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Review List of つよしくん 

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  • 4 people agree with this review
     2012/08/04

    本盤におさめられたブルックナーの交響曲第8番は、85歳となった現代を代表する巨匠指揮者であるブロムシュテットが、長年にわたってつとめてきたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマスターを退任するに当たって行われた記念碑的なコンサートのライヴ録音である。ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団という稀代の名コンビは、様々な名演を成し遂げてきたが、何と言ってもそのレパートリーの中心にあったのは、ブロムシュテットが最も得意とする独墺系の音楽、中でもブルックナーの交響曲であったことは論を待たないところだ。既に、このコンビは、英デッカに第9番をスタジオ録音(1995年)しているし、1998年には第3番を録音している。そして、今般の2005年の第8番のライヴ録音であるが、本演奏があまりにも素晴らしいものであったせいか、その後、このコンビによるブルックナーの交響曲チクルスが開始され、2011年のライヴ録音である第1番の登場により、既に第7弾を数えているところだ。このように、本演奏は、退任コンサートにとどまらず、このコンビの新たな出発点にもなった演奏とも言えるが、それだけにその演奏の質の高さは尋常ならざるものがあると言える。このような名演奏を聴いていると、ヴァントや朝比奈なき現在においては、ブロムシュテットこそは、スクロヴァチェフスキと並んで、現代を代表するブルックナー指揮者と評しても過言ではあるまい。本演奏においても、基本的なアプローチは、楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、これは近年のブルックナーの交響曲演奏の王道を行くものである。そして、かかるアプローチは、誠実とも言えるこの指揮者の美質そのものであると言えるが、例えば、楽曲自体は異なるが、かつてシュターツカペレ・ドレスデンとともにスタジオ録音を行った交響曲第4番や第7番の定評ある名演などと比較すると、彫の深さ、懐の深さにおいて、はるかに凌駕していると言える。ブラスセクションなどもかなり強靭に鳴らしていると言えるが、無機的な音は皆無であり、どこをとっても奥深い、それこそブルックナーらしさを失っていないのが素晴らしい。ライヴ録音ならではの熱気には事欠かないものの、かつてのブロムシュテットにあった唯一の欠点でもある、楽曲の頂点における力みが感じられないというのは見事であり、これは、ブロムシュテットの円熟の証左と言えるだろう。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、正に理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さを感じさせる見事な名演と高く評価したい。そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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  • 2 people agree with this review
     2012/07/29

    インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集であると言える。それどころから、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤におさめられた交響曲第9番及び第10番(アダージョ)の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注していると言える。マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出していると言える。それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、私としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤におさめられた交響曲第9番及び第10番(アダージョ)の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。もっとも、楽曲がマーラーの最高傑作である第9番及び第10番(アダージョ)だけに、やや踏み込み不足の点も否めないところであり、近年の円熟のインバルには、更に素晴らしい名演を期待したいところであるとも言えるところだ。音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、今般のBlu-spec-CD化によって更に素晴らしい高音質に生まれ変わった。いずれにしても、インバルによる普遍的価値を有する素晴らしい名演をBlu-spec-CDによる高音質、しかも廉価で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 10 people agree with this review
     2012/07/29

    フルトヴェングラーの熱心なファンには釈迦に説法であると言えるが、フルトヴェングラーが最も得意としていた楽曲はベートーヴェンの交響曲。その中でも、第3番、第5番、第7番、第9番については、他の指揮者の追随を許さないとされる名演の数々を成し遂げており、本人もそれを自認していた節がある。音質面でのハンディは否めないが、音楽の内容を徹底して追及していこうという深みにおいては、確かに、他の様々な指揮者による演奏を大きく凌駕していたと言えるだろう。フルトヴェングラーが遺したエロイカの10種類ある録音の中で、双璧とされる名演は、戦前のいわゆるウラニアのエロイカとも称されるウィーン・フィルとのライヴ録音(1944年)、そしてEMIにスタジオ録音を行ったウィーン・フィルとの演奏(1952年11月26〜27日)というのは論を待たないところだ。これらについては、前者はターラレーベルが、後者はEMIがSACD化を行っており、もちろん最新録音のようにはいかないが、従来CD盤よりも相当に音質改善がなされており、音質面においても、フルトヴェングラーの同曲の他の演奏の録音よりも恵まれた状態にあると言える。この2大名演に次ぐ演奏というのは、諸説あると思われるが、本盤におさめられた1952年11月30日のウィーン・フィルとのライヴ録音であると言えるのではないだろうか。ライヴ録音と言えども、フルトヴェングラーが体調を崩していた後の演奏でもあり、気力、体力ともに充実していた1944年のウラニアのエロイカの時のような、畳み掛けていくような気迫や生命力が全面に出ているだけではない。もちろん、同年のスタジオ録音のように、踏み外しを極力抑えているわけではないが、その点においては、若干の物足りなさを感じないわけにはいかない。しかしながら、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫の深さ、演奏全体に漂う何とも言えない深遠さ、そして、スケールの雄大さは、ウラニアのエロイカを大きく凌駕し、同年のスタジオ録音に肉薄するものがあると言える。フルトヴェングラーとしては若干控えめではあるが、随所に聴くことが可能な格調をいささかも失うことがないテンポの振幅や、終結部のゲネラルパウゼなども実に効果的だ。その意味では、同年のスタジオ録音に、フルトヴェングラーのライヴ録音ならではの力感や気迫を付加させたような性格の演奏と言えるところであり、両名演には若干及ばないものの、いい意味での剛柔のバランスという点においては、いかにもフルトヴェングラーならではの素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。そして、かかる本名演も、これまでは音質がいささか劣悪であるというハンディがあったが、今般のターラレーベルによるSACD化によって、大きく改善したと言える。高弦などが若干きつく聴こえるのは録音年代からして致し方ないところであるが、今般のSACD化によって、漸くウラニアのエロイカや同年のスタジオ録音と言った2大名演と共通の土俵での比較が可能になったと言えるだろう。いずれにしても、フルトヴェングラーによる素晴らしい名演をSACDによる比較的良好な音質で味わうことができるようになったのを大いに喜びたいと考える。

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  • 4 people agree with this review
     2012/07/29

    ヴェルディのレクイエムは、いわゆる3大レクイエムの中でも最も規模が大きく劇的な要素を持った傑作である。モーツァルトのレクイエムは、モーツァルト自身が完成させることが出来ず、他の者による加筆や編曲などがなされている。フォーレのレクイエムは、清澄な美しさで満たされた素晴らしい名作であるが、必ずしもスケール雄大な作品とは言い難い。その意味では、ヴェルディのレクイエムを、あらゆる作曲家のレクイエム中の最高傑作と評する識者が多いというのも十分に納得できるところだ(ブラームスのドイツ・レクイエムは、別テキストによるものであり、同列の比較から除外されていることに留意する必要がある。)。ヴェルディは、いわゆるオペラ作曲家であり、同曲も晩年の作品ということもあって、ここにはヴェルディのオペラ的な作曲技法が駆使されている。それだけに、ヴェルディの数々のオペラを得意のレパートリーとしてきたカラヤンにとって、同曲は正に十八番とも言える存在であったことはよく理解できるところである。したがって、カラヤンによる同曲の録音は、本演奏に加えて、1984年のウィーン・フィルとのスタジオ録音やザルツブルク音楽祭でのライヴ録音(1958年)、そしてDVD作品など複数存在している。1979年の来日時にもスケール雄大な名演を繰り広げたことは今や伝説となりつつあるが、カラヤンが遺した同曲の最高の演奏は、衆目の一致するところ、本盤におさめられた1972年のスタジオ録音ということになるのではないだろうか。1972年と言えば、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代であり、カラヤンにも健康不安が殆どなく、体力・気力ともに充実していた時代だ。カラヤンが指揮するベルリン・フィルも名うてのスタープレイヤーを数多く擁する、世界最高のオーケストラを自認するベルリン・フィルとしても最高の時代であり、本演奏においても、うなりをあげるような低弦の迫力、ブリリアントはブラスセクション、雷鳴のように轟わたるティンパニなど、鉄壁のアンサンブルの下、他のオーケストラの追随を許さないような圧倒的な名演奏を展開していると言える。とりわけ、怒りの日やくすしきラッパの音、みいつの大王における強靭な響きは、とてつもない迫力を誇っている。他方、弱音部における繊細な表現も見事であり、ダイナミックレンジの幅広さは他の演奏の追随を許さないものがあると言えるだろう。ウィーン楽友協会合唱団は、他の指揮者が指揮するといかにも素人と言うような凡庸な合唱に終始するきらいがあるが、終身の芸術監督であったカラヤンが指揮した本演奏においては、カラヤンへの畏敬の念もあったせいか、持ちうる実力以上の圧倒的な名唱を披露していると言えるところだ。カラヤンの旗本とも言うべきソプラノのミレッラ・フレーニ、そしてメゾ・ソプラノのクリスタ・ルートヴィヒの歌唱はいつもながら見事であり、テノールのカルロ・コッスッタ、バスのニコライ・ギャウロフによる圧倒的な歌唱ともども、最高のパフォーマンスを発揮していると言える。いずれにしても、本盤の演奏は、カラヤンによる数あるヴェルディのレクイエムの演奏の中で最高の名演であるとともに、ベルリン・フィルの演奏の凄さ、歌手陣や合唱の素晴らしさを考慮に入れると、同曲の様々な名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。音質は、1972年の録音ということもあって従来CD盤でも比較的良好な音質であった。しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされるに及んで大変驚いた。ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を活かした音質の鮮明さ、合唱や独唱、オーケストラ演奏が見事に分離して聴こえる明瞭さ、音圧の凄さ、音場の拡がりのどれをとっても一級品の仕上がりであり、従来CD盤では2枚組であったものが1枚におさまるという容量の大きさなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルほかによる至高の超名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。なお、これまで何度も指摘されていた本シリーズの対訳なしという問題も、今般は別紙という形で対訳が付されており、その点についても一定の評価をしたいと考えるが、今後は、扱いにくい紙ジャケットの是正を引き続き要望しておきたい。

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     2012/07/29

    こういう演奏を風格のある大人の演奏と言うのであろう。田部京子は、昨年発売されたブラームスの後期ピアノ作品集でも重厚にして深遠とも言うべき圧倒的な超名演を成し遂げていたが、本盤の演奏においても、当該演奏に勝るとも劣らないような至高・至純の芸術性を発揮していると言っても過言ではあるまい。いかなる楽曲に対しても、不断の探究心、研究心を失わない田部京子であるが、本盤におさめられたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番&第21番の演奏においても、そうした緻密なスコア・リーディングは随所に如実にあらわれていると言える。音符の数が極端に少ないモーツァルトのピアノ協奏曲だけに、スコアの表層に記された音符にとどまらず、各音符の行間やその背景に至るまでの深い洞察力が求められることになるが、田部京子は例によって、そうした行間や背景にも十分に目配りを行い、少なくとも同世代のピアニストとは一線を画するような奥行きの深い、そして彫の深い稀代の名演奏を展開していると言える。高貴にして典雅というのがモーツァルトのピアノ協奏曲の表面的な特徴と言えるが、それだけでは薄味のムード音楽に堕してしまうことは論を待たないところである。しかしながら、田部京子による本演奏は、そうした表層上の美しさの表現においても申し分はないところではあるが、むしろ、モーツァルトのピアノ協奏曲に込められた人生の孤独感や寂寥感と言った心眼に切り込んでいくような鋭さ、深さを兼ね備えているところであり、正に、モーツァルトのピアノ協奏曲の演奏の理想像を具現化していると評しても過言ではあるまい。一聴すると淡々と進行していく各旋律の端々には独特の豊かにして繊細なニュアンスが込められており、これほど内容豊かで深みのある演奏は、近年においてはかの内田光子による演奏にも匹敵するほどのレベルに達しているとさえ言えるだろう。ピアノ協奏曲第21番における田部京子のオリジナルによるカデンツァも芸術的で実に素晴らしい。田部京子のこうした偉大なピアノ演奏を下支えしているのは、最近売り出し中の気鋭の指揮者である下野竜也であるが、本演奏では自我を極力抑えて、紀尾井シンフォニエッタを巧みにドライブしつつ、いささかもモーツァルトらしさを失うことがない見事な名演奏を展開していると評価したい。いずれにしても、本演奏は、田部京子の近年の充実ぶり、円熟を大いに感じさせる至高・至純の名演と高く評価したいと考える。そして、音質も素晴らしい。最近のSACDの中でも極上の部類に入ると言えるだろう。田部京子のピアノタッチが鮮明に再現されるのは、正にSACD盤の大きなアドバンテージであると言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。加えて、マルチチャンネルが付加されていることにより、臨場感溢れる音場の幅広さには出色のものがあると言える。田部京子による名演をマルチチャンネル付きのSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎するとともに、これだけの名演だけに、今後、田部京子によるモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏の続編を大いに期待したい。

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  • 1 people agree with this review
     2012/07/29

    意外な録音の登場だ。ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集の録音は、今般の第1番の登場でついに第7弾と言うことになった。既に第3番〜第8番の6曲が登場しており、残るのは第2番と第9番のみとなった(第9番は既に英デッカに1995年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とともにスタジオ録音しており、再録音するかどうかは不明。第0番や、更に第00番に挑戦するかどうかも不明だ。)。まさか第1番をブロムシュテットが録音するとは思っていなかった。85歳になった今や押しも押されぬ巨匠であるブロムシュテットにとっても、ブルックナーの交響曲演奏に関する長いキャリアの中でも初めての録音になったものであり、これはブロムシュテットが高齢になっても今なお失っていない飽くなき探求心とともに、ブルックナーの交響曲に対する深い愛着の賜物と言っても過言ではあるまい。それにしても、本演奏において聴くことができるのは、ブロムシュテットにとって初めての録音とは到底言えないほどの熟練の指揮芸術と言えるのではないだろうか。楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというのは、誠実とも言えるこの指揮者の美質そのものであると言えるが、例えば、楽曲自体は異なるが、かつてシュターツカペレ・ドレスデンとともにスタジオ録音を行った交響曲第4番や第7番の定評ある名演などと比較すると、彫の深さ、懐の深さにおいて、はるかに凌駕していると言える。ブラスセクションなどもかなり強靭に鳴らしていると言えるが、無機的な音は皆無であり、どこをとっても奥深い、それこそブルックナーらしさを失っていないのが素晴らしい。かつてのブロムシュテットにあった唯一の欠点でもある、楽曲の頂点における力みが感じられないというのは見事であり、これは、前述のように、ブロムシュテットの円熟の証左と言えるだろう。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、正に理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さ、そして、比較的数少ない同曲の様々な指揮者による演奏の中でも最上位にランキングされる見事な名演と高く評価したい。そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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     2012/07/28

    インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集であると言える。それどころから、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤におさめられた交響曲第6番の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。したがって、演奏全体いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注していると言える。マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出していると言える。それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、私としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤におさめられた交響曲第6番の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、今般のBlu-spec-CD化によって更に素晴らしい高音質に生まれ変わった。いずれにしても、インバルによる普遍的価値を有する素晴らしい名演をBlu-spec-CDによる高音質、しかも廉価で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/07/28

    凄い演奏だ。スヴェトラーノフは、サン・サーンスの交響曲第3番を得意としており、かつての手兵であったソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)とともに1982年にスタジオ録音を行っている。当該演奏もとてつもない豪演であったと言えるが、本盤の演奏はそれから16年後のもの。更に輪をかけて凄まじいまでの巨大な演奏と言うことができるだろう。大抵の演奏の場合は、約35分程度を要する同曲の演奏に、スヴェトラーノフは40分を超えるというスローテンポで演奏しており、正に尋常ならざるゆったりとしたテンポで演奏を行っていると言える。オルガンを含む豪壮華麗なオーケストレーションで知られる同曲であるが、スヴェトラーノフは各楽器セクションに力の及ぶ限り強奏させており、その重厚にして強靭な響きは、あたかもロシアの広大な悠久の大地を思わせるほどであり、同曲がフランス音楽であることを忘れさせてしまうほどだ。とりわけ、楽曲の終結部におけるド迫力は、再生装置が破壊されてしまうかと思うほどの凄まじいもので、おそらくは数ある同曲の演奏の中でも、最も強大なスケールを有した豪演であると評しても過言ではあるまい。前述のように、本演奏はフランス音楽というよりはロシア音楽を思わせるような強靭さ、強大さを兼ね備えており、同曲にフランス風のエスプリや洒落た味わいを求める聴き手からすれば、疑問符がつく演奏と言えるのかもしれない。しかしながら、聴き終えた後の充足感においては、同曲の数ある名演にも比肩し得ると言えるところであり、私としては、本演奏をスヴェトラーノフならではの超個性的な名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。カプリングには、ルーセンベリのバレエ組曲「街のオルフェウス」がおさめられている。ルーセンベリは、スウェーデンの近現代の作曲家であるが、近現代の作曲家と思えないような親しみやすい旋律に彩られた佳曲を数多く作曲した知る人ぞ知る作曲家である。同曲も1938年の作品と思えないような美しい旋律が満載の名曲であるが、スヴェトラーノフは、各場面毎の描き分けを巧みに行った、正に聴かせ上手の名演奏を展開しており、知られざる名曲に光を当てるものとして高い評価が与えられるべき素晴らしい名演と考える。スウェーデン放送交響楽団も、スヴェトラーノフの超個性的な指揮にしっかりと付いていっており、両演奏ともに最高のパフォーマンスを発揮しているものと評価したい。音質は、1983年及び1998年のライヴ録音であるが、いずれも遜色のない優れた高音質であると言える。いずれにしても、かかる高音質のCDは、スヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団の名コンビぶりを鮮明な音質で窺い知ることが可能なものとして大いに歓迎したい。

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     2012/07/28

    実に素晴らしい名演だ。本盤におさめられているのはベロフによる2度目のドビュッシーのピアノ作品全集の中から前奏曲集第2巻を軸として、「レントより遅く」や「英雄の子守歌」、「6つの古代碑銘小品」などの小品がおさめられているが、いずれ劣らぬ素晴らしい名演と高く評価したい。かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫の深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏は断然優れていると評価し得ると言える。こうした演奏の深化には、ベロフが、右手の故障を克服したことも大きく影響していると言えるのかもしれない。それにしても、何と言う美しい演奏であろうか。ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風の瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫の深さと言った点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤におさめられた諸曲の演奏は、正にドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、今般、かかるベロフによる素晴らしい名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。ベロフによる研ぎ澄まされたピアノタッチが鮮明に再現されており、従来CD盤との音質の違いは歴然としたものがあると言えるところだ。いずれにしても、ベロフによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。そして、可能であれば、品グルレイヤーによるSACD&SHM−CD化して欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。

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     2012/07/28

    ドホナーニは、かつてのニキシュにはじまり、その後、多くの大指揮者を生み出したハンガリー人指揮者の系譜に連なる指揮者である。マゼールの後任として、かつてセルが世界一流のオーケストラに育て上げたクリーヴランド管弦楽団の首席指揮者に就任し、数々の名演を生み出したことは、今なお記憶に新しいところだ。もちろん、ドホナーニほどの指揮者だけに、ドホナーニはクリーヴランド管弦楽団以外のオーケストラとともに名演を遺している。本盤におさめられたウィーン・フィルとのスタジオ録音も、そうしたドホナーニによる貴重な名演であると言える。巷間、ドホナーニとウィーン・フィルの相性は必ずしも良くなかったと言われている。その理由は定かではないが、特に、ドイツ系の音楽を指揮する際には、ウィーン・フィルの楽員の反応が芳しくなかったようだ。さすがにショルティほどではないものの、ドホナーニの知的とも言うべきアプローチが、ウィーン・フィルの演奏志向と必ずしも一致しなかったということは容易に推測できるところである。しかしながら、本盤におさめられたストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」のような、オーケストレーションの華麗さを売りにした楽曲や、いわゆるお国ものとも言うべきバルトークのパントマイム「中国の不思議な役人」のような楽曲においては、ドホナーニの知的なアプローチが、演奏全体を引き締まったものとするとともに、ウィーン・フィルの美質でもある美しい響きが演奏を冷徹なものに陥ることを避け、いい意味での潤いや温もりを付加するのに貢献するなど、正に、指揮者とオーケストラがそれぞれ足りないものを補い合った見事な名演を成し遂げるのに成功していると言えるのではないだろうか。もちろん、これらの楽曲には、他にも優れた名演はあまた存在していると言えるが、少なくとも、相性が今一つであったドホナーニとウィーン・フィルの息が統合した数少ない演奏の一つとして、本盤の両演奏は稀少な存在とも言えるところだ。さすがのプライドの高いウィーン・フィルの楽員も、ストラヴィンスキーやバルトークの楽曲の演奏に際しては、ドホナーニに余計な注文も付けなかったであろうし、逆に、ドホナーニも自信を持って演奏に臨んだことが窺い知れるところだ。いずれにしても、私としては、本盤の両曲の演奏は、ドホナーニがウィーン・フィルと行った演奏の中でも最も優れた名演として、高く評価したいと考える。本盤の演奏は、デジタルに切り替わる直前のアナログの末期の録音ではあるが、さすがは英デッカとも言うべき極めて鮮明で極上の高音質を誇っていると言える。そして、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされることによって、これ以上は求め得ないような圧倒的な高音質に進化したところだ。いずれにしても、ドホナーニ&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演を、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CDという現在求め得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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     2012/07/28

    パーヴォ・ヤルヴィの勢いは今や誰もとどめることができない。彼は、シンシナティ交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、ドイツ・カンマーフィル、パリ管弦楽団を手中におさめており、これらのオーケストラを作曲家毎に振り分けるという何とも贅沢なことをやってのけている。そして、そのレパートリーの幅広さたるや、父親であるネーヴェ・ヤルヴィも顔負けであり、今や、人気面において指揮界のリーダー格とされるラトル、ゲルギエフ、ヤンソンスの3強の一角に喰い込むだけの華々しい活躍をしていると言える。パーヴォ・ヤルヴィがドイツ・カンマーフィルを起用する際には、当然のことながら、いわゆるピリオド奏法に適した楽曲を演奏しており、既に完成させたベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集に次いで、現在では、シューマンの交響曲全集の録音に取り組んでいるところだ。第1番及び第3番が既発売であり、それはピリオド奏法を十分に生かした斬新とも言えるアプローチが特徴の演奏であり、パーヴォ・ヤルヴィの底知れぬ才能と現代的な感覚、センスの鋭さが光る素晴らしい名演であった。本盤は、その続編として久しぶりに登場したものであるが、収録曲は交響曲第2番を軸として、「マンフレッド」序曲などの有名な序曲である。いずれも、第1番&第3番に勝るとも劣らぬ素晴らしい名演であると高く評価したい。本演奏でも、ピリオド奏法は相変わらずであるが、それを十全に活かし切ったパーヴォ・ヤルヴィの個性的なアプローチが実に芸術的とも言える光彩を放っており、これまで同曲を様々な指揮者による演奏で聴いてきたコアはクラシック音楽ファンにも、新鮮さを感じさせる演奏に仕上がっていると言える。ピリオド奏法やピリオド楽器を使用した演奏の中には、学究的には見るべきものがあったとしても、芸術性をどこかに置き忘れたような軽妙浮薄な演奏も散見されるが、パーヴォ・ヤルヴィの個性的なアプローチには、常に芸術性に裏打ちがなされており、そうした軽妙浮薄な演奏とは一線を画しているとさえ言えるだろう。思い切ったテンポの振幅、アッチェレランドの駆使、ダイナミックレンジの極端な取り方など、その仕掛けの多さは尋常ならざるものがあると言えるが、これだけ同曲の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。いずれにしても、本盤の各曲の演奏は、近年のパーヴォ・ヤルヴィの充実ぶりを如実に反映させた素晴らしい名演であり、加えて、いわゆるピリオド奏法による演奏としては、最高峰に掲げてもあながち言い過ぎとは言えない圧倒的な名演と高く評価したいと考える。そして、残る第4番の録音を期待する聴き手は私だけではあるまい。音質は、これまた素晴らしい。特に、最近では珍しくなったマルチチャンネル付のSACDは、臨場感溢れるものであり、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえることによって、ピリオド奏法の面白さが倍加するという効用もあると言えるところだ。いずれにしても、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルによる素晴らしい名演をマルチチャンネル付のSACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/07/28

    プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団による2度目のチャイコフスキーの新しい交響曲全集も本盤の第2番の登場でついに第5弾。残すところは、第3番とマンフレッド交響曲の2曲となった。プレトニョフに限らず、ロシア系の指揮者にとって、チャイコフスキーの交響曲は、ベートーヴェンの交響曲のように重みのある存在であると言える。それだけに、これまであまたのロシア系の指揮者が、チャイコフスキーの交響曲全集を録音してきた。全集を録音しないまでも、後期3大交響曲を何度も録音した指揮者(例えば、ムラヴィンスキーなど)も存在しており、それぞれが一聴の価値のある優れた名演揃いであると言える。プレトニョフがDGに録音を行った最初の全集も、今日のプレトニョフの名声をいささかも傷つけることがない優れた名演であり、むしろ、プレトニョフのその後のキャリアを形成する重要な一歩になったとも言える存在だ。それから約15年後の全集は、その間のプレトニョフの指揮芸術の円熟を感じさせるものであり、音楽の構えの大きさ、楽曲への追及度、細部への目配りなど、どの点をとっても数段優れた名演に仕上がっていると言えるだろう。プレトニョフは、数年前に、ロシア・ナショナル管弦楽団とともにベートーヴェンの交響曲全集を録音しており、それは聴き手を驚かすような奇抜とも植える超個性的な演奏を繰り広げていた。それだけに、賛否両論が渦巻いていたが、それに対して、今般のチャイコフスキーの交響曲全集においては、ある意味では正統派の演奏。演奏の総体としては、いささかも奇を衒うことがないオーソドックスな演奏を展開していると言える。もっとも、だからと言ってプレトニョフならではの個性が皆無というわけではない。本盤におさめられた第2番においても、テンポの振幅を効果的に活用したり、ここぞという時にはアッチェレランドを駆使するなど、プレトニョフならではのスパイスが随所に効いていると言えるだろう。にもかかわらず、演奏全体としては、あざとさをいささかも感じさせず、前述のように、オーソドックスな装いとなっているのは、プレトニョフがチャイコフスキーの交響曲を深く理解するとともに、心底からの愛着を有しているからに他ならないのはないかとも考えられるところだ。本盤には、従来の第2番に加えて、第1楽章の初版がおさめられているのも、第1楽章だけというのはいささか残念ではあるが、第2番の本質を更に追及していこうというプレトニョフの真摯な姿勢のあらわれであり、好感を持てると言える。いずれにしても、本盤の演奏は、プレトニョフのチャイコフスキーの交響曲に対する深い愛着と敬意、そしてそれに基づく理解を感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。そして、残る第3番、マンフレッド交響曲の名演を大いに期待したいと考える。音質は、マルチチャンネル付のSACD録音ということもあり、臨場感溢れる見事な高音質であり、本名演の価値を更に高めることになっている点を忘れてはならない。

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     2012/07/22

    正に空前絶後のベートーヴェンの交響曲第9番の名演集だ。日本最古の名門オーケストラであるNHK交響楽団も85周年を迎えることになったが、昨年秋頃よりこれまで客演した偉大な指揮者による過去の名演のCD化の企画が進められているところである。私も、そのすべてを耳にしているわけではないが、そのうちのいくつかを既に購入して鑑賞したところであるが、これまで客演した指揮者の偉大さとともに、NHK交響楽団による伝統に裏打ちされた味わい深い演奏の素晴らしさをあらためて思い知った次第だ。一部評論家の中には、我が国のオーケストラに対して著しい偏見を有している者がいるようであるが、私としては、そうしたいささか偏った見方には賛同し兼ねるものである。それにしても、本盤は壮大な規模の企画だ。年末にベートーヴェンの交響曲第9番を演奏するという独特の慣習がある我が国であるからこそ可能な企画とも言えるところであり、演奏の素晴らしさ、そして後述のような極上の高音質も相まって、正に世界にも誇ることができる偉大な名演集と言えるのではないだろうか。本盤には、NHKホールのこけら落し公演の一環として行われたサヴァリッシュによる歴史的な名演奏にはじまって、マタチッチやスウィトナー、ホルスト・シュタインといった1970年代に名誉指揮者として数々の名演を成し遂げた錚々たる名指揮者による演奏、たびたびの来日公演で好演を披露してきたライトナー、そして現在ではチェコの重鎮名指揮者として確固たる地位を築き上げているビエロフラーヴェクの若き日の演奏に至るまで、それぞれに個性的な演奏を披露しているのが特徴であると言える。こうして、それぞれの指揮者の解釈を聴き比べすることが可能であるというのも、本盤の大きな美点であるとも考えられる。いずれも、NHK交響楽団と馴染みのある指揮者だけに、そして年末という特別な時期の演奏だけに、NHK交響楽団もいずれも渾身の名演奏を展開していると言えるところであり、演奏全体に漲る気迫や圧倒的な高揚感は、同曲の演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。もちろん、世界の超一流指揮者と超一流オーケストラによる演奏と比較して云々することは容易であるが、少なくとも我が国を代表オーケストラであるNHK交響楽団が、一流の指揮者を招いて、これだけの名演奏を成し得たことを評価すべきであり、その意味では、我が国の西欧音楽の受容史上においても画期的な位置づけを占めるものと言ってもいいのではないだろうか。前述のようにいずれ劣らぬ名演であるが、私としては、豪快かつ強靭な重厚さを誇るマタチッチによる2種の演奏と、それと好対照の知的でありながらも内なる情熱を秘めたサヴァリッシュによる演奏、そして重厚さと緻密さを併せ持ったライトナーによる演奏を特に素晴らしい名演としておすすめしたい。そして、本盤で素晴らしいのは、XRCDによる極上の高音質であると言える。おそらくは、NHKに保存されていたマスターテープの音源を忠実に再現したものと考えられるところであり、音質の鮮明さ、音圧、そして音場の拡がりのいずれをとっても見事な仕上がりになっていると言えるところである。いずれにしても、本盤は、企画の壮大さや規模、演奏の素晴らしさ、歴史的な価値、そして音質の素晴らしさの様々な要素を兼ね備えた至高の名演集として高く評価したいと考える。本年末には、本名演集の続編として、1980年代の演奏を集めた名演集が商品化されるとのことであるが、大いに期待したいところだ。

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     2012/07/21

    本盤には、デュカスの極めて有名な交響詩「魔法使いの弟子」をはじめとして、交響曲ハ長調、そしてバレエ音楽「ラ・ペリ」がおさめられている。デュカスは、自作に対して極めて厳しい姿勢で臨んだところであり、後世に遺す必要がないと考えた作品はすべて破棄したことから、その作品の数は著しく少ないと言わざるを得ない。また、交響詩「魔法使いの弟子」は誰でも知っている超有名曲であるが、バレエ音楽「ラ・ペリ」についてはファンファーレのみが広く知られており、交響曲ハ長調に至っては知る人ぞ知る存在に甘んじていると言える。それだけに、交響詩「魔法使いの弟子」を除くと録音の点数はわずかであり、その意味でも、本盤のようにデュカスの名作がまとめておさめられていること、そして巨匠フルネが演奏していることなどを考慮すれば、デュカスの作品を広く認知させるという意味においても意義の大きい名CDと言えるだろう。そして、演奏内容も実に素晴らしい。フルネの演奏の最大の特色は一音一音をいささかも蔑ろにしない精緻さであると言える。それは、本盤におさめられた各楽曲のいずれの演奏においても健在であると言える。もっとも、フルネの場合は、単にスコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの杓子定規な演奏を行っているわけではないことに留意しておく必要がある。精緻に描き出している各フレーズをよく聴くと、独特の細やかなニュアンスが込められていると言えるところであり、演奏の密度の高さには尋常ならざるものがあると言える。そして、各フレーズの端々からは豊かな情感が滲み出しているとともに、演奏の随所にはフランス風のエスプリが漂うなど、その洒落た味わいの情感豊かな演奏には抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。交響曲ハ長調においては、演奏全体の堅固な造形美にもいささかも欠けるところはなく、交響詩「魔法使いの弟子」やバレエ音楽「ラ・ペリ」における各場面の描き分けの巧みさは、巨匠フルネならではの老獪な至芸と言えるところであり、その語り口の巧さは見事という他はないと言える。そして、いずれの楽曲においても、トゥッティにおける強靭な迫力においては、とても当時80歳代後半の老巨匠とは思えないような圧倒的な生命力が漲っていると言える。また、これらの演奏において素晴らしいのは、オランダ放送フィルの北ヨーロッパのオーケストラならではのいぶし銀の独特の音色であると言える。かかるオランダ放送フィルのいぶし銀の音色が、演奏全体に独特の落ち着きと潤いを付加させているのを忘れてはならない。いずれにしても、本盤におさめられた演奏は、デュカスによるそれぞれの楽曲の代表的な演奏とも言える圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。音質は、1990〜1992年のスタジオ録音であり、十分に満足できる音質であると言えるが、今般のBlu-spec-CD化によって更に素晴らしい高音質に生まれ変わった。いずれにしても、フルネによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/07/16

    ザンデルリンクによるブラームスの交響曲全集と言えば、後年にベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行った名演が誉れ高い。当該全集の各交響曲はいずれ劣らぬ名演であったが、それは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポをベースとした正に巨匠風の風格ある演奏であり、昨年、惜しくも逝去されたザンデルリンクの代表盤にも掲げられる永遠の名全集とも言える存在であると言えるところだ。ザンデルリンクは、当該全集の約20年前にもブラームスの交響曲全集をスタジオ録音している。それこそが、本盤におさめられた交響曲第2番を含む、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集である。前述のベルリン交響楽団との全集が、押しも押されぬ巨匠指揮者になったザンデルリンクの指揮芸術を堪能させてくれるのに対して、本全集は、何と言っても当時のシュターツカペレ・ドレスデンの有していた独特のいぶし銀とも言うべき音色と、それを十二分に体現しえた力量に最大の魅力があると言えるのではないだろうか。昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったと言えるが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。そのような中で、本盤のスタジオ録音がなされた1970年代のシュターツカペレ・ドレスデンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特のいぶし銀の音色、正に独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。こうしたオーケストラの音色や演奏において抗し難い魅力が存在しているのに加えて、ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチを示していると言える。前述の後年の全集と比較すると、テンポなども極めてノーマルなものに落ち着いているが、どこをとっても薄味な個所はなく、全体の堅牢な造型を保ちつつ、重厚かつ力強い演奏で一環していると評しても過言ではあるまい。むしろ、このような正統派のアプローチを行っているからこそ、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な音色、技量が演奏の全面に描出されていると言えるところであり、本演奏こそは正に、ザンデルリンク、そしてシュターツカペレ・ドレスデンによる共同歩調によった見事な名演と高く評価したいと考える。併録の悲劇的序曲もこの黄金コンビならではの素晴らしい名演だ。第1番&第4番が、既に数年前にBlu-spec-CD化がなされた(第1番についてはシングルレイヤーによるSACD化)ものの、本盤の第2番については従来CD盤のまま放置され、どうなることかと思っていたところであるが、今般、漸く第3番とあわせて待望のBlu-spec-CD化がなされたことは、演奏の素晴らしさから言っても誠に慶賀に堪えないところだ。そして、今般のBlu-spec-CD化については、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、ザンデルリンク&シュターツカペレ・ドレスデンによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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