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風信子 さんのレビュー一覧 

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     2018/10/16

    シューベルト最期の年は傑作の森だ 病はあってもやはり予感していなかった死だった しかし晩年ハ長調の曲が多数視界に入ってくるのが印象に残る このクインテットも両端がハ長調だ 勿論シューベルトだから転調につぐ転調を展開する Adagioはホ長調の主部とへ短調の中間部から成っているように遠隔調へ自由に飛ぶ Scherzoはハ長調だがTrioが変ニ長調なのだ 調性音楽が破壊される百年後の磁場へ引き寄せられていることをシューベルトは知らない 享年31歳 還暦まで作曲できていたら音楽史は変わっていただろう 話を戻す Vcを二挺使う五重奏曲に人生の終末感はない 緩徐楽章ですら魂宿す命の鼓動が脈打ち一瞬たりと推進力を失うことがない ブルックナーに通じる 交響曲に相当する規模を持ちながら室内楽のフォルムを崩さない 長大さなど感じさせない面白さだ シューベルトの歌に満ちているのは言うまでもない アウリンSQ は完璧なアーティキュレーションを描き絶妙なアンサンブルを披瀝している TACETの名録音とBlu-ray Audioのハイクオリティに満足する あなたも如何   

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     2018/10/15

    正に”キーピング・スコア” 作曲家が書き残した総譜に書かれていることを遵守して演奏する姿勢を掲げている 楽曲の詳細な解釈と解説による巻と コンサート・ライヴの巻から成る構成は楽曲理解に役立つ教育的出版となった このショスタコーヴィチ第5シンフォニーがニ短調であることから ベートーヴェンの第9シンフォニーが下敷きになっていることを挙げている ただあちらは最後はニ長調の「喜びの歌」で終わるのに対して こちらはニ短調のままであることを挙げ 本当にこれが勝利のエンディングであればこうだと SFSOに実際に演奏させ続けて実際はこうだと聴衆に比較聴取させる説得ぶりだ 丁寧な解説の中でMTTがしばしば使った言葉”セイム・デッド・エンド”こそ ショスタコーヴィチの音楽の本質と真意を言い当てている 全曲演奏はイギリスの夏の風物詩プロムスにおけるものだが 大変な名演奏でロンドンっ子を熱狂させた 音響の不満も感じさせなかった もしまだなら あなたも如何

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     2018/10/13

    バヴゼのピアノがポップで爽快な気を運んでくる ピエルネのピアノ・コンチェルトに初めて鮮明な印象を得た 甘美で軽やかな風に吹かれる思いを抱かせる 協奏するBBCpoを指揮するメナが持つリズム感と音色への志向もピエルネの親しみ易い旋律線と音楽構造を描くに適している メナとBBCpoの相性は管弦楽曲にその適性の高さを見ることができる ピエルネの印象派とは一線を画する作風はロマンチックで流れるような推進性を特徴としている 優しい歌で装おわれた幻想の庭を飛び回る蝶のようで決して直線的にはならない 室内楽で親しんでいたピエルネにこうしたオーケストラ作品があることを知り 思わぬ贈り物をもらったような幸福感がある メナに限らず多くの指揮者がピエルネを取り上げてくれることを願う コンサートで聴けるのが理想だが 録音も愉しみに待ちたい この美しい音楽をあなたも如何 

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     2018/10/10

    音の色艶に耳をそばだてる ピリオド演奏であって”ピリオド”では無い ベートーヴェンの第4・第5両コンチェルトを十全に表出しようとするとき 19世紀初期のフォルテピアノでは事足りないとアンゲリッシュは判じた そこで19世紀晩期のプレイエル製ピアノを採用した エキルベイ&IOがどの時代に焦点を当てたピリオド楽器を使っているのか知らないが プレイエル・ピアノの音色はベートーヴェンの音楽から秘められていた神秘性やトリッキーな諧謔性を炙り出した こんな華やぎ艶やかなベートーヴェンをドイツ人はどう聞くだろうか わたしは支持する 妙に持って回った尊大さを感じざるを得なかったベートーヴェンが特に”皇帝”がこの綽名を返上できているのは嬉しいことだ さて第1〜第3のコンチェルトは実現するのか あるとすればピアノはワルター製かプレイエル製か興味津々だ アンゲリッシュはフォルテピアノを弾かないだろうとも思う キャンディを舐めてるみたいに甘ったるいベートーヴェンなんてと言わず あなたも如何  

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     2018/10/10

    もう四半世紀前の録音だが これを越えてわたしの耳に届く演奏はない 古楽器フルートの名手ヒュンテラーあって残った名品だ 現代楽器に馴染んでいる人にはその音色はあまりに素朴で違和感があるだろう だが聴き進めるうちに18世紀の文化が窓を開けて微笑む風情に聴き入っている自分に気がつく 管材もだがキーが着いていないことでここまで音色が違うものなのだ そしてコーエンが弾くワルター製のフォルテピアノの音色は倍音の少なさも相まって乾いてほろほろ溢れるようだ 現代のピアノでは決して得られないソノリティはフルート・トリオの味わいを決定づけていると言える コンサートホールではないサロンの室内楽という需要に合わせた曲作りであり曲想である ヘッドフォンでは味わえないと共に大スピーカーをいっぱいに鳴らすもそぐわない 旅に持ち歩く小型スピーカーを繋いで家事の合間合間に聞いてみた なんと贅沢な心の遊びだろう わたしたちの時代が忘れてしまったか持ち得なかったか知らないが 美しい世界がある あなたも如何

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     2018/10/09

    なんという才能 ケント・ナガノが日系アメリカ人で児玉多恵を妻にしているから称揚するのではない 彼の音楽への愛と洞察力はその導き出した音塊に特別な魅力を纏わせる 音楽とその作曲家そしてオーケストラの奏者たちと対話ができる数少ない指揮者だ だから聴衆に伝わらない音は一音も発しない 彼が放った音楽の飛沫を浴びると心が動く このブラームス第4シンフォニー1曲だけのDiscを高いと思し召して手をつけないでいるあなた 勿体無い ブラームスをお好きな方は尚のことお耳に コンサートのライヴで 映像の切り替えが激しくアップとピンボケの頻出には閉口するけれど 演奏から受ける啓示には感謝するだろう さらにナガノの語りで進行するドキュメンタリーはブラームス理解に大いに寄与するだろう 10年以上経てもレビュー一つ寄稿されないので認めた

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     2018/10/08

    古楽器オーケストラが取り上げるブルックナーは”第1番”が多い 必要とする楽器の種類や数に無理がないからであり 演奏時間も古典派作品と大差がないからだろう それ以上に交響曲が出発する時点でブルックナーの個性と美意識は確立していたからこその選択だと思う ウィーン版スコアを見ながら聴き始めた お気付きのようにわたしは間違えている 気づいていないから ハーゼルベックでもスコアに手を入れるんだなあと驚いた 書き加えや省略が次々に現れる スコアの稿が違うことにFinaleに入って気が付いた そのまま最後までリンツ稿を聴きながらウィーン稿スコアを追い続けた ”第8番”まで書き終え四半世紀も経った後に改訂したウィーン稿は管弦楽の響きが厚みを増し豪壮な音楽に変えられたと聞かされてきた また実際に聞けばそう聴こえた FInaleは特に大変更されたと思い込んでいた 実際は違う 小節数もほとんど変わらず むしろリンツ稿で演出上の手練手管として書かれたパッセージを取り より自然で晴朗な世界を創らんとするクリーニングが行われたのだ 洗脳思い込みは恐ろしい ウィーン稿による真正な演奏が現れることを期待する 最後になったがハーゼルベック&WAの演奏は一聴に値する あなたも如何    

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/10/07

    人は音楽に何を聞くのだろう それは何を歌うということにも通じる ”ショパン”を聴く人は或いは弾く人はそこで何を見何を聴き何を思うのか わたしはピアニストが嫌いだ 自惚れというか高慢というか音楽をすることから一番遠くにいる人たちと見える ピアノ以外何も見えていないとも感じる その象徴が”ショパンのピアノ”だと思ってきた 忌避してきたショパンを何故聴くのかの問いには明確に答えられる それはポリーニの演奏で”エチュード集”を聴いたことと”ポロネーズ集”(SACDシングルレイヤー)を聴いたことに拠る 一言で言えば”ショパン”の表情が見え声が聴こえた ”ショパン”という人間に出会えたからだ 彼の音楽が持つ機能とそこに宿る紛れも無い真情がポリーニの手によって伝えられたのだ さてこの後期作品集は美しい 夭折寸前のショパンが書く音楽から何が見え聴こえたか それはわたしに問われていることで ポリーニに責を負わせる範疇にない ポリーニはそこにあるがままを弾いたのだ 演奏家はそれでいい あなたも如何 

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     2018/10/06

    映像がなくてはアイヴズが仕掛けたマジックも十全に興趣を伝ええなかったろう またMTTによる懇切なる解説と舞台裏映像が楽曲への興味と理解を助長したことは間違いない 楽曲の鑑賞だけに限れば やや教育的サジェスチョンが煩いのが玉に瑕 しかしこれ程アイヴズの面白さと価値を紹介したDiscはない わたしたちはアメリカのアメリカなるものを知るに止まらない アイヴズの音楽は鋭い批評眼に貫かれている アマチュアが既成の音楽を写し取って無手勝流に傍若無人なスコアを書いたものであり 創造芸術とは一線を画すとよもや思ってはいまいか 100年余り前 アメリカ人が「わが国は歴史が浅く世界に紹介できるような作曲家がいない」と嘆くのを聞いて 招かれて指揮をしたマーラーは即座に「アイヴズがいる」と応えたという ちょうどこのホリデー・シンフォニーの4曲がポツポツと書かれていた頃だ アイヴズ音楽は普遍性のある芸術だ 20世紀世界の片田舎に埋もれるような代物ではない 未来にこそ生き続けるだろう あなたも如何 

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     2018/10/05

    DISC”ラスト・リーフ”の軽みと抒情が忘れられないでいたら 弦楽四重奏の”本格”を打ちだしてきた バッハを前奏に置いて ショスタコーヴィチの15番だ 最後の問題作を初っ端に出すとは驚いた 発表時 六楽章全てがAdagioという特異性は象徴を超えたアジテーションだと感じたことを覚えている 果たし音楽は重く色彩感のない鎮魂曲のようだ デンマークQの演奏はこうした先入観を払拭する 自由を奪われ鬱々と沈むが如き心情とは真逆の音楽だった 強い意志を表明し高揚していく音楽でもない くどくど嘆く音楽でも勿論ない ニュートラルなのだ あるがままを捉え認識し明確に表出する 知が先走り情に溺れたりしない そこから見えてきたのは作曲者の本然の姿だ 苦も悲も抱えて生きる決意と生きている価値を知ったぞという凱歌なのだ 力瘤のいらない勇気をもらった ショスタコーヴィチの脳裏にハイドンの”十字架上の最後の七つの言葉”があったことは間違いない あれも全て緩徐楽章でキリストが神に問いかける言葉を音楽にしていた 神は最後に地震で応える 続くベートーヴェンの12番は彼の中年と晩年のはざかいに立つ音楽だ 大病をしたベートーヴェンは死を意識した 未来の弦楽四重奏の行方を予言する名作群が生まれる こちらもデンマークQは思い入れを排除して明晰に音化してみせる この軽やかさが新しい ますます目が離せなくなった あなたも如何 

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     2018/10/05

    言わずと知れた名盤だ 人々が求める神秘性・壮大さを見事に体現している しかし35年の歳月は無慈悲だ その名望はやはり意図して作り出されたものであり たとえそれが無意識であっても 見えているものは言葉にして明日への糧あるいは薬しなければならない 指揮者の誰もが悩むのは第一楽章のテンポ設計だ 冒頭”厳粛に、神秘的に”と書かれていても具体的速度が明示されていない だから多くの指揮者はこの表情記号からテンポを落としてしまう 2/2アラ・ブレーヴェ(速い二拍子)を忘れてしまう 基本的に速度指示がない或いは矛盾するときは中庸のテンポを執るべきだ ブルックナーはヒントを与えている 幾度もriten. Langsamerそしてa Tempoを繰り返した後 [F]で2/2Moderatoを示している その後6回テンポを落とす指示があるが [N]で2/2”冒頭のテンポで” [U]で再び2/2Moderatoに戻り楽章を閉じている そしてテンポを落とす処の多くを4/4に移行している 自ずと構造が見える ブルックナーの音楽が晦渋に聞こえるのはテンポ構造を見間違えているからだ ライトナーも冒頭を4/4Andanteで振ってしまった Adagioが4/4”ゆっくり、厳粛に”と始まる第三楽章との区別をつけられないのはライトナーだけではない 見事な演奏なのに惜しい こうしたものは数え切れないほどある 

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     2018/10/04

    ベートーヴェンの最晩年のピアノ曲を並べている あの未来を指し示したピアノ・ソナタたちを書き終えた後に何が書けるのか バガテル〜取るに足らぬもの〜なるほどそうなるか ディアベリの主題による変奏曲は50曲の中の1曲になるはずが 5年もかけて一人で33曲ものヴァリエーションを書いてしまった 当然ディアベリの規格外となり威容の峰が残った コロリオフの演奏は即物的である 練習曲でも弾くようにあるがままを音にしていく 明瞭闊達 乾いた風と明るい光を当てて音楽を浮き彫りにしていく これを是とするか非とするか人さまざまだろう だが彼にはベートーヴェンがこう見えているに違いない 一つの真実だ このディスクの最大の聴きものは冒頭の”大フーガ”だろう あの弦楽四重奏曲を二台のピアノで弾いている Duoを組んでいるのはリュプカ・バジ=ゲオルギエヴァ 弦4挺以上に立体的に聞こえ面白い TACETの名録音が助けになっていることは言うまでもない あなたも如何  

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/10/04

    第3番をスコアを見ながら聴き始めた 驚いた シャラーがスコアに手を入れていると思った ノヴァークIII/1と違う音が鳴る ディスクに1874年ファースト・ヴァージョンとあったから てっきり”これ”を演奏していると思った そうだ初版は1743年で一年ズレている しかもキャラガン版とある 慌ててコメントを探すと あのワーグナーに献呈したスコアの写しがブルックナーの手元に残っていて 後もブルックナーは手を入れ続けていたというのだ 違いは僅かだから鑑賞に支障はない フィルハーモニー・フェスティヴァは幽霊オーケストラだ リヒターが組織したミュンヘン・バッハO.の発展形だというが 録音主体のオーケストラであることに違いはない パート間の力量の不均衡は隠しようがないものの健闘している 何にしても歴史の襞に隠れて切りていられたブルックナーの呟きを掬うが如きキャラガン版を音にして届けてくれたシャラーに感謝したい ブルックナーを愛する人は聴かなければ勿体無い あなたも如何 

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/10/04

    忘れてはいけない 鈴木雅明は鍵盤奏者である BCJの指揮にばかり目が行きがちだ オルガンにハープシコードに優れた演奏を多々残している この”音楽の捧げもの”も鈴木のチェンバロが縦横に駆け回る フリードリヒII世のためにフルートが登場するのは自明のことだが 楽器編成は演奏者の裁量に任されているから様々な演奏形態が存在した 鈴木は最大5人までの合奏に留めた 寺神戸亮のVnと菅きよみのFlを前に立てながら通奏低音として支え彩り全体を牽引したのも見事だが ソロで弾いた二つのリチェルカレは圧巻だ また”〜捧げもの”に続いて弾いた”ゴルトベルク変奏曲”の最初の8つの基本低音による”14のカノン”の美しさは襟を正さねばという思いと包むような温かい感情の気が押し寄せてきた 第5カノンから弦が加わって和やかさが増し音楽は豊かに輝いた 最後に再びFlが加わってトリオ・ソナタを奏でて音楽の宴は終わる バッハの音楽は心安らかにしてくれる これは素晴らしい あなたも如何   

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2018/10/02

    交響詩の初めと終わりを並べることでシベリウスが作曲技法をどう発展させたのかを見せた メロディーとして認識できるテーマを歌い継ぎ変奏展開するベートーヴェン以来の書法による”エン・サガ”から 抽象性漂うモチーフを重ねていく象徴的音詩”タピオラ”に至るのだが リントゥは順番を逆にする はじめの”タピオラ”が壮絶絶美の演奏となった 曖昧模糊とした晩年のシベリウスはいない 全てが見えている 一個一個の音が意味するものを感じている 分かっている フィンランド人であればこそなのか 凄い あまりに見事なので 同様に明快な演奏の”エン・サガ”すら蛇足に感じてしまう サッリネンが適切で美しい編曲をしたオッター歌う歌曲集も終演後の花束のように感じてしまう それほどに”タピオラ”が傑作であることを図らずも証明してしまったことになる ”タピオラ”を聴くためだけにでも聴く価値がある あなたも如何  

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