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Top 50 Singers of All Time - 9位

2006年12月23日 (土)



そのシブい音楽性から若いリスナーにはおそらく、何か通好みといったイメージを持たれているだろうヴァン・モリスンだが、その歌声はそうしたイメージとは別種の、ある種開放的で直接的ともいえるカタルシスを感じさせてくれる。試しに名曲“ムーンダンス”辺りを聴いてみてもらえば、80年代のスタイル・カウンシルや90年代初頭のアシッド・ジャズ・ムーヴメント辺りから派生した、モダン・ジャズの王道をなぞるのとは違った「ジャズの聴き方」に通じるリスニングの楽しさが体験できるのではないかと思う。そこから何か色合いや風景、光のようなものが獏とでもイメージされたとしたら、ヴァン・モリスンの歌は一気に自分のほうに近づき、感覚的に入ってくるのではないだろうか。その上で日常にぼんやりと感じている感情、あるいはその起伏、喜怒哀楽の波と同調するかのような音楽の味わい方がリアリティを持って受け止められたらしめたものだ。ミクスチャー具合が最高にヒップなサウンドに乗った、ソウルフルこの上ないヴァン・モリスンのヴォーカルを味わうことをしない手はない。

ヴァン・モリスンは1945年8月31日、北アイルランドのベルファストに生まれた。父親は有名なレコード・コレクターで、母親はオペラ歌手だったことから、幼い頃からヴァンは音楽に親しみながら育ったという。ギター、ハーモニカ、ソプラノ・サックスなどをマスターした彼は、12歳の頃にはディニー・サンド&ジャレリスというスキッフル・バンドでプレイし始める。ハンク・ウィリアムスレッドベリージョン・リー・フッカーマディ・ウォータースなどカントリー、ブルースなど米国の音楽を好んだ彼は、15歳で学校を中退。モナークスというバンドを始めた。ここでヴァンはハーモニカやサックスを担当し、メンバーらと共にイギリス〜ヨーロッパ・ツアーも行っている。またモナークスはドイツの映画音楽に関わり、独CBSからシングル盤をリリースしたりもしていた。そして1963年、ヴァンは後にアイルランド随一のビートバンドとして評価されることになるゼムを結成。ゼムは元モナークスのヴァンを中心にビリー・ハリスンやギャンブラーズのメンバーが集まり出来たグループだった。

ゼムはいくつかのメンバー交替を経たのち、ロンドンへ進出。デッカ・レコードと契約を果たし、1964年9月に“ドント・スタート・クライング・ナウ”でデビューした。これはアイルランドではまずまずのヒットだったが、イギリスでは話題となることなく終わった。この後ゼムが人気を博すようになるのは1965年に発表されたビッグ・ジョー・ウィリアムスのカヴァー・ナンバー“ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー”のヒットによってだった。当時イギリスで人気のあったTV音楽番組「レディ・ステディ・ゴー」の主題歌となったことがそのヒットの要因でもあった。因みにこのB面に収められていた曲がヴァン作の“グローリア”で、これは全米71位の小ヒットに甘んじたものの、60年代米ガレージ・バンドによって数多くカヴァーされ(1966年にシャドウズ・オブ・ナイトのカヴァーで全米10位)、後にドアーズパティ・スミスなどにカヴァーされることにもなる名曲となるのだった。最大のヒット“ヒア・カムズ・ザ・ナイト”を経て、デビュー・アルバム ゼム・ファースト を1965年6月に発表。その後、相次ぐメンバー脱退を経て、1966年1月に ゼム・アゲイン を発表。そして1966年、ヴァン・モリスンはゴタゴタしたバンド周辺の事情を考慮したこともあり、またプロデューサーのバート・バーンズ(バート・ラッセル)の勧めもあり、ゼムを脱退(ゼムは別のヴォーカリストを迎え活動を続けるが、成功しなかった。またその後解散、再結成を繰り返した)。

ゼムを脱退したヴァン・モリスンはアメリカに渡りバート・バーンズが立ち上げたバング・レーベルと契約、ソロ・アーティストとして再出発した。1967年に発表されたバングでのシングル“茶色の目をした女の子(Brown Eyed Girl)”はベスト10を記録するヒットとなりヴァンの再スタートは明るいものになるかと思えた。しかしアルバム ブローイング・ユア・マインド 発表後、バートが急死。バートを慕ってアメリカにやってきたヴァンは失意に沈んだ。そんな彼に救いの手を差し伸べたのがワーナー副社長のジョー・スミス。彼はヴァンをバング・レーベルから引き抜き、アルバムの制作をコーディネイトした。リチャード・デイヴィスらジャズ・ミュージシャンを起用したアルバム アストラル・ウィークス は何と約48時間で完成。当時のセールスは芳しくなかったが、今ではこのアルバムをヴァン・モリスンの最高傑作に挙げる人も多く、のちの評価が高い一枚となった。70年にこれも傑作 ムーン・ダンス 、好作品で人気作 ストリート・クワイア 、これも代表作となる テュペロ・ハニー のふたつを1971年に発表。確固たる地位を築いたヴァン・モリスンは以降、常に音楽的クオリティの高い作品を発表し続け、今日に至っている。

ゼム時代の歌声やソロ最初期のヴァン・モリスンの歌声にある高音部での声の張り上げ方は、同じく黒人音楽R&Bなどに影響を受けたミック・ジャガーとも共通するもの。またフォロワーというわけではないが、同じくアイリッシュ系の血が流れるエルヴィス・コステロの「アメリカ音楽への興味〜アメリカへ移民していった自らの祖先が遺した痕跡への興味〜アイリッシュ/ケルト系音楽の再発見〜ルーツから脈々と受け継がれる音楽の中に宿るソウルを見据えた上で、自らの立ち位置を確認しつつ活動」というキャリアの道程の中には、無意識的にもアイリッシュ系音楽家としてのヴァン・モリスンの影響があるのだろうと思う。

ゴスペル、R&B、ソウル、ジャズといった黒人音楽や、ときに自身のルーツであるアイルランド音楽の要素などを煮詰めながら、オリジナリティ溢れる楽曲をマイ・ペースで発表し続けるヴァン・モリスン。ブルー・アイド・ソウル・シンガーの大御所として振舞うことも許されるだろうに、もったいぶった感じは微塵もなく、比較的気の赴くままに作品を発表し続けているように見える。そんな彼は現在でも本当に好きなように自身の音楽を探求し続けているように映るし、これからもマイ・ペースで自身の掘り当てた鉱脈――脈々と受け継がれる大衆音楽の真の奥深さ――を歌として表現していってくれるだろう。この最後の部分に書いたようなことはある種「重い表現」になってしまったが、これは冒頭のリスニング指南みたいなものとは矛盾してこないと思う(興味を持てそうなところから入れば…という感じではあるが。ストーンズザ・フー、あるいはザ・ジャム辺りなら聴く、という人はゼムから入るのもいいかも)。そうしたわけで冒頭で書いたような若いリスナーの人にもぜひヴァン・モリスンの素晴らしい歌声を体感してみてほしい、と思う。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。