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kuzu2001 さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/29

    今年のメルビッシュは特別でした。20年続いたセラフィン治世の最終年で、オペレッタの王様とも言える「こうもり」を大家ヘルムート・ローナーが演出。開演前セラフィン総裁が舞台に現れての挨拶では、彼の音楽祭への思い入れが語られていましたが、DVDでは割愛されているのがちょっと残念。オペレッタそのものには無関係ですから仕方ないことですけど。
    私が音楽祭を訪れた7月下旬には、「来週はDVDが出るよ」という話をスーベニアショップで聞いて驚いたのですが、それもそのはず。今年はなんと開幕日7月12日の公演がORFで生中継されていたのです。そのソースで速攻リリースとなったこのパッケージ、8月には会場で飛ぶように売れたことでしょう。
    さて、内容ですが、もし演奏のクオリティを優先して選択するのであればお勧めはしません。初日ということもありますが、マイクを使うだだっ広いステージ、夏とは言え真夜中近い終盤には毛布にくるまるくらい気温の下がる野外公演といった、ディスアドバンテージだらけのメルビッシュ盤を選ばずとも、他に条件の良い商品はあまたあります。このディスクを選ぶ人の多くは、ライブ体験のスーベニアとして購入するか、メルビッシュならではの創意あふれる演出に魅力を感じているのではないでしょうか。そうであれば、今年のこうもりはお勧めです。
    メルビッシュの広大なステージに登場する出演者とエキストラの数の多さは圧巻。いつもながら序曲を背景に演じられる念入りな芝居からはじまり、第2幕では装置の美しさとあいまって、華麗な空気を生み出します。
    演出のローナーは、フロッシュ役で長大なモノローグを演じ、続くフランク役のセラフィンとの掛け合いと合わせて、第3幕前半を文字通り彼の独壇場にしてしまいました。時事ネタも絡めたモノローグは、現地でもバカ受けの連続でしたが、私のドイツ語力では半分も理解できませんでした。DVDでは英語字幕があるので助かります。
    また、イケメン揃いのバレエシーンもオペラグラスなしで堪能できます。実演での休憩を1回とした関係で、2幕目と3幕目の間奏として挿入されたのが、「こうもり」に因んだ「ティク・タク・ポルカ」。定番の「雷鳴と電光」ともども見せ場になっています。
    舞台装置は比較的シンプルなデザインでありながら、場面転換であっと言わせます。特に第2幕のパーティシーンからバレエをはさんで、第3幕の刑務所への移行は見ものです。
    カーテンのない野外ならではのカーテンコールもこの音楽祭の楽しみ。アンコールの音楽に乗せて、登場人物それぞれの個性を見せながら、たっぷりと時間をかけ、一つのショーを作り出します。それに続くメルビッシュ名物の花火まで完全に収録したこのディスクがあれば、いつでもあの夏の夜を再現できる。その価値に星5つは足りないくらい。
    でも本当はHD画質で見たかった。かつて毎年この音楽祭を放送していたNHKがここ数年取り上げてくれないのが残念です。作品の知名度も公演の記念性も別格の今年は、ぜひカバーして欲しいものです。あるいは、これからでもいいので、ブルーレイの発売を期待します。

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     2012/08/29

    ヤルヴィがエーテボリで録音したグリークの管弦楽曲集からのセレクション。特に「ペール・ギュント」組曲は異なるカップリングで繰り返し発売されていますが、そのいずれも1987年録音の「ペール・ギュント」全曲録音を元にしているものの、2つの異なる構成でリリースされているため、選択には注意が必要です。

    もともと全曲録音の「山の魔王の宮殿にて」「アラビアの踊り」「ソルヴェーグの歌」には、コンサート用組曲に含まれない声楽ソロ、合唱、あるいはセリフが収録されています。そこで1992年になって、改めて組曲版でのアルバムをリリースするにあたり、純粋な管弦楽スコアによって上記の3つのトラックが録音され、もともと管弦楽だけの演奏による残り5トラックと組み合わされました。録音年に1987と1992が混在するディスク(例えばこの477 7491)は、この通常の組曲版です。

    逆に、声楽つきの演奏による組曲を望むなら、1990年リリースのディスク(427 807-2)がそれにあたります。このバージョンは本来存在しない折衷版ですから、ディスクとしても貴重です。ソルヴェーグの「歌」を聞きたい方にはそちらをお勧めします。

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     2012/08/29

    ヤルヴィがエーテボリで録音したグリークの管弦楽曲集からのセレクション。特に「ペール・ギュント」組曲は異なるカップリングで繰り返し発売されていますが、そのいずれも1987年録音の「ペール・ギュント」全曲録音を元にしているものの、2つの異なる構成でリリースされているため、選択には注意が必要です。

    もともと全曲録音の「山の魔王の宮殿にて」「アラビアの踊り」「ソルヴェーグの歌」には、コンサート用組曲に含まれない声楽ソロ、合唱、あるいはセリフが収録されています。そこで1992年になって、改めて組曲版でのアルバムをリリースするにあたり、純粋な管弦楽スコアによって上記の3つのトラックが録音され、もともと管弦楽だけの演奏による残り5トラックと組み合わされました。録音年に1987と1992が混在するディスク(例えばこの477 7515)は、この通常の組曲版です。

    逆に、声楽つきの演奏による組曲を望むなら、1990年リリースのディスク(427 807-2)がそれにあたります。このバージョンは本来存在しない折衷版ですから、ディスクとしても貴重です。ソルヴェーグの「歌」を聞きたい方にはそちらをお勧めします。

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     2012/08/29

    ヤルヴィがエーテボリで録音したグリークの管弦楽曲集からのセレクション。特に「ペール・ギュント」組曲は異なるカップリングで繰り返し発売されていますが、1990年発売のこのディスク(427 807-2)には近年の再発盤とは異なる特徴があります。それは、純粋に1987年録音の「ペール・ギュント」全曲録音からの抜粋によって2つの組曲を再構成しているということです。この点はブックレットにも明示されています。

    したがって、一聴すればわかるとおり、「山の魔王の宮殿にて」「アラビアの踊り」「ソルヴェーグの歌」には、コンサート用組曲に含まれない声楽ソロ、合唱、あるいはセリフが収録されています。

    このディスクの発売後1992年になって、改めて組曲版でのアルバムをリリースするにあたり、純粋な管弦楽スコアによって上記の3つのトラックが録音され、もともと管弦楽だけの演奏による残り5トラックと組み合わされました。もし、声楽抜きの組曲版での演奏を望むのであれば、録音年に1987と1992が混在するディスク(例えば477 7515)を選択すべきです。

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     2012/07/12

    バーンスタインが、多忙なニューヨークフィル在任中に完成した数少ない作品を並べた1枚。いずれの曲も、ヘブライ語を絡めた祈りをテキストに、激しいリズムと美しいメロディとが相まった感動的な声楽作品。特にナレーターをフィーチャーして、信仰と疑念との葛藤を綴るドラマティックな「カディッシュ」は、交響曲というより舞台作品に近い。信仰告白から迷いに転じ、再び信仰に回帰していくドラマの展開は、後の「ミサ」のプロットにつながる物がある。「カディッシュ」「ミサ」がいずれも故JFKにゆかりをもつ作品である点も、興味深い符合だ。

    この時期、バーンスタインは事あるごとに「信仰の危機」に言及していた。アメリカがベトナム戦争にはまっていき、イスラエルも絶えることのない戦いの中に浸っている時代に、両国を祖国と感じ、キリスト教とユダヤ教の両方を理解していた彼が、この一連の作品群で訴えた切実なメッセージ「破壊から再創造・平和への願い」は、残念なことに、いまだ時代遅れになっていないのだ。広島平和コンサートでバーンスタイン自身が演奏してからさえもう四半世紀が過ぎたというのに。

    この録音では「カディッシュ」のナレーターを、バーンスタインの伴侶であった女優のフェリシア・モンテアレグレが務めた。その劇的な語りの表情も印象的で、初演時期のエッジの立った激しいアピールにはあらがいがたいものがある。しかし、この曲の普遍的な説得力は。1977年の改訂版(イスラエルフィルとのDG録音)のほうが勝っているように私には思える。特に信仰の回復、神と共に再創造を行う決意を歌うクライマックスは、改訂版において、より人間性を感じさせる調性的に素朴な旋律に差し替えられ、マイケル・ウェイジャーの自然な語り口のおかげもあってはるかにわかりやすく感動的になっている。その意味で、私の中でこのニューヨークフィル盤は初演バージョンの記録であり、音楽を聞くのならイスラエルフィル盤だ。一般的にも、どちらをと聞かれたら、迷わず改訂版を勧めるであろう。

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     2012/07/12

    幸いなことにレニーは1975年以降、その多様な作品群の録音をDGに残してくれました。この交響曲全集は、そのDGとの録音契約の初期に録音・リリースされたものですが、「エレミア」「不安の時代」は3度目、「カディッシュ」は2度目の公式録音でした。1977年の「ケルンテンの夏」「ベルリン芸術週間」での上演にあわせて収録されたもので、初発売時の3枚組ボックス(日本では分売のみ)には「ファンシー・フリー」ではなく「チチェスター詩編」が収められていました。このオリジナルカップリングでの発売であれば申し分なく星5つなのですが、あまりにもムードも出自も異なる「ファンシー・フリー」とのカップリングがいただけないので減点です。

    初演時期に近い、あるいはNYPで膨大な録音を行っていた時期の過去の録音に比べると、ほかのレパートリー同様、リズム感やダイナミックスに代わってよりシリアスで内省的な重みが増しています。これはオーケストラの違い、録音のバランスなどの要素もあるでしょうが、別居中の伴侶モンテアレグレとの病気などに直面した60歳目前のレニーの複雑な心境も反映しているかもしれません。ただ、晩年の指揮に聞かれるような、極端に主情的な表現とは違い、客観的で明晰、それでいて聞き手に思索を迫る強さを感じます。

    とりわけ1977年の演奏に向けて改訂された「カディッシュ」を初演時のCBS(現SONY)録音と比べる場合、演奏以前に曲の違いが大きく、この全集に最大の付加価値を与えています。子供心に1985年広島でのライヴに感動した身にとって、初演版によるCBS録音はより抽象的で「あの感動的なクライマックスはどこ?」という印象です。賛否両論あるとは思いますが、このクライマックスの音楽の全面差し替えによって、「ミサ」とも共通する信仰への疑念から神との和解へ至るストーリーがより人間味を帯び、多くの聞き手が共感できるようになりました。ある意味俗っぽいのですが、その俗っぽさをあえて最終稿に選んだのも、常にインストラクティヴであったレニーらしさの表れでしょう。また私にとっては、レニーの伴侶であったモンテアレグレによるCBS盤の古典演劇調のナレーションより、(当時の愛人ともいわれた)ウェイジャーによるDG盤の自然な語り口の方が胸を打ちます。

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     2012/07/12

    幸いなことにレニーは1975年以降、その多様な作品群の録音をDGに残してくれました。そのうち多くはCBS時代に録音していたので、いきおい「どちらが好きか(決して善し悪しではありません)」ということになりますが、ミュージカル由来の作品やジャズ性の強い作品は、概してCBS盤の溌剌としたリズムに票を投じたいと思います。

    また「ディバック」は、当初「ディバック・ヴァリエーションズ」と呼ばれNYPの来日時にも演奏された第1組曲に、第2組曲をあわせると全曲の8割近いのですから、やはり声楽入りの全曲を聞きたい。当時発売権があったはずのCBSが全曲盤をリリースしてこの録音をお蔵入りしたのも理解できます。

    いっぽう1977年の「ケルンテンの夏」「ベルリン芸術週間」に向けて改訂された「カディッシュ」を初演時のCBS録音と比べる場合、その演奏以前に曲の違いが大きいわけですから、それを知った上での比較となるでしょう。子供心に1985年広島でのライヴに感動した身にとって、初演版によるCBS録音は「あの感動的なクライマックスはどこ?」という印象です。賛否両論あるとは思いますが、このクライマックスの音楽の全面差し替えによって、「ミサ」とも共通する信仰への疑念から神との和解へ至るストーリーがより人間味を帯び、多くの聞き手が共感できるようになりました。ある意味俗っぽいのですが、その俗っぽさをあえて最終稿に選んだのも、常にインストラクティヴであったレニーらしさの表れでしょう。また私にとっては、レニーの伴侶であったモンテアレグレによるCBS盤の古典演劇調のナレーションより、(愛人ともいわれた)ウェイジャーによるDG盤の自然な語り口の方が胸を打ちます。

    「ソングフェスト」「ディヴェルティメント」「ジュビリー・ゲームズ」「ミュージカル・トースト」「ハリル」「スラヴァ!」など、作曲時期からしてDG録音しか残されなかった作品も数多く含まれるこのセットは、バーンスタインの代表アルバムであり、CBSのセットを購入してもなお外すことのできないチョイスとして広く薦めたく思います。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/02/23

    前衛(という言葉)に熱をあげていた少年時代、ジョン・ケージやカールハインツ・シュトックハウゼンは僕のヒーローでした。と言いながら、現代曲のレコードのリリースは限られ、気軽に入手できる音源は殆どない時代。ケージの作品もNHKFMの「現代の音楽」の時間に数曲触れたのがやっとで、「音楽芸術」などの雑誌で情報を得ながら他の作品に思いを馳せ、限られた音源を録音して繰り返し聴くしかなかったのです。それも家族に「気持ち悪いもの鳴らさないで」と疎まれながらヘッドフォンで聴く肩身の狭さ。今思うと、FM番組の放送時間、日曜の深夜は異空間に入って行くミステリーアワーでした。

    21世紀にもなるとケージのピアノ曲全集が「お試し価格」で買えてしまうなどとは予想だにしていなかった元少年は、今こそあの時代に果たせなかった「前衛を浴びる」夢の実現に心躍る思いで、到着を待ち侘びつつ数週間を過ごしました。

    しかし、この間に流れた時間は想像以上に長かったようです。僕の、そして恐らく多くの現代人の耳はとっくに当時の前衛を追い越しています。異空間の音楽だったそれは、今や日常のBGMとしても違和感がなく、21世紀の食卓の音楽となりうるほど、時の流れに消化されていたのです。つまり、全く抵抗感なくこの膨大な作品を聴き続けることができる。これはかなりのショックでした。

    シンセサイザーが一般化する前に、既存の音を超える何かを創ろうとした彼の発想のあり方が前衛だったのであり、音符の並べ方は時に調性を感じさせるほど普通です。しかし、このCDを聴くことによって改めてケージの意図に共感できたのもまた事実。疎らに放出される一つ一つの音の隙間を埋める静寂が、あるいは環境音が、これらの音楽にとって伴奏者であったり競演者であったりするのを実感しました。

    そうしたケージの思想の象徴とも言える「4’33”」はここには収録されていません。解説書によれば、楽器指定が明確にピアノと指定されていないものは取り上げなかったようです。

    今日届いたセットのほぼ半分をあっという間に聴き終え、様々な想いに捉われましたが、僕にとってのかつての偶像は堕ちてしまったのかと言えばそうではありません。時代に消化されたスタンダードとして、今しばらく聴き込んでいこうと思います。せめて少しは尖った聴き方として、腕時計型iPodに全曲を取り込んで、自然の中でケージを聴きまくるというのが、今年のスタイルになりそうです。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/01/01

    演奏についてあれこれ語るのはもはや野暮なので、映像について一言。一昨年に続いて、カリーナ・フィビッヒが映像監督を務めるニューイヤーコンサートです。この人の映像の特徴は、天井近くまで設置したリモコンカメラの映像を交えた多彩な視点。さらに、音楽に合わせて舞うような動きも見せるカメラの移動。ステージはもとより、ホール内の天井、壁面、客席をなめ尽くし、さらにラトハウスやコーブルク、ベルヴェデーレなどホール以外の建築や蒸気機関車の屋外風景の映像も含めると、カメラアングルのヴァラエティは、過去最多と思えます。見方によっては目まぐるしいくらいの切り替え、ズーム、移動ですが、イヴェントを楽しませる映像としては、このくらいの華やかさが心地よく感じます。

    BDで見返す楽しみのひとつが、ORFのインターバル映像。今回NHKではとうとうこのインターバル映像を全面的にカットしてしまいました。ウィーン・フィルのウェブサイトによると、オーケストラメンバーによるウィーン・ツアーガイドが収録されるそうなので一安心。それを前提で星5つです。

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     2011/11/29

    2009年のラ・フォル・ジュルネでセンセーションとなったネマニャの「四季」。コンサート後、通路で出会った彼は、私の絶賛に応えて「この曲は録音するよ」と約束してくれた。それから2年半、待ちに待ったリリースだ。しかも、そのCDには「日本の春」をテーマにした新曲も併録。彼が日本のファンを大切にしてくれているのを感じるアルバムだ。

    果たして、その音楽は、コンサートでの印象通りだ。いや、矛盾しているようだが、そのときと同様に、「初めて聞く四季」だ。いままで聞いたどの四季とも全く違う表現に満ちあふれている。常に変化するフレージングの多様さ、はっとするアゴーギグのギアチェンジ、思いがけないデュナーミクの落差、楽譜にない奏法を絡めながら、絶え間なく変化する音風景は、月並みな例えだがジェットコースターのよう。

    繰り返すが、この多彩な表現は、2年半前と大きく変わってはいない。それでいながら、何度聞き返してもまだ新鮮なショックが襲ってくる。

    このアルバムは、ヴィヴァルディの演奏に規範像を持っている人には受け付けられないものかもしれない。だが、自由に音楽を楽しむ気持ちを持っているなら、ぜひ聞いて欲しい。この曲にこんな表現の余地があったのか、という思いが現れ、感心している間もなく次のサプライズが訪れる。これまでに四季を聞いた経験が多いひとほど、すべての楽章で快感と言ってもいい新鮮な感動を得られるのではあるまいか。

    5つ目の季節「日本の春」は、正確には「Spring in Japan 2011」。震災に見舞われた2011年の春をテーマに、叙情的な古謡素材ばかりか、中間部分とエンディングではアップテンポの「上を向いて歩こう」ヴァリエーションで、現代日本の多彩な春の情景を描きながら、復興への応援歌を奏でてくれたのだと思う。

    ネマニャにはまった人ならもちろん即座に入手しているだろうが、ぜひ多くの人に聞いてほしい。今年の私の一押しはこれだ。

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     2011/11/14

    ロリン・マゼールは、ウィーンのシュターツオパー(とウィーン・フィル)、ニューヨーク・フィルという、マーラーその人が活躍した2大楽壇のポストを踏襲し、それぞれのオーケストラでマーラーの交響曲全曲録音を残すという偉業を達成した最初の指揮者となった。もちろん時代の巡り合わせもあろうが、これはさすがにレナード・バーンスタインもなし得なかった。さらにこの2つの全集に挟まれる時期に、ミュンヘンで「大地の歌」を含む主要歌曲集も網羅している。

    2000年代に録音され、NY時代のマゼールの数少ないスーベニアとなった2度目の全集は、NYPの公式商品だ。しかし現在のところネット配信のみのリリースで、特に日本から正式に購入できるのは圧縮フォーマットのみという事情からか無視されがちなのが残念。ちゃんと無圧縮の音源で聞くと、明晰な録音とライブならではの演奏のメリハリが際立つ快演揃いなのだ。そして一方この1980年代のウィーン盤にはそれとは全く違う魅力がある。

    マゼールの芸風は、たっぷりとためを作り、ときには思いがけない脇役に雄弁に語らせ、ここ一番で大見得を切る芝居がかった演出を衒いもなく計算づくでやってのけながら、それが嫌みにならないところだ(いや、嫌みに感じる人もいるのだろうが)。先日の東京交響楽団客演での第1番では念の入った大技をこれでもかというほど繰り出して、圧倒的な感動を与えた。そうしたマゼールらしさのうち、華麗な効果は新しいNY録音の方に、丁寧な仕掛けはこのウィーン盤のほうに強く感じられる。力技に頼らず、スコアに書き込まれ、練り込まれたメッセージを一つずつ確認しながら前に進むような匠技の結果、演奏時間も概してウィーン盤の方が長い。

    ウィーン・フィルというオーケストラで、しかも全曲ムジークフェラインザールでのセッション録音にこだわったことで、この結果が得られたともいえる。ステージの狭いこのホールで第8番を録音するなどという無理のために音場を犠牲にし、オーバーレベルのクリッピングとの戦いというデジタル初期の試行錯誤の中で、決して見通しがいいとはいえないものの、NYでもミュンヘンでもましてベルリンでもないマーラーを録り上げた苦労がそこかしこに聞こえる。それでも、無用な興奮を求めず、マーラーの音楽を噛み締めたい時に選択するのが、私にとってのこのボックスなのだ。

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     2011/09/19

    今日2011年9月19日未明(18日深夜)ベルリンフィルのデジタルコンサートホールで、ラトルのスピーチを通じてクルト・ザンデルリンクの死を知った。享年98歳。翌日には99歳の誕生日を迎えるはずだった。すでに引退していたとはいえ、最長老指揮者の死には様々な思いが脳裡をよぎる。
    長く東ベルリンで活躍した彼の象徴的な活動記録として、コミュニスト音楽の代表と見られていたこのショスタコーヴィチ録音は、非常に印象深い存在だ。演奏そのもので言えばもっと印象的なディスクも数あるが、ベルリンの壁が崩壊して22年、冷戦時代を思い返すのに外すことのできないよすがとして今一度聞き返してみたい。ショスタコーヴィチの真意と言われた「証言」が偽書とわかった今、改めてこの演奏の正統性が評価できるかもしれない。あるいは、時代の暴走を音をもって証言してくれるかもしれない。
    偶然にも東の老匠の言わば野辺送りのコンサートになった、西のベルリン・フィルのマーラー第8を生中継で見る。あの奇妙な世界が過去のものとなり、新たな歪みの中で生きている自分をつくづく感じる夜になった。

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     2011/09/13

    今回のセットで何よりもうれしいのは、「大フーガ」の再発売ではないでしょうか。インターナショナルのカタログではベラートレーベル(450 108-2)で発売されたきりでDGレーベルではCD化されずじまい。国内でも「コンプリートDGレコーディングズ」を除くと、20年以上発売の記録がありません。おそらく近年のリマスターでしょうから、音質に満足のいかないベラート盤からようやく卒業できると思うと、ピアノ協奏曲の不揃いさも取るに足らないことに思え、つい星を大盤振舞いしてしまいました。

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     2011/08/28

    先週アムステルダムでこのアンサンブルのコンサートを聴きました。前半のヴィヴァルディ、後半のペルゴレージとも、コンセルトヘボウ満場のスタンディングオベーションという圧倒的な成功でした。第2ヴァイオリンのトップ(コンチェルトではソリストも務める)をはじめ要所に日本人も含み、指揮者なしでも全く揺らぎのない合奏力と想像できる小編成の古楽器オーケストラですが、シュトゥッツマンのマジカルタッチでいっそうの切れ味と輝きが加わっているのがわかります。

    CDのブックレットとは異なり、タクトを持たずに指先で見事に音楽の表情を形象化していくシュトゥッツマンのあまりに洗練された指揮ぶりは、彼女が共演を繰り返してきた小澤さんのそれを盗んで身につけたのではないかと思うほどです。実際にソリストとして歌いながらの指揮は器楽協奏曲の弾き振りより遥かに難しいと思いますが、要所を逃さず無駄のない指示を出すアクションの恰好良さは、耳とともに目でも楽しめるライブの醍醐味を味わわせてくれます。

    このCDは、そのコンサートの前半で演奏されたヴィヴァルディのスーベニアとして購入しました。内容は大満足です。初録音曲を含むアリアが中心のセレクションで、シュトゥッツマンの安定度抜群のアルトを心地よく聞けるかと思ったらさにあらず。むしろちょっと刺激的な力強さで、「甘くない古楽」をしっかり聞かせてくれます。少々演出過剰なきらいもありますが、癒しでなく音楽の面白さを求めるならお薦めの1枚です。

    もちろん映像があれば、シュトゥッツマンのスマートな身のこなしを何度も見返すことができますが、今はこの音をよすがに、あのコンサートのステージを思い浮かべ、いつかまたその実演に触れるのを楽しみにしています。

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     2011/06/29

    演奏については、皆さんが十分語り尽くしているとおり。録音も含めてこれほど自然なマーラー全集のパッケージは他にないと言っていい。単売を着々揃えてきた身には、ピアノ伴奏のリュッケルトが加わったこのボックスは悩みどころだ。こういう場合、1万円以下なら迷わず買いなのだろうが、ここでは敢えてその倍という価格設定を評価したい。
    もちろん、購入すると決めた者にとっては安いほど有り難いに違いない。だが、逆に半額にすれば2倍売れるとは言えない現在の音楽マーケットの中で、またフィラデルフィア管弦楽団さえ破産するようなアメリカのオーケストラ経営事情の中で、メジャーレーベルに頼ることなくこれほど大胆な自主企画を進めたSFSに対しては、喜んで200ドル払って支援したいと思える。
    いつの頃からか、メジャーレーベルさえも巻き込んだ価格破壊によって音楽に正当な代価を払う習慣が薄れてしまった。同じ自主企画でも、LSOのような廉価路線の方が数は売れるのだろう。だが、このSFSのシリーズには、単に演奏会にマイクを立てて記録して売ります、というアプローチとは違う念入りな仕上がりがある。普通に考えれば、まだまだ原価回収さえおぼつかないセールスだと思う。これだけのクオリティのものを買いたたくマーケットになってしまったら、本当に「良い音楽商品」を作ろうという志は生きながらえることができないだろう。私はぜひとも「この全集にはこの代価を払っても惜しくない」と多くの人に訴えたいと思う。

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