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0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2024/08/28
1903年 ムラヴィンスキー生誕 1906年 ショスタコーヴィチ生誕 1914年 コンドラシン生誕 1917年 ロシア革命、フィンランド独立 1929年 プレヴィン、ハイティンク生誕 1931年 ロジェストヴェンスキー生誕 1934年 スターリンによる大粛正開始(〜39年) 1935年 交響曲第4番作曲(〜36年) 1936年 プラウダ批判 1943年 ヤンソンス生誕 1946年 井上道義生誕 1948年 ジダーノフ批判(〜58年) 1953年 スターリン死去、 ゲルギエフ、チョン・ミュンフン生誕 1955年 ラトル生誕 1956年 スターリン批判 1961年 交響曲第4番初演 1979年 「証言」出版 1986年 交響曲第4番日本初演 1989年 冷戦終結 1991年 ソビエト崩壊 1996年 マケラ生誕 マケラはBS放送されたドキュメント内のインタビューに答えて「ショスタコーヴィチは無条件に好き」と応えていた。「無条件」とは、歴史的、政治的文脈から切り離してのことだと思う。ロシア革命や、スターリンの大粛正を目の当たりにしたムラヴィンスキー、コンドラシン、プレヴィン、ハイティンクや、戦後の冷戦期を肌で知る井上道義、ゲルギエフ、 チョン・ミュンフン、ラトル等(彼らはショスタコーヴィチ存命のただ中にあり、現代作曲家として認知していた)と異なって、1996年生まれのマケラは、「証言」の真贋論争、冷戦終結どころかソビエト崩壊すら経験できていない。ましてロシアの自治領であったフィンランドが1917年に独立して百年以上も経った今日、マケラに歴史的、政治的文脈を踏まえて演奏しろというのは無理というもの。私見であるが、マケラの演奏は、喩えれば百面相(多義的)な表情をみせる人形(スコア)をあてがわれた子供が無邪気に楽しんでいるようなものと言えばよいのかも、と勝手に解釈しております。無邪気(歴史的、政治的しがらみのない感性)だからこそ、歴史的、政治的文脈に縛られたオールドファンにとっては物足りないかも知れないが、新鮮でユニークなショスタコーヴィチ像がここにあるのではと肯定的に評価しており、この路線での全集を期待したい。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2022/10/29
異色の名演である。先だって、大阪で「ゴイェスカス」のみのコンサートで熱っぽい演奏(ホールが狭くパイクの音楽を100%響かせることができなかったように思われた)で確認したところでもある。この日からこの曲が頭から離れない。異色と言ったのは、ラローチャは別格としても、チッコリーニやルイサダに感じた、明晰な響きを背景に小粋でキリッとした歌い回しで「愛」を語るという風情とは大きく異なる。いままで彼らの演奏に聞き慣れた耳からすれば違和感とまでは言わないまでも、従来の趣とは大いに異なる異次元の演奏であることは確かである。第1曲目の「愛の言葉=口説き文句」からして大きく違う。甘く切なくやるせない情感を感じさせながら、若者の男女の恋物語をきりりとしたタッチで浮かび上がらせる語りではなく、例えようもない澄み切った目の奥に深い情念をたたえて大事な文句だけを鍛え抜かれた音の連なりで表現する大人の恋物語であり演奏である。その深々とした音は実に重く太々でドラマチック(小粋とは真逆)。しかし、メロディーラインにおいては「おや?」と思うほどに彼の指先から恋に拘泥した心を温かくほぐすように感じることができた(これこそが彼の目指す「愛」の形かと)。誤解されないように念のため言っておくが、チッコリーニやルイサダ等々の演奏が軽薄で深みのない安っぽい演奏と言っているのではない。で、この重厚で厳しい表現は終曲まで緊張が途切れることなく延々と続く。よって、本来組曲には含まれない「わら人形」が終曲の「幽霊のセレナード」で幽霊がギターをつま弾きながら消え去った後に演奏されたとき、我々の耳は「愛の言葉-愛憎の綾」の呪縛から解き放たれ、我に返る-現実世界にひきもどされたような錯覚に陥るのである。この対比の妙は素晴らしく、実演では更に見事であった。最後に、ハードカヴァー・ブックは洒落ていて、パイク自身が撮影したスペインの風景写真も多く視覚的にも楽しめる。付録に絵はがきも2枚封入されている。でも最大のご褒美は、CDのラベル印刷にある。限定盤なのでお早めに購入することをお勧めします。
8人の方が、このレビューに「共感」しています。 2022/07/29
「木を見て森を見ず」という言葉がありますが。全体的に素晴らしい演奏であれば、多少のミスは見過ごしてでも高く評価すべし、と、わたくしも思います。 しかしながら見過ごせない大きな(編集?)ミスに言及もせずに推薦盤とするのはどうかと思い、あえてレビューさせていただきます。 この「春の祭典」第一部「敵の都の人々の戯れ」で6拍分のカット、同じく第一部の「大地の踊り」で2拍分の追加が聴き取れます。素人判断で申し訳ありませんが、第一部「敵の都の人々の戯れ」では練習番号63の3拍目から、次の小節まるごと4拍分、併せて6拍分がカットされています。練習番号63の小節では2拍分しかなく、次の2小節目を飛ばして3小節目に飛んでいます。つまり 練習番号63が4拍子ではなく、2拍子になります。あたかも高速ドライブ中に一瞬道路が突然陥没して前が見えなくなるような感覚に陥ります。「大地の踊り」では、練習番号73から4小節目と5小節目の間に2拍分(4小節目の2拍と3拍目)が挿入されていて、前のめりにずっこけてしまいます(ご存じのように「大地の踊り」は終始3拍子で進行しますから、ここ1箇所だけに突然2拍子が割り込んできます)。リズムと拍節(ビート感)の連携が本質的とも言えるバレエ音楽「春の祭典」で、拍の削除や追加によってリズムと拍子が変更されていることをなります(この曲を聴き慣れている方であれば、わざわざスコアを取り出さなくとも体感的に違和感を覚えると思いますが)。 当然この削除と追加は指揮者本人の意図された改編ではなく、編集ミスだとは思います。しかしながらこの変更を指摘せずに手放しで名演と評価するのには正直躊躇します。 ベートーヴェンの交響曲第五番の出だしが、編集ミスによってウダダダダーーからウンダダダーーになっていても評価され、推薦盤になるのでしょうか? このミスは、それくらい大きな、見過ごせないものだと思いますが、いかがでしょうか?
8人の方が、このレビューに「共感」しています。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。 2022/02/18
『マ・メール・ロワ』と『ボレロ』の2つのバレエ音楽はコンプリート・オリジナル・ヴァージョンによる世界初録音、とあるがスコアと比較するかぎり、「ボレロ」はバレエ初演で使用された1928年版ではない。むしろ1929年のコンサートで使用された演奏会用ヴァージョンを底本として修復した版による世界初録音と言わざるを得ない。1928年バレエ版の録音と期待して聴いたが、残念な結果であった。また録音は優秀であるが、シンフォニア・オヴ・ロンドンの各奏者の演奏に、特に音色に魅力が乏しいのはラヴェルの演奏にあって致命的と言えるのではないか。期待が大きかっただけに失望も大きい結果となった。「ボレロ」の1928年バレエ版の録音を期待したい。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/11/11
LPで初発売されたときは見開きジャケットに最大4段のピアノスコア(オーケストレーションされる前段の略式スコアで、楽器の指示も記載されているのでフルスコア並みの理解が容易であった)が全曲付属する豪華な仕様であった。できれば、この譜面を付録にして欲しい。発売当時は前衛音楽華やかな時代で、日本の現代音楽といえば武満徹や三善晃、黛敏郎などの新作が盛んにレコード化されていた中で、この曲は「レコ芸」などでは映画音楽レベルの低級な音楽(当時は差別的な音楽観が当たり前であった)として評価された(ひどい話だが、伊福部昭のLPでさえ博物館行きといわれた時代であった)と記憶している。まあ、実際この曲の第1曲目「築城」が京都観光バス出発前のBGMに使われていたのは事実だが。それはともかく、どうせ復刻するなら音源だけでなく譜面も同時復刻していただきたい。その期待を込めて☆五つとさせていただきます。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2020/11/22
まずはブルーレイで鑑賞。そのあとCDおよびブルーレイ・オーディオでも鑑賞。素晴らしい映像と音質に大満足。そのあと、プログラムの配列とかブルーレイとCDの曲目の違い等を検討して、ふとムターまで参加しながら、なぜ名曲「シンドラーのリスト」が含まれないのだろうと疑問に思った。反ユダヤ主義の総本山の一角でもあったウィーンではやはり演奏できないのかとおもったりした。だからといって、この音盤にケチを付ける気は毛頭ございませんから、念のため申し添えておきます。ジョン・ウィリアムズのサントラのほとんどを所有する身にとって、この音盤は思いがけない僥倖でした。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2019/11/28
その昔、平林氏はチャイコフスキーの演奏を第一に押すべき名盤と高く評価し、これがあまり話題にもならないのは多くのリスナーが聴いたことがないか、性能の悪い耳を持っているかのどちらかであると断言。いかにも自分だけが性能の良い耳をもっていると言わんばかりであった。その性能の良い耳を持つ平林氏が復刻したのであるから、素晴らしいCDかと期待したが、正直期待外れ。びっくりするほど音質が向上したとは思えない。年のせいで耳の性能が悪くなったからか、50年ほど前LPで聴いたおおいなる感動もなく、平林氏が絶賛するほどの名演とはもはや思えない。一例を挙げれば第1楽章、アウフタクトからはじまる第一主題に聴くぬめっとした肌触りが気持ち悪く感じられた。その一方でフルトヴェングラー特有のアッチェレランドが壮絶でそれはそれで凄みのある演奏ではあると思われるが、だからといって第一に押だけの唯一無二の演奏でもない(フルトヴェングラーを神格化しすぎ)。あまたある名演の1つと思われる。音質、演奏ともに過大な期待は禁物である。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2019/05/04
突然見開いた両目の眼光の凄かったこと。それまで目を閉じていただけにドキッとするくらい驚いた。1966年4月12日にカラヤンの演奏会がNHKテレビで放映されたときのこと。午後7時のニュースが終了後、録画で「コリオラン」が映し出され、そのあと五番はライヴ中継で放映された。三楽章から四楽章にかけてのブリッジまで目を閉じていたカラヤンが、四楽章の開始直前、ハ長調ドミソの主和音が鳴り響く直前に大きな目を開き、決然と四楽章に突入していった様は迫力満点で凄かった。第一主題が高らかに鳴り響くとすぐさま目を閉じてしまったが、五番が終わっても興奮がおさまらず、その後に録画で放映された「田園」は聴いたと言う以外ほとんど記憶がない。その後は、「第九」や当時は聴いたこともなかったブル8、「英雄の生涯」などもテレビやFM放送(再放送も含めて)で鑑賞し、これらの名曲に触れる機会を与えてくれた来日公演だった。来日前後から宇野功芳氏や遠山一行氏などの著名な評論家がこぞってカラヤン批判を新聞や雑誌で展開し、果ては音楽とは無関係の美術系の機関誌にもカラヤンのファッションまで含めた批判文が掲載されたほどであった。また記者会見ではカラヤンに「ナチスの党員番号」が質問されたこと(質問者はある評論家に頼まれた由)が話題になっていたことが思いだされる。で、思い出のついでにと記憶を確かめるために購入。思った以上に良質な音質によってとうの昔、忘却の彼方に消えかかっていた半世紀前の記憶が蘇り、当時のスーブニールとして充分楽しめたセットであった。かような人間に演奏の評価について客観的な判断ができるはずもなく、記憶も思い入れもない他の方にお願いしたい。
11人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/07/16
実物をまだ聴いていないので間違っているかも知れませんが、自分が気に入ったテイクだけを編集ソフトで順番につなぎ合わせれば、世界で唯一の、自分の自分による自分のための「ゴルトベルク変奏曲」ができあがることになるのだろうか。もしそれが可能だとすれば何通りの「ゴルトベルク変奏曲」ができるのだろうか。同じ演奏家であり、同じ解釈でありながら、微妙に異なるリズムやテンポ、はたまたミスタッチや雑音も含めて何種類もの「ゴルトベルク変奏曲」が楽しめるとしたら、空恐ろしいような。私的に楽しむ範囲ならまだしも、グールドの死後50年で権利が消滅すれば、優秀な編集者が競ってお気に入りのテイク音源を組み合わせた何通りもの「ゴルトベルク変奏曲」CD(グレン・グールド「 ゴルトベルク変奏曲」○×△編集版)が市販される可能性だってあるのではないか。そして、どの組み合わせのCDが最高か、なんて音楽評論家やファンが論評しあうことになるのだろうか。
11人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/03/23
第三楽章、慣例のカット8小節(ランパル編曲フルート協奏曲でもカットされたまま)を復活、多分唯一のノーカット完全版だと思われる。それだけでも貴重な音源。グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン周辺の草原や高地に住む人々の節回しが、私の耳には砂漠の民、ヘブライのような節回しに聞こえて、あ、と驚かさせる。豪放磊落な調べにどことなく哀愁が漂ってくるのである。これはこれで楽しめる。
5人の方が、このレビューに「共感」しています。 2014/10/19
アルバムコレクションのコンプリートであって、CBS全録音ではない。それ故か、残念ながら、ラヴェルの「ジャンヌの扇」や序曲「シェラザード」は含まれてはいないようで、どこにも見当たらず、ブックレットにも記載されていない。他にも含まれない曲があるやもしれません。演奏が問題意識の明確な素晴らしいものだけにもったいない仕様である。
5人の方が、このレビューに「共感」しています。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2013/08/01
2013年は「春の祭典」初演100周年ということで、毎月のようにディスクが発売されているが、ニジンスキー振り付けのバレエ演目のディスクは見当たらない。今年の5月にパリのシャンゼリゼ劇場でこのディスクと同じメンバーで再演されたようで、ぜひともその時の模様を発売してもらいたい。理由は、これの映像編集が全くもって不十分だからだ。曲と振り付けが消化不良のまま編集されているために、二人の天才の合作であるところが伝わってこない。「春の祭典」の真骨頂である複合的リズム(ニジンスキーの振り付けはストラヴィンスキー以上に複合的といわれている)からなるバレエの様相をもてあましている。それにしても、最後の「いけにえの踊り」の振り付けは傑作である。わずか5分足らずの踊りではあるが、目頭が熱くなった。「春の祭典」で泣きそうになったのは初めての体験であった。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2012/11/07
このアルバムの白眉は、10番全曲(クック版)の演奏。手元にインバルの演奏も含めて13種類のCD音源があるが、このアルバムの演奏が最もすぐれている。これだけでも購入する価値があろうかと思う。マーラー自身が完成させたものでない故に、マーラーの作品列に含めない見識もあろうと思うが、マーラーが作ったのではないとして、終楽章のフルートの主題が登場するところから終わりまでの音楽は、第九番の終楽章にみられるはしたない慟哭をはるかに超えた、それまでの次元と異にする音楽が鳴りきっている。そう思わせる優れた演奏である。勘違いかもしれないがオケのメンバーの何人かもうっすらと涙目のような気がした。おそらく現在唯一のヴィデオ音源と思われるがこれだけの演奏は今後ともそうないであろう。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2012/08/08
フルトベングラーの神々しい演奏風景。それを瞬き一つせず聴き入る工場労働者たち。この映像はどうみたって演出されたはめこみ映像ではないか。それよりも、精神的に深いと言われたフルトベングラーの第1の理解者たちである当時のドイツ国民の多くがナチス協力者なのだから驚く。精神的な音楽に随喜の涙をながす人間が、このていたらくなのだから本当に驚く。要は精神の深さと善悪はイコールではないことの実証ではないか。精神的に深い演奏に感動したからといって、その人間が本当の意味で人間的に成長するわけではないのだ。フルトベングラーを乗り越るために、カラヤンが善悪と無関係な美の世界に没入した理由がやっと分かった。精神的に深かろうが、浅かろうが善悪とは無縁であることを知らしめた優れたドキュメントである。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2010/11/28
ラヴェルの最初のオペラで小粋な「スペインの時」と掛け値なしの最高傑作「子供と魔法」の両曲をまとめた珍しいDVD。両オペラともこれ以外にDVDは発売されていないのでは。あとは「子供と魔法」でジリ・キリアンのバレエ版のDVDが発売されているのみではないだろうか。実演のほうでも見る機会は少ないようである(演奏会形式はまれに聞かれるが)。それだけに、それぞれの名曲の舞台を一度も見たことのない人は必見です。ラトルの「子供と魔法」は最近BPOとのCDが出ており、それに較べるとDVDのほうは声楽人やコーラスの精度で不十分な印象を否めないが、幻想的な映像とあいまって申し分ない。「スペインの時」のほうは、残念ながら標準止まりか。演奏に喜劇らしい弾むようなリズムとラヴェル特有の精緻な響きが声楽からもオーケストラからも聞こえてこない。平均的な演奏になってしまったのが惜しい。それでも導入のクリスタルな模倣のような輝きからラストの弾むハバネラによる四重唱まで、この曲が他の名曲オペラに劣らない名曲であることを充分伝えてくれる演奏である。
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