シェーンベルク(1874-1951)
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シェーンベルク(1874-1951) レビュー一覧 3ページ目

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  • ブーレーズ指揮によるシェーンベルク作品集。例によっ...

    投稿日:2021/09/06

    ブーレーズ指揮によるシェーンベルク作品集。例によって別々のLPで発売されたものの再編集である。ジャニス・マーティン独唱によるモノドラマ「期待」Op.17、「月に憑かれたピエロ」Op.21のIRCAMオープニング記念「七千両役者」盤、ジェシー・ノーマン独唱による、グレの歌から「山鳩の歌」室内楽版の3曲が収められている。ブーレーズはシェーンベルクの作品を数多く録音し、その普及に大きな貢献をした。半面、ブーレーズによるシェーンベルク演奏は、自分を音楽史上の「一流」作曲家として位置付けるためのルーツとして取り上げているように見える節があり、「敬意を表しているが愛してはいない」感がにじみ出ている。このCDの最初の2曲はそういう微妙さが垣間見える演奏となっている。 まず、モノドラマ「期待」だが、これはLP3枚組の「シェーンベルク作品集」に収められた1曲だった。収録されていたのは「ヤコブの梯子」「期待」「幸福な手」「第1室内交響曲」「第2室内交響曲」「室内オーケストラのための3つの小品」「声楽とオーケストラのための4つの歌曲」の7曲。最大の目玉は大作「ヤコブの梯子」で、「期待」は実は期待外れな演奏だった。その印象は改めて聴き返しても変わらない。この曲の繊細なオーケストレーションが味わえないし、感情の変化にも寄り添っていない。BBC交響楽団の演奏がピリッとしないのは、ブーレーズの指導に熱がなかったからだろう。ジャニス・マーティンが孤軍奮闘していて可哀そうになる。モノドラマ「期待」は9枚くらいディスクを持っているが、これを聴くよりは他の演奏の方がよい。次は七千両役者盤の「月に憑かれたピエロ」だ。LPジャケットはアンリ・ルソーの「Le Soir du Carnaval」という絵が素敵だったが、LP1枚でピエロ1曲というのはかなり割高な印象だった。一流の演奏家を7人も集めたせいでコストがかかったのだろうか?という邪推はともかく、録音の経緯は船山隆氏が詳細に述べられている。 すなわち、1977年6月17日(日)IRCAMのオープニング・コンサート・シリーズの一企画、〈ヴィ―ン楽派W〉と題されたコンサートのプログラムで、バレンボイム、ズッカーマン、アンサンブル・アンテルコンタンポランによるベルクの「室内協奏曲」に続いて、「七千両役者」(と船山隆氏は呼んだ)すなわちミントン(語り)、ズッカーマン(ヴァイオリン)、ハレル(チェロ)、ドボ(フルート&ピッコロ)、ペイ(クラリネット&バス・クラリネット)、バレンボイム(ピアノ)、ブーレーズ(指揮)らがステージに上がり「ピエロ」を演奏した。その直後の6月20日〜21日にパリのリバン教会で録音したのがこの演奏なのである。 しかし、LP当時からこれが果たして良い演奏なのか釈然としなかったが、今ではもっとハッキリと言える。これはかなり酷い演奏だ。「七千両役者」達は、皆自分の色を出そうとして、わがまま勝手に弾いている。もう最初の曲から、アンサンブルの乱れがある。どの曲でも誰かが足を引っ張っている。特にバレンボイムの横暴さやペイのスタンド・プレーは鼻につく。第三部の「月のしみ」に至っては、もう何をやっているやらカオスの様相だ。ミントンは勝手に音程をつけて「歌って」おり、シェーンベルクの意図から最も遠く、数ある「ピエロ」の語り手の中でも最悪の方だ。これというのも、ブーレーズが確たるイメージを持たずに指揮台に立ち「どうせ企画ものだから、みんな好きにやってくれ」といういい加減な指揮をしているからだ。同時期にDGに録音した「室内協奏曲」が、気合の入った超名演なのと比較すれば、ブーレーズのやる気の差は歴然だ。ブーレーズは三度も「ピエロ」を録音し、いずれも名演の誉れ高いが、ドメーヌ盤はピラルツィクの語りのエグ味が強過ぎて初心者には聞かせたくないし、「七千両役者」盤は酷い演奏だし、後年のアンサンブル・アンテルコンタンポラン盤は「上手なだけ」で死ぬほどつまらないし、どれも人には薦められない。「ピエロ」は数十種類聴いているが、ブーレーズとヘレヴェッヘ以外だったら誰の演奏でもいい。よくブーレーズと比較されて馬鹿にされてきたクラフトの新盤など、ブーレーズが生きていたらクラフトの爪の垢でも煎じて飲ませたい程の名演だ。 さて、最後は「山鳩の歌」だが、これは室内楽版の中では超名演だ。これはアンサンブル・アンテルコンタンポランによる「セレナード」や「ナポレオン・ボナパルトへのオード」と一緒にLPにカップリングされていたもので、低温の抒情に貫かれたアルバムだったが、なにしろジェシー・ノーマンの歌唱が素晴らしいのだ。ブーレーズ指揮全曲盤のミントンの歌唱もはるかに凌ぎ、数ある「山鳩」の中でも最高位の名唱となっている。伴奏の背筋がピンと伸びた演奏も見事。このノーマンの歌を聴いて腑抜けた伴奏をするくらいなら、音楽家を辞めた方がよい。 さて、随分と毒を吐いてしまったが、私の評価では「期待」が2点、「ピエロ」も2点、「山鳩」だけが5点で、(2+2+5)÷3で星三つとした。点が辛過ぎるとは思わない。「ブーレーズのシェーンベルクは最高」と今でも思っている人がいるかどうか知らないが、20世紀の都市伝説と言うべきだ。

    伊奈八 さん

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  • マニングの語り芸と、ラトル流のポップな(?)味付け...

    投稿日:2021/08/26

    マニングの語り芸と、ラトル流のポップな(?)味付けを楽しめる「月に憑かれたピエロ」だ。 この録音で語りを担当しているジェーン・マリアン・マニング (1938年9月20日〜2021年3月31日)は、現代クラシック音楽のスペシャリストだったソプラノ歌手で、ある批評家からは「英国の現代音楽の生命と魂」と評されたという。マニングは、ほぼデビュー当時から「月に憑かれたピエロ」を得意としていたようで、このCDは、今年(2021年)亡くなった彼女の貴重な記録と言えよう。同録音は数種類のジャケットで売られてきたようだ。私は、型番は同じCHAN6534だが、ジェーン・マニングがピエロに扮したイラストのCDで聴いている。 さて、「ピエロ」の語り手には、狭い音域で語る人、広い音域を駆使する人、淡々と語る人、表情豊かに語る人、美声の人、年取った声の人と、様々なタイプがいる。 マニングは、広い音域で、極めて表情豊かに語るタイプ。声の質は、チャーミングなおばさん声だ。 語りを支えるラトルの解釈は、曲ごとに声色を変えるマニングに合わせて、音色と表情が豊かだ。緩急を自在に付けつつ、全体としてはかなりポップと言ってもよい軽快なタッチとなっている。あまり恐怖を煽らないし、暗くもならない。ラトルもマニングも、軽快かつ大げさな身振りを徹底することで、深刻な表現主義とはならず、パロディ的、カーニバル的に痛快に響く。恐怖場面の連続のはずの第二部が、B級ホラー映画さながらで、ニヤニヤしながら聴けてしまう。イギリス的なちょっと毒のあるファンタジーの世界でひととき遊んだ感じで、後味がよい。これはこれで、徹底したアプローチが成功した「ピエロ」と言えるだろう。ナッシュ・アンサンブルの演奏も上手い。第18曲「月のしみ」は同曲の最速記録かもしれない。スタジオ録音のようだが、全体にライブ録音のような臨場感とノリがある。 ウェーベルンの「9つの独奏楽器による協奏曲」Op.24がカップリングされている。「ピエロ」程知らない曲だから、ブーレーズの旧録音(1969)と比較してみた。ブーレーズの演奏が、若い頃のこの人の常で、指揮者がグイグイ引っ張っている感じなのに対して、ラトルの演奏では、各楽器が楽しげに、また優しく対話している。第3楽章は、ダンス・ミュージックのようにノリノリで、楽しく聴いた。室内楽的アプローチにいつもこだわっているラトルの良さが発揮された演奏と思う。

    伊奈八 さん

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  • ウィーン情緒が豊かに薫るシェーンベルク作品集だ。7...

    投稿日:2021/08/17

    ウィーン情緒が豊かに薫るシェーンベルク作品集だ。7楽器のための組曲op.29と、室内交響曲第1番op.9と、シェーンベルク編曲の「皇帝円舞曲」が収められている。購入して最初に聴いた時には、ガチャガチャしていて上手くない演奏という印象で「失敗した」と思ったが、再生音の向上に伴い、演奏の良さが分かってきて、今では好きなディスクとなっている。 7楽器のための組曲op.29は、シェーンベルクの12音技法時代の作品の中で、一番明るく、楽しい作品であろう。しかし、12音技法の旋律は多くの人にとって耳慣れないものだし、鳥や獣がキャッキャと鳴き騒ぐような独特の音世界なので、すべての人にとって親しみ易いとは言えない。 それを踏まえても、ジークハルト指揮のウィーン・コンサート=フェラインの演奏から立ち上る、ウィーン的な情緒はとても魅力的だ。 例えば第一楽章では、最初の元気な部分が過ぎてテンポがぐっと落ちると、何とも言えないメランコリックな情緒が溢れてくる。これはシェーンベルクが弦楽四重奏曲第2番で引用した「愛しのアウグスティン」にも通じる、人生に対する諦念と慰めの歌だ。他の多くの演奏では元気さの方が前面に出るが、この演奏では優しさのほうが勝るのである。これは他の楽章でも共通だ。 室内交響曲第1番op.9は、シェーンベルクの全作品中でも大傑作で、感動的な作品だ。優れた演奏のディスクも多いが、この演奏ほどウィーン的な音色と情感に溢れた演奏も珍しい。私は聴いていて、新しい文化と古い文化がぶつかり合う、1906年当時の、爛熟と退廃と喧騒のウィーンにタイムスリップする錯覚さえ覚えた。多くの優れた演奏の中でも上位に付ける名演と思う。 シェーンベルク編曲の「皇帝円舞曲」も素晴らしい。何ともウィーン的で楽しくて、プラーター公園のメリーゴーランドや観覧車に乗っている気持ちになった。ラストは、楽しい一日の黄昏の風景に、感動の涙さえ出た。 シェーンベルクがウィーンの人であることを、実感させてくれたディスクだった。 なお、音質は透明でリアル。再生側の弱点を暴いてくる程の優秀録音だ。CD再生は難しさもあるので、アナログも聴く人にはLPレコードもあるから、そちらの方もお奨めだ。

    伊奈八 さん

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  • ラヴィニア三重奏団は、ヴァイオリンのライナー・シュ...

    投稿日:2021/08/16

    ラヴィニア三重奏団は、ヴァイオリンのライナー・シュミット、チェロのピーター・ヘル、ピアノの佐々木彩子からなるトリオ。1989年にアンサンブルを結成した直後、シカゴのラヴィニア音楽祭のヤングアーティスト研究所に招待され、そこで米国デビューコンサートで成功を収め、RAVINIA TRIOと名付けられた。 佐々木彩子は、「渋さ知らズ」で活躍する同姓同名のピアニストとは別人で、ニューイングランド音楽院を卒業し、学士号と修士号も取得している、本格的なクラシック畑の人。 ラサール四重奏団の第一ヴァイオリン、ワルター・レヴィンは、ラヴィニア三重奏団を「今日の室内楽シーンで最も有望な若いアンサンブルの1つ」だと1990年に絶賛している。 このCDアルバムには、エドゥアルド・シュトイアーマン編曲によるシェーンベルクの「浄められた夜」三重奏版と、シュトイアーマン自身の作曲によるピアノ三重奏曲が収められている。シュトイアーマンに対するトリビュート・アルバムであろう。 エドゥアルド・シュトイアーマン(1892〜1964)は、シェーンベルクから絶大な信頼を受けていたピアニストで、当時の現代曲をなんでも弾ける腕前があった。シェーンベルクはシュトイアーマンに「蛸のように絡みついて」離さなかったといわれ、そのためシュトイアーマンはコンサート・ピアニストとしてのキャリアを多分に犠牲にしたが、これは現代曲を弾くことが好きだった彼自身が選んだ道でもあった。ブレンデルは彼の弟子であり、また、ミヒャエル・ギーレンの叔父でもある。 さて、まず三重奏版の「浄められた夜」だが、編曲も演奏も大変すばらしい。六重奏版や弦楽合奏版の、幾多の名演と比べても全く遜色がない。むしろこちらのほうが聴き易いくらいだ。弦楽器だけだと大なり小なり暑苦しい響きになり易いが、ピアノと弦二本となったことでコンパクトになり風通しがよくなっている。クリムトの巨大な絵と、シーレの水彩画くらいの差がある。ラヴィニア三重奏団の三人も、繊細さと抒情を兼ね備えており、デリケートで変化に富んだ美しい演奏を聴かせる。ストーリーよりは、室内楽曲としての良さを聴かせる演奏と思うが、適度にホールの響きのある録音と相まって、実に心地よく聞ける。 同曲のファースト・チョイスとして薦めても良いくらいの演奏だ。 次はシュトイアーマンのピアノ三重奏曲だ。これは、シェーンベルクの弦楽三重奏曲+ウェーベルンという感じの響きの曲。(明らかにベルク寄りではない。)シェーンベルクの死後、1954年に書かれており、シェーンベルクが切り開いた世界の、その先に進もうという意思が感じられる。シュトイアーマンが、完全に新ウィーン楽派の一員であったことが分かる作品だ。約23分の長さがあり、全体が5部に分かれているが、単一楽章形式だろう。しかし、シェーンベルクの作品ほどの激しさや力強い構成感はなく、微細な変化が延々と続いた挙句に、唐突に終わる。その変化を丁寧に辿っていくラヴィニア三重奏団の演奏には全く感心させられた。分かりやすい作品ではないが、結構楽しく聴けた。なんとなく、閉じたサークルの中で互いに共感したり嫉妬したり、助け合って苦難を乗り越えたりしていた新ウィーン楽派の、家庭的な世界を描いた作品のようにも思われた。シュトイアーマンが生きた世界、愛した世界がなんであったか、時空を超えてその世界に連れていかれるようなアルバムだった。

    伊奈八 さん

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  • 過去の自分のレビューに対する追記をする。五つの管弦...

    投稿日:2021/08/15

    過去の自分のレビューに対する追記をする。五つの管弦楽曲op.1を聴くと、1958年のバーデンバーデン南西ドイツ交響楽団の合奏のレベルの高さに驚く。ロスバウトの指導力の賜物だろう。テンポはおおむねキビキビしているが、緩急自在で硬直しない。聞き手を煽るような過度の表情付けはしないが、突き放しているようでいて、よく聴けばシェーンベルクの気持ちに寄り添っている。こういう演奏をするロスバウトをシェーンベルクが信頼していたという事実は重い。ナポレオン・ボナパルトへのオードop.41は、ドイツ語版なので、シェーンベルクが工夫した英語と音楽とのリズムの一致は殆ど崩されている。なんでロスバウトがこんな演奏を…とも思うが、リスクを負ってでも本国にこの曲を紹介したかったのかもしれない。楽器の演奏は、激情に走らず客観性と構築力があって聴きやすい。月に憑かれたピエロop.21は、ジャンヌ・エリカールの語り。激しい曲でも絶叫せず、抑制の効いた、噛んで含めるような粘りのある語り口で、シュプレヒシュティンメをシェーンベルクの意図に沿って正しく表現しようとしているのがよく分かる。ロスバウトの指揮も、録音の古めの音質に引きずられて淡白な表現かと思いきや、意外に濃厚に「ピエロ」の世界を表現している。しかし楽器も絶叫はせず、細部の丁寧な積み重ねで曲の良さを感じさせる演奏だ。例えば最も激しい第13曲目で、これほど楽器の絡みがよく聞き取れる演奏も珍しい。私は数十種類の「ピエロ」を聴いているが、後進の規範となる演奏だったに違いない。録音も、低音部の分離感など限界はあるが、中高域はかなりリアルな良い音質だ。ロスバウトのことを知れば知るほど、この人の偉大さが身に染みて分かってくる。あと10年録音技術の進歩が速かったら、今でもブーレーズに負けないほどの知名度と評価を得ていたことだろう。

    伊奈八 さん

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  • シェーンベルクのセレナードop.24、5つの管弦楽曲op.1...

    投稿日:2021/08/15

    シェーンベルクのセレナードop.24、5つの管弦楽曲op.16、ナポレオン・ボナパルトへのオードop.41という3曲を収録している。これらは別々のLPレコードから抜粋し、再録したものだ。SONYはこうした選集、全集を何種類も出している。(他のレーベルもだが。)私の所有する盤は初期のロットで、表紙にはこのCDに【登場しない】イヴォンヌ・ミントンの名が印刷されている。また、かつてop.24とop.41が収められていたLPの国内盤ジャケットはTadayoshi Arai氏のクールなアートを用いていたし、op.16収録のLPはココシュカによるシェーンベルクの肖像画が美しかったが、現在のCDは稚拙なイラストが用いられている。雑な扱いが残念だが、録音は今日でも価値を失っていない。 ブーレーズは、シェーンベルクの作品を数多く録音し、その普及に大きな貢献をした。他方、彼の演奏は、シェーンベルクのロマンチックな心情やウィーン的な美意識、ポリフォニックな側面にはあまり寄り添わず、音楽の構造や推進力、全体的な響きを重視した、ブーレーズ自身の美意識に引き寄せたものが多い。だから、ブーレーズのシェーンベルク演奏は、どれもが最高というわけではなく、是々非々なのである。 セレナードop.24は、同曲の演奏として一番クールなものであり、非人間的なほどに磨き上げられ、低温の抒情に溢れている。夏に聴けば涼しくなる演奏だ。ブーレーズの「ル・マルトー・サン・メートル」の世界に寄せた解釈といえようか。録音も、アナログでは極めつけに透明な超高音質だ。第4曲目の「ソネット」ではジョン・シャーリー・カークの激昂する歌い方のインパクトが強い。カークは先行するアサートン盤でも同曲を歌っているから、当たり役なのだろう。ブーレーズ自身の、ドメーヌ・ミュジカル時代の粗削りで勢い重視の旧録音より殊更にクールな仕上げは、アサートンより自分が上だというアピールなのかもしれない。では、このアンテルコンタンポランの演奏が最高かというと、実は主旋律中心の階層化した音作りを徹底させていて、奏者が互いに聴き合って作り出す、室内楽的な親密感には欠けている。演奏全体にブーレーズか君臨していて、「いらない声部」は無情に響きの海に沈めている。そうでない演奏としては、マールボロ音楽祭40周年アルバムの演奏が(音質は悪いが)挙げられよう。 5つの管弦楽曲op.16では、ブーレーズはシェーンベルクの、時に弱音を吐く正直な心情にはキッパリと寄り添わない。ここにあるのは響きとリズムのオブジェだ。色々な演奏を聴いてきたが、高音質で再生したときの、この演奏の「響き」のゴージャスさには正直驚いた。大抵は曇天の空模様のように地味に響く曲なのに…ブーレーズの耳の能力に改めて驚嘆した。これは究極の名演奏の一つだろう。 ナポレオン・ボナパルトへのオードop.41は、これはそもそもシェーンベルクがヒトラーへの怒りを込めて書いた曲なので、あんまり演奏が激しいと聞き疲れする曲なのだ。ブーレーズの、感情の過度な表出を抑え、怒りよりは皮肉を前面に出した解釈は、変化球なのかもしれないが、聞き疲れし易いこの曲を見事に手懐けていると言えようか。 色々書いたが、3曲いずれも、シェーンベルクの全てを表現したものではないとしても、徹底したアプローチが成功した名演奏と思う。

    伊奈八 さん

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  • シェーンベルクの無調時代の、大管弦楽を伴う傑作3曲...

    投稿日:2021/08/13

    シェーンベルクの無調時代の、大管弦楽を伴う傑作3曲を収録している。 1955年から1959年にかけての録音で、これら曲の最も早い録音であろう。 5つの管弦楽曲op.16は、モノラルのライブで咳払いも頻繁に入るが、シェーンベルクの特異な音色をギリギリ味わえる音質の鮮明さはある。 特徴的なのは、テンポの振幅の大きさだ。遅い部分は非常にゆっくりで、速い部分は疾風怒涛で、今日でもあり得ないほど速い。大変個性の強い解釈だ。 それらのテンポ変化が、豊かな感情表現に直結しているかというと、やや疑問だが。 モノドラマ「期待」op.17は、これはかなりの名演ではあるまいか。 シェルヘンの棒は確信に満ち、音楽は淀みなく生き生きと流れ、感情豊か。音質も1955年の録音として大変鮮明で、この曲ならではの繊細な響きに溢れている。中間部の頂点、主人公が「助けて!」と叫ぶ部分の激しさも情け容赦なく、後半の優しい部分も心に染みてくる。主役はマグダ・ラズローというソプラノ歌手だが、若々しい美声で魅力的。感情表現も素晴らしい。多少の演奏の疵はあっても、後年の多くの録音を凌ぐ点も多い、実に優れた演奏だ。 「幸福な手」op.18は、一番新しい録音で、ノイズが少ない音質だが、あいにく楽器の細かい音が聞き取りにくくフラストレーションがたまる。声楽陣は健闘しているが、ただでさえ分かりにくいこの曲の理解の助けにはあまりならなかった。 シェーンベルク存命中からのよき理解者だった指揮者としては、ハンス・ロスバウトとヘルマン・シェルヘンが代表格だ。理知的、客観的なロスバウトに対して、感情的、主観的なシェルヘン、という理解が正しいかどうかは分からないが、シェルヘンの偉さがよく分かるCDだ。「期待」の演奏が特に良いので星4つとしているが、特殊なコレクターズ・アイテムであることは理解されたい。音質の評価についても、CDに対する消磁、除電と手間をかけた結果であることは申し添えておく。

    伊奈八 さん

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  • ジュリアード弦楽四重奏団は、史上最も早くシェーンベ...

    投稿日:2021/08/13

    ジュリアード弦楽四重奏団は、史上最も早くシェーンベルクの弦楽四重奏曲全集を録音した、言わば老舗中の老舗。しかしこの「浄められた夜」は初録音だそうだ。同曲の推薦盤とされているのを見たこともあるが、改めて聴くとどうなのか。良く言えば骨太でオーソドックス。悪く言えば古臭く、感覚的な切れ味が悪い演奏という印象だ。「浄められた夜」はソニーが当時誇っていた20ビット・レコーダーによる録音だが、音作りの問題として、6パートの音が密集して暑苦しく、時にうるさくも感じられる。この辺りは再生側の問題もあるのだが、かなり苦労させられた。この演奏で評価すべきは、やはりヨー・ヨー・マの参加によって音色が豊かになっている点だろう。後半に入り「男の赦し」が始まると、すぐにマの演奏と分かる温かな旋律が流れ、世界が一変する。前半と比べ、後半がゆったりとふくよかに感じられるのは、マの功績が大きいだろう。しかし、今なら後発の団体の演奏に色々と良いものがあるから、この演奏を第一に推したいとは思わない。 対して、弦楽三重奏曲op.45は、よりお奨めできる演奏だ。晩年のシェーンベルクが、心臓発作で死にかかった臨死体験を作品にしたもので、冒頭部分は発作による七転八倒の苦しみである。しかしその後、昏睡状態から意識の回復する過程や、心の平穏や自己省察の音楽が続き、なんとも不思議な感銘のある作品となっている。ジュリアードの3人の息の合ったアンサンブルはもちろんのこと、自分の臨死体験を客観的に眺める作曲者の引いた視線と、逆に作曲者の年齢に近付いた演奏者による、その絶妙な距離感の響きあいが、演奏の安らぎを生んでいるようだ。つまりは、これは人生を穏やかに諦観する音楽なのだ。録音も、「浄められた夜」よりも音の隙間があって聞きやすい。総合的に考えて、評価は4とさせていただいた。

    伊奈八 さん

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  • 無調と12音技法による管弦楽曲の傑作の間に、ユニーク...

    投稿日:2021/08/12

    無調と12音技法による管弦楽曲の傑作の間に、ユニークな編曲物と、作曲者最後の作品を挟んでいる。 まず、 管弦楽のための5つの小品だが、妥協のない激しさの向こうに、深い優しさが感じられる演奏だ。怒りっぽい人の本当の優しさのようなものがシェーンベルクの音楽にはあるが、ギーレンの個性と共通する部分があるのかもしれない。厳しい不協和音の間に顔を見せる優しい旋律を、ギーレンがいかに丁寧に歌わせているか、驚くばかりだ。 チェロ協奏曲は、ゲオルク・マティアス・モンのチェンバロ協奏曲を編曲したものだが、シェーンベルクのオーケストレーションの中でも、一番可愛らしいものであろう。 他方、シェーンベルクらしい細やかな楽器法にも事欠かない。第二楽章の楽器法の冴えと、それを具体化していくギーレンの透視力には恐れ入るばかりだ。 録音の少ない同曲の中ではピカ一の名盤と思う。他に小澤とヨー・ヨー・マによる録音もあるが、それを聴いてぼんやりした印象しか得られなかった人は、是非こちらのギーレンとシフの盤を聴いてほしい。曲の魅力がよりくっきりと伝わってくることだろう。 現代詩篇は、シェーンベルクの最後の作品だ。「モーゼとアロン」を思わせる語りと合唱と管弦楽のための音楽であり、語りはシェーンベルク作品の語り手として史上最高のギュンター・ライヒだ。謎めいた不気味な合唱やオーケストレーションは、最晩年までシェーンベルクの想像力が衰えなかったことを生々しく伝えてくる。 そして管弦楽のための変奏曲だが、これは意外にも穏やか、和やかと言ってもよい音楽づくりで、むしろ驚かされる。細やかな対位法の隅々まで命が吹き込まれ、楽器たちは生き生きと対話する。クライマックスの12音すべてを鳴らした不協和音さえ、カタストロフィーよりは、世界の理想の調和を願った音楽と響く。 録音の音質も大変に良い。 ギーレンの、シェーンベルクに対する理解と愛情の深さに感じ入る名盤という他はない。

    伊奈八 さん

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  • シェーンベルクのピアノ曲集の古典的名盤というと、グ...

    投稿日:2021/08/12

    シェーンベルクのピアノ曲集の古典的名盤というと、グールド盤とポリーニ盤ということになろうが、私見ではどちらもお奨めしづらい。グールド盤は感情移入のし過ぎで分かりづらく、ポリーニ盤は人間味が薄くて分かりづらいからだ。しかし、改めて聴くとその人間味の薄さの中に妙味がある。3つのピアノ曲Op.11は、高い技術で音楽が運ぶ割には曲のドロドロした人間味とポリーニの個性が合わないのかさっぱり伝わらない。6つのピアノ小品Op.19も、この曲から聞きたい抒情味に欠ける。ところが、シェーンベルクのピアノ曲の中でも難解な5つのピアノ曲Op.23から俄然面白くなる。変化し続ける曲想に、ポリーニは実に生き生きとついていく。肉体が透明化していくような虚無感と、生の充実というアンビバレンツが面白い。さらに、ピアノ組曲Op.25になると、肉体も心も売り渡して機械人形と化した気楽さで、音楽が生き生きと躍動する。その機械人形に、ふと蘇る自我の記憶。そして精神的錯乱。ピアノ曲Op.33abは、倒錯的な充溢、満足の世界。これもまた面白い。それでも、この演奏がNo.1とは思わない。後発に良い演奏が沢山あるから、先入観を持たずに色々と聴いたほうがよい。

    伊奈八 さん

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