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日本ムラヴィンスキー協会主宰企画完結編

2003年6月12日 (木)

ムラヴィンスキー生誕100周年記念アイテムが続々リリース!
→作曲家、ムラヴィンスキー
→ドキュメンタリー、ライヴほかDVD
→EMIグレート・コンダクター・シリーズ
日本ムラヴィンスキー協会音源、第4弾、ついに最終回
今までの協会音源中最もオケに近い音像!
突き破るダイミックレンジ!
1979年ムラヴィンスキー最後の来日!

ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調『田園』
ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』より 前奏曲と愛の死
ワーグナー:楽劇『ジークフリート』より 森のささやき
ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』より ワルキューレの騎行
(1979年5月21日東京文化会館)
ムラヴィンスキー(指)レニングラード・フィル
平林直哉 (ライナーノートより抜粋掲載)

 1977年秋のムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの日本公演で、魂を引き抜かれた肉体のような経験をした者にとって、次の1979年の公演がどれほど待ち遠しかったことだろう。そして、このディスクにそのまま収録された一夜、ベートーヴェンの《田園》から幕を開けた演奏会もまた、未曾有のものだった。その実際の印象と、このCDから出てくる音の違いを述べるのは非常にむずかしいが、誤った先入観を与えない程度に、ごく大まかに述べると次のようになる。まず、《田園》はCDで聴くとかなり感触の固い、厳しい演奏に聴こえるが、実際はもっと柔らかく繊細な感じが強かった。ことに第4楽章の「嵐」は予想以上に柔らかかったと記憶している。しかしながら、今回の録音は過去に出たムラヴィンスキーのほかの《田園》よりもその個性が顕著であり、その点は非常にありがたい。《トリスタンとイゾルデ》は冷たく透明な音色が微妙に変化する様子が印象的だったが、その特徴はこのCDでもかなり入っていると思う。この曲の前奏曲から愛の死へ移行する部分でのコントラバスの極端なピアニシモは、生で接した時は身体が凍り付くほどだった。とにかく、ピアニシモというものが、いかに深い響きを持つのか、この時初めて知らされたのである。さすがにこの録音では限界があるものの、聴衆の異様な静けさから(ホールは満席だった)、その凄さを敏感に感じ取る人はいるだろう。《森のささやき》は開始部分の弦楽器の弱音が素晴らしい効果をあげていたが、CDではその豊かさが実感されにくいのはやむを得ないところだ。最後の《ワルキューレの騎行》は実際、信じられないような凄まじさだった。あの時、本当に文化会館が崩れてくるのではないか、自分は竜巻の中に入っているのではないか、そんな印象だった。開始の一撃も、生演奏ではいきなり刃物で斬りつけられたような感じだったが、このCDも含め、ほかの録音も同様にその雰囲気が入っていないのはちょっと不思議に思う。しかしながら、この録音は今まで出ていたCDなどよりもさらに生演奏に近い印象があり、ムラヴィンスキーを偲ぶには恰好のものである。
 この日の演奏会、演奏がすべて終了し、指揮者はもちろん、楽団員も全員が楽屋に戻り、舞台の照明も消された時だった。いくらかの聴衆は、舞台の最前列に吸い寄せられるように集まり、指揮者の再登場を拍手で催促した。当時の旧ソ連という閉鎖的な体制、そして、容姿から推測して愛想が決して良いとは思えないこの巨匠が、この要求に応じるとはとても思えなかった。だが、しばらくすると舞台の照明が再度点灯され、ムラヴィンスキーは再び舞台に現れた。彼は手のひらを胸の前で合わせ、その暖かい拍手に対して心からの感謝の念を表すよう、深々と一礼し去っていった。会場を出る聴衆は、その想像を絶した演奏のために言葉を失ったのか、ほとんど全員が無言で帰路についていたように思う。すると、後ろの男性が夢からさめやらぬといった口調で、こう言ったのを私は耳にした。「おい、《ワルキューレの騎行》凄かったよな.....」。その男性の連れと思われる人物は、それに対して何も返答しなかった。(ひらばやしなおや 音楽評論家)


グラズノフ:交響曲第5番変ロ長調作品55
チャイコフスキー:バレエ『眠りの森の美女』より 序曲
チャイコフスキー:バレエ『眠りの森の美女』より アダージョ
チャイコフスキー:バレエ『眠りの森の美女』より パノラマ
チャイコフスキー:バレエ『眠りの森の美女』より ワルツ
ームラヴィンスキーの日本における最後の演奏会ー(1979年6月8日NHKホール)
ムラヴィンスキー(指)レニングラード・フィル
平林直哉 (ライナーノートより抜粋掲載)

 ムラヴィンスキーが1973年から1979年まで2年おきに合計4回も日本を訪れたことは、実はとてつもないことだったというのが最近になって判明した。厳しく長いリハーサルを必要としたムラヴィンスキーとレニングラード・フィルが、ごく限れられた回数しか国外で演奏しなかったのもある程度想像出来ようが、シベリア鉄道と船を乗り継いで行かねばならない東洋の国に、あの気むずかし屋の巨匠が4回も訪れたのだ。中には「それは旧ソ連政府当局の命令だった」と言う人もいるだろう。しかし、たとえ政府の命令であっても、良い音楽をすることとは無縁とムラヴィンスキーが判断すれば、彼はそれをきっぱりと断っていたのである。やはり、彼が日本の聴衆を愛していたのは本当だったのだろう。
 ところが、かつて幻と言われていたムラヴィンスキーの来日も、4回目となる1979年になると、さすがにありがたさが若干薄れていたことは事実だった。ことにこのディスクの演奏会のようにプログラムが地味であり、しかも会場が巨大なNHKホールとなると、私自身も含め、敬遠した人は多かった。この6月8日に会場へ足を運んだ人によると、会場は空席が非常に多かったという。
 その2年後、予想通り1981年6月、5回目となる来日公演は告知され、チラシも配布された。ところが、ムラヴィンスキーの病気を理由にその公演はキャンセルされ、その後も来日の噂は何度か浮かんでは消えていた。1986年、年齢的に考えて今度こそ最後のチャンスだと言われ、この時は直前まで「来る可能性は大」と報道されていた。しかし、土壇場になって指揮者の病気を理由に、来日は中止された(レニングラード・フィルはやってきたが)。
 奇しくも日本で最後の演奏会となったこの1979年6月8日、ムラヴィンスキーに直接花束を渡す機会を得たという人物に、私は直接話を聞いたことがある。彼は花束を渡す時、ほんの一瞬、巨匠と視線が合った時のことを感慨深げに語ってくれた。「あのモス・グリーンの深い深いまなざしは、一生忘れられない」と。そして、「まさかあの日の演奏会が、ムラヴィンスキーの、日本での最後の演奏会となるとは」ともつぶやいていた。
 なお、この日のプログラムの最後はチャイコフスキーの《フランチェスカ・ダ・リミニ》が演奏されたが、残念ながら録音は残されていないという。(ひらばやしなおや 音楽評論家)


これまでの演奏とは桁違いの気迫が特筆。
それにしても凄まじい記録である〜音楽評論家 平林直哉
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
ムラヴィンスキー(指)レニングラード・フィル

録音1975年6月7日 東京文化会館ライヴ
★「悲愴のリハーサルの時です、マエストロは譜面を読みながら“なんて素晴らしい曲を作ったのだろう”と涙を流していらっしゃいました。その涙を見て我々はマエストロの心が乗り移って恐ろしい程の演奏会となりました」と興味深いエピソードを団員のヴァイオリニスト、エルコニン氏は語っております。実演を聴かれた方々が口をそろえて激賞する1975年日本での悲愴が甦りました。
1977年日本公演盤より、もう一段快速! チャイ5
チャイコフスキー:@交響曲第5番
モーツァルト:A交響曲第39番
ムラヴィンスキー(指)レニングラード・フィル

録音@1975年5月13日 A1975年6月7日 東京文化会館ライヴ
★ムラヴィンの日本公演はどれも壮絶な内容で知られていますが、このチャイ5も1977年来日公演(ALT 052)のものより1 段快速でこちらを支持する方も多いといいます。モーツァルトはムラヴィンが好んで取り上げた曲で十八番中の十八番。いずれにせよ尋常でない緊張感と迫力に満ちたものに違いありません。

シューベルト:交響曲第8番『未完成』、ほか / ムラヴィンスキー
平林直哉 (ライナーノートより抜粋掲載)

 ムラヴィンスキーを東京で聴いたのが、もう25年以上も前のことになろうとは、にわかに信じられない。地方から東京に出てきて初めて聴いた外来のオーケストラがムラヴィンスキーとレニングラード・フィル。そして、その数ある日本公演の中でも特に凄かったと言われるシューベルトの《未完成》を体験出来たのは、私にとっては何にも代え難いものである。

 しかし、生を聴いたことのない人がこの《未完成》を聴いたら、どのように思うだろうか? ある人はきっと、強弱の対比がやや極端すぎると感じるかもしれない。しかし、私はその時、《未完成》を東京文化会館の1階最前列で聴いていたにもかかわらず、たとえば冒頭の低弦は奏者の弓がほんの少し動いているのを見て、初めて曲が始まったことに気が付いたのである。それほど小さく、ひそやかなピアニシモだった。だから、このCDのやや弱すぎると思われる冒頭の弱音は、生の印象をある面では忠実に伝えているのである。

 さらに、この《未完成》を通して聴いた全体の印象としては、今まで出ていたCDよりもいっそう実演に近い印象を与える。しかしながら、これはあくまでも生演奏に接したあるひとりの人間の感想であり、生に接していない人が全く別の感想を抱いたとしても不思議ではない。しかし、これはムラヴィンスキーに限らず、録音というものに必ずつきまとう永遠の課題でもあろう。

 ワーグナーの演奏は生で聴いていないので、実演とCDとの印象の違いは述べられないが、《未完成》よりは生演奏の印象とそれほど違いなく再生出来ているような気がする。いずれにせよ、このワーグナーも今日では誰もなし得ない自在かつ凄まじい音響である。(ひらばやしなおや 音楽評論家)



シベリウス:交響曲第7番、ほか / ムラヴィンスキー
平林直哉 (ライナーノートより抜粋掲載)

 このディスクに収められたシベリウスはすでに発売されたチャイコフスキーの交響曲第5番(ALT052)と、チャイコフスキーの方はシューベルトの《未完成》(ALT053)とそれぞれ同じ日に演奏されたものである。

 私はチャイコフスキーの生を聴いたが、前半のプログラムであった《未完成》があまりにも凄くて頭の中が真っ白になったため、後半のこのチャイコフスキーの《くるみ割り人形》の方は、何かとてつもない響きが舞台上で鳴っているという程度の記憶しかなく、細部は何も思い出せない。つまり、私にとってはこのCDの登場によって、このチャイコフスキーを四半世紀ぶりに冷静に聴くことが出来るようになったのである。

 この《くるみ割り人形》の抜粋は天羽健三氏の労作『ムラヴィンスキー・コンサート・リスティング』(日本ムラヴィンスキー協会刊)によると、ムラヴィンスキーの生涯での演奏頻度が第5位(ちなみに、第1位はチャイコフスキーの交響曲第5番、第2位はショスタコーヴィチの同じく第5番)という、まさに磨きに磨かれたレパートリーだったのである(抜粋箇所は年代等によって、度若干異なってはいるが)。その純度と輝きは、このCDを通じてもしっかりと伝わるはずである。

 シベリウスの交響曲第7番はこれまでは1965年のモスクワ音楽院でのライヴが唯一の録音であったが、このCDの登場によってようやくこれが2種類目の演奏となった。この2種類の録音には約12年の隔たりはあるが、総演奏時間をはじめ、基本的なコンセプトはほとんど変化しておらず、主に録音方法の違いが、そのまま印象の差となっていると考えても良いだろう。舞台からやや離れたマイクロフォンで収録したためにやや音像が遠いと感じられる場面もなくはないが、全体の雰囲気感は通常の録音とは違った味わいがあるし、何よりも当日、会場に足を運んだ人達にとってはかけがえのない記念品となろう。(ひらばやしなおや 音楽評論家)



チャイコフスキー:交響曲第5番 / ムラヴィンスキー
平林直哉 (ライナーノートより抜粋掲載)

 ムラヴィンスキーの生演奏を実際に体験したことのある音楽関係者たちが集う時、必ずといって話題になるのが、「今まで聴いた生演奏の中で、どれが最高だったか?」ということである。そんな時、一同の答えは「ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィル」と一致してしまう。それも、何のためらいもなく、この答えが出てくるのである。つまり、体験者の中では、あのムラヴィンスキーとレニングラード・フィルとの日本公演は、他を完全に引き離した、ダントツの1位なのである。
 では、そのムラヴィンスキーの生演奏は、CDなどとはどのように印象が違っていたのだろうか。

 まず、CDなどで聴くと、妙に骨張った、固い感じが強い。時にオーボエが突出し、金管楽器も必要以上に荒く響くし、弦楽器もザラザラした感触のように思える。しかし、実演を聴いた感じでは、弦楽器は透明感が強くて伸縮自在であり、霧のように柔らかく立ちこめる雰囲気が強く、木管楽器は確かに柔らかさには欠けてはいたものの、全体的なバランスの中では特に違和感は感じられなかった。金管楽器も弱音から凄まじいフォルティッシモまで、その表現力の豊かさに驚いたものだった。それと、忘れてはならないのはピアニシモ。はるか彼方から、あるいは地中の奥深くからひっそりと鳴り響くようなピアニシモの効果は、今思い出しても鳥肌が立ってくるようである。

 と、このように生とCDとの違いを書いても、いかにも陳腐という気がしてくるし、言葉を並べれば並べるほどその実体からも遠くなるようにも思える。また、ムラヴィンスキーの生演奏を聴いたことのない人にとって、このような説明は、単に昔話を美化しただけのたわごと、ないしは鼻につく自慢話とも取れるに違いない。

 とはいえ、生の体験者はそれにのっとって話を進めなければならない。今回のこの録音を聴いて、一番感じたことは全体の動きが良く聴き取れることである。これは、オーケストラからいくらか距離を置いた記録用のマイクロフォンのおかげなのだが、演奏会場で、あたかも巨大な生物がうごめき、時には姿を消し、あるいは蜃気楼のようにぼんやりと姿を見せるなど、あの魔術的な雰囲気が実に良く捉えられているのだ。

 ムラヴィンスキーのチャイコフスキーの交響曲第5番というと、現在では10種類にも及ぶ録音が残されているために、きっと多くのファンは「またチャイコフスキーの第5か」とうんざりするする気持ちもあるだろう。しかし、今回の演奏はこれまでのLP、CD等ではうかがいしれなかった側面が十分に感じ取られるために、私のように感動を新たにする人も多いと思う。その意味で、今回の発売はムラヴィンスキーを知る上で、実に重要なものと断言できる。(ひらばやしなおや 音楽評論家)



ブラームス:交響曲第2番,他 / ムラヴィンスキー
平林直哉 (ライナーノートより抜粋掲載)

 録音に関していえば、ムラヴィンスキーは決して仕事をやりやすいタイプではなかったようだ。入念にリハーサルを繰り返し、いざ本番となる直前、「マイクをすべて撤去せよ」と命令することもしばしばだったようだし、逆に録音する予定がなかった演奏会の終了後、関係者に「今日の録音はうまくいったか?」とたずねたりしていたようだ。

 そんなムラヴィンスキーの録音歴において、象徴的な出来事があった。それは1978年6月にウィーン芸術週間で行われたライヴ録音の発売であった。

 曲目はムラヴィンスキーの得意曲目とされたショスタコーヴィチの交響曲第5番、チャイコフスキーの同第5番をはじめ、当時は全く初めてのレパートリーであったシューベルトの交響曲第8番「未完成」とブラームスの同第2番などが含まれていたのだ。この時、1965年のモスクワ・ライヴ以来の13年ぶりの新録音ということで大いに話題となり、海外では1980年に、そして国内では翌年に4枚組のLPで発売されたのである。

 しかし、誰もが不思議に思ったのはその音質であった。ステレオ録音ではあるものの、マイクロフォンがいかにもオーケストラから遠いという感じのもで、録音嫌いと言われていた巨匠が、よくぞ許可したものだと言われたものである。

 のちに噂で聞いたところでは(噂にすぎないので念のために)、オーストリア放送の関係者がウィーンに到着したムラヴィンスキーに録音を要請したところ、案の定彼は断ってきた。しかし、関係者はどうしても録音をしたいと再度申し入れたところ、ムラヴィンスキーは「視界にマイクロフォンが入らない位置に設置するのならば許可する」と語り、録音が行われた。そして終了後、ムラヴィンスキーが試聴し、発売の許可を出したというものである。

 このディスクの録音も、同様に指揮者の見えない位置にマイクロフォンを設置してのものである。場面よっては明らかに遠いと感じさせるものの、会場全体に鳴り響いた感じは通常の録音よりもうまく再現されているとも言える。つまり、これまでのLP、CDと並行して試聴すれば、特にムラヴィンスキーの生演奏を体験したことのない人にとっては、その実体をより明確に想像出来ることになろう。

 また、こういった録音について、レニングラード・フィルの首席フルート奏者でもあったムラヴィンスキー夫人はかつて日本ムラヴィンスキー協会の招きで来日した際に、以下のように語っていた。

 「録音の要請は方々からありましたが、私の夫は試聴してすぐに〈消去せよ!〉というのが常でした。私としては貴重な録音が次々に失われていくのを残念に思いました。今となっては、録音した方々がムラヴィンスキーの指示に従わずに、消さないでいて欲しいと願っています」。

 夫人はレニングラード・フィルとの来日公演を日本のレコード会社が収録したが、それもムラヴィンスキーが試聴後に消去を命じたとも語っていた。もしもそうならば、該当する会社は当時メロディアと契約を結んでいたビクター音楽産業(現ビクター・エンタテインメント)になるわけだが、当時の担当ディレクターは「ムラヴィンスキー自身が、絶対に録音してはいけないと言ったので、私たちは手も足も出せなかった」と述懐している。夫人はレコード会社の名前も覚えていないと言うことなので、放送局の録音であったとも考えられる(なお、前述のウィーンのライヴ録音について、発売経緯はムラヴィンスキー夫人は何も知らされていないと語っていた)。

 ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルが日本に4回も来たことは、政治的、あるいは距離的なことを考慮すれば異例中の異例の出来事であった(そもそも、彼は国外での演奏旅行の回数は非常に少ない)。それだけムラヴィンスキーは日本を愛し、同様に日本のファンも大いなる尊敬と熱狂とで彼らを迎え入れた。そのため、日本にはプライヴェートで収録された録音テープはほかにも存在すると言われている。それらがすべて公になる日はいつかはわからないが、多くの関係者などの尽力により、早期に実現することを望みたいものである。(ひらばやしなおや 音楽評論家)



日本の皆様へ
A.ヴァヴィーリナ=ムラヴィンスカヤ

 2003年6月4日は日本の文化人や音楽ファンから常に高い評価をいただいているエフゲニー・アレクサンドロヴィチ・ムラヴィンスキーの生誕百年記念日にあたります。
 貴国に演奏旅行をした際、彼は聴衆の熱烈な反応を体験しました。聴衆のなかにはスコアを携えた熱心な人も見られましたし、会場全体からも、単に音楽を「味わう」というよりは作曲者の深遠な記録を学ぶという姿勢が感じられました。

 こうした非常に誠実な聴衆の雰囲気は、ムラヴィンスキーの芸術を神業の域にまで押し上げました。彼は自己の芸術に対して常に厳しい人でしたが、日本での演奏会後しばしば、その出来に満足していました。時には、録音に残さなかったことを残念がってさえいました。彼が国外で特別なレコーディングをすることを当時のソ連政府が許さなかったことは、かえすがえすも残念なことでした。

 私が2001年に日本を訪れた際、ムラヴィンスキーの日本公演の音源がいくつか残っていることを知り、とてもうれしく思いました。私としては、ALTUS MUSICならびにキングインターナショナルの方々が快く受け入れて下さるなら、ぜひこれらの音源をCD化して発売してくださいますよう心よりお願いしたいと思います。それらは一部専門家の興味にとどまらず、ムラヴィンスキー芸術の信奉者たちの宝物となることでしょう。
 CDのリリースに祝福あれ。そして願わくば彼の百回目の誕生日にこの地でそれらが聴けますように。

  2002年11月1日、サンクトペテルブルグ。 A.ヴァヴィーリナ=ムラヴィンスカヤ   (マリーナ・チュルチェヴァ訳)

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

1979年ライヴ!

交響曲第6番『田園』、ワーグナー:『ワルキューレの騎行』、ほか ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1979)

CD 輸入盤

交響曲第6番『田園』、ワーグナー:『ワルキューレの騎行』、ほか ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1979)

ベートーヴェン(1770-1827)

ユーザー評価 : 4.5点 (20件のレビュー) ★★★★★

価格(税込) : ¥3,509
会員価格(税込) : ¥2,819
まとめ買い価格(税込) : ¥2,632

発売日:2009年04月21日
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日本ムラヴィンスキー協会主宰

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