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遊悠音詩人 さんのレビュー一覧 

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2007/10/06

    《悲劇的》というタイトルがスコアにあろうがなかろうが、この曲のテーマが悲劇そのものであることは誰の目にも明らかである。マーラーの交響曲と言えば、19世紀末の混沌の生き写しのような複雑難解さをもって知られる。何しろ、当時の心理学界をリードするフロイトが興味を抱く程の異常心理を持っているのだ。また、若き日に経験した身内の相次ぐ死の恐怖から、一生逃れられなかったことでも知られる。この交響曲が作曲された頃、マーラーはアルマとの間に子供を授かっていたが、そうした幸福の影に死への恐れがあったのは言うまでもない。従って、この曲は彼の心情吐露と言えるのである。だからこそ、荒れ狂う程の情念が渦巻くくらいの演奏でなくてはならないはずである。しかしここに聴くアバドの演奏は余りに馬鹿丁寧で、冷静過ぎる。かつてインバルでこの演奏を聴いた時、余りの無神経さ、他人行儀な有様に嫌気がさしたが、アバドもそれに迫る無機質ぶりだ。おおよそオケの技だけで勝負している。精緻なのはいいが、もっと感情の切り込みがあっても良いはずだ。また、演奏順序やらスコアの違いやらが問題視されているようだが、肝心なのは「それで何を伝えるのか」に尽きる。「音楽の中にある最上のものは、音符の中からは見つからないよ」とは、マーラーその人の発言である。またフルトヴェングラーは「書かれた楽譜の裏にあるもの」を表現することこそ、演奏の本質であるとしている。理論理屈や技巧を越えた、真の音楽を聴きたいものだ。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2007/10/03

    瑞々しい情感を湛えた演奏だ。グラズノフは、ロシアの作曲家の中でとかく地味に思われがちだ。確かに、グラズノフはプロコフィエフやストラヴィンスキーの台頭によって影を潜め、過小評価に甘んじてきた。作風も後向きである。ロシア5人組からの薫陶を受け、チャイコフスキーやリストを範としたことも影響しているのだろう。情緒に満ち、ロマンティックで、かつスラヴ的な躍動感がある。管弦楽法も素晴らしい。ボロディン風の色彩豊かで牧歌的な雰囲気を持っている。特に《田園》の第一楽章が素晴らしく、ジャケットの美しい挿絵そのままのノスタルジックかつ幻想的な音楽を聴ける。ハーモニーも独特で、不協和音になりそうなところを協和的に解決させたり、旋律を様々な楽器に橋渡ししたりする。多彩な音響を駆使し、独特の展開法を見

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     2007/09/30

    ここに聴く《ボレロ》は別次元の凄さだ。一般的に、ラヴェルは「オーケストラの魔術師」と呼ばれる程、秀でた管弦楽法の持ち主として知られている。従って、主にフランス系のオケは、絢爛豪華かつ軽妙な響きで聴かせることが多い。クリュイタンス然り、マルティノン然り、アンセルメもデュトワも、個々の差こそあれ、やはり軽いタッチで色彩豊かに描いている。中にはマゼールのように、終盤になってテンポを動かしまくる“掟破り”もいるが…。そうした中チェリビダッケは、華麗さだけで誤魔化すようなことはしない。勿論、大袈裟なデフォルメもしない。強いて変わったところをいえば、演奏時間が遅く、18分を越えることだ。だがラヴェルの指示する演奏時間は17分であり、主流である15分前後の演奏と比べると、奇しくもラヴェルの理想

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     2007/09/26

    マーラーの愛弟子にして唯一の友人であったワルター。彼の《巨人》は理屈抜きに素晴らしい。マーラーの作品は、とかく感情表現が過多になる嫌いがある。もっとも、最近マーラーを得意とするブーレーズやインバルのように、冷静過ぎて味気ない演奏は困る。しかし、かのフロイトが興味を抱いた程の非常な心理を持っており、また、苦悩に満ちた人生を送ってきたことから、そうしたアイロニーを滲ませなくてはマーラー演奏にはならないのだ。一方、マーラーは後期ロマン派の最高峰に位置する人でもある。厭世的な雰囲気の中にも、束の間の甘さを垣間見せるのだ。その点、ワルターの表現は的確で、古典的な造形美やロマン的甘美さと、皮肉や闘争心とを併せ持つ名演となっている。録音も黎明期のステレオとしてはかなりハイクオリティである。だがリマスタリングによって音の違いが出ている。国内盤のリマスタリングはいささかテープノイズが強く、音の輪郭もややぼやけた印象である。個人的には、ジョン・マクルーア監修の紙ジャケ盤を薦める。原盤の音を知り抜いた者だけが作り得る音作りで、明瞭なサウンドを味わえる。

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     2007/09/24

    バーバラ・ボニーの歌唱は清楚でよい。問題はアシュケナージのピアノだ。彼の演奏を、名前をもじって「味気なーし」と皮肉った友人がいるが、やはり味気ない演奏だ。平凡過ぎるというかメリハリに欠けるというか、とにかく無味乾燥としているのだ。ベタつくような音自体、聴くに堪えない。彼を手本とする音大生が多いが、はっきり申し上げてお薦め出来ない。なお、クララの歌曲のお薦めは、ARTE NOVAから出ているラン・ラオ/ゲリウスの演奏だ。時に軽やかに、時に情熱的に歌を紡いでいくラン・ラオの歌唱は、清潔感に溢れ雄弁だ。ゲリウスのピアノも水晶のように輝いていて、情感が豊かだ。味のある演奏である。しかも廉価で手に入る。シューマン夫妻の作品に興味のある人は迷わず聴こう。

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     2007/09/23

    格調高く、滋味に溢れた名演である。チャイコフスキーの協奏曲に見る哀愁や感傷性の表出は美しい限りだ。稀代のメロディメーカーのチャイコフスキーの作品の中でも屈指の美旋律である第一楽章主題からして、気を衒う事なく温かな歌になっている。この曲は、献呈予定だったアウアーから「演奏不可能」の烙印を捺される程、高度な技巧を要求する。だが、技巧一辺倒であってはならないことは誰の目にも明らかだ。最近のヴァイオリニストの中には、技巧を押し出す余り歌心に欠け、やたらとまくし立てるような輩もいる。勿論シェリングはその対局に位置する。技術的な素晴らしさは言うまでもないが、それ以上に気品に満ちた歌を奏でていくのがシェリング流だ。味わいがあって、自然と琴線に触れていく。一方のメンデルスゾーンも、ゆったりとしたテンポで灰暗いロマンを紡いでいく。シェリングはベートーヴェンやブラームスなどのドイツ音楽を得意としているが、ここでもそうした彼の特性がよく表れている。

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     2007/09/22

    絶賛する方には申し訳ないが、「これはチャイコフスキーへの冒涜だ」と思ってしまった程、悪趣味な演奏だった。あの美しいメロディを歌わず、何度となく不自然なルバートをかけ、余計な所で色目を使い、早いパッセージをギスギスとまくし立てるのである。音楽を凡そアクロバット演技と勘違いしている。それをヴィルトゥオジティと思うことなかれ。真のヴィルトゥオジティとは技術に終着点を置かない。本来技術は手段であって目的ではない。レーピンは確かに完璧な技巧を持っているとは思うが、問題は“それで何を伝達するのか”である。彼の演奏を聴く限り「指が早く動くこと」以外全く伝わってこない。興味深いことに、かのフルトヴェングラーは次のように述べている。「完璧であるということが、芸術作品の価値を決めるのではない。この様に考えるのは、感受性の欠如した、生れ付きの皮肉屋か俗物である」。内面的な質量で勝負する演奏が聴きたいものだ。

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     2007/09/19

    かくも叙情溢れる作品が今まで日の目を見なかったとは…ピアノ協奏曲の素晴らしさは、同世代のラフマニノフやメトネルなどと並べても決して劣らないし、むしろ比肩し得る名曲ではなかろうか。演奏も秀逸で、オケとピアノが寄り添い合い、調和している。従来の協奏曲のように互いに拮抗するような雰囲気ではないので、なかなか評価されなかったのだろう。しかし、特に第二楽章における緊密なやりとりは天衣無縫だし、ほとばしるような情緒は比類ない出来だ。主題変奏の幅も面白く、ラフマニノフのような甘美なものからエルガーの弦楽曲のようなリリカルなもの、はたまたチャイコフスキーのようなスラヴ的な部分まで縦横無尽だ。併録の交響曲も造形美と情緒が豊かで、時折ボロディンを思わせるふしもある。なかなか聴かせる演奏だ。録音も秀逸だし、詳細な解説も素晴らしい。

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     2007/09/19

    身震いする程壮絶な《悲愴》である。チェリビダッケの指揮は遅く、極限まで彫りの深い演奏になっている。静寂に始まり静寂に終わるただならぬ緊張感がある。チャイコフスキーの“辞世の句”である本作品を、単なる小綺麗なロマンティック作品とせず、作曲家の宿命的な人生を凝縮させ、精緻な響きの中にドラマティックに作り上げている。第一、第二楽章の細やかかつダイナミックな音響は、彼のブルックナー演奏にも相通じる程の美しさだ。例外的に明るいように見える第三楽章も、チェリビダッケの手に掛かると終楽章への伏線のように重々しく響き、チャイコフスキーが生涯の最後に見せた抵抗を見事に表現している。ティンパニーの隈取りも素晴らしく、まるで狂気の行進曲であるかのような荒々しさだ。終楽章、暗い地の底に沈むかのようなエンディングに打ち拉がれてしばらく息を殺すような静けさになり、やがて終演を覚って惜しみない拍手を送る聴衆にも共感する。

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     2007/09/19

    ここまで宇宙的な気宇壮大さのある《ロマンティック》は皆無だ。一音一音極限まで研ぎ澄まされ、悠久の世界を眼前に表してくれる。これはチェリビダッケが禅に深い造詣を示したことも影響しているのだろう。ブルックナーの交響曲に対し、ある評論家は「仏教的な法悦すら感じる」と述べているが、それはそのままチェリビダッケの精神性にも通じると思う。「変ホ長調による“聖音”」と銘打った冒頭のホルンからして、悟りの境地すら感じる。チェリビダッケの指揮は極端に遅いが、これに慣れてくると他の演奏が忙しなく思えてくる。空“emptiness”の世界に聞き手を誘うような、神秘的色彩をも感じ得る名演である。なお、この曲のファースト・チョイスとしては余りにも強烈な為、他の演奏を耳にしてから改めて本盤を選んでくれたら幸いである。

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     2007/09/17

    私がもし某誌を書く立場にあれば、間違いなく「特選」を付与する。冒頭の一音から、透明感溢れる世界を作り出す。まるで部屋の空気自体が澄んでくるような清々しさがある。オケの力強さもさることながら、最弱音における息を呑む程の静寂が素晴らしい。自然な呼吸で、この曲の魅力を伝えてくれる。終楽章の盛り上がりも見事。喝采を浴びるに相応しい出来である。

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     2007/09/16

    追記。CDケース裏面に「会場ノイズ」云々の記載があるが、殆ど気にならない。音割れや歪みも皆無だ。もっとも、ライヴ故演奏上のミスはあるし、アンサンブルが乱れ気味になる個所もある。また、コバケン特有の唸り声も入っている。だが、まるでコバケンの汗がスピーカーから飛んできてしまいそうな力強さがある。テンポ感覚も変幻自在、超弩級の演奏だ。終演後、熱い拍手を送る聴衆に向けてコバケンが何か喋っている。何かは定かではないが、彼ならではの風景だ。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2007/09/16

    第一番へのコメントが不足しているので補足。こちらも名演!雷鳴が轟くような第一楽章冒頭からして、厚みのある迫力の音響である。そしてピアノが静かに主題を奏でるとき、その痛切な響きに心を奪われてしまう。ギレリスのピアノはしばしば「鋼鉄の〜」と形容されるが、一方でデリケートな音も作り得ることを忘れてはならない。オケも素晴らしく、ずっしりと腰を据えたような演奏である。ブラームス特有の分厚い和音を隈取り、濃厚な世界を築いていく。時に淡々と、時に情熱的に、感情を縦横に行き渡らせている。かつてポリーニのピアノでこの曲を聴いたときは、機械的で冷たいのとオケ(アバド/BPO)の薄っぺらな響き、なかんずく音質の悪さで、全くといってもいい程無感動だった。しかし、本盤でこ

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2007/09/14

    クラシック・バレエの金字塔的存在であるチャイコフスキーの三大バレエは、単なる“バレエ付随音楽”という立場を超越した“芸術作品”である。従って余興でやるような指揮者は好まない。単なる「名曲集」ではないのだ。その点ロストロポーヴィチは表現が素晴らしく、優雅さの中にも彫りの深い情景描写をしている。この時代のBPOは勿論カラヤン黄金期であるが、カラヤンの演奏はとかく人工的で、華麗に過ぎる嫌いがある。80年代に入ると尚更で、人事的なトラブルや契約上の問題も相まって、カラヤンとBPOの関係は危機的状況にあり、従って冷たい印象の演奏になってしまっている。晩年にVPOを振るようになったのもこの為だ。とにかく、この時代およびそれ前後のBPOは、カラヤンが去ると一段と凄い演奏をする。ベームが振るモーツァルトや、ヨッフムの振るブラームスの協奏曲などを聴くと良く分かる。ロシアの巨匠ロストロポーヴィチを迎えた当録音も、水を得た魚のように鮮やかな演奏を展開してくれる。確かに《白鳥の湖》を終曲で終わらせないことには異論がある。しかし、弦楽器の厚みは素晴らしい。これはロストロポーヴィチはチェリストであることも影響しているだろう。良い演奏家との出会いの証がここにある。

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     2007/09/13

    私はかつて、ゲルギエフ/VPOのザルツブルク音楽祭ライヴを愛聴してきた。熱い演奏だった。だがこの小林/アーネム&日フィルの凄さは、そんな名演すら忘れさせる位の疾風怒濤の演奏だ。もう、度胆を抜かれると言うか手に汗握ると言うか、余りの凄さに、全身鳥肌モノだった。聴き終わってからしばらくは言葉すら出なかった。大編成のオケからは、今まで微弱で埋もれていた音すらも明確に鳴る。テンションも尋常ではなく、まさに全身全霊だ。特に終楽章が比類なく、終演後のブラボーの嵐も凄まじい。何より、心臓に直接訴えるようなエネルギーがあり、理屈抜きの感動に誘ってくれる。ここまで凄い演奏は滅多にない!

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