シェーンベルク(1874-1951)
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シェーンベルク(1874-1951) レビュー一覧 5ページ目

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商品ユーザーレビュー

253件
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  • 曲名辞典では《独唱・合唱・管弦楽の曲》に分類されて...

    投稿日:2018/07/04

    曲名辞典では《独唱・合唱・管弦楽の曲》に分類されている”月に憑かれたピエロ”は唱わないしオーケストラも登場しない それは朗読劇でありモノローグであり一人ミュージカルである だからシュプレヒスメンテ(独唱というより独演)は女優のスコーヴァが担う 周囲を五人の器楽奏者が囲う ピアノは内田光子 シュタインベルクはVnとVa持ち替え ハーゲンのVc ピッチニーニのFl マクギルはB-Cl, A-Cl, Bass-Clの持ち替え 第一次世界大戦前夜のデカダンの風が吹いている 無調の抒情が生きる孤独と存在の甘さを月光の下に語り歌い叫ぶ 人によっては不気味にまた神秘的に聞こえるだろう 妖しい青い光だけが無機質に人間喜劇を照らしている ここに何を聴くか それは人次第だろう ただ視覚が扶ける効果は大きい あなたも如何

    風信子 さん

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  • (別に中古盤のcdレビューではありませんが、ここしか...

    投稿日:2018/06/11

    (別に中古盤のcdレビューではありませんが、ここしか見つからなかったので‥‥) シュトイアーマンってギーレンのおじさんでシェーンベルクの弟子とか?そういう流れかぁ。納得。新ウィーン楽派の三人の方が馴染みがあるだけ面白いけど、叔父・甥の曲も詰まらないことはない。ギーレン、冷血とかいわれるけど、シャープってだけで不感症じゃないよね。克明だしブーレーズより彫りも深い。録音もとても良い。オケも、歌も良い。

    mari夫 さん

    1
  • 鮮烈を極めた曲であり演奏である。74年吹き込みとは思...

    投稿日:2018/06/01

    鮮烈を極めた曲であり演奏である。74年吹き込みとは思えないくらい録音も鮮烈。ギーレンの楽曲コントロール能力は全く目覚ましくも厳しい。オケも、シュプレッヒシュティンメが多用される声も、互いに融和されることを拒否して、モダンアートのコラージュに比すべき効果を上げており、それが曲の主題であるユダヤ一神教の苛烈さを余す所なく示している。

    mari夫 さん

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  • ブーレーズの名演のひとつ。彼はこの曲を再録音しなか...

    投稿日:2018/05/05

    ブーレーズの名演のひとつ。彼はこの曲を再録音しなかった。いたってクールで透明感あふれるサウンド。これに比べると他の録音はごたごたと情報量も多いが階層化されておらず平凡に感じる。ブーレーズに選ばれた独唱陣もパンチに欠けるが正確で突出しない。際立っているのは語りでシュプレヒ・ゲザングのニムスゲルンはここで他を圧する名唱を聴かせる。朗誦の後半でいきなり歌い始め、その後に続く混声合唱による賛歌につなぐ。究極の肯定になるこの合唱もこの頃のブーレーズの超人的な手腕に引かれてとても感動的。昔出ていたシェーンベルク選集に収録されている盤を所有しているが、トラックもないしSACDにでもなったら買いなおすのだけど検討してもらえないかなあ。

    ウォンバット さん

    0
  • ポリーニの出発の頃だから かれこれ半世紀近く前の録...

    投稿日:2018/02/24

    ポリーニの出発の頃だから かれこれ半世紀近く前の録音ということになる 折に触れ聴き続けてきた 情に溺れそうになった時 優しさが枯渇しそうになった時 青い夜に 朽葉色の昼に 思い出してはディスクを引っ張り出してきた 日常の音楽的環境では受け止めきれない迷妄した心理をフラットな地平に降り立たす働きをしてくれた そこでは情感は絶たれたというが然にあらず 物としての音楽が鳴り響いた時 その背後に隠しても隠しきれない生の感情が溢れている ポリーニは即物としてピアノを奏しながら 確かにシェーンベルクの幾分朴訥な直情を見抜いていた 後半ほど少し引き過ぎてしまった感が否めないが やはり今も音楽の生命を失っていない演奏だ もう技法を論ずる必要も興味もなくなった ただ音楽があるばかりだ 朋は憶えているだろうか あたなは如何 

    風信子 さん

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  • シベリウスとシェーンベルク、考えてみれば同時代の人...

    投稿日:2017/07/23

    シベリウスとシェーンベルク、考えてみれば同時代の人なんですね。同一曲種で子の2人組み合わせはバイオリン協奏曲(Vn.:ヒラリー・ハーン)に次いで2枚目です。シベリウスはターニャ・テツラフのチェロが雄弁です。シベリウスが終わって、いかにもシェーンベルクっぽい響きが聴こえてくると何となくほっとしてしまう私は変でしょうか。

    ガメラ さん |50代

    0
  • 舞台上演するとなると、超巨大編成オケをオケピットに...

    投稿日:2017/06/06

    舞台上演するとなると、超巨大編成オケをオケピットに入れるだけでも大変だが(ピットを拡張したようだ)、結果はなかなか面白い。もちろん最後のシュプレヒシュティンメも担当する女性のナレーターが第1部と第3部の前にシェーンベルクが作曲していない原詩(ドイツ語訳)の一節を朗読して状況説明を補足するという工夫があるが、それ以外はすべて原曲通り進行。演出は第1部からすこぶる的確だが、やはり観て面白いのは第3部。普通の演奏会形式の演奏でも鳥肌がたつ場面だが、舞台を埋めつくすゾンビ兵士達の男声合唱は迫力満点。しかも例によって、オランダの合唱団の実にうまいこと(ショスタコの交響曲第13番の合唱で最も良いのが毎度、オランダの合唱団であることが思い出される)。第1部から舞台上にいたヴァルデマール王の分身が実は・・・・だったというのも秀逸な工夫だし、HMVの「商品説明」に写真がある大団円の演出も文句なし。声楽的にも至難なヴァルデマールのパートを演技しながら歌いおおせてしまったブルクハルト・フリッツにまず大拍手。やや太めながら見た目もそんなに悪くない。エミリー・マギーとアンナ・ラーションは相変わらず見事。マルク・アルブレヒトの指揮も精細かつスケールも大きい。

    村井 翔 さん |60代

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  • まもなくバイエルン州立歌劇場の『タンホイザー』が日...

    投稿日:2017/06/06

    まもなくバイエルン州立歌劇場の『タンホイザー』が日本でも観られるカステルッチの読み替え演出はそれなりに面白く見せつつも、作品の哲学的含意を重視した、なかなか高尚な舞台。冒頭、モーゼが神の啓示を受けるシーンでは空中でテープレコーダーが回り、そこから黒い磁気テープがモーゼのもとまで降りてくる。かつては最前衛だったが、今や時代遅れのテクノロジーになってしまったオープンリールのテープレコーダーを「十二音技法」の比喩と見れば面白い。ユダヤ・キリスト教もヨーロッパ知識人の間ではとっくに時代遅れなわけだけど。モーゼとアロンの出会い以降の場面では背景や紗幕に様々な言葉が文字として投影される。言葉それ自体が避けがたく形象、つまり「偶像」を招き寄せてしまうという最終場のテーマの先取り。アロンが幾つかの奇蹟を演じて見せる第1幕終盤(近未来風だけど実はアナログな、大きなペニスのような機械装置が持ち出される)はすべて紗幕の中で演じられ、モーゼ一人だけが紗幕の手前に出てしまう。彼だけが疎外されているという状況の鮮やかな視覚化。第2幕になるとアロンは磁気テープという時代遅れのイデオロギーで緊縛されて身動きできなくなり、人々は好き勝手に乱痴気騒ぎを始めてしまう。このシーンは白服の人々が黒い墨汁まみれになるという分かりやすいが、いささか陳腐な表象で表現され、全裸の女性(ただし一人だけ)や本物の雌牛(立派な乳房があるので雄牛ではない)は出てくるものの性的なモティーフはごく控えめ。ルール・トリエンナーレのデッカー演出のような露骨なものを期待すると、肩すかしを食う。 マイヤーとグラハム=ホール(後者はややリリックな声だが)の両主役は理想的な演唱。フィリップ・ジョルダン指揮のオケとコーラスはすこぶる精緻でありながら、オペラとしての「劇的」な面白みも十分。このコンビの近年の好調さがうかがわれる。

    村井 翔 さん |60代

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  • このところすっかり惚れ込んでいるのがこの一枚。輝か...

    投稿日:2016/01/16

    このところすっかり惚れ込んでいるのがこの一枚。輝かしいベートーヴェン全集の録音&録画でついに「世界に冠たる」クワルテットの座についたベルチャSQ。またレーベルを替えて新ウィーン楽派の作品集を出してきた。抒情組曲のカップリング曲と言えば、LP時代には同じベルクの弦楽四重奏曲 Op.3あたりと相場が決まっていたのだが、これは総演奏時間 80:32という盛り沢山なプログラム。新しい第2Vnのシャハーが「出」と「引っ込み」の呼吸を良く心得た人なので、かつてはエマーソンSQ似の双頭型クワルテットだったこの団体、結局は第1Vn主導、つまりはベルチャという名前通りの「女王様」主導の形に落ち着いた感があるが、持ち前の表現主義はもちろんまだ健在。このアルバムでは5つの楽章と抒情組曲の最後の二楽章が特に凄い。ヴェーベルンは無機的、冷たいというこの作曲家のイメージをくつがえすような演奏。何ともエロティックで、なまめかしい。抒情組曲はそもそも曲自体が、楽章が進むごとに表現の振幅が大きくなるように書かれているわけだが、この演奏では速い楽章はさらに速く、遅い楽章はさらに遅い。第6楽章「ラルゴ・デゾラート」は『ルル』の最終場みたいな陰鬱でクールな音楽という感触を持っていたのだが、これほど絶叫型の側面を見せるとは驚いた。ヴェーベルン、ベルクの後に置かれると『浄められた夜』はどうしても微温的に聴こえてしまうが、抒情組曲の最終楽章はまさしく「荒涼とした(デゾラート)」音楽なので、ちゃんとカタルシスの感じられる曲でアルバムを締めようとするのは仕方のないところ。もちろんこれも、きわめて起伏の大きい、濃密な演奏だ。

    村井 翔 さん |60代

    5
  • 青空に羽ばたく鳥を雲で描いたジャケットのほうがいい...

    投稿日:2015/12/13

    青空に羽ばたく鳥を雲で描いたジャケットのほうがいい。 演奏はアバドらしく、オケ&合唱とも見事に統率されている。

    abbadondon さん

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ありがとうございました

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