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タテキ32 さんのレビュー一覧 

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/02/13

    宇野氏の演奏に対するレビューを呼んでいて思わず笑ってしまった。思えば二,三十年前、あるレコード店で(CD店だったかも?)とてもけったな演奏(第九だったかどんな曲かは忘れたが)が鳴らされていて、その時、ひょっとして宇野功芳の指揮ではないかと、はたと思いいたり、店に聞いてみたら、そうだったので腹の中で笑えて仕方がなかった、その時のことが思い出されたのである。彼が好きなメンゲルベルグやフルベンを混ぜ合わせて、大きくずっこけたようなテンポやダイナミズムで音楽が進められ、さすがは?なるほど?宇野功芳と思ったものである。コロッケが有名演歌歌手を面白可笑しく滑稽にマネするのは笑え、それを彼は芸としてやっているのであろうが、この人は大まじめにずっこけていて、そこが面白い(ひょっとして、はじめから面白おかしくやろうとしている?)。この人、好き嫌いが激しいようで、好きな人は贔屓の引き倒しぐらいに褒める一方、意に沿わぬ人はぼろくそに言いがちなようだが、彼の一連の演奏はぼろくそに言った人への罪滅ぼしとお詫びか。また、世の中にはゲテモノが好きな人もあり、そういう人には答えられない演奏なんだろうね。そういうスキマの需要を狙った演奏? この演奏自体は聞いていないので、ここではどちらでもないという意味で星三つ。

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     2014/02/08

    このチャイコフスキー、初めて聞いた時、ぶったまげたものだ。それと共に、さすがはトスカニーニとホロビッツと感嘆もしたものでもある。この曲には、これ見よがしのオーバーな見得や身振りが紛々とした感じの演奏が多いのだが、トスカニーニはいきなり強いアクセントで直裁に冒頭主題を始めて激しく厳しくオーケストラを展開し、ホロビッツも一歩も譲らずに絶妙なピアニズムを駆使して音楽を力強くかつ繊細に展開する。だからといって技巧一辺倒、力のごり押しなどというのではなく、甘い安もののセンチメンタリズムなど無縁だが、強く熱い感情と硬質のリリシズムが最初から最後まで流れて来る。特に1楽章のコーダー、熱い熱い思いがシベリアの激しい猛吹雪に全滅覚悟で突進して行くかのような感じで終止される。私はまずこの部分に痺れてしまったのだ。そして以後、他のどんな演奏にも、そして如何に音の良い録音であっても物足りない人間となってしまった。音は大分改善されてきたが、まだまだ十分ではない。それでもこの演奏の魔力は絶大である。そして、もっと良い音にはできないかという思いはずっとある。このマスタリングのシリーズは幾つか聞いてみてそれなりに満足できたのであり、今回も大いに期待する次第である。それと、こういう超絶的名演が音質が劣るゆえに忘れられていくのは如何にも残念なので、投稿した次第でもある。皇帝の方も昔持っていたが手放してしまった。演奏は悪いとは思わなかったが、是非ともという感じでもなかった。音質が良くなれば、また違った感慨があるのではないかと期待している。彼の皇帝の演奏、我国では、テクニック一辺倒で曲の精神性の表現?が希薄であるというような評価も多いようである。しかし、その精神性とは何なのだろうか。ホロビッツの場合、そのすごいテクニックの向こうに有無を言わさぬ格別な感動の世界が現れてくることが多く、それはそれで立派な音楽的精神の発露であるはずである。音質改善でそういう感動が来ることを期待する次第。

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     2014/01/08

    20年ほどの昔、彼女のCDが1枚千円の廉価版として発売された時、そのシリーズの一つの「モーツアルト・アンコール」という小品集を購入した。さほど期待しなかったのだが、安いから駄目もとぐらいの気持ちだった。しかし、聞いてみてこの演奏の良さに大きく感動し、それでピアノ・ソナタも全部買い揃えた。これも正解であった。何といっても彼女のCDは名録音者によるステレオ録音で音も良く、また彼女の演奏自体、女性らしい繊細と伸びやかさでもって、率直に真っ直ぐモーツアルトの美しさが届いて来る感じがした。我国で絶対的な評価を得ていたギーゼキングのモノラル録音のモーツアルト・ピアノ曲全集を既に有していたが、それに対する関心は急速に減退し手放す結果となった。当時彼女は日本で忘れかけられていたような感じであり、そのせいか、当時のCD批評ではこのシリーズは演奏も録音もかなり貶されていたという印象がある。我国の批評家は海外の有名演奏家の演奏は褒めるが、日本人演奏家に対しては、何だかだ文句を付けて貶す傾向があった。深みがないとか、経験が足りない、等というわけである。本場?ブランドは褒めておけば無難、音楽途上国?の我国の演奏家に対しては欠点?を指摘しなければ、音楽批評家としての定見を疑われるとでもいう感じで、要するにかなりの偏見があったと思う。宮沢さんもそういう風潮の犠牲者であった。(モーツアルトのヴァイオリン・ソナタをナクソスで録音した西崎崇子さんの演奏も素晴らしいが完全に無視されており、やはりそういう犠牲者の一人であろう)。ただ、このXRCDシリーズ、あまりにも高価である。私の持っている廉価版シリーズ、ソナタの10番以降に関しては、低音部等が少しだぶついて重い感じがする場合があり、この辺をリマスタリングで改善し、もっと安い価格の盤を発売して欲しいものである。それと、その場合「モーツアルト・アンコール」集も是非とも入れておいて欲しいものである。

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  • 25人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/12/16

    オーマンディは響きは明るく華麗、しかし、精神的な深み?には無縁、だから通俗?名曲や協奏曲の伴奏等には良いが、精神性が問題となるようなドイツ音楽等には向いていない。それ故フルベンやカラヤン等に比べれば数段落ちる、強いて言えばラスベガスのショウの芸人の類でもであろうか。我国ではそんな風に言われることが多かった。しかし、音楽の精神性とは何なのか、小生、こういう問題に対してきちんと説明がなされた例を知らない。何か暗く重い感じで如何にも物思わしげ、悲しげ、激情的、苦悩している、といった印象の演奏が深く精神的だと言われてきたように思う。そして独逸墺太利系の演奏家なら本場の音楽精神の伝統?を踏まえているから?間違いなしというわけである。そういうように感じそういう演奏を好むとしても各人各様の好みや感じ方に文句をつける筋合いはない。しかし、それはあくまでも各人の主観に過ぎないのであって、その根拠も示さずにそういう主観でもって他のタイプの演奏を貶めたり断罪するのは言語同断であろう。我国では、そういう主観的な印象批評が当然の如くまかり通ってきた。その後遺症は未だに続いており、最近、ある音楽雑誌のオーマンディを取り上げた批評では、きれいだが深い感動に欠ける、といった類の言われ方が当然の如くされていた。度し難し。オーマンディの場合、彼の交響曲その他大曲の演奏は、音や響きが美しいのはいうまでもないのだが(彼にとってはそれは当然の前提条件であって最終目的地ではない)、旋律、リズム、ダイナミズム等、音楽のどの部分をとっても、奇を衒わずオーソドックスであり、テンポや響き等を誇張せずに音楽をして音楽の良さを語らしめているという印象がする。無闇矢鱈に暗くもなければ物思わしげでもない、しかし虚心坦懐に聞けば、言葉にはならない音楽の感動が心に迫って来る。これがどうして精神的な深みがないと言えようか。今回、悲愴交響曲では思いを新たにした。既に別途CDを持っていたのだが、この盤では音質がかなり向上したのであろうか、ものすごく鮮烈な響きがする。この鮮烈さのせいか、これまで聞いてきた、どの演奏よりも激しく迫ってくる感じがした。明るくてノーテンキな演奏等というのはとんでもない。殊更重苦しくもなければ暗くもないけれども美しく鮮烈な音楽が激しく迫って来る。こういう印象は彼のブラームスでもあった。余計な思い入れなしに、濁らない美しい音で曲の持つ感動を真っ直ぐに味わいたいという時にはオーマンディは誠に結構である。ただ今回ちょっと違った印象もあった。オーマンディは通俗?名曲なら文句なく良い、というのが世間の相場だが、このシリーズで聞くと、むしろそういう通俗?名曲の方が雑ではないかという印象があった。音は明るく綺麗、音の華麗さにかまけて大味、あるいは味付け幾分過多、といった印象の曲もあったと感じた。むしろ、オーマンディは本格的な?曲にこそ真骨頂があると感じた次第。

    25人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/10/19

    この演奏はスメターチエックと組んだものに比べ、もっともっと流麗で軽やかな感じ。これも革命、英雄、ナポレオン、精神などというような言葉に関係なく、音楽そのものが滑らか、かつしなやかな力で聞くものを引き付け運んで行ってくれる感じがする。スメターチエックと組んだものはどちらかというと全体に力強さが前面に出てくる感じで、これはこれでまた違った味わい。ミケランジェリの皇帝はこの2種は是非とも揃えたい。それと対極的な演奏のグールドもあれば、私はそれで十分。

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     2013/10/17

    快速快演!冒頭のオーケストラの強奏に続いて、早いテンポでピアノが走り出し、一気呵成に突き進む。革命も運命も歴史も、皇帝も英雄もナポレオンも、理念も精神性も、そういった言葉で語られるもの、この国の音楽批評では、それらはいい加減な主観的な思い入れ、思いつきの表現でしかない場合が多いのだが、そういうものとは一切関係もなく、ただひたすら音楽が疾駆し、音楽のドラマが一瞬たりとも弛緩することなく力強く、それでいて流麗に奏でられる。ドラマといっても文学や演劇などに引き写して語り得るようなドラマではない、音楽のドラマ、物語としか言いようのないものである。ミケランジェリは早いテンポと明確で強い硬質なタッチの音楽を進めていく。速くても音がダンゴになることもなく、歌うところは美しく明晰に歌われるが情調や感情に溺れるような素振は微塵もない。音楽以外何ものもない?とでも言うべき演奏、そういうものとしては完璧な演奏?。この演奏は別に持っていたが、音質、とくにスメタナーチェクのオーケストラの音が良くなかった。SACD化された段階で大幅な音質改善がなされ、非常に満足できるものとなった。温質改善という点では32番のソナタも非常に良くなった。ミケランジェリのこの曲の演奏は高い評価がなされていたが、音質のせいでしっくりこなかったが、この盤で納得できた。私には、この協奏曲は、この演奏とは対極にあるグールド〜ストコフスキー、それにこの演奏をもっと流麗にしたミケランジェリ〜チエリビダッケ、のこの3枚で打ち止めである。

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  • 16人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/09/25

    伝統にぬくぬくと安住し、何の個性的な主張の見られない演奏、伝統の古色蒼然たる響きのみ?が意味ある演奏、そういうマイナーな変り物としてコレクションの片隅に加えていても良いかもしれない、コンヴィチュニーの演奏はそんな風に言われてきたように思う。しかし、彼の演奏を聞くのは何十年ぶりかのことだが、驚いた。ダルでかび臭いなんて印象はまったくない。重厚だが鈍重に引き摺るような感じもしない。細部までしっかり堂々として歌われ、響きは華やかではないが明晰で、何の衒いもなく音楽が進められている。最近、クリップス、ラインスドルフやオーマンディ等の復刻CDを聞くと、我国のレコードやCDの音楽批評がいかにひどく害悪を流していたことかといたく感じいる次第。彼らのようにどちらかというと職人肌で、音楽を真っ直ぐ率直に整然と表現しょうとする音楽家は、音楽に深さがないとか、表面的で通り一遍だとかいったように軽く貶められてきたように思う。そして、フルベンとかカラヤンのようにテンポやダイナミズム、響き等々を誇張?するような音楽家が誉められもてはやされてきたような印象が私には強く残っている。しかし最近、プロとしての能力を持った音楽家が真摯に音楽を表現しょうとしている演奏なら、こちらが偏見をもたずに率直に聞けば、有名音楽家でなくても音楽の良さは十分に感じ取れるものだと強く思い知るようになった。それはそうとしても、このコンヴィチュニーのベートヴェンはそれ以上のものであった。

    16人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/08/02

    70年くらい前の古い録音だが、これに比べれば、以後の他の演奏の多くは物足りないことが多い。この曲の魅力に目覚めたのはフルベンのベルリンフィルとの演奏、当時は夢中になって聞いたものである。しかし今ではむやみやたらにテンポや強弱を動かす彼の演奏、うざいとしか感じない次第。トスカニーニ〜フィラデルフィアのこの演奏、テンポは早過ぎることも遅過ぎることもなく、青春の憧憬と希望を呈するかのような歌が瑞々しく流れて行く。特に1楽章の導入部から第1主題に移行していく部分、ピチカットの確かな足取りに乗って、朝露を含んだ爽快な一陣の風が野原を駆け抜けていくかのように音楽は進み盛り上がっていく、この部分は他の如何なる演奏も物足らない。古い録音でありながら音楽の瑞々しさは十分に感じることはできる。オ−マンディのフィラデルフィアの演奏は響きの美しさで一世を風靡したものだが、フィラデルフィアの演奏で最高峰とするならやはりこの録音ではないか。後年のNBCとの録音、低音部がダルで膨らみすぎており、フィラデルフィアの味わいには及ばない。テンポもリズムも歌もフィラデルフィアのような爽快さに欠けダルな感じ。欲を言えばきりはないが、最新の技術でもっと良い音にできないものであろうか。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/07/15

    オーマンディは音が派手できれいだけど音楽の精神性や情感性に対す配慮に欠ける、そういうものが重要な?独逸の古典派やロマン派の音楽等では表面的には音がきれいでゴジャース、しかし心象的にはあっけらかんとして能天気、それ以外の印象は殆ど何も残らない、極端に言えばこんな酷い評価が我国ではまかり通っていたように思う。しかし、彼の演奏を先入観なく虚心坦懐に聴けば、そういう評価が如何に的外れであるかがわかるはず。鳴るべき所は正攻法で堂々と鳴り、歌うべきところは変な節回しなどせずに真っ直ぐ朗々と歌い上げる、殊更の誇張や強調もせず、音楽は濁りなく隅々まで奏でられる。私には、余計なことを言うな、美しい響きの中で音楽そのものが語る所はちゃんと語っているはずだ、そんな風に聞こえる。このブラームスもその通りの演奏で素晴らしい。特に4番、私が聞いてきた中では一番美しいと思う。美しい響きは決して明るくきれいなだけではない、明るく美しい晩秋の紅葉の中を万感の思いを胸に逍遥する晩年のブラームスの姿を見るかのような印象を受ける。このブラームス以外の作曲家のものもどんどん再発して欲しいものである。それも出来る限り高音質化して、それも出来れば、XRCDやSACD等でも発売してほしいものだ。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/07/02

    色々な人のワルターに対する賛美の言葉があるのに、今更という気もするが、一言。今から何十年かまえ、ワルターのステレオが出て初めてそれに接した時、なんて壮麗で美しいと驚いたものです。そして、演奏もゆったりとして悠々迫らざるものになっていました。私は素晴らしいと思いましたが、当時、その壮麗な音や急がないテンポ、激しさを必要以上に強調しない演奏の仕方、等を巡って、外面的である、ぬるま湯的だ、ワルターは堕落した、等々の否定的評価が結構あったものです。そして、ベートヴェンの奇数番の交響曲のような激しい曲に対するワルターの演奏は2番手の演奏、口直し、気分転換のためには揃えておいても良いかもしれない、というような失礼な評価が結構ありました。そういう評者は得てして、ニューヨークフィル時代や戦前のウィーン時代こそ本物のワルターだというような言い方をしたものです。しかし、私はコロンビア交響楽団のステレオ時代になってワルターは新しい境地に達したように感じたものです。仇敵フルベンは遠くナチス時代の悪夢もやっと去り、何かと気にかかる盟友トスカニーニも亡くなって、誰にも気兼ね?することなく思うところをなす、まさに思うところをなして範を外さず、という感じになったのでしょうか。激しい曲もその激しさを強調するのではなく、その大きさや希望を大きな包容力で包んで歌いあげ、ブラームスやモーッアルトではやがて後にするこの世界に対する限りない賛美と愛惜の思いを語るかのように歌う。これらは私には他の誰からも聞けないものです。初め、トスカニーニはワルターのモーッアルトは砂糖水のように甘いと言っていたのが、後には自分よりワルターの方が良いと言ったそうです。ハフナーの2楽章、美しい女性が美しい絨毯の上を長い裳裾の衣擦れの音を美しく引きずりながら通り過ぎて行く、そういう情景が思い浮かんで来ます。それにしてもワルターの気に食わないところ、こんなに美しいのにことごとく反復を省いているということです。めんめんと反復しておいてほしかったものです。それとソニーの対応の悪さ、コロンビアのソフトを沢山抱えながら、配下のアーテストに対する扱いは冷たいように思ったものです。ワルターはまだしも、オーマンディやラインスドルフその他に対する扱いは酷かったと思う。それとこの会社、音響、音楽の会社でありながら、クラシックソフトの音質は必ずしも満足できるものではないことが多かった。彼のモーッアルトの初めの頃のCD、何か音がぶよぶよしていて不満だったが、他になかったから仕方なく我慢していた。こういうわけで、出来るなら、コロンビアも日本コロンビア〜デノンが承継して欲しかった。こう思うのは私だけでしょうか。

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     2013/07/01

    ズッカーマンのような、ハイフェッツやオイストラッフ等の名人以降の世代の演奏家、それも特に欧露以外の地域にキャリアや活動の基盤を置いた若手であった?演奏家(米国系の演奏家?)は我国では技巧に秀でているが精神性?や味わい?に薄い、音がきれいなのが、あたかもそれだけが取りえであるかのような酷い評価をされがちであったように思う。常々そういう風潮に鼻持ちならない思いがあった私、彼のベートヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集、レビュー欄のコメントを呼んで興味を持ち買って見たが正解であった。そこで、このモーッアルトにも興味がわき買って見たがこれも大正解であった。スマートでオーソドックス、あっさりしているかのような印象があるが、過不足なく音楽に浸ることが出来る。このナイクルグというピアニスト、どういう人なのか、そのサポート、出すぎも退きすぎもせず見事である。モーッアルトのヴァイオリン・ソナタ、初めはバリリに挽かれて聞き始めたものだが、ところが彼独特の魅力ある歌いまわしが花につくようになり、幾分遍歴して西崎崇子、ヤンドーのコンビに落ち着いたのであるが、そこにこのコンビが愛聴盤に加わることになった次第。ゴールドベルクとルプーのコンビのものも良いが、しばしばルプーが弾きすぎる気がする。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/07/01

    ズッカーマンのような、ハイフェッツやオイストラッフ等の名人以降の世代の演奏家、それも特に欧露以外の地域にキャリアや活動の基盤を置いた若手であった?演奏家(米国系の演奏家?)は我国では技巧に秀でているが精神性?や味わい?に薄い、音がきれいなのが、あたかもそれだけが取りえであるかのような酷い評価をされがちであったように思う。常々そういう風潮に鼻持ちならない思いがあった私、この全集、レビュー欄のコメントを呼んで興味を持ち買って見たが正解であった。ハイフェッツやオイストラッフその他の名人の個性(癖?)の強い演奏に比べるとスマートでオーソドックス、あっさりしているかのような印象があるが、過不足なく音楽が流れている。先入観を捨て虚心坦懐に聞けば、クロイツェルソナタ等にまつわる文学や哲学もどきの妄想など関係なく音楽に浸ることが出来る。それにしても、このナイクルグというピアニスト、どういう人なのか、器楽ソナタは伴奏?ピアニストが出すぎても退きすぎてもいけないが、ナイクルグのサポートは見事である。このコンビ、この全集に気をよくしてモーッアルトも買ってみたがこれも正解であった。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/05/11

    多くの人がコメントしているので今更と言う感じではあるが、やはり一言なり二言なりコメントしたい。、独特の強い音楽的な響きやダイナミズムを生み出し、それによって音楽の持つ熱さ、エネルギーをまっしぐらに追求したトスカニーニの演奏は他に類似物を求め得ない貴重なものである。このような音と演奏は今後現れることがあるとも思われない。ある意味では貴重な歴史遺産でもあろう(フルベンが歴史遺産という意見もあるようだが私には論外のこと)。その業績がこのような形で纏められたことは非常に嬉しい。トスカニーニの演奏は思わせぶりな所がなく直裁でありマッチョ的な決断力や意志力を思わせるものでもある。それゆえに人によってはきつく感じられ嫌われることもあるが、そういう人はフルベンやカラヤン、ベーム等にでも任せておけばよい。誠に結構な企画であったが、気がかりはこんなに安くて良いのかということ。それともう一つ、音質のこと。最新のマスタリングのものを集めてあるということであり、それはそれなりに評価できるが、ここでのXRCD音源のものの音質は、やはり本来のXRCDの盤のものに比べれば、やはり落ちると言わざるを得ない。本来のXRCD番は高いが、やはり、単なるマスタリングではなくて、初めから最後まで入念に手を入れているだけのことはある。この全集のXRCD番の価値は本来のものに比すれば半減すると言わざるを得ない。願わくば、一応の集大成廉価版が出たのだから、今後はXRCD化してないものはXRCD化し、既存のXRCD盤はSACD化するとかハイレゾ化するなどの方向でより以上の高音質化を図り、それと共にSP時代の音源等の高音質化にも取り組んでほしいものである。黒澤映画のデジタル化では手作業で情報の歪みや欠落を直していたが、そういうようなことをすれば戦前のザルツブルグ音楽祭の記録などもっと聞きやすくなるのではないか。どれぐらいの費用になるのか。今こんなに安く売っていては、そういうことにまで費用を掛けてはということになりはしないか、それが心配である。そういうものができるなら、2500円ぐらいまでの値段(出来れば2000円)にしてほしいものである。以上は適わぬ望みであろうか。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/04/27

    ハイフェッツ、ピアティゴルスキー、プリムローズの3名人が組んだこれらの室内楽の演奏は他のものとは一線を画した隔絶した世界を見せてくれる。ハイフェッツがその強力なテクニック駆使し早いテンポで彼独特の歌をぐいぐい弾いて行き、他のメンバーはそれを強力に推し進めて行く。ハイフェッツだけが前面の出ているように見えるが、他のメンバーも完全に音楽に嵌った感じで完璧なアンサンブルのもと一体となって燃え上がり激走する。我国ではこういう演奏、何か早いテンポとか技巧の凄さが目に付く演奏、メロディやリズムが明確に表現される傾向のある演奏、こういった演奏は碌な評価を受けないことが多い。そしてドイツ・オーストリア系でない奏者でそういう演奏をする者は得てしてそういう評価を受け勝ちである。室内楽は特にそういう傾向が強い。室内楽の分野でのそういう演奏は、曰く、技巧や音ばかり磨かれて、曲の深い精神性が無視されている、優雅な面が軽んじられている、等というわけである。我国では如何にも物思わしげな暗さや重さといった印象がある演奏が大した根拠もなく正当的だと言われる傾向がある。確かに従来の他の演奏に慣れ親しんだ者には彼らの演奏には違和感はあるだろう。例えばモーッアルトのk516のクインテット、悲しみが疾駆するなんて段階ではなく、悲しみが激走する、掻きむしる、といった感じである。しかし、荒っぽい雑な演奏ではない、一見技巧優先で細かな情感が無視されているかのような印象を受けるかもしれない。しかし早いテンポで明確な流れで進められるが、歌や情感は殊更誇張されることはないけれどもさり気無くしっかり歌われていく。聞き終わってみるとこれまでの演奏に見られなかったモーッアルトの激しさ、この曲に秘められた悲哀観の強さに思い知らされる。ハイフエッツ独奏の完璧なメロディで始まる4楽章、これに慣れると他の演奏はかったるい感じがするようになるかもしれない。そしてメンデルゾーンの八重奏曲、この曲のこれくらい完璧な演奏はないのではないか。ハイフェッツが中心となる明確で弛みの一切ないメロディの流れ、それに寄り添い盛り上げる他の奏者の歌、随所で音楽は奔流となって激走する。特に1楽章のコーダー、正に典型的なハイフエッツ節が奏でられ、それに導かれて全奏者が全力でなだれ込んで来て何度も激しく音楽が爆発炸裂し終結する。これに関してはトスカニーニの演奏もお呼びではない。この演奏を知らずしてこの曲を語るのはもぐりです。
     とにかくこの演奏シリーズは必ずしも誰でもがなじめるものではないでしょう。しかし、名人が3人集まって完璧テクニッ追求の果てに現れる別世界、これらはおいそれと得られるものではありません。私はこのような演奏を残してくれた彼らに感謝しています。

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     2012/02/27

     素晴らしい! 何故、これまで、この演奏が注目されて来なかったのだろうか。トスカニーニのアシスタントを務めたことがあるとのことだが、トスカニーニ的な印象も感じさせられる演奏だと思う。概してテンポも速い方だし、アタックもそれなりに強く、前進的で整然とした音楽を進めているように思う。音楽の基調には重厚な響きが流れている。だからといってダルな重苦しさはさらさらなく響きにも濁りは見られない。明晰にして明確、軽からず明る過ぎず、鳴るべきところは隅々までしっかり鳴り響く。トスカニーニのような歌い方ではないが、歌うべきところもしっかり歌っている。トスカニーニ同様、オペラを得意とした人なればこそか。トスカニーニの音楽の直裁的な激しさと熱さからきつさを幾分取り除き、濃い陰影を伴ったの鮮やかな色合いを重厚な基調の上に塗り重ね、流麗にして強靭な音楽を作って行く。そんな感じがする。ボストンは前任者ミンシュよりもニューアンス豊かに鳴っているように思える。
     我国の演奏批評界では、ドイツ系の演奏家は本場に育ち音楽の本質や深い精神性を志向している、それに対し、伝統が浅い?アメリカ系の演奏家の音楽は沢山のお金を掛けて音を磨き技術も高いが、力ずくの中身の薄い音楽となっている、そんなような言われ方をされることが多かったが、このような感じられ方は今でも底流に流れているように思う。そしてもう一つ、個性やあくの強いスター的演奏家、それも特にドイツ系の演奏家は概ね好意的評価がされるのに対し、しっかりと音楽の響きを整え正攻法でてらいなく音楽を追求する職人肌の演奏家は月並みだとか、音楽の深いところに手が届いていない、などと軽んじられることが多かったように思う。これらの点でフルベンやカラヤン等に比べ、このラインスドルフやオーマンデなどは酷いことを言われてきたものであった。形や色はきれいだが通り一遍だ、深く訴えるものない、等々、ラインスドルフは手堅いだけがとりえの感動の薄い凡俗音楽家、伴奏やスケジュールの穴埋めでもやっておれば良い、オーマンディときたら派手に塗りたくった大道芸人、等といった感じの言われ方が往々にしてされて来た。(彼らを初めとしてアメリカで活躍した演奏家の多くはハプスブルグ〜東欧に生まれ、そこで音楽修行をしてきたのにも関わらず、本場でないアメリカの音楽家として貶めて言われてしまうことが多かったのである。おかしな話)。しかし、このラインスドルフのベートーヴェン、最近CD復刻されたオーマンディのブラームス、音楽をてらいなくまっすぐ伝えようとする彼らの演奏に深く感じいった次第。彼等に比べれば、フルベンもカラヤンも音楽を捏ね回し過ぎだと言わざる得ない。臭い芝居を打つ大道芸人は彼らの方なのだ。ラインスドルフは随分昔に聞き、印象がもう一つだったので忘れていたのだが、最近、彼のCDを時たま聞く機会があり、大いにその良さに目覚めるようになった。
     それにしても、ソニーのリマスタリング、何時もどこか音がもう一つなところが残る。いつも弦の合奏部分がかさかさしている。このマスターシリーズのかなりはそうなのではないか。それとこの会社、音楽好きの経営者がいたにもかかわらず、旧コロンビアから引き継いだラインスドルフ、オーマンディその他のアーティストのソフトを多く抱えながら、カラヤンなどに色目を使い、自社アーティストのCD復刻にはかなり消極的だったように思う。ラインスドルフにしてもオーマンディにしても、そして、ワルター、セル、カサドシュ等々、XRCD杉本氏グループにでも頼んで、もっと音の良いリマスター版をどんどん出して欲しいものだ(XRCD版とその技術を活用した廉価版の2種類を?)。

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