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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/12/27

    ワシリー・ペトレンコは『マンフレッド交響曲』以来、先物買いしている、サンクト・ペテルブルク出身の新鋭指揮者。ユロフスキ(LPO)のような器用さがあるかどうかはまだ未知数だが、若手らしいシャープな感性とともに、きわめて表現意欲旺盛な指揮者で、表出力の強さでは、ご存じLSOを率いるゲルギエフを凌ぐかもしれない。ショスタコーヴィチ・シリーズも第1弾の第11番では、やや「ひ弱さ」が感じられたが、今回の2曲は素晴らしい。第5番はヴォルコフの『証言』以来よく見られる解釈で、終楽章の最後は全く葬送行進曲風だが、これだけテンポの遅い演奏も稀だろう。弦の刻み音型の執拗さ、打楽器の強打も凄まじいばかり。一方、第3楽章の繊細さも出色で、この曲の近年のディスクでは小澤/サイトウ・キネンと肩を並べる出来ばえと言ってよい。第9番の方は非常にアイロニカルで鋭角的な仕上がり。録音が優秀なのも有難い。

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     2009/12/14

    アーノンクールはこの後、チューリッヒでも『後宮』は振っていないので、音はともかく絵は古さを感じるが、彼の指揮した映像として貴重。まだとんがりまくっていた時代の彼の指揮は、同時期のCD同様、トルコ風打楽器を派手に鳴らし、コンスタンツェの大アリアでのため息のようなテンポ・ルバートも健在。ヘルマン夫妻の演出は台詞に若干の追加があり、セリムを単なるデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)ではなく血肉の通った人間として描くのが特色。とても良い演出だが、こういう路線なら、コンスタンツェがベルモンテよりもセリムを愛してしまうというチューリッヒのミラー演出(クリストフ・ケーニヒ指揮、PALしかないようだがヨーロッパではDVD化されている)の方がさらに徹底している。ポーランド人のヴィンスカは初めて名前を聞くが、演技も含めて及第点のコンスタンツェ。コーン(オスミン)も無難。元ベルリナー・アンサンブルの名優ターテのセリムがいい。それにしても、このDVDはどうしてこんなに値段が高いのか。アーノンクール・ファンクラブの頒布品じゃあるまいし。

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     2009/12/14

    二人の女性ヴァイオリニストを二人の男性低声部が支えるという構図はクワルテットの一つの理想のようにも思えるが、少なくともメジャーな四重奏団ではこれまでなかった。しかもこの二人の女性の表出力たるや半端じゃない。やや誇張した譬えだが、たとえばムターとサレルノ=ソネンバーグが並んで四重奏をやるとしたら・・・という状況に近い。さてそこでバルトークだが、師匠格のアルバン・ベルクSQが西側から、つまり新ウィーン楽派の語法からアプローチしたのに対し、ベルチャの場合はハンガリーの伝統を受け継ぐ演奏ではないとしても、音色自体に東欧の香りがある(ベルチャ=フィッシャーの故国ルーマニアとハンガリーの音楽はどう違うのか、門外漢の私には明晰に論じられないけれど)。名盤山盛りのバルトーク弦楽四重奏曲全集で独自性を発揮するのは容易ではないが、男性的でバーバリスティックな演奏が主流だったのに対し、ベルチャの強みは軟体動物のようなしなやかさと音色変化のデリカシーにあるように思える。第4番ですら、攻撃的にガンガン弾いた後、一転して柔らかい表情になるところでは、ハッとするような美しさがあるし、調性と歌の要素が優勢な第1、2、6番では彼らの強みが一段と発揮される。 

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     2009/12/13

    CG映像なら何でも描けるので過剰に説明的になるきらいはあるが、第2幕のヴォータンの長大な語りなどは退屈せずに済む。回想シーンでは、ちゃんと『ラインの黄金』の映像が出るが、ワーグナー自身が映画を知っていたら、きっとこのように指定したに違いない。「ワルキューレの騎行」やエンディングは想定範囲内だったが、純粋なスペクタクルに徹して演出家の解釈を押し出さない、こういう舞台が好きな人もいるだろう。歌手陣ではザイフェルトが出色。映像作品ではシェロー/ブーレーズ組のホフマン以来、久しぶりの本物のヘルデンテナーによるジークムントで聴き応え十分。この原始人風衣装には思わず笑ってしまうけど、ジークリンデのシュニッツァーも好演で、この二人と例によってドスの効いたサルミネンだけが出る第1幕は充実している。ただし、ヴォータンは及第点としても、ブリュンヒルデが明らかに力不足で、第2幕以降はこの水準に及ばない。特に指揮とオケにはもっと頑張ってもらいたい。抒情的な部分はなかなか美しいが、緊迫した局面になると彫りが浅く、音楽が平板に流れる傾向がある。

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     2009/12/12

    ジョン・アダムズの新作は音楽によるLAのポートレートとのことだが、急緩急の3部からなる30分余の作品。ミニマルの残滓とジャジーな曲調が結合した「大衆的」な曲で、『ウェストサイド物語』風と言えば分かりやすいか。お目当てのマーラーは緩急自在のアゴーギグを駆使した精彩に富む演奏。若々しくアグレッシヴで、まさに曲のイメージにぴったり。大見得を切るようなルフトパウゼもドゥダメルがやると実にサマになる。指揮は相変わらず学生オケ相手に振るかのように懇切丁寧、ヒスパニック系住民の多いLAでは新たな客層の開拓も期待できるから、オケにとっては願ったり叶ったりの人材だろう。ちなみに、終楽章末尾のホルン奏者起立のくだりでは、他とちょっと違う面白い演出が見られる。

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     2009/12/12

    ウィーンでは今、最も刺激的なオペラ上演が見られるアン・デア・ウィーン劇場でのライヴ。デセイ、ドゥグー、ナウリの主役三人が文句なく素晴らしい。デセイのメリザンドは意外な感もあるが、ルチア、オフェーリアなど彼女の得意とする、傷つきやすいヒロインたちの延長線上のキャラと考えれば、さほど不思議でもない。ほぼ伝統的なイメージ通りのメリザンドだが、演技はかなりアクティヴで、妖精のような軽さと透明さが感じられるのがいい。夫君のナウリが演ずるゴローも、あまり荒々しさを表立てない役作りで、彼もまた運命にもてあそばれた被害者であることが実感できる。主役三人が全員フランス人というのは、昨今の『ペレアス』上演では珍しいが、フランス語に何の不安もないのは、ありがたい。逆にちょっと気になるのは演出。「髪の場」などはト書き通りではないとはいえ、全体としては堅実な出来で、下手な読み替えをされるよりはいいが、この作品らしい世紀末的な頽廃の気配がほとんど感じられないのは、意図的なものなのか。最終場からゴローが一人残され、冒頭のシーンにつながってゆくような輪廻転生風の暗示もあるが、これはポネル演出という先例もあり、新味はない。指揮も演出に歩調を合わせて、透明で繊細ではあるが、オペラティックな量感は乏しい。

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     2009/12/07

    ラ・フラ・デルス・バウスの映像を多用した演出は、パリ・オペラ座来日公演の『青ひげ公の城』でも目覚ましかったが、この作品でもCG映像は確かに凄い。ニーベルハイムへの下降などSF映画さながらだし、ジャケ写真に見られる最終景のダンサー達のパフォーマンスも目を見張る。3人のラインの乙女たちも、オペラ歌手がここまでやるかという水槽内での熱演で演出に良く応えている。ただし、見た目が派手であればあるほど、音楽がどうだったか忘れてしまうのは困りもの。指揮は意外に淡白だし、歌手陣も相変わらずアクの強いサルミネン以外はラーション、カペルマンぐらいしか印象に残らない。視覚的な見せ場の多い『ラインの黄金』はまあこれでいいとしても、残り三つをさて、どう見せるか。

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     2009/12/01

    他の3曲はすでに市販DVDを持っているので、1番だけが欲しかった(1番もクラシカ・ジャパンからの録画は所有しているけど)。だから、こういう売り方には苦情を言いたいけど、その1番がとびきりの名演。5番、7番も非常に個性的な演奏だが、ちょっと違和感の残る部分もあるし、2番ですら、第2楽章あたりはやりすぎだろうと文句をつけたくなる。けれども1番だけは、バーンスタインのやり口と曲の個性が幸福にも一致。早くも第1楽章から、小結尾での猛烈な加速、展開部の終わりで大きくタメを作って壮大きわまりない第1主題の再現に持っていくなど、やりたい放題だが、一度これを聴いてしまうと逃れられなくなるほどの呪縛力がある。これは彼の死の年の春(2月)の録画で、伝記によれば、やがて彼の命を奪う病気がかなり進行していたはずだが、まさしく一世一代の名演だ。

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     2009/11/23

    ティルソン・トーマスはすでに交響曲全集の録音も完了しているアイヴズの権威だが、挑発的なインパクトの大きい2番やさらに前衛的な4番ではなく、この曲が選ばれたのはアメリカ人聴衆にとっての取っ付き易さゆえかと勝手に考えていた。しかし、彼自身による解説を見始めてまもなく、この曲についてはその基本的な「仕掛け」すら十分に理解できていなかったことを思い知らされた。お客なしのデイヴィズ・シンフォニーホールで収録された本編演奏は考え抜かれたカメラワークとともに鮮麗そのもの。こういう音楽で鍛えられている彼らがマーラーの錯綜したスコアを苦もなく音化してしまうのも当然と合点がいった。この曲の場合、このような解説および映像付きの演奏でないと、その真価を理解することさえ難しいわけだから、唯一無二の決定的なディスクとさえ言える。静かに終わり、聴衆の拍手もない演奏であるから、この曲に限っては最後のスタッフロールに音楽を付けないでほしかったが、それを除けば非の打ち所のない映像作品。

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     2009/11/23

    ドキュメンタリー部分では『春の祭典』でやったように斬新な管弦楽法の妙味をとことん解明してくれるかと期待したが、これは残念ながら外れ。その代わり、作曲者の幼年期からハリエット・スミスソンとの結婚までの物語は良くできている。例によってティルソン・トーマスがパリや作曲者の故郷、ラ・コート=サンタンドレまで出向いての丁寧な収録。私はこのような映像作品でのオーケストラ演奏の収録は断じてナマ演奏の等価物ではないし、あってはならないと考えているので(この点ではNHKの某ディレクターと正反対の立場)、「キーピング・スコア」シリーズの工夫されたカメラワークは演奏会映像の理想だが、この曲もまた映像としては素晴らしい出来ばえ。ただし、演奏そのものは決して熱く煽り立てることがなく、軽みと明晰さを備えている。それならば、この曲のスコアリングそのものが生み出す奇怪さをもう少し追求して欲しかったところだが、洗練され過ぎていて、あと一押しが不足。

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     2009/11/23

    ドキュメンタリー部分では、ほぼヴォルコフの偽書『ショスタコーヴィチの証言』通りの解釈、すなわち終楽章は「強制された歓喜」であり最後はハッピーエンドではなくむしろ葬送行進曲という解釈をスコアの内在的分析によって跡づけてゆく。実際にオーケストラを使った、アナリーゼの実演はなかなかの見ものだ。演奏部分はロンドン、ロイヤルアルバートホールでのプロムスでBBCが収録したライヴなので、いつもほどの凝ったカメラワークは見られないが、巨大なスケールと繊細さを兼ね備えた素晴らしい名演。前述の解釈で演奏しているので、終楽章冒頭は普通に始めて強烈にアッチェレランド、中間部以降は考えうる限り最も遅いテンポだが説得力は絶大。第1楽章再現部冒頭の遅いテンポも凄まじい圧迫感だし、第3楽章の寂寥感も心に沁みる。

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     2009/11/22

    舞台は荒廃した世界、聖杯騎士団をカルト宗教のような硬直した集団としてネガティヴに描くなど、基本コンセプトはフリードリヒ、クプファー以来の『パルジファル』演出の延長線上にある。コンセプト自体の見せ方はクプファーの方がうまいと思うが、レーンホフには珍しく一貫性のある解釈でこれも悪くない(特典映像で演出家自身が演出意図をべらべら喋ってしまうのは、ちょっと興ざめだが)。アハスヴェール(さすらいのユダヤ人)であるクンドリーが死ぬことによって救われるというエンディングが反ユダヤ主義的、女性蔑視的と物議をかもして以来、ワーグナーのト書き通りの幕切れはほとんど見られなくなったが、この演出ではアムフォルタスが死んだ後、パルジファルは受け取った聖杯王の冠をティトゥレルの遺体に返すと、クンドリーに続いて騎士団を見捨てて出て行ってしまう。聖槍を掲げるグルネマンツのもとからも騎士たちが一人また一人と離れて、新世界を目指す彼らについてゆく。歌手陣ではマイアーが相変わらずの貫祿。前述のような演出方針もあって、彼女がこのオペラの「主役」になってしまっている。一方、題名役のヴェントリスは見た目が役のイメージに合わない。アクの強い保守頑迷なサルミネン、弱々しく女性的とも言えるハンプソンは、いずれもこれらの役の伝統的イメージとは正反対だが、完全に演出意図通りの歌唱。細身でシャープな指揮も新世代の『パルジファル』にふさわしい。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/11/09

    映画版を除けば『マクベス夫人』三組目の映像。舞台を現代に移し(この読み替えに関しては、諸手を挙げて賛成ではないが)ハードな性的表現を見せるクーシェイ演出(ネーデルランド・オペラ)、喜劇的・風刺的な効果も含めてバランスが良く、別の曲の一部を間奏曲に転用したり、エンディングがオリジナルと異なるなど意外に大胆でもあるヴィンゲ演出(リセウ歌劇場)、この二つに比べるとかなり苦しい。性的な表現が控えめなのは演出のポリシーであって、それはそれで構わないが、他に見せるべきものが何もなく、凡庸と言わざるをえない。歌手陣もボリスと老囚人を兼ねるヴァネーエフ(クーシェイ演出版と同じ)、セルゲイのクニャーエフなどは良いが、主役のシャルボネは古風な「毒婦」風演唱のために共感できない。ボリスに毒入りキノコを食わせた後、体を寄せて性的に挑発するなど「悪女」路線は演出の方向でもあるので、歌手一人の責任にするわけにはいかないが。私がこのオペラを初めて観た1992年のクプファー演出、ケルン歌劇場来日公演でも振っていたコンロンの棒は手堅い。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/11/09

    久しぶりに日本で見たメータはメタボ体型を脱して、渋いおじいさんになっていた。音楽の方も少しスリムになったようだが、若い頃のギラギラしたところが無くなって見事に枯れてしまった。一昔前ならベームのような巨匠として崇められたはずだが、そういう時代ではなくなってしまったのと、メータ自身のレパートリーが渋さの似合わぬものばかりであるところがこの指揮者にとっての不幸。マーラーも特に5番ではポリフォニーのセンスが弱いのと、(オケと録音のせいもあろうが)色のパレットが少なく、ほぼべったりと一色で塗られてしまっているのは致命的。オケの力量としては格段に下、マッスとしての力がないPMFオーケストラを鮮やかに統率してみせるティルソン・トーマスと比べると、残念だが旧世代の指揮者というレッテルを張らざるを得ない。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/11/08

    結成15年目のベルチャ四重奏団、昨年のバルトークに続いて古今の室内楽曲の最高峰に挑んできたが、これが驚異的な名演。弦楽五重奏曲は第1楽章から二つのチェロが雄弁に動き、いわば「死の影」を強く刻印する。第2楽章ではこの上なく美しい音が紡ぎ出されてゆくが、中間部の激動を経た後の繊細さは痛々しいほどだ。もっと能天気に奏でられることも多い終楽章がこんなに傷つきやすい、デリケートな音楽であることを教えてくれたのは、この演奏が初めて。ト長調四重奏曲の長大な第1楽章も痛いほどの緊張がみなぎっている。哀愁に満ちた第2楽章も全く痛烈な表現で、個人的には『死と乙女』に少しも劣らぬ傑作と考えるこの曲の真価を余すところなく明らかにしている。ベルチャ四重奏団はシューベルトをヤナーチェクやバルトーク並みの表現主義的な音楽に近づけたとも言えよう。ここまでの2曲があまりに凄いので、比べるとやや普通に聴こえてしまうとはいえ、『死と乙女』も、もちろん迫力と繊細さを兼ね備えた素晴らしい演奏。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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