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0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/07/29
長く統合失調症を患っていた愛妻の突然の自殺に大いなる衝撃を受けた作者が、その生と死を改めて直視しながら、頭ではなく、はらわたで書き綴った鎮魂の書である。 この小説は、ある冬の朝、縊れて間もない妻の無惨な姿をベランダの下に発見した夫の動転から始まるが、その臨場感触れるドキュメントは、異様な迫力とリアリティを備えていて、私事ながら最近救急車でIRに担ぎ込まれた個人的な体験が鮮やかに蘇えった。 医師や病院、そして警察、葬儀屋まで、両の目と耳に刻まれた未聞の事件と体験を正確無比、非情なまでに再現していく作者の筆の冴えは、尋常のものではない。恐らく作者が半世紀もの昔に慣れ親しんだ、「客観的な事実の徹底」を唱えたアラン・ロブ=グリエのヌーヴォー・ロマンの手法などが、無意識に反映されているのではないだろうか? 妻の突然の死で始まったこの小説の第1部は、通夜と葬儀で終わるが、やがて作者の眼と心は、有名な歌人でもあった妻との出会いを語りながら、彼女と共に生きた懐かしい過去へとおもむろに遡っていく。 妻の自殺の原因は、極端から極端へと揺れ動く宿痾の結果、と言ってしまえばそうなのだろうが、それでは納得できない作者は、歌人が生涯にわたって詠み続けた詠草の数々に肉薄しながら、彼女の突然の自死の謎に必死に挑もうとする。 その懸命の努力が、本書の後半の第2部、第3部で完全に果たされたとは思われないが、妻と愛憎を共にした長い長い時間を、さながらプルーストのように、書きながら発見し、創造する中で、作者は「妻という他者」、そして「家族という他者」、さらには「知られざる自分という他者」とはしなくも巡り合い、再認識し、もうひとつの人世、ダンテの「新生」のような新境地に辿り着いたのではないだろうか。 余事ながら、井口葉子氏によるカバー油絵「persona」が、お会いしたことのない故人を偲ばせるように、傷ましくも美しい。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2018/05/16
お馴染みの独廉価版ドキュメント盤で、例によって録音はあまり良くないモノラル盤ですが、ベートーヴェンとバルトークの弦楽四重奏曲の全曲を聴くことができます。 若き日のシャンドール・ヴェーグに率いられた名門カルテットの演奏は明晰にして柔軟なアプローチを心していることで、アルバンベルク以降の心身を異常なまでに張りつめた神経質な演奏の対極をいくものですが、かといって例えばオルランド四重奏団の弛緩した演奏とはまるで異なる、なんというかヒューマンな感覚の親しみやすい演奏です。 ベートーヴェンもいいですが、お国もののバルトークは、それこそ自家薬籠中の手に入った素敵な演奏を繰り広げています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/12/08
なぜだかいつものようには心弾まず。いったいどうしてこんなに淡白で燃えないのかとだんだん腹が立ってきた。オケのケルン放送交響楽団が、親分のいうことを聞かないのかな。 クナはスタジオより実演で燃えるタイプだが、曲によってはまるで冷徹な外科医の絶対失敗しない手術のような演奏をする時もあるから、まあしゃあないか。 それとも、この節の全地球的気狂い現象に、おらっちの耳と心が汚染されている証拠かもしれないな。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/09/20
リヒアルト・シュトラウス生誕150周年の2014年にリリースされたベーム指揮によるシュトラウスの4つのオペラを10枚組の廉価版モノラルCDで楽しむ。 1958年ドレスデン録音の「薔薇の騎士」はリタ・ストライヒ、ゼーフリート、ベーム、マリアンナ・シュヒ、1959年のザルツブルク音楽祭の「無口な女」はギューデン、プライ、ホッター、ヴンダーリヒ、1947年ザルツブルク音楽祭の「アラベラ」は、ライニング、デラ・カーザ、パツァーク、1960年の「カプリッチョ」はシュワルツコップ、ベリーなどの往年の名歌手が登場し、シュトラウスの直弟子ベームの練達の棒で歌いまくるから堪えられない。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/07/28
チャイコフスキーの4,5,6がロンドン響、シューベルトのグレートがシュターツカペレ・ドレスデンで、残りはすべてウイーン・フィルですが、やはりウイーン・フィルとのワーグナーやベートーヴェンの「合唱付き」や「ミサソレ」、ブルックナーの7、8番、ハイドンの88から92番の交響曲などが、悠揚迫らぬドイツ正統派の格調高い演奏です。 とりわけモザールの交響曲29、35、38,39、40,41と「レクイエム」は最大の聴きもの。全盛時代のベルリンフィルとの演奏に比べるとやや弛緩が見受けられるとはいえ、非常に遅いテンポでありながら非常な緊張と充実をはらんだ男性的なモザールの演奏は、もはや世界中のオケと指揮者から引き出せなくなった珠玉の名品といえましょう。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/07/19
フランスの女流ピアニスト、マルセル・メイエはコルトーの弟子らしいが、妙な感情移入を廃した明晰で清楚な演奏は、師の清濁併せ呑む人間臭いピアノとはあまり関係がないようだ。エリック・サティとは仲が良かったらしい。 このコンピレーションでは、シャブリエ、ラベル、ドビュッシー、クープラン、ラモーなどのフランス音楽よりもスカルラッティの方が楽しめる。
7人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/07/09
戦前戦後のベームの旧録音をVENIAS盤の聴きやすいモノラル録音できいてみる。 いま後期のステリオ盤も合わせてきいているので、モザールの「レクイエム」なんかはずいぶん印象が違うのでちょっと驚くが、やはりベームはベームなので武骨に音符を辿るその腰つき、足元は変わらない。もっともVENIAS盤はウイーン響、グラモフォン盤はウイーンフィルなので音色は全然違うけれども。 曲目はモザールは交響曲36番、41番、ベートーヴェンは9番、ミサ・ソレムニス、ブルックナーは4、5、7番など。全体的にはブルが一番つまらなくて、ベトのミサソレが一番感動的な演奏。オケはベルリン・フィルである。こういうのを耳にするとアーノンクール糞喰らえという気分になってくる。
7人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/05/22
偉大なる指揮者がストラビンスキーやクルトワイルやヒンデミットを新旧2つのフィルハーモニア管弦楽団を振って今は亡きEMIに収録した4枚組のクラシックな現代音楽物CDである。 クレンペラーもフルトヴェングラーと同様彼と同時代の音楽を演奏したけれど、現代の若手指揮者は一部を除いて消極的。そういう意味では昔よりよほど保守的になっているようだ。 このセットでは、自作の交響曲や弦楽四重奏曲も聴くことができるが、フルヴェンと同様誰かの作品の剽窃のようで、意外にも強烈な個性が感じられず、やっぱり天性の指揮者だったんだなあと思わせられてしまう。 4枚目は、彼の生涯と作品を振りかえるインタビューを交えたドキュメンタリーで、クレンペラーファンなら泣いて喜ぶだろう。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/19
レオポルド・ストコフスキーは昨日ご紹介したユージン・オーマンディの前任のフィラデルフィア管弦楽団のシェフで、なんと95歳まで生きた。 デイアナ・ダービンが主演した映画「オーケストラの少女」にカッコ良く登場したり、ウオルト・ディズニーの「ファンタジア」に曲をつけたり、ずいぶんクラシック音楽の大衆化に貢献した人だが、バッハの有名な「トッカータとフーガ」を聴いても分かる通り、その音楽のたたずまいには、あまり繊細なところはなくて、豪放闊達にして表情豊かである。 従ってここに収められた14枚の中では、やはりワーグナーの「ワルキューレ」や「トリスタンとイゾルデ」、「マイスタージンガー」や「タンホイザー」などの抜粋、マーラーの「復活」などでエキサイテイングな演奏を繰り広げている。 こういうシンプル&ボールドなアプローチは、当節流行の例えばN響首席指揮者の凡庸なパーヴォ・ヤルヴィの、何かがありそで、なさそで、結局何もない空疎なサクランボの如き神経衰弱音楽のちょうど対極にあるもので、彼の「復活」に間違って拍手喝采してしまった人などには絶対のお薦めである。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/19
アメリカのフィラデルフィア管弦楽団のシェフを長年務め、甘美かつ美麗芳醇なるフィラデルフィア・サウンドを醸造したオーマンディがチャイコフスキーの交響曲やバレエの名作を振ったソニーの超廉価版セットずら。 昔のソニー・コロンビアの録音はキンキンで耳触りが悪かったが、最近発売されるものはリミックスされているので聴感が抜群に向上してオーマンディ独特のフィラデルフィア・サウンドを堪能できる。 オーマンディの指揮は妙な小細工を排したオーソドックスそのものだが、チャイコフスキーの5番など歌うべきところはオケを十二分に歌わせ、その妙音の鳴り具合を指揮者と楽員全員で聴き惚れているようなゆとりすら感じさせるのが凡百のオケやコンダクターとの違い。 チャイコフスキーの音楽の本質を命懸けで追い詰めるムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの強迫的な演奏とは百八十度対極にある別次元での名演だと思う。 「1812年」という誰が振っても最低の駄作でも、オーマンディの手にかかるとまともな序曲に聞こえてしまうから、練達の名人というものは探せばどこかにいるものなのである。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/03/18
お馴染み独廉価版のDOCUMENTSによる超お買い得10枚組ずら。ただし全部モノラルですけど、バスバリトンの奥深い音色はいつ聞いても胸にズンと沈みますなあ。 ワーグナー、ヴェルディ、モザール、シュトラウス、プフィツナーのオペラの全曲とはいかぬまでも聴かせどころの抜粋を、次々に唄ってみせてくれまする。 しかいちばん聴きごたえがあるのはやっぱしワーグナーの6枚で、「指輪」「オランダ人」「トリスタン」「ニュルンベルグ」のいずれをとってもいわゆるひとつの本場芸とやらを堪能させてくれます。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/12/15
英国のジェントルマン指揮者サー・エイドリアン・ボールト(1889年〜1983年)の名を知る人も少なくなったが、これは彼の指揮するバッハ、ブラームス、ベートーヴェン、ワーグナーなどをセレクトした11枚組のCDである。 1枚目のバッハのブランデンブルグ協奏曲を聴いていると大編成のロンドン・フィルの管弦が朗々と鳴り響き、はなはだ精神が高揚されて痛快無比である。 確かにこれは1時代前の指揮ぶりかもしれないが、クラシック音楽を聴く醍醐味ここにあり、という気持ちに深々と浸れるのがなによりありがたい。 昨今のバッハ演奏は、その名の通り、小川(バッハ)が仔細ありげにちょろちょろ流れているようなしんきくさい神経質な演奏が大流行りだが、ボールトはその正反対で、大河が滔々と流れ来て、たがて悠々と流れ去る、というような気宇壮大でボールドな演奏をやる。実に気持ちがよろしい。ぜひお試しあれ。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/08/24
バッハからヘンデル、ヴィヴァルディ、テレマン、コレルリ、スカルラテイ、ハイドン、モザール等々の名曲をレオンハルト、ビルスマ、クイケン等の優れた演奏と録音で聴く古樂コレクションずら。 ある日突然ブリュヘンの指揮ではなく笛の演奏を聴きたくなって中古盤をネットで衝動買いしてしまったが、そのほかの演奏もみな素晴らしく大満足の全85枚組であった。 解説資料を抜粋すると、「セオン」は、テレフンケンの「ダス・アルテ・ヴェルク」シリーズのレコード・プロデューサーであったヴォルフ・エリクソンが1969年に設立したレーベルで、その録音活動は1983年まで続き、第2次大戦後に興ったバロック音楽やオリジナル楽器演奏への関心を継承し花を開かせ、現在の古楽ブームの隆盛へつなげる原動力の一つとなったそうだ。 私は古楽器による演奏はあんまり好きではないが、こういう音楽を85枚も立て続けに聴いていると、だんだんそうでもない気持ちに感化されていくから不思議なもんじゃのう。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/07/21
管弦楽曲はピエール・ブーレーズとクリーブランド管による2度目の録音であるが、最初の鋭角的な切り込が消えて全体的にまろやかな仕上がり。 人はそれを円熟というかもしれないが、これではブーレーズらしさがまるでない。 ピアノ曲ではミケランジェリの「映像」と内田光子の「エチュード」、とりわけ後者が聞きごたえがある。 私がいちばん好きなドビュッシーの作品はオペラ「ぺリアスとメリザンド」であるが、ここではクラウディオ・アバドがウィーンフィルを振っている。いかにもアバドらしい愚直な演奏であるが、あまりにもタメと外連味がなさすぎてドビュッシーらしくない。 この曲はやはりCDならアンゲルブレシュト、映像ならブーレーズだが、私が最も感動したのは70年代のマゼール&パリ管のシャンゼリゼ劇場でのライヴ演奏だった。 あの頃のマゼールはカラヤンの牙城を突く崩すほどの輝かしい演奏を世界中で繰り広げていたものだったが、その後メータ、小澤共々期待を裏切って伸び悩み、長い停滞と低迷の道を辿っていったのである。 ワルターがクレシェンドオ!と怒鳴ると即座にクレシェンドするコロンビア交響楽団 蝶人
5人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/06/29
イタリア弦楽四重奏団のモーツァルトの「ハイドン・カルテット」を70年代の旅先で耳にしたときは、最初の一音で陶然となって、なぜだか涙が出て仕方がなかった。 ああ、これがモザールだ。これが四重奏曲だ。これが弦のほんたうの響きだ。 と確信できて、それは同じ頃に聞いたクーベリックのマーラーと同様にかけがえのない音楽体験となった。 その後同じ曲をいろんな機会にいろんな団体で聴いたが、みな駄目だった。 大好きな東京カルテットも駄目だった。鉄人アルバンベルクも、てんでお呼びでなかった。 それから幾星霜、いまではとっくの昔に解散したこの四重奏団がかつてフィリップス、デッカ、DGに入れた録音を順番に、それこそ粛々と聴いていくなかに、K387のその曲があった。 「春」という副題がつけられたそのト長調4分の4拍子のその曲の、冒頭のAllegro vivace assaiを久しぶりに耳にした私だったが、どこか違うような気がして、小首を傾げた。 それはまぎれもないイタリア弦楽四重奏団の演奏ではあったが、あの日あの時、あの場所に朗々と鳴り響いたあの奥深い音ではなかった。 それから私は急いでCDを停めて、そのほかのモーツァルトやベートーヴェンやシューベルトなどがぎっしり詰め込まれている灰色の蓋をした黄色いボックスにそっと仕舞いこんだ。 半世紀近い大昔の、あのかけがえのない音楽と懐かしい思い出が、もうそれ以上傷つけられないように。
5人の方が、このレビューに「共感」しています。
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