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トップ > My ページ > 風信子 さんのレビュー一覧
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検索結果:999件中286件から300件まで表示
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0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/17
軽妙な明朗さにその特徴を集約できると踏んでいたフランセだが このクラリネットをメーン・キャストに据えた三曲が描く世界は奥が深いようだ 50代 60代 80代の作曲年代順に並ぶConcert, Duo, Trioはその表出の深まりゆく様を明確に刻印している 協奏曲で表層を覆っていた好い意味の”ねあか”さはVlaとPfとの三重奏曲では見られない コケティッシュでユーモラスな表情は失われてはいないが 思慮と洞察を経た世界の肯定と見た 老いた者の諦念も悔恨もない 勿論傲りも尊大さも見えない 平明で透明な視界が開けている 澄み渡った大気・せせらぎだが無情ではない 暑っ苦しい熱情も温情もない バッハの域に達している 音楽があるがままで凡てを言い尽くしている 即ち無であり 無辺大だとも言える 見事な音楽の生き方だ あなたも如何
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/17
秋立ちぬ いざ生きめやも 激烈な酷暑が去った日の朝 この演奏を聴いた 堀辰雄のあの辞が浮かんだ ロシア 北欧 ドイツなど様々な国のオーケストラで演奏しまた続けている曲目をあるいはその延長線上を歩くM.ヤンソンスは このオランダで真にパートナーとなるオーケストラに巡り合ったのだと思う コンセルトヘボウO.の現状が如何に素晴らしいものであるかを示す記録とも言えるが 大変幸福な出会いと創造がなされたことは間違いない あの全集では2,3&8番の三曲の収録だったヤンソンス+RCO=マーラーの欠落番号を一つずつ拾うように聴いている ライヴであることも感慨を深いものにしてくれている ややゆったりしたテンポで噛みしめるように音にしていく進行に演奏者一人一人がマーラーを愛し慈しむ心根が滲み出ている 上手な美しい演奏を越えて 巧まずして情のこもったソノリティを生み出している 幾重にも傷を負いながらも若い魂は秋の広野へ踏み出していく 決して失われることのない生きている歓びを胸に もしまだなら あなたも如何
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/16
第1番の前に書かれていたと思われる第2番だが 晩年の傑作でありシューベルトの心情をより直截書き留めているようで 聴くといつも胸締め付けられる思いに包まれる 好きな故に中々手が伸びない この世にこんな美しい音楽があるのか 触れなば崩れ去りそうな儚さと痛ましさに愕然とする シューベルトが死を予期していたはずはなく この哀しいまでの美しさは紛れもなく三十路にさしかかろうとする青年の心模様であり世界観なのだ パスキエたちの精細な心に寄り添う演奏をわたしは愛する もっとドラマチックに 否 よりダイナミックに歌うこともシステマチックな構造を浮き彫りにすることも可能だし そうするトリオもあろうが 吹き過ぎる風の如く 歌い交わして歩みゆく彼らに共感する 耽溺も慟哭もない 人生はそうありたい 飄々とステップを踏んで 歓びや悲しみにぶつかっても 美や愛に肩触れ合っても 微笑み残して前進しよう 欲も悔いも残さず立ち去ろう それが人生さ この音楽には人の思いの”あらゆる”が宿っている あなたも如何
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/16
これを所謂ピアノで弾いたら別のものになる 音色 響き 余韻 そして何より音楽の質を度外視して作曲者が発想した音楽を再現することは多くの情報を失うことになると実感した パドゥラ=スコダが若かりし頃から古の楽器に関心を持ち その現物を収集していることは伝え聞いていた その好奇心と研鑽がこういう形で 日常のわたしたちが想像し手を伸ばすも容易に聴くことが叶わないソノリティを届けてくれた これを至福と言わず何と言う パドゥラ=スコダは五台のフォルテピアノを使い分けている 19世紀前半のウィーン製のオリジナルだ ブックレットにその写真を見ることができる 孰れも美しい 最も多く使用しているのはシューベルトの晩年に当たる1826年製Conrad Graf 1118で7曲 最後のソナタ変ロ長調D960はこれだ 逆に1曲しか使われていないのが1815年製Georg Hasskaでハ長調D279/346で打楽器音も聞かせる 後の三台には4曲ずつ割り振られている 不思議なのは1846年製J.M.Schweighoferが使われたことだ シューベルトの死後18年も経過している ハ短調D958などに使われた パドゥラ=スコダは未完のアレグロ楽章しか残されていない通常第12番と呼ばれる嬰ハ短調を省略して 後続のソナタの番号を詰めて表記している イ長調op.120,D664が第12番となり D960が第20番になっているので注意がいる ベートーヴェンというお手本が身近にありながら シューベルトは独自の音楽語法を展開したことをしみじみ感じた次第だ 比較でなしにシューベルトを愛する人は聴き逃せない あなたも如何
6人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/14
スイトナーが楽界を去って久しい 今ポツポツと拾うように残された録音を聞いてみるとき その音楽の美しさに改めて瞠目させられる 僅かに残されたマーラーだが 貴重な記録となった この第1番に漂う寂寥感は何事だ 若々しいマーラーの声と背中合わせ行き場のない孤独の影が貼り付いている 静かな「巨人」という印象が残った ディテールをくっきり削り出すも 切り口を覆う見えない紗幕が霧のように掛かっている 牙や爪を隠そうとするマーラーが隠れている マーラーの運命を予知してしまった第1交響曲の哀しさがひたひたと寄せくる 何というマーラーだ 美しいマーラーだ いつまでも市場に残して欲しい そしてマーラーを愛する人に届いて欲しい演奏だ ザンデルリンク指揮の「さすらう若人の歌」はプライの声の輝きが生かされている もう少しポップ感があってもよかった テンポが重く 吹き抜ける風の爽やかさが漂ってほしかった もし手に入るなら あなたも如何
5人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/12
メンデルスゾーン交響曲全集の完結 また新たな全5曲が揃った SACDの意味が生かされている 音色を越えて音楽の肌合を感じるシリーズになった しかし ヒトは中々に頑固だ わたしのようにメンデルスゾーンを愛さない 例えその価値を了解しても古楽ヴァイオリン奏者が指揮したハノーファーの地方オーケストラの演奏では 耳を傾けようともしない わたしに言わせれば勿体無い ここからメンデルスゾーンの多面なる美が伺えるのに それはメンデルスゾーンの音楽とより深い対話をもたらしてくれるのに 結局 昔誰かがセンセーショナルにユダヤ人を排斥した その風潮の名残が人々の胸に巣食っているのだろうか これほど美しい魂の調べを退けるなんて わたしにはできない 異形の第2番交響曲は演奏機会に恵まれていない 他の4曲は演奏し録音をしても これだけ放って置かれる例は多い 残念だ 朋よ 耳傾けて あなたも如何
5人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/12
絶美のマーラー 厳しく鋭いソノリティでありながら熱く温かい情にあふれる演奏に泪した 生きる哀しさと対峙したが故に歓びをもって生きなければと知っている人の音楽 マーラーとイッセルシュテットが重なって見える 久々に真実の声を聞いた リマスターされたとは言え 録音の古さは拭えないが 一定空間に音を解き放ってやれば 音に命が宿って 演奏者の思いすら感じ取ることができる力を持っている 豊かに鳴らして聴きたいものだ ここに本当の巨匠がいたことを証明するDiscが残ったことを心から歓びたい シュミット=イッセルシュテットが晩年にウィーンpoを振ってベートーヴェン交響曲全集を録音した時 それが世界が彼の存在を知った瞬間だった これがウィーンpo最初のベートーヴェン全集だった カラヤンでも ベームでもなかった あの時の喝采を忘れない これはマーラー・ファンこそ聴くべき一枚だ あなたも如何
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/12
比較の対象外 この百年間の無数の演奏と同じく それを時代の趨勢・傾向・慣習というなら常識通り ベートーヴェンが晩年に書き込んだメトロノームによるテンポ指示は無視して 指揮者の勝手なテンポで変奏している これによって何かが失われ「時代」が求めたあるいは歓迎した別のものが付け加えられたベートーヴェンであることは間違いない そしてそれら編曲版ベートーヴェンに慣れ親しんだ聴衆の支持が今もある わたしはそうしたものに耐えられなくなった だからピリオド・スタイルの演奏しか聴かなくなっている 何よりもその「失われた何か」こそ掛け替えの無いものだと知ったからだ 言い方を替えれば「付け加えられた別のもの」はあってはならないからだ ベートーヴェンではない(にはない)「尊大さ」「厳(いかめ)しさ」「悲劇性」を纏わされている ベートーヴェンは偏執的な愚かしさを生涯曳きずってはいたが 優しく 慈愛深く 楽天的な人だった それは多くの作品に窺い知れる だからスコアを尊重しない演奏は皆捨てた でもクーベリック盤は捨てるに忍びない それは正しくベートーヴェンの温かい心情を伝えているからだ
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/12
貴重な記録 もうここでしか聴くことができない楽曲と演奏がある 収録された音楽の1/4は単一では購入できない イッサーリス・ファンならずとも聞いてみたい音楽が数多くある ハイドンに始まって メンデルスゾーン シューマン リスト グリーグ サン=サーンス フォーレ R.シュトラウス ヤナーチェク ショスタコーヴィチ プロコフィエフと並ぶ12枚のCDの内 特に最後の3枚は聴きものだろう Disc10のタヴナー集は大変面白い Disc11は20曲の小品集でアンコール集のように見えて一筋縄ではいかないチェロが聴ける Disc12はクラリネット三重奏曲ばかりを集めている クラリネットはコリンズ ヴァイオリンはハフ これはイッサーリスのチェロを聞くアルバムだが 聴き終えて「チェロ」だ「イッサーリス」だを超えて音楽そのものへの興味が増したように思う 音楽は何て広く豊かな世界を持っているのだろうと感じずにはいられなかった これはまたイッサーリスの音楽精神の顕れでもあると確信する 大部であれば誰にでも奨められはしない あなたは如何
音楽は何のためにあるのか そして音楽家の目指すところは何か こんな素朴な問いを思い出す音楽と演奏だ 指揮者がプラッソンであること ドレスデンpoは東西ドイツ統一後の自由競争マーケットに放り出されていたこと そしてボロディンが所謂アマチュア作曲家だったこと これらが作用してこの素晴らしい交響曲とその演奏が生まれたと思われる 何が素晴らしいか それは音楽の目的そのものを具現していた 聴けば分かる 何と勇気付けられたことか 生きること生きていることを歓び豊かな幸福感に包まれる ロ短調の第一楽章ですら 悲劇的ではなく悲愴感もない それはヒロイックですらある 音楽は人が生きる上に力を与えるもの この簡素な事実は屡忘れられて 音楽家の身勝手なパフォーマンスの道具に虐げられていることは珍しくない 音楽が愉しい 朋よ このシンプルな感情に浸れた至福を君に伝えたい あなたも如何
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/09
交響詩”ドン・キホーテ”は協奏的変奏曲だ Vn, Vla, Vcの三重協奏曲でもある そのチェロ・パートをイッサーリスが担当し 後の二つはオーケストラ団員が務めている これは見える演奏と言おうか 物語を聞いていると情景が見えるあの愉しさそのままを味わえる マゼール指揮のバイエルンRSOとイッサーリスによる傑作 ”ドン・キホーテ”はR.シュトラウスの作曲技法の粋を味わえる逸品 そのオーケストラ書法は繊細を極める オーケストラ・コンチェルトと言っていい精密さで各パート各奏者別に役割が割り振られている 大変高度な演奏技術を求められるからアマチュアが易々と手を出せるような楽曲ではない もしまだ聴いたことがなければ是非にこの演奏を奨めるが セルバンテスの小説ももし読んでいなければ正編の前半だけでも読んでから聴くことを奨める シュトラウスはそれ程に”物語”を尊重して正に”描いて”いる さらにイッサーリスはシュトラウスのチェロ曲を演奏して余白を埋めている こちらも熱演だ あなたも如何
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/09
シカゴ交響楽団が鳴っている ジュリーニの彫刻の跡が鮮やかだ ブルックナー第9交響曲の傑作と言われて久しい 久しぶりに聴き直した 泰然とした曲の運びはジュリーニのスタイルだ 細部のニュアンスも丁寧だが過度にならない鮮明さで表出される 豊かなブルックナー・サウンドが溌剌とされど品を保って広がっていく 美しい演奏だ 第1楽章の拍子とテンポ設定は妥当であり自然な流れは大きなうねりとなって聞き手を愉悦へ誘う 第2楽章もゆったりしたテンポで始まるが これはTrioでテンポを上げるための布石だ やや鈍重な印象は拭えない 第3楽章は遅すぎる ここでAdagio問題が浮上する 20世紀の演奏史において緩徐楽章が概ね遅すぎる傾向が顕著なのだ 様々に因があると思われるが 世界大戦があった社会的影響は外せないが ヴィブラート奏法の蔓延も小さくない要因だと思う ブルックナーに限らないが この水溜りを眺めるような最も非音楽的な情景展示的演奏が横行した スコアに還ろう このAdagioは4/4拍子でシンコペーションとアウフタクトから始まるモチーフの組み合わせによるフレーズが躍動感と推進力を求めていることは明らかではないか そして何よりもこの後に未完ではあってもFinaleの用意があることをわたしたちは知っている 恐らくジュリーニにはその意識がない このアダージョに終曲感を持たせようとしたが故か 未完は未完でいい
晩年の傑作群の一角”ピアノ・トリオ”にピアノ・ソナタ第13番を並べるのは何故か 1819年に書いたものの6年後の25年に手が入って現在の完成形になっている シューベルトの死の3年前だ 小品ではあっても技巧を要し高い芸術性を持つ ペヌティエの演奏は音楽の構造を明晰に展示し深い情趣をも表出してみせる 聴く者を虜にしかねない魅力がある さて 変ロ長調のピアノ・トリオだ 凡てにバランスがいい 奏者3人のアンサンブルの好さ 第一楽章が頭でっかちにならず 締めくくりに妙な力が入ったりせず 音楽をする愉悦が全曲に行き渡っている シューベルトのデモクラティックな市民性と友愛の情が滲み出た演奏となった パスキエの音楽性がトリオの充実度を上げていることは言うまでもない 優しい歌い交わしこそシューベルト音楽の根幹だと改めて知らせる演奏となった 時の流れの中で命を失わない美の結実を見る 心清みゆく あなたも如何
ロマンチック・サン=サーンスを堪能する 抒情極まるイッサーリスのチェロに夢見心地になる 少々鈍くて想像力に貧しい朴念仁でも酔えること必定 曲によって同伴するオーケストラ&指揮者が異なるが イッサーリスの音楽にぶれはない ポピュラーな第1番はチェロの歌を聞く 分かりやすく万人に届く声となる 後年に書かれた第2番は交響協奏曲だ チェロのソロが先頭を旗立てて邁進する音楽ではない 決して複雑な音楽ではないが 第1番の人気には及ばない しかし 寧ろイッサーリスの本領はこちらに聞くことができる アンサンブルの妙も然ることながら ソロの自由な幻想性が際立つ 何よりオーケストラが主張する部分が多々あり音楽がダイナミックで豊かだ さらに このDiscの一番の聞き物はVnのベルが加わった”ミューズと詩人”だ この詩情の深さと広がりに吸い込まれてしまいそうだった サン=サーンスの真骨頂ここにあり あなたも如何
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/08/05
音楽そのものとしてショスタコーヴィチを味わえた 様々伝えられてきた経緯や状況からテーマとしての音楽が取り沙汰され評価の足枷になってきた 初演が四半世紀も遅れたと言うよりオリジナル・スコアが失われていた第4交響曲 1905年1月9日の血の日曜日事件を描いた(表題もあるので)と言われる第11交響曲 この二つを組み合わせて出版する発想が既に過激なものを予感させる ボストンSOと組んだネルソンスの演奏はスコアから発してスコアに還っている 曰く因縁を払底して 音楽を明瞭に放出することで凡てを語らせている ニュートラルということではない 情感は豊かに溢れてくるが決して感情的ではない もっと澄んだ眼差しに見つめ貫かれている だから強烈な印象を残しながら惨たらしさや残酷さがない 天から見下ろさず 地から見上げず 同じ地平に立ち共に歩き叫ばず目をそらせず じっとよく見 じっとよく聴く姿勢を崩さない 怒りや涙を越えた音楽だけが伝えうる真理を高らかに歌い上げている 美しい 朋よ聴け あなたも如何
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