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Top 50 Singers of All Time - 24位

2006年12月8日 (金)



フリーバッド・カンパニーという名門ブリティッシュ・ハード・ロック・グループのヴォーカリストとして知られ、ジミー・ペイジとのファーム、ザ・ロウなるユニットを経て、最近はソロとして充実した活動を見せているポール・ロジャース。勿論最近のソロ作の充実ぶりを見れば、過去の名声に依存しないポール・ロジャース個人としての音楽というものが、確立されてきたと見ることは可能である。しかし彼のキャリアの中では、どうしても人々の注目はフリーでの活動に集まることにはなるだろう。ブルースをベースにした熱狂的なロックという点で、当初は第二のローリング・ストーンズなどと言われたフリーだが、彼らの場合にはストーンズのネバっこいリズム感覚とは違う、シンプルでタイトな独特の重さを持ったハードなロック・サウンドが身上だった。そうしたソリッドで空間を活かしたサウンドの中で、圧倒的な力量を持ったポール・ロジャースのヴォーカルが響き渡る。強力かつストイックなバンド・サウンドの中でポール・ロジャースのヴォーカルはいきいきと暴れたのだった。

ポール・ロジャースは1949年12月17日、イングランドはミドルスブロウに生まれた。ロジャースは物心がつくとアレクシス・コーナーに憧れ、ブリティッシュ・ブルースを愛する音楽好きの少年となった。1967年に初めて自己のバンドを結成。メンバーには後にホワイトスネイクに参加するミッキー・ムーディやエルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズに入ることになるブルース・トーマスなどが居た。当初ロードロンナースと名乗ったこのバンドは、まもなくロンドンへ進出し、名前をワイルド・フラワーズと改名し、ライヴ活動などを行っていく。しかしこのバンドはある程度の支持を受けるも、結局ロジャースがこのバンドでの活動に満足できなくなり、脱退。ロジャースは次にブラウン・シュガーというブルース・バンドに参加。この頃に(1968年春頃)ブラック・キャット・ボーンズのメンバーだったポール・コゾフ、サイモン・カークと出会っている。

意気投合した3人は、元ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズアンディ・フレイザーを加え、バンド活動を開始。当初はまだブラック・キャット・ボーンズを名乗っていたが、1968年秋頃からはフリーという名前で活動するようになった。この名はアレクシス・コーナーのバンド、フリー・アット・ラストからとられたもので、またアレクシスが彼らに譲った名前だとも言われている。フリーアレクシス・コーナーの協力もあって、ロンドンで人気を高めていった。また有名なDJ兼音楽評論家のジョン・ピールの協力も受けた彼らは、アイランド・レコードと契約。1968年11月アルバムトンズ・オブ・ソブズでデビューした。

フリーの人気は3rdアルバム ファイア&ウォーター(1970年発表)で決定づけられた。この中からシングル・カットされた“オール・ライト・ナウ”が全英ナンバー・ワンを獲得。彼らの人気はここで絶頂を迎える。しかしその後一作のオリジナル・アルバムを最後に、フリーはあっけなく解散してしまうのだった(その後ライヴ作が発表された)。解散後、メンバーはそれぞれユニットを組んだが(ポール・ロジャースはピースというグループを結成)、結局どれも長続きはせず、成功を収めるには至らなかった。

そして1972年になるとフリーは何と解散から一年もしないうちにオリジナル・メンバーで再結成する。新生フリーは2枚の作品を遺し、中でもハートブレイカーは好評を得たが、メンバー間のゴタゴタなどがあって、遂に1973年をもってフリーは本当に解散した。

ポール・ロジャースはこの後、フリー時代に成し遂げられなかった全米制覇という夢をかなえるべく、ミック・ラルフスらとバッド・カンパニーを結成。英国ではアイランドから、また米国ではレッド・ツェッペリンの設立したスワン・ソングから作品を発表していった。名作1stで念願の全米制覇を成し遂げたバンドは、その後、1982年までに7枚のアルバムを発表したのち、結局自然消滅という形で幕を引く(メンバー間の確執といわれている)。ポール・ロジャースは初のソロ作を1983年に発表。1985年には元レッド・ツェッペリンジミー・ペイジザ・ファームを結成。一方でバッド・カンパニー再結成の話が浮上したが、結局ポール・ロジャースは不参加。新生バッド・カンパニーは他のヴォーカリストを迎えて活動していくことになる。

1991年にポール・ロジャースはザ・ロウ名義で作品を発表。これはぱっとしなかったが、ロジャースが再び注目を浴びるのは、このもう少し後のことだった。1993年に発表されたロジャース自身のソロ作品で、ロジャースが尊敬する偉大なるブルースマン、マディ・ウォーターズのトリビュート作マディ・ウォーターズ・ブルースがそれで、豪華なゲスト陣も話題を呼んだこの作品は大いに注目を集めた。この後ポール・ロジャーズはライヴ作と新録アルバムを一枚づつ発表。またクイーンの新ヴォーカリストとして抜擢され、来日公演を行ったことも記憶に新しい。

ポール・ロジャースマディ・ウォーターズハウリン・ウルフなどの米国ブルースマン、そしてアレクシス・コーナーらブリティッシュ・ブルース・ミュージシャンに多大な影響を受けながら、独自の白人ブルース・ロックをヴォーカリストの立場から作り上げてきた。フリーでの迫力溢れるヴォーカルや、その後のソロ・キャリアでルーツを見据えながら徐々に熟成させてきたその味わい深さは、彼が常に影響を受けてきたブルースマン達と同様に、ポール・ロジャースならでは、という個性的な佇まいを見せてくれる。

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