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Top 50 Singers of All Time - 28位

Monday, December 4th 2006



カーペンターズの歌姫、カレン・カーペンターはその素晴らしい歌声とひとびとを魅了せずにはいられないキャラクター(悲劇の死を遂げるそのドラマ性も含んだ)で、今も広くポップス・ファンに愛される存在だ。惜しむらくはここ日本での人気や評価に比べて、現時点での海外での(特にアメリカでの評価)が低いことには少し納得がいかない点があること。アメリカでのカーペンターズの音楽は1970年代を代表する陽性なポップス(裏を返せば薄っぺらな)であり、白い歯と当時の中産階級向けの保守的で安全なポップスといったものを象徴しすぎているのか、そうしたイメージをもとにした評価が蔓延しているかのように見える。こうしたカーペンターズの音楽性に対するアメリカでの不当な評価が気になるのは筆者だけではく日本のポップス・ファンならば感じることではないだろうか。高い音楽性と職業作家の作る名曲をポップな次元に持っていき、広いリスナー層に敷衍した、彼らの音楽的業績、特にカレン・カーペンターの普遍的な魅力を持った歌声は海外でももっと評価されるべきであるように思う。

カレン・カーペンターは1950年3月2日、コネチカット州ニュー・ヘイヴンに生まれた。兄はのちにカーペンターズを組むことになるリチャード・カーペンター。彼らの家では父親のレコード・コレクションが年中響き、音楽が流れていたという。そんな中で育ったカレンは特に外見上の特徴のない普通の女の子であったというが、同年代の女の子が遊ぶようなお人形遊びといったものよりも、スポーツや音楽のほうに熱心だったという。カレンが十代の頃に一家はカリフォルニア州ダウニーに移住。ロサンゼルスからほど近い場所で、ここでカレンリチャードは思春期を過ごすことになった。

カレンは後の人生に影響する「体重」の問題にこのローティーンの頃から直面していたという。カリフォルニアという土地柄はまたそのことを意識させるに充分な風土を持っていたようだ。やや太めだった彼女は、ゲーム性のあるスポーツは好きだったものの、次第にランニングを中心に行うような体育の授業を嫌うようになり、その興味を音楽の方へと徐々に向けていったようだ。既にピアノを習い始め、その才能の頭角を早くも現していたリチャードについで、カレンはドラムスに興味を持ち、彼女は1965年頃、15歳のころにドラムを叩きたいと家族にねだった。はじめはキッチンの椅子を叩いて練習し始めたカレンは、とうとうドラムを買ってもらうことになったが、すると彼女は周囲が驚くほどのリズム感とフィルのセンスを見せる演奏を兄を含めた周囲の人々にいきなり聴かせたのだった。

1966年になると、カレンリチャードは友人のウェス・ジェイコブスとともに、ハリウッド・ボウルで催されていた有名なイヴェント「バトル・オブ・バンズ」に参加する。彼らはそこで見事優勝の栄冠を勝ち取る。そこで近いてきたレコード関係者の話を頼りに、彼らはスタジオでレコーディングをし、ソロ歌手カレンとバック・バンドという形でシングルを発表するが、これはローカル・レーベルから出ていたとはいえ全く成功とは程遠いものに終わった。それでもリチャードカレンは音楽をあきらめず、サマーチャイムズ、スペクトラムといったグループを組み活動する。そんな時期にずっと彼らを裏から応援してくれたのがジョー・オズボーンだった。彼はリチャードカレンのために無料でスタジオを提供。リチャードはここでオーヴァーダブなどを使ったサウンドにカレン・カーペンターの歌が乗るという、カーペンターズ・サウンドの基礎となるサウンドを模索していった。

その後も契約を取り付けるのに四苦八苦していたリチャードカレンは、紆余曲折を経て、結局ハーブ・アルパートらが運営するレーベル、A&Mと契約。1969年にビートルズのカヴァー曲であるシングル“涙の乗車券”と同名アルバム(当初は『オファリング』というアルバム名だった)でデビュー。これはそれほどの評価を受けなかったが、次のセカンド・シングル“クロース・トゥ・ユー”でカーペンターズはすぐに成功を手にした。この曲はバート・バカラックとハル・デヴィッドという名コンポーザー達のペンによるものだった。この後、カーペンターズは“スーパースター”や“イエスタデイ・ワンス・モア”、“トップ・オブ・ザ・ワールド”はじめ数多くのヒット曲を放ち、70年代を代表するポップス・グループとなっていく。この表向き明るいポップス・デュオというイメージの裏で彼らがさまざまな苦しみを経験したことはそれこそいろいろなところで語られているので、ここではそれほど触れないが、最大の問題は精神的な病ともいえたカレンの拒食症の問題だった。カレンは1983年2月4日、拒食症が原因による心臓発作でこの世を去った。32歳という若さだった。そして、このカレンの死をもってカーペンターズの歴史は幕を閉じた。

カレン・カーペンターの歌声はかなり低いほうで、「透き通るような美声」といったものからはほぼ真逆に感じるほど遠いイメージだ。しかしポップスとしてはかなり深みのある味わいを持った彼女の歌声は、カーペンターズのサウンドに乗るとき、えも言われぬ魅力を放つ。“スーパースター”などマイナー調のメロディでは悲劇的に、“トップ・オブ・ザ・ワールド”などテンポのよいメジャー・キーの曲では、どこかほのぼのとした雰囲気を醸し出す。バカラック=デヴィッドやロジャー・ニコルスポール・ウィリアムスなど優れた職業作曲家達の楽曲を、60年代後半から70年代にかけてのポップ〜ショウビズ界というメジャー・フィールドで存分に響かせたカーペンターズカレン・カーペンターの歌声は21世紀にも折に触れ再評価されていくことだろう。

* Point ratios listed below are the case
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