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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/29

    小澤の長い指揮活動の頂点をしるすと言っても過言ではないほどの素晴らしい名演。この作曲家の入り組んだポリフォニーがここまで精密に具現化されたことは、かつてなかったと思うが、それはもともと一人一人がソリストであるサイトウ・キネン・オケの力もあってのこと。短いモティーフがリゾーム状に増殖してゆくヤナーチェク音楽の「非西欧的な」特質を見事にとらえている。しかも細部は恐ろしく精緻にできているのに、決してクールな印象を与えず、全体としては温かい包容力を感じさせるのがいい。2006年のザルツブルク『ドン・ジョヴァンニ』では痛々しいほどの汚れ役(ツェルリーナ)を演じたベイラクダリアンの女狐も魅力的。ちょっと残念なのはペリーの演出。たくさんのダンサー達を動員した舞台は見て楽しいし、分かりやすいが、まぎれもなく原作の一面である、人間の営みに対する風刺・批判にはあまり重きが置かれていない。その点ではパリで収録された二種類の舞台(ハイトナー演出、エンゲル演出)に及ばないし、動物たちをほぼ完全な着ぐるみにしてしまったのも、まずい。オペラが故意に曖昧にしようとしている人間と動物の間の境界を、再びはっきりさせてしまった。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/28

    ベートーヴェンの7番は鮮烈そのもの。まだ指揮棒を持っていた頃の指揮姿が見られるが、近年はある程度、オケの自発性に任せて、あまり細かくキューを出さない小澤も、この頃はこんなに理に適った、分かりやすい指揮だったんだなと改めて思い出した。マーラー9番は音楽監督退任の際のお別れコンサートのライヴ。特別な機会の演奏であるがゆえに、第1楽章では指揮者、オケ双方とも「こわばって」しまっていて、音楽が硬いが、楽章を追うごとにほぐれてゆき、終楽章では感動的な「別れ」の音楽が奏でられる。楽章最後の盛り上がりから曲尾までの緊張感は異常なほどで、それゆえ初放送時には聴衆の咳がいかにも耳障りだった。今回のディスク化にあたっては、ノイズ除去の処置が講じられたようで、それはこのような一回限りの記録においても正しい処置だったと思う。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/27

    『ルル』最初のブルーレイディスクでもあるが、特殊な演出のせいで誰にでも薦められる出来にならなかったのは残念。舞台上にあるのは椅子一つだけ。重要な小道具であるはずのルルの肖像画も舞台上には出ない。衣装は白、黒、グレーに限られ、血糊の赤がいっそう映える。人物相互の演技に集中してもらいたいという演出意図だとしても、キスシーンはあっても性的描写はないに等しいし、経費節減以上の積極的な意義を認めがたい。見えない扉を破るために斧が持ち出されたり、死んだ医事顧問官やシェーン博士が出番を終えると立ち上がって歩み去るのには、むしろ笑える。最終場で幾つかト書き通りでないアクションがあるのが、せめてもの創意。しっかり演技のついた演奏会形式上演だと思えば不満も少ないか。しかし歌手陣は非常に強力。新星エイケンホルスは美人だし、歌、演技ともに、これまでのルル役に見劣りしない。脇を固めるラーモア、フォークト、フォレも文句なし。オケ・パートはもう少し情報量が欲しい気もするが、指揮者やオケのせいではなく、歌優先の音の録り方のせいだろう。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/26

    最初のプロコフィエフが前座どころじゃない超弩級名演。ユジャ・ワンは二年前のデュトワ/N響と共演した2番の協奏曲が既に驚異的名演だったが、今回の3番では一段とスケールアップしている。全盛期のアルゲリッチもかくやという突進力からセンシティヴな感性の冴えまで、どこをとっても超一級品。この才能にさっそく唾を付けてしまったアバド先生はさすがにお目が高い。余談ながら、彼女については「リアルのだめ」という声もあるようだが、私が思い出したのは1980年のハリウッド映画『コンペティション』で後のスピルバーグ夫人、エイミー・アーヴィングがこの曲を弾いた場面。この映画史上最高の弾きマネ演技をまだ未見の方は、you tubeでどうぞ。さて、後半のマーラーは、若書きのこの曲にはもったいないような、落ち着いた「大人の演奏」。今のアバドにそれを求めても無駄なのは分かっているけど、個人的にはこの曲には若々しい息吹きがほしい。ポリフォニックな要素のないこの曲では、せっかくのスーパー・オケも宝の持ち腐れだが、今回はホルン奏者起立があるのは、どういう心境の変化か。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2010/08/23

    録音レパートリーとしては先輩ラトルの後追いになりがちなハーディングだが、この録音を聴いて、違ったタイプの指揮者になりそうな予感がしてきた。ご存じの通り、和声的にはとてもシンプルというかアルカイックな曲だから、指揮者が存在意義を示そうとしたらアゴーギグをあちいちいじるぐらいしか、やることがない。ラトルはまさにそういうタイプの演奏で、テンポの操作に遊びがあるスマートで都会的な味わい。ところがハーディングはまったく逆で、テンポの緩急は楽譜通りのことだけというストレート勝負。「焼かれた白鳥の歌」の伴奏部を聴けば分かる通り、感覚的にはとても洗練されているけれど、オルフの本場ミュンヒェンでの演奏ゆえか、泰然自若の横綱相撲。これを若いのにご立派と褒めるか、若いんだからもっと暴れたらいいのに、と思うかで評価が分かれるが、私は後者の方。声楽陣は強力。ラトル盤と同じゲルハーエルも、第2部などかなり表情を作っていたあちらと違って、ストレートに歌うが、声質から言ってもキャラから言ってもこの曲には完全にハマリ。合唱、特に少年合唱のうまさとプティボンの魅力(ちょっと音程あやしいけど)でラトル盤に勝っている。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/19

    第1楽章序奏のチェロとホルンの遠近感の付け方(譜面上はチェロがpp、ホルンの合いの手がpだが、逆に聴こえる)から始まって、終楽章冒頭の特別にテンポの遅い2小節の扱い(これだけ遅いのは初めてではないか)まで、細部に色々と工夫のある演奏だ。第1楽章展開部頭のティンパニをppの指示に反して、強く叩かせるのも面白い。さすがに9番は名作、きっちり演奏されると聴き応えは十分だが、しかし肝心の音楽的感動に関しては、かなり留保をつけざるをえない。つまり、強さに関してはfff(「最大の力で」とドイツ語の注釈つき)だの、速さに関してはプレストだのと凶暴な表現が求められている所で、この録音はリミッターをかけてしまっているような印象があるのだ。このお上品さ、あるいは慎重さ、臆病さはこの曲に限っては肯定できない。バーンスタインのような主情主義的演奏が幅を利かせていた1960年代ならいざ知らず、なぜ今になって「出し遅れの証文」みたいに新即物主義的演奏なのかと、コンセプトには疑問もあったこのシリーズだが、カーペンター版での録音が予定されている10番には期待してますよ。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/17

    最も良いのはハンプソンの歌う『角笛』からの5曲で、劇的な表情が曲に合っている。彼はオケ伴での『角笛』歌曲集の録音はなかったので、できれば全曲録音してほしかったところだが、所詮はこれまでの落ち穂拾い録音、それは無理なのかもしれない。『さすらう若人の歌』はかのバーンスタインとVPO以来の録音。こちらは細やかな表情で歌っているが、室内楽的で精妙な伴奏はこれまでのシリーズ通り。第2曲、第4曲の終わりで一瞬にして明から暗に転じる和声の変化のつかまえ方は見事だ。『リュッケルト歌曲集』はシェーファー/エッシェンバッハの恐ろしく明晰で緻密な演奏を聴いたばかりなので、やや分が悪いが、あれはちょっと異例なほどの出来なので、グラハムの大柄な歌も決して悪いわけではない。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/11

    私がナマで聴いた東京での演奏会では、あまりに激しい打鍵のため、D.960の第2楽章中間部でピアノの弦が切れてしまった。複数ある(2本または3本か?)弦のすべてが切れたわけではないので、演奏会は続行できたが、実際、この絶望的に暗い第2楽章を聴いた後、第3楽章に進むのは難しい。この2枚組CDの1枚目がD.960の第2楽章で切れているのは、そのための絶妙な配慮かと勘ぐってしまう。この2枚組を聴き通すのは本当に難行苦行に近いが、晩年のシューベルトの心の深淵を覗いてみたい人は、ベスト100に入ったこの機会に買ってみても良いかもしれない。私もよほど体調万全、聴いた後しばらく落ち込んでも大丈夫な時しか聴く気になれない演奏だが、ある種の人にとっては一生の宝になるような文化遺産が1800円で買えるとは、考えてみればCDとは安いメディアかもしれない。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/11

    11月にはN響に客演して2番(復活)を振るので、日本でもシュテンツの指揮が見られるが、輸入販売元はこの指揮者の「売り方」を考え直した方がいいのではないか。派手な大立ち回りを演ずるタイプではないとしても、若手らしくシャープな感性の持ち主で、ドイツ伝統の楽長タイプではもはやない。「埋もれた」声部を巧みに浮き立たせる彼の手腕の冴えは、マーラーとしては比較的オーケストレーションが薄い4番やこの「角笛」歌曲集で良く聴くことができる。エルツェはヴェーベルン歌曲集(DG)と1999年グラインドボーンでのメリザンド役以来のファン。さすがにちょっと老けたが、歌い回しはまだまだ魅力的。フォレはニュートラルな歌曲歌いの声ではないが、この曲集ではオペラティックな歌い方も悪くない。曲の配列も指揮者が決めたものと思われるが、「原光」を「歩哨の夜の歌」の次に持ってくるとは、実にうまい。「死んだ鼓手」「浮き世の暮らし」「天上の生活」と続く最後の3曲は痛烈だ。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/04

    今さらこの天下の名曲にケチをつけても仕方がないが、『幻想』はもちろん恐ろしく清新な革命的作品であるのは確かだが、ベルリオーズとしてはやはり若書きの曲。演奏時間の最も長い第3楽章などはテキトーに演奏されるとどうしてもダレてしまう。しかし、このサロネンの演奏ほど「テキトー」の対極に位置するものはない。ブーレーズの旧録音以来、アバド、ティルソン=トーマスなど、この曲の精密な録音は数々あったが、ライヴでのこの水準にはぶったまげるしかない。しかも、一昔前のサロネンなら「考えうる限り、最も緻密に演奏しました」というだけだが(それはそれ自体、凄いことなのだが)、今の彼はそれだけでは終わらない。終楽章最後の追い込みなどは、この曲ではもはや定番かもしれないが、第4楽章終盤での減速+急加速には思わずのけぞる。つまり、精密でありながら、必要とあればハッタリもかますという、十分にロマンティックかつ情熱的な演奏なのだ。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/27

    フランクフルト放送響との前回録音は長らく私にとって、この曲のベスト盤だったが、今回は全く様変わりしている。ポルタメントなど総譜の指示に忠実な緻密さは変わらないが、透明でクリアな前回録音とは違って、非常に繊細で曲線的な、小粋と言うべき音楽になっている。量感は乏しいがデリカシーに富む都響の弦の音が、まさにこういうアプローチにぴったり。第3楽章第1主題など史上最美と言ってもよいだろう。相当にエキセントリックだった(以前、一度だけある席でご一緒したことがある)この指揮者の人柄も年月を経て丸くなったのだろうか。ただし、ほぼ同時期に同じレーベルから出たホーネックの録音に比べると、昔ながらの4番のイメージに沿ったメルヘンチックな解釈であり、フランクフルト時代の新鮮さから後退していることは否定できない。どちらを好むかによって、聴き手の4番に対する姿勢が試されることになるが、この曲をアイロニーに満ちた、悪魔的なパロディ交響曲と考える私は断然、ホーネック支持。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/26

    第5〜第9の交響曲五連作のなかでは最大の傑作だと思うが、初演者ムラヴィンスキー(私がよく聴いたのは1982年録音のフィリップス盤)のあまりに禁欲的な、荒涼たる雪景色のような演奏に対し、もちろん悲劇的な作品ではあっても、現代の指揮者たちは途中の風景をもっと細やかに楽しませてくれるようになった。第3〜第4楽章の劇的なコントラストに関しては、さすがに先輩ゲルギエフに一日の長があるように感じるが、緻密さと長大な第1楽章の抒情ではペトレンコに軍配を挙げたい。極めてデリケートな終楽章の起伏を丁寧に描いているところにも好感がもてる。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/18

    これは誰もが認める「最高」の演奏で、私の出る幕もあるまいと思っていたのだが、ドゥダメル否定派の皆さんもまだ根強いようなので一言だけ。指揮者+オケ双方のリズムの切れは、やはり前代未聞と言うべきでしょう。しかも、ただ大音量で押しまくるだけではなく、畳みかけるところと引くところの切り替えがちゃんとできている。いわば全員攻撃、全員守備の規律のとれたサッカーチームのような演奏。これに比べるとブーレーズ、サロネンですら硬く、クールに過ぎると感じるほどで、『春祭』に関しては当分、文句なしのベストワンとして推せる。さほど面白い曲と思わなかった『マヤの夜』もこういう演奏だと魅力全開。単なるストラヴィンスキーの亜流ではないことも、はっきりと分かる。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/17

    グート演出の『フィガロ』で既に拒否反応の人には決して薦めないが、演出・演奏ともに極めて興味深い、現代ならではの上演。演出は「地獄落ち」という出来事を超自然的な次元なしに説明しようとする「神なき時代の『ドン・ジョヴァンニ』」で、その点ではザルツブルクにおける一世代前のクーシェイ演出と同傾向だが、地獄落ち後のエンディングの音楽がないという点では一層、徹底している。各人物の心理的な掘り下げもユニークで、もはや主従ではないドン・ジョヴァンニとレポレッロのむしろSM的な関係(レポレッロの方がS)。ジョヴァンニとしっかり「お楽しみ」した後、婚約者のオッターヴィオをうまく丸め込もうとするドンナ・アンナ。ツェルリーナに至っては、小悪魔と呼ぶしかない悪女で、いつまでもジョヴァンニに未練たらたらのドンナ・エルヴィーラが一番古風に見える。歌手陣も強力で、特にシュロット、ダッシュが光る。マルトマンは演出コンセプトに従って、弱々しいドン・ジョヴァンニを好演。ド・ビリーの指揮も細身でシャープだ。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/06

    なかなか評価の難しい演奏。第1楽章のクライマックス、序奏のリズム・モティーフがトロンボーンの最強奏で戻ってくる、いわゆる「死の打撃」部分の打楽器の扱いなどは、なるほど目からウロコの見事な楽譜の読みだ。しかし過度な情緒的のめりこみを排して、緩みのない速めのテンポで進められる両端楽章、リズミックな推進力とポリフォニックな多声様式を両立させた中間楽章、いずれも水準以上の出来だとは思うのだが、これまでのサロネンの仕事ぶりを知る者としては、彼ならもっとやれる、もう一押しが足らないという印象もまた禁じ得ない。この今一つの食い足らなさがオケのせいなのかどうかは、今秋のウィーン・フィルとの来日公演で明らかになるだろう。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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