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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/03/29

    古楽器オケ「ル・シエクル」を率いるロト。南西ドイツ放送響のシェフになって最初の録音にマーラーの1番を持ってくるとは大胆だ。緩急のアゴーギグについてはわりあい平坦だったノリントン(そう言えば、同じレーベルだ)と違って、第1楽章序奏が非常に遅い以外は速めのテンポで音楽に勢いがある。特にスケルツォ主部と終楽章の第1主題部や終結部は痛快。低弦や金管楽器の強いアクセント、終楽章では硬いバチで叩かれるダブル・ティンパニが強烈だ。錯綜した音楽になればなるほど、それを鮮やかにさばいてみせる、この指揮者の手腕が良く分かるし、終楽章第1主題部終わりの独特な音型に変にこだわったりするのも面白い。一方、ナイーヴさが装われている葬送行進曲の中間部や終楽章第2主題では、ノン・ヴィブラートでマーラー旋律を歌うことの難しさ、課題を感じさせもする。アグレッシヴで意気軒昂な、この曲にふさわしい演奏なんだけどね。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/03/29

    第1番は何ということもない曲だと思うけど、第2番は大好き。もう一つの変ロ長調交響曲(第5番)が可憐で繊細なのに対し、スケールの大きな、活力にあふれた交響曲で、第6番までの6曲中では最も素晴らしい作品だと思う。さて、ジンマンはあの素晴らしいベートーヴェン・チクルスからずいぶん回り道をして(このご時世にレコード会社がこれだけ録音させてくれるのだから、まあいいけど)、あれと同じ現代楽器によるピリオド様式に戻ってきた。金管楽器の強いアクセント、硬いバチを使ったティンパニの強打など、とても味の濃い演奏。弦の編成が12/10/8/6/4とやや大きいこともあって、透明度と見通しの良さではブリュッヘン、インマゼールら本物の古楽器オケに及ばないが、音楽の勢いとマッシヴな力では優っている。第2楽章のハ短調の変奏での低弦の力強い動きなど、実にめざましい。第3楽章トリオの木管のメロディに繰り返しで装飾を入れるのも、既におなじみの手法だ。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/03/20

    普通のドイツロマン派音楽ではあまり印象に残らない準・メルクルだったが、昨年11月、緊急代役でN響定期に登場し、マーラーのリュッケルト歌曲集と4番を振るのを聴いて、その鮮やかな手腕に驚嘆した。オケをマッスではなくソリストの集合体として扱い、それぞれの楽器の響きを巧みに浮き立たせることにかけては、天才的な感性の持ち主。まさしくピリオド・スタイル時代の指揮者だし、この資質はドビュッシーに最適。どの曲もマッスの力で押そうとはせず、「海」の第2楽章など遅めのテンポで、波と戯れながら響きの綾を織りなしてゆく。量感はないがクリアなナクソスの録音とも相性ぴったり。このセットには編曲物が多く含まれているのも目玉で、コリン・マシューズ編の「前奏曲」全24曲などは、ピアノ原曲との聞き比べも楽しい。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/03/20

    第20番第3楽章と第26番第1楽章のカデンツァで起こる「大変なこと」については噂に聞いていたが、これで実際に確かめられた。目下、ローザンヌ室内管と弾き振りで新全集を録音中のツァハリアスは「あれは若気の至り」と笑うかもしれないが、若い内はこのぐらい暴れてもいい。何が起こるかは聴いてのお楽しみとしておこう(編集ミスでも不良品でもありません)。この二箇所のお遊び以外は端麗で真面目なピアニスト(この人、生まれはインドなんだけど、やはりドイツ人の血は争えないなと思う)。こんな激安ボックスでは申し訳ないような高品質の音楽で、同時期に録音された内田/テイトの全集などと比べても全く遜色ない出来ばえだ。ここではまだ弾き振りではなく、4人の指揮者と共演しているが、共演相手によってピアノのスタイルも少し変わるのが面白い。一番多いジンマンは後のベートーヴェンでやるようなピリオド風味はまだなく手堅い職人仕事だが、珍しくイギリス室内管を振っている13番/15番だけは押し出しが強い。後の「大巨匠」ヴァントはさすがの貫祿だがピアニストの方がやや萎縮気味。マリナーはいつも通り。一番良いのはマクシミウクとポーランド室内管の機動性の高い音楽作りで、ピアニストも旋律装飾、アインガングの挿入など一番遊びのある解釈をしている。

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     2012/03/17

    2番が先に出たが、録音はこちらの方が早く、2010年7月に収録されたもの。やや速めのテンポで、普段は「埋もれ」気味の声部もガンガン自己主張する攻撃的で、表出力の強い演奏。第1楽章の末尾、終楽章のクライマックスなど、ここぞという所ではかなり思い切ったテンポの伸縮もある。「田園」交響曲的なイメージを持っている人には違和感があるかもしれないが、実は3番は書法としてはマーラー屈指の前衛的な作品なので(特に第1楽章)、こういう行き方も悪くない(個人的にはティルソン・トーマスやホーネックのような、より精緻で構えの大きい演奏の方が好みだけど)。動的な熱いタイプの演奏ではあるが、インバル/都響やフェルツのような粗さがないのはいいし、オケもなかなか精度が高い。シュースターもまるでオルトルートかヴェーヌスのような性格的、オペラティックな歌いぶりで「地母神的」なイメージとは違う。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/03/15

    これまでクリストフ・ロイの演出に感心したことはなかったが、これはなかなかの出来ばえ。コンスタンツェがセリムを愛してしまっているという設定は既にチューリッヒのジョナサン・ミラー演出にあったが、この演出は「もうひとひねり」。ブロンデもオスミンを憎からず思うようになってしまっているので、ほんらい啓蒙専制君主へのゴマスリであったご都合主義的なエンディングが、女性が二人とも三角関係に引き裂かれるという感動的な(ドロドロとも言うが)幕切れになっている。第2幕のコンスタンツェの大アリア「ありとあらゆる拷問が」などは、もっと落ち着いて歌わせてやりたいという声もあろうが、ドラマとしては確かに面白い。すべてオリジナル通りのようだが、通常の上演に比べると遥かに台詞の多い舞台になっている。歌手陣ではテノール二人がどうも冴えないが、ダムラウ(ひと頃よりも少しスリムになった)とペレチャツコは歌、演技ともに素晴らしい。ゼーリヒも憎めないキャラを好演。この演出では非常に重要なセリム役、クヴェシュトもチューリッヒのブランダウアーの貫祿には及ばないが、まあ悪くない。ピリオド風味を加えたボルトンの指揮も快調。

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     2012/03/04

    『パルジファル』に関しては、初演百周年の1982年にツェリンスキーという学者が作曲者のコジマ宛て手紙などを引用しつつ、反ユダヤ主義的な作品であるという暴露論文を書いて(少なくともドイツでは)スキャンダルになった。このクプファー演出はバイロイトのゲッツ・フリードリヒ演出(バイロイトがこの演出の映像収録をしなかったのは痛恨事)と共に、ツェリンスキー論文の指摘を真面目に受け止めようとした最初の世代のもの。ナム・ジュン・パイク風の第2幕はさすがに古びた印象があるが、一度は見ておくべき舞台。第1幕・聖餐式の場のカルト宗教めいた、いかがわしい雰囲気、第3幕の最後ではクンドリー(ユダヤ人)でなくアムフォルタスが死に、一同、途方に暮れるというアンチ・ハッピーエンドなど、当時の前衛クプファーの面目躍如たるものがある。ミュージカル『エリーザベト』でもおなじみの可動式オブジェ(本作ではロケットの先端部みたい)の使い方もうまい。歌手陣ではエルミングの主人公は残念ながら私には不可(イェルザレムの方が遥かにマシだと思う)。マイヤー、シュトルックマンはとても良い。トムリンソンのグルネマンツは従来と真逆の役作りだが、完全に演出意図通り(これを含めて、後のレーンホフ演出があちこちクプファーをパクっていることも分かる)。指揮はバレンボイムにしてはおとなしめだが、まあ悪くない。

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     2012/01/22

    以下はSACDハイブリッド盤についてのレビュー。私はオペラ以外のカラヤンの録音ではこのセットとワーグナー管弦楽曲集(1974年、EMI)がベストと考えてきた。しかし残念! 録音はSACD化によっても、そんなに劇的に改善されたとは言えない。エコーがかかったような響きで楽器の定位は不明瞭。強奏になると音のひずみ、高域のヒスノイズが盛大。やはりマスターテープにないものは、SACDにしようが取り出せないということか。SQ4チャンネル録音の失敗がつくづく恨めしい。しかし、ほとんど一発ライヴに近い感覚で録られたと思われる、この録音の凄まじい躁状態、マッシヴなエネルギーだけは今回、かつてないほど強烈に感じられた。演奏は5番のみ「不発」だという初発売時の印象は変わらないが(75年DG録音の方が遥かに良い)、4番と6番は全く壮絶。後のウィーン・フィルとの録音など寄せつけぬ高みに達している。6番の一糸乱れぬ第3楽章は、まぎれもなくこのコンピの頂点、ひいては20世紀オーケストラ演奏の頂点をしるすドキュメントだ。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/01/22

    インバルとチェコ・フィルの蜜月は比較的短命に終わったようだが、相変わらず曲との相性が非常にいい。7番はフランクフルト放送響との全集中でも屈指の名演でベルリン放送響(現在のベルリン・ドイツ響)との来日公演の映像もあった。交響曲の理念そのものを茶化すようなこの「メタ交響曲」にインバルの細密な指揮は実にふさわしい。ただし、この録音では指揮のシャープさがマーラーを弾き慣れているチェコ・フィルの様式美にうまく補完されて、かつてほど鋭角的な印象はない。シャープな演奏を望むなら、前の全集録音を聴けばいいわけだから、これはこれで良いと思う。第1楽章の再現部に入るところで大きくタメを作るのも、最近のインバルらしい「巨匠風」スタイル。スケルツォではトリオで思いっきりテンポを落として、大きなコントラストを作る(指揮者の鼻唄がちょっとうるさいけど)。近年では「冷感症的」に奏でられることも多い第4楽章は、細かいテンポ・ルバートを使って、意外にロマンティックだ。終楽章はショルティ/シカゴほどではないが速いテンポで一気呵成に行く。ここでも第1楽章第1主題が回想される部分(ここはそもそも、とても不自然な接合のされ方に聴こえるように書かれているのだ)でのテンポの落差の作り方がうまい。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/01/17

    十数年前にNHK-FMで放送された、BBCウェールズ響を振ったこの版の演奏がとても良かったので、ひそかに期待していたディスクだが、期待以上の出来ばえ。ベルリン・フィルやウィーン・フィルの演奏は確かにそれなりの充実感があるが、これはいわば文学的な解釈を排して、音そのものをリアルに見つめた「裸形のクック版」といった印象。クック版自体がそもそも過剰に音を重ねることを避けて、完成している小譜表(パルティチェル)を必要最低限のオーケストレーションで演奏可能にすることを目指した版だから、その趣旨にふさわしい演奏と言える。どうもオーケストレーションが薄いという感じを抱きがちなクック版だが、この演奏では各声部のからみがしっかり表現されていて、あまり薄さを感じさせない。細部について触れると、両端楽章の遅い部分ではたっぷりしたテンポがとられているが、第1楽章でも第2主題などはかなり速く、コントラストがしっかりつけられている。快速テンポの両スケルツォに対し、間の第3楽章「プルガトリオ」は普通より遅いのも特色。終楽章での大太鼓の打撃は、ほとんどffで、第6交響曲のハンマーストローク並みに強烈だ。

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     2011/12/12

    豪華な装置を備えた大劇場での上演が見たい人は、こんなもの論外だろうし、逆にコンヴィチュニーの仕事に興味がある人は何をおいても買うだろうから、レビューしがいのない商品ではある。ある意味ではとてもリアルだが、究極のところオペラとは高度に様式化された、アンチリアルな芸術であることを良く心得た、いつもながらのコンヴィチュニー演出。だから、舞台上にあるのは椅子一つでも立派に『椿姫』が成り立つし、最終景で舞台に残るのはヴィオレッタ一人、他の面々は客席側に降りてしまう。興味深いのはコンヴィチュニー演出の定番だったパロディの要素がほとんど見当たらないこと。死期の迫った娼婦に不器用な眼鏡のオジサンが恋するという基本設定だけで十分笑えるので、それ以上の「ひねり」は不要ということだろう。『サロメ』のように元のストーリー、さらには音楽そのものと演出が致命的にすれ違ってしまうということもない。彼の手の内は先刻承知のつもりだが、それでも「ここは、こう来るか」と思わず唸らされるようなアイデアはまだ豊富で、特に多くの論者がこの曲のクライマックスだという第2幕のヴィオレッタと父ジェルモンの二重唱は秀逸だ。しかし全体としてはカーセン、デッカー、ムスバッハ、ペリーなどそれぞれ意匠を凝らした近年の各演出に比べて「格上」「別格」とまでは言えない。この版では第2幕第2場のジプシー女と闘牛士の合唱がないのは当然だろうが、どうも気になるのは細かく音楽を削った結果、逆に流れが悪くなってしまっていることだ(特に第3幕)。ペーターゼンは他にライマンの新作『メデア』初演の舞台しか見たことがないが、さすがの歌と演技力。救いがたいヘタレ男のアルフレードは完全に演出家の意図通りの演唱。指揮とオケにもっと表現意欲があれば、全体の印象も変わっただろうが、残念ながら手堅い出来にとどまる。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/24

    ティーレマンも得意にしている曲だが、世界初の市販映像、しかも次の録画がそう簡単に現われそうもない演目であることを考えると、ちょっと複雑な気持ちにならざるをえない映像。つまり、非常にポップでキッチュな舞台なのだ。もともと地味なオペラなのだから、面白く見せてやろうというサービス精神は分からぬでもないが、緑色の天使たち、赤紫色のキリスト像など、色使いが何とも奔放。宗教会議での大型リムジンの登場なども、違和感なしとは言えない。亡き妻ルクレツィアの亡霊の着ぐるみにも、思わず笑ってしまう。ヴェントリスは歌いっぷりからも非常に知的なテノールであることが分かるが、パルジファルといいパレストリーナといい、どうしてこんなに自分に合わない役ばかりを歌いたがるのだろうか。どう見ても、死期の迫った(この演出では実際、第3幕の終わりで死ぬことになる)老作曲家に見えないのは困る。シュトルックマン以下、宗教会議の出席者たちは皆、適役。二人のズボン役(前記の亡霊を除けば、このオペラには女性が一人も出てこない)も好演だし、ヤングの指揮は重厚な、堂々たるものだ。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/24

    幾つかのシュトラウス伝では、『ダフネ』や『カプリッチョ』以上に高く評価されているオペラだが、それを実感させるようなCDがまだなかった。しかし、この映像を見て私も納得。オペレッタ的(『美しきエレーヌ』風)な喜劇的シーンとシリアスな場面との配合も良く、音楽もまだ「だしがら」ではない。ハームズの演出が大変すばらしい。ダナエが金色の雨の夢を語るところでは、逆さ吊りにされたピアノ(ジャケ写真にも見える)からこのオペラの楽譜が降ってくるが、最後にダナエはこの楽譜(つまり霊感)をユピテルに返してしまう。作曲者がこの曲を最後の自作にしようとしていたことを踏まえた演出だ。ウールは声に関してはやや非力に感じるが、クリムト作の『ダナエ』(これもジャケ写真で上の端の方が見える)に似ているのは偶然としても、この役には合っている。クリンクもやや軽めのテノールだが、彼女の相手役としては悪くない。『影のない女』のカイコバートが最後まで舞台に出てこないのに対し、このオペラではもはや人間界に干渉できないことを悟った神ユピテル(=老シュトラウス)の諦念が色濃く描かれていて味わい深いが、デラヴァンのユピテルも好演。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/23

    ドニゼッティの師でもあったドイツ生まれのイタリア・オペラ作曲家、マイールの代表作の160年ぶりの蘇演。第1幕半ばで登場して以来、メディアが出ずっぱりのケルビーニ版に比べると、クロイサの婚約者のアテネの王子が登場する(つまり、ジャゾーネ/クロイサ組はダブル不倫ということになる)など人物が増えた分、ストーリー、音楽ともに散漫になった感は否めないが、殺人、強姦山盛りで相変わらずスキャンダラスなノイエンフェルス演出が飽かせずに見せてくれる。ノイエンフェルスはこれがミュンヒェン初登場らしいが、ライマンの新作オペラ同様、きわめてメディアに同情的な演出で、これを見ると、メディアよりもコリント人たちの方がよほど狂っていることが強く印象づけられる。ミヒャエルは彼女にとって初挑戦であろうベルカント唱法もうまくこなし、いつもながらのスタイルの良さと抜群の演技力で圧倒する。能天気なヴァルガスもジャゾーネの馬鹿さ加減に見事にはまっている。新鋭ツァラゴワも清純そうに見えて、実はしたたかな悪女という難しい役柄を好演。ボルトンの指揮は手堅いが、ケルビーニほど尖鋭な音楽ではないので、これはこれで正解。

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     2011/11/15

    『本当は怖いグリム童話』じゃないけど、メルヒェンの深層に潜む残酷さを余すところなく明るみに出してしまうクシェイの凄い演出。パリでのカーセン演出がほのめかしにとどめていたところを、すべて露骨に見せてしまうので、やりすぎという声もあろうが、方向としては全く徹底的で、迷いがない。もちろん舞台は現代で、水の精と魔女は監禁した少女たちに売春で稼がせているヒモ夫婦という設定。元の物語では、なぜルサルカが「湖の底」から人間世界に出ようとするのか、いまいち説得力がないが、この読み替えなら了解できるし、自らも夫の暴力の犠牲者である魔女が彼女を助けようとするのも当然。赤いハイヒールをはかされたルサルカのおぼつかない足どりは、まるで纏足された女性のようにエロティックだ。しかし、彼女を待っていたのは、女を狩りの獲物か人形ぐらいにしか思っていない恐ろしい人間の世界。花嫁衣装の女+男(!)達が皮をはがれた鹿を相手に踊る第2幕のポロネーズは強烈だ。フレミングのような意味では「美女」ではないかもしれないが、ドラマティックな力のある歌唱と迫真の演技でオポライスは存在感抜群。ここまで見せるかというセックス・シーンまでやらされている(だから全裸が出ないにも関わらず12禁だ)フォークト、クラステヴァも適役だし、とんでもない悪役でありながら優しい二面性も見せるクロイスベックもうまい。唯一のチェコ人であるハヌスの指揮は、もう少し劇的な起伏をつけても良いと思うが、細やかで綿密だ。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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