チャイコフスキーの遺品の中からシェバリーンが編曲してバランシンが振付けたもの)、第20曲の後に作曲者自身が初演のために追加した「ロシアの踊り」が挿入されています。ただし、一般のバレエ上演に使われる「プティパ/イワーノフ版」(チャイコフスキー没後に大幅に手を加えた蘇演版)とは異なります(ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管の全曲盤が「プティパ/イワーノフ版」です)。
     また「くるみ割り人形」の「雪のワルツ」では、児童合唱ではなく女声合唱が使われています(個人的には児童合唱の方が好きですが)。

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     2021/03/04

    「白鳥の湖」全曲盤を聴くには、このバレエのたどった歴史を知る必要があります。
     チャイコフスキーのオリジナル(初演版、ほとんどの「全曲録音」はこれを用いている)は失敗に終わり、作曲者の生前には再演されていません。
     チャイコフスキーの没後、「眠りの森の美女」や「くるみ割り人形」を演出して成功させた振付師のマリウス・プティパとレフ・イワーノフは、「白鳥の湖」の蘇演にチャレンジします。そのため、ストーリーを変え(これには作曲者の甥のモデストも協力している)、それに伴って曲順の入れ替え、カット、チャイコフスキーのピアノ曲から編曲した3曲の追加(編曲は「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」の初演で指揮をしたリッカルド・ドリゴ、「ドリゴのセレナード」で有名)などの手を加えました。その蘇演は成功し、以後「白鳥の湖」はバレエの主要な演目として定着します。
     その後、ロシアではモスクワのボリショイ劇場でも、ペテルブルグのマリインスキー劇場でも、バレエ上演はこの蘇演版(プティパ/イワーノフ版)をベースに上演され続けています。演出・振付によっては、さらに手を加えたもの、逆にチャイコフスキーのオリジナルに戻そうというものもあるようで、いろいろな演出が乱立しているようです(その際に、チャイコフスキーの遺品の中からシェバリーンが編曲した「チャイコフスキー・パドドゥ」と呼ばれる No.19a を追加したものもある)。「バレエ」という舞台は、音楽とは別な次元で、常に現在進行形で動いているようです。
     ということで、音楽だけの全曲録音ではチャイコフスキーの初演版が多く、「バレエ上演」を前提とした全曲録音(映像付きのDVDなども)では「プティパ/イワーノフ版」に基づくものが多い、さらに演出・振付によっては曲の追加・削除・順序入替もあるということで、いろいろ混乱も生じているようです。
     このゲルギエフの演奏は「プティパ/イワーノフ版」によっており、「バレエの舞台に即した、音楽的な演奏」ということができると思います。
     「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」は、初演時からの成功作なので、チャイコフスキーのオリジナルに沿っています。
     上に書いたような「版の違い」を理解した上で、他の全曲録音(プレヴィンなど)とも聴き比べてみると面白いでしょう。バレエ上演の経験も豊富なゲルギエフの「踊れる演奏」です。

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