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slave さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/11/24

    トスカニーニの演奏は、本来はオペラ指揮者の流儀のものと思います。メロディーを柔軟に謳い、音量の増減、テクスチュアの粗密とテンポの変化を有機的に組み合わせて、伸縮自在な演奏をきかせます。しかし40年代のトスカニーニは、この変幻自在さを抑制し、極力少ない変化で一貫した演奏を行おうとしたように思います。それはおそらく、編集可能な録音に意識が向かったことと関係が深いでしょう。異なる機会の演奏で録った録音素材を編集してレコードを出し、そのレコードの気に入らない箇所を修正することに意を払った結果、所謂「即物的」な演奏な流儀に陥ったように感じます。この演奏でも、自然なテンポの伸縮と謳いまわしを意識的に、一定の拍の中に収めようとする意識が明瞭に覗えます。このような演奏流儀の変化を、「トスカニーニの老化によるリズム感の硬直」と考える人もおられるようですが、そうではないと思います。テープ録音が、トスカニーニをインテンポの指揮者にしたのだと思います。このブラームスは、そうしたトスカニーニの苦闘がはっきりと聞き取れますが、私は30年代などの自由自在な流儀のトスカニーニの方が好きですし、このトスカニーニの変化を十分に理解していない現代の指揮者が、下手なインテンポの演奏を繰り広げるのは、辟易します。尚、私には、トスカニーニはイタリアの指揮者として馴染みの薄いドイツ音楽を演奏する際に、オペラ的に演奏するという、当時では全く斬新な、ドイツの演奏伝統に縛られない演奏の切り口を見出したことこそが、演奏史上の最大の功績であるように思っております。たまたまインテンポになったことで、フルトヴェングラーとトスカニーニという分かりやすいマスコミの図式になったことはレコード会社の商売のためであって、トスカニーニという指揮者の過渡的な一面でしかないと思います。

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     2015/10/31

    ブーレーズを「冷たい」とか「冷徹」「鋭利」「透徹」というような単語で見ていた私には、長らく、ブーレーズという音楽家が理解できませんでした。しかし、ブーレーズは、単に、完璧な音楽家なだけだと気が付きました。彼は、作曲家の工夫や曲のなりたちのすばらしさや面白さを、パズルや手品の種明かしをしてみせるような、そしてその態度が単に、淡々と、味わい深く、行われているだけであると気が付きました。結局、彼の録音はほとんど全て入手して片端から聴いていますが、面白いです。曲の面白さが実によくわかります。聴いた後に、カタルシスもなければ、興奮もない。単に、純粋な美しさが分かるだけ。彼のドビュッシーの「海」はガス抜きのエヴィアンのような美しさです。グラン・パルティータという曲を、私は今まで退屈を感じずに聴いたことがありませんでしたが、この演奏は素晴らしいです。私には、作曲家が直接語り掛けてくるような、そのような不思議な感じを持ちました。ブーレーズには、モーツァルトやバッハ、あるいはハイドンなどに取り組んでおいて欲しかったと痛感しています。彼の現役時代をずっと見て来たのですが、奇妙な評論家のいい加減な評言に惑わされたため、彼の真価になかなか気が付けなかった自分の浅はかさを恥じずにはおられません。(☆が1つ足りないのは、ピアニストが嫌いだからです、尚、ライナーは読んでおりません)

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     2015/10/30

    マルケヴィチのファンであれば、買っておくべき凄い演奏だと思います。客演で、これだけ徹底した演奏になるのも凄いことです。特に、ベートーヴェンは、まるで自作であるかのように徹底して厳しく演奏しています。マルケヴィチの演奏でも5指に入るでしょう。

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     2015/09/22

     この版はヌレエフ版です。バレエ・ファンであれば、「あなたはヌレエフを見たことがあるか?」と質問された経験があるでしょう。「ない」と答えれば、相手から「あなたはバレエについて何も知らないのですね」という返事を受け取ることになります。たとえ、どれほど、バレエを観ていたとしても。
     「白鳥の湖」の現代における上演は、「ヌレエフ以前と以後」に分かれます。この版では、主人公は王子であり、全ては王子の幻想として一貫して扱われます。この解釈により、ヌレエフは、散漫で支離滅裂な物語に、ドラマ性と一貫した論理性を構築することに成功しています。
     この解釈は、プティパ=イワノフ版の王子の扱いが、どうしてあのようであったのかという歴史的な経緯を踏まえて生まれたものであり、こうした考証の点でもヌレエフの博識ぶりがうかがえます。
    このドラマ性と原典に従った人物像の解釈に加え、ヌレエフの演技者としてのたぐいまれな資質を見ることができるのも、このDVDの大きい魅力です。マーゴ・フォンテーンの自伝には、次のようなことが書かれています。「ヌレエフは、舞台上で腕を伸ばすだけで白鳥を描き出すことができるのよ!と友人に言われたが、私は信じることができなかった。しかし、その友人の言葉は事実だった」。
    この版以上に悲劇的な「白鳥の湖」を私は見たことがありません。結末は原典通り、悲劇的な幕切れになっています。この最後の短い幕切れこそ、「あなたは、ヌレエフを見たことがあるか」という質問に対する答えになるでしょう。このDVDはヌレエフを見るためだけにあると言って良いでしょう。

    付言すれば、マーゴはヌレエフと出会うまで、第3幕のフェッテができなかったので、この演目を長らくレパートリーから外していました。ヌレエフは、マーゴをみて、「右手が後ろに行きすぎる」という1言のアドバイスを与えただけで、マーゴにあのフェッテができるようにしてしまったと自伝に書かれています。このDVDはヌレエフの技術的な正確さについても、見る眼があれば、分かると思います。ヌレエフはダンサーとしては晩学なので、技術的には不正確であるように思われていますが、見る眼があれば、ヌレエフが極めて正確なダンサーであり、多くのダンサーはそうでないことが分かるでしょう。「アントルシャとはこうでなくてはならない」「ブーレというものはこうでなくては」「シャッセのつもりなら、こうなってなくてはいけない」というヌレエフの声が聴こえるようです。この点が、ヌレエフ治下のオペラ座に暮らしたダンサーが、「ヌレエフは違った」ということの意味です。

    早く、デジタル処理をして、綺麗な画像をブルーレイで出して頂きたいと思います。

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     2015/09/01

    アルヴィド・ヤンソンスは1984年11月21日に客演先のマンチェスターでハレ管弦楽団の演奏会の直後に心臓発作のため倒れ、死去しています。この演奏は、その約1ヶ月前の演奏の記録です。演奏会は夜8時からで、前プロはショスタコーヴィチの交響曲第5番、後プロはブラームスの交響曲第4番です。再建されたシャウシュピール・ハウスのこけら落とし公演で、元々予定されていた指揮者アレクサンドル・ドミトリエフの代演です。このブラームスは素晴らしい演奏ですが、よく聴くとヤンソンスが疲れているのか、途中で集中力が途切れている箇所があります。おそらく体調が悪かったのに無理をしたのではないでしょうか。
    ヤンソンスのような優れた演奏会の記録が公開されないままになっていることは、本当に惜しいことだと思います。是非、これからも定期的に公開していって頂きたいと思います。

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     2014/10/27

    ソコロフは、録音が嫌いな演奏家らしい。発売されているCDの多くはライヴ録音で、条件は良くないが、演奏は良い。ゴールドベルクは、熊本マリとソコロフの2人が良い。全社はチェンバロ的でグールドを思わせ、後者はピアノ的でリヒテルを思わせる。ソコロフの録音は、きちんとした録音であれば、もう少し落ち着いて聴けるだろうと思うところがやや勿体ない感じがする。良いところは、とにかく独立した声がお互いに歌うところ。メロディーと伴奏ではなく、メロディーとメロディーが歌い会う演奏になっている点が良い。やや不満なところは会場でくしゃみや席が聞こえるところ。この曲は落ち着いて聴きたい。また、音量上の設計は、おそらく大きいホールでの演奏なのだろう、そういう弾き方になっている。そしてライヴなのでマイクの設置に制限があるのだろう、ホールの空間感や楽器の音色など多くの点では、もどかしさを感じることがある。でも演奏は素晴らしいので、この曲に興味がある方は、必ず一度はお聴きになって損はないと思います。

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     2014/03/21

    このCDは、演奏会場の音を十分に良く捉えています。小さい会場なのでしょう、ペダルの使用を抑制して演奏されています。2000人も入るような大きい演奏会場で、ペダルを多用した演奏を期待しているとがっかりするかもしれませんが、室内楽などのための200ー300人程度のホールで演奏するとこういう感じになります。本来、リスト以外の多くの作曲家は、このような小さい規模の演奏会場のために曲を作っていたのですから、自然な音響であると言ってもよいと思います。テープのヒスは多いのですが、これを気にしない聴き方ができるのであれば、当盤は、音質も演奏内容も、大変に良いものです。大会場での緊張感溢れるミケランジェリの演奏を期待する方からは期待外れと言われるかと思いますが、彼本来の「イタリアの片田舎での大旦那様が地元の人に音楽を聴かせる」というような素朴な味わいが、このCDからは感じられます。聴衆や主催者との信頼関係が演奏内容に良い影響を与えているような気配が感じ取れる貴重な記録です。このCDのマスターの作成は、過度なノイズ除去を行なわなかったという点で大変に良心的且つ音楽的であると思います。この音源は、想像をたくましくすると、恐らく主催者が吊りマイクで収録したか、演奏家に頼み込んで記念として収録したものではないかと思います。聴き方にもよりますが、通常の放送録音のような加工がされていないだけに、素直に味わえる録音になっていると思います。マスターで過度な加工を行なわなかったことは好判断と思います。

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     2012/10/30

    セッションでの全テイクをボックスにして発売するというやり方が良いのではないかと思います。断片や部分テイクも含めて、リスナーが、グールドの2るの録音セッションを見学するという趣向です。これの売れ行きがよければ、発売対象となる音源が飛躍的に増えるので、ソニーとしては良いことではないでしょうか。
    このボックスは、1枚を除き全部持っているので、ちょっと考えてしまいます。

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     2010/10/03

    ミトロプロスの指揮が、雄渾で劇的。2010年に同じレーベルから、ミトロプロスの指揮する同曲がKirsten,Fernandi他による1960年4月16日のライヴ(ARCHPEL WLCD 0297)が出ていることを山崎浩太郎氏のはんぶるオンラインでしり、入手しました。

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     2010/09/04

    私が所有しているのはEMI REFERENCEシリーズのCDです。ディーリアスについてのフェンビー著の伝記の一節に、ディーリアスが来訪してきたエルガーとの面談の様子が記されています。ディーリアスは、フランスのグレにわざわざ来訪してくれたエルガーに、もう少し滞在して行くように言いますが、エルガーはそれを謝して断ります。「メニューヒンという少年と自作の協奏曲を録音することになっているので」と。そのウキウキとした様子が、そのまま録音されています。作曲者自身の指揮であり、超絶的な天才性を新星のように輝かせる、メニューヒンの不滅の録音です。エルガーの曲が理解できないという方には最高の録音であると思います。

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     2010/09/04

    オジェーの正確で清潔な歌声。音程感も良く、とにかくオジェーの良さがたっぷりと味わえる一枚。オジェーが好きな方にも、ソプラノが嫌いな方にもお勧めできる。
    もっとオジェーのCDは沢山出されても良いと思うのだが。。

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     2010/05/02

    ブリテンのモーツァルトへの愛情がひたひたと伝わる演奏。ブリテンの生涯を考え合わせると感慨深い。録音は強奏の部分で若干びり付くのが勿体無い。それでも、この録音が残されたことと公開されたことの意義は大きい。ブリテンのそのほかの演奏も録音で聴いてみたい。

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     2010/03/28

    録音には若干の傷があるが、全ての「春の祭典」の中で、筆頭に挙げて良い演奏だと思う。この曲が本来持っていた衝撃を見事に再現している。ディアギレフに見出され、自らもストラヴィンスキーの後継者たるべき作曲家としてキャリアをスタートさせたマルケヴィチでなくては成し遂げられない記念碑的な演奏だと思う。荒々しいが、粗雑ではない。激越であるが、曲に注がれる眼差しは冷徹である。流石、カエターニの父だと、今更ながらに心を掴まれた。録音はピークで潰れるが、それ以外は、楽器のバランスも音色も悪くない。オーケストラもよく弾いている。必ずしも録音に恵まれたとは言えない鬼才の忘れえぬ記録。

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     2010/03/23

    この盤は、既出のEMI盤とは音源が異なっているということらしいです。伝聞によれば、既出のEMI盤はリハーサルの録音を編集したもので、こちら(イタリアURANIA盤)は、本番のライヴ録音であるということです。

    情報のみの記述ですので、評価はありません(一応、中立的になるように「3」と致しました)

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     2010/03/21

    斎藤の晩年の演奏。彼のモーツァルトの素晴らしいこと。特に39番は、色々と聴いてきたが、これほど納得のできる演奏には出会えなかった。きびきびとしたリズムに、自在なフレーズ。どうしてこの師から教えを受けて、小澤があのようなモーツァルトを演奏してしまうのかが、理解できなくなった。


    モダンなオケで、客観的な解釈を基礎にした上で、上品なロマンが漂う名演奏である。

    世界のどこに出しても恥ずかしくない演奏で、演奏直後に観客が歓声を上げているのも頷ける。

    また、この演奏会では、協奏曲にかつての弟子がソリストとして参加している。よい意味での共通言語に基づく違和感のないアンサンブルで、これも曲趣に最適な雰囲気である。

    斎藤の活躍は、こうした優れた、また人間的にも優れた弟子があってこそであることがよく分かる。ファゴットの浅野は一文を寄せているが、元々フルートを演奏していたところを、斎藤の一声でファゴットに転向させられたのだそうだ。桐朋オケにファゴットが欲しかったのだろう。そうした事情を知りながらも、斎藤の暖かい人柄を描く、浅野のような弟子があっての斎藤であったことが分かるだけでも貴重なCD。

    創設期の新日フィルも優秀。

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