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Top 50 Singers of All Time - 30位

2006年12月2日 (土)

毎年、この季節ほどナット・キング・コールが聴きたくなる季節もない。“L-O-V-E”や“スターダスト”“モナリザ”など、数多いヒット曲中、冬の寒い季節を温かくしてくれるナットの歌声は不滅だ。

Nat“King”Coleは、1917年5月17日に生まれ、1962年2月15日亡くなっている。12歳で伴奏者としてピアノ奏者となり、15歳の高校生の時に初めての自分のバンドを結成している。

17歳ではじめて結婚、20歳になる頃には、ナットのピアノ・プレイはLAのそこら中のビアバーに知れ渡っていた。こうしてナットはピアニストとしてのキャリアを積んでいった。

1939年、ナットは、The King Cole Trioを結成した。ある晩、観客のリクエストに答えて歌を披露したナットはそれ以来、歌も歌うようになる。

1940年12月、遂にナットにレコーディングのチャンスが巡ってくる。手を挙げたのは「DECCA Records」だった。“Sweet Lorraine" "Honeysuckle Rose" "Hit That Jive Jack”の3曲こそはナットのスタートしての第一歩を歩ませたヒット曲だった。

やがて、戦争が終わるとともに、ナットは二度目の結婚をするマリアと出会うことになる。この頃、ウイークリーのラジオ番組を持ち、ナットはスターの仲間入りをするようになる。

1948年、“Nature Boy”が大ヒットとなり、マリアと結婚、1950年にNatelie Coleが生まれた。ナットは「ヴェルヴェット・ヴォイスを持つ男」と賞されスターの座を思いのままにしていた。

「キャピトル・レコード」へのレコーディングをしつつ、1956年にはTVショウを開始、遂にナットは黒人として始めてテレビの世界で「ホスト」となった。

当時のヴォーカリストとしての一つの頂上を記録したのが、『After Midnight』で、『Love Is The Thing』には、ナットのも一つの代名詞といっていい“Stardust”が収録されている。

エンターテイナーとしての実績を積みつつ、そうした経験が結晶したのが、『Nat King Cole At The Sands』で、人種差別がまだまだ強かった時期としては異色だった。しかし、そうした影響もあって、スポンサーが付かないというアメリカの“悲しむべき現実”の前に、TVショウは一年少しで終了した。

そうした時代を差し引いてもナットがアメリカのエンターテイメントに残した実績は偉大であり、まさに『Unforgettable』なものであり、後年、発売されたこのCDでは、時代と空間を超えたテクノロジーによって、素晴らしい歌手に成長した娘、ナタリーとの夢のデュエットが収録されている。

ナット・キング・コールは、歌手としてだけでなく、ピアニストとしての影響を挙げるジャズピアニストは数多い。

例えば、Red Garland も最も大きな影響を受けたミュージシャンとして、Count Basie とNat King Cole を揚げており、ガーランドのスタイルがベイシーのカンザス・スイングとコールのモダンスイングを見事に消化した「スイング」であるのは、一聴すれば理解できる。『So Long Blues』では、ガーランドは下手ながらナットばり(?)の歌まで聞かせている。

一方、歌手としてのナットの影響は、さらに広く広がり、ジャズ畑では、うりふたつと言ってもいいOscar Peterson は、ナットに捧げた『 With Respect To Nat』を録音しているほかにも、初期にはコールと同じ、ベース〜ギターとのトリオで演奏していた。

近年、人気の John Pizzarelliもナットのナンバーをレパートリーに、ニュージャージーの小さなクラブで父のBucky Pirzzarelliとの演奏を出発としてスターダムに上っていった。

影響はほかのジャンルにも及び、Marvin Gaye の『Tribute To The Great Nat King Cole』は、ジャズヴォーカルファン必聴の“他ジャンルの名盤”となっている。

“Route 66”の大ヒットを言うまでもなく、ナット・キング・コールは、現在まで5000万枚以上の売上を誇るアメリカが生んだ黒人ヴォーカリストのナンバーワンといっても過言ではない存在なのだ。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。