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パウラ・モレレンバウム・インタビューB

Saturday, August 24th 2013

無題ドキュメント

パウラ・モレレンバウム

パウラ・モレレンバウム、アルバム『テレコテコ』を語るB

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「ボサノヴァ以前にどのような音楽があったのかがコンセプト」


--- まさに歌詞が「コルコヴァード」に似ています。

この当時はボサノヴァは存在していなかったので、オリジナルはもっとゆっくりで・・・。

--- サンバ・カンサゥンですね。

パウラ そう。リズムが今と違うし、ジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)のリズムにジョビンのハーモニー、そしてヴィニシウス・ヂ・モラエス(Vinicius De Moraes)が現れ、ブラジル音楽というものを完全に変えたのね。このアルバムボサノヴァの前にどのような音楽があったのかというのがコンセプトなわけですが、この歌詞を見るともうボサノヴァそのものじゃない! 絶対ヴィニシウスはこういう歌詞の影響を受けていると思うわ。

--- なるほど・・・。

ヴィニシウス・ヂ・モラエス
ヴィニシウス・ヂ・モラエス

パウラ ヴィニシウスの娘で、私の友人であるルシアーナにこのアルバムを聴かせたの、そしたら「さよならなんて言わないで」を聴いて、「この曲私のお父さんの曲じゃないの?」って勘違いするくらいヴィニシウス風だったの(笑)。絶対影響を受けているはずよ。バーデン・パウエル(Baden Powell)との曲みたいよね。

--- ジョニー・アルフ「いきあたりばったりの幻想」についてもお聞かせください。

パウラ ジョニー・アルフという人は、ボサノヴァの一連の方たちとは別に位置してるのね。なぜかというと彼はリオに生まれましたが、サンパウロで育ったからなのです。でもジョビンも彼の音楽に影響を受けたのは間違いないわ。

--- 確かにジョニー・アルフの音楽はフランク・シナトラ(Frank Sinatra)など、アメリカの音楽に影響を受けていますよね? 粋というか。

パウラ そのとおりね。

--- 「私ができなくても」は非常に興味深いアレンジですね。ショーロ、サンバ、そして現代風なポップスが見事合体しています。これはさきほどのピントさんのアイデアですか?

パウラ いえ、これはアレンジャーのマルコス・クーニャ(Marcos Cunha)によるものよ。今回のショーでベースを弾いていた人です。あとマルセリーニョ・ダ・ルア(Marcelinho Da Lua)というボサクカノヴァ(BossaCucaNova)のメンバーも参加しています。この曲はスクラッチを入れたり、ダンサブルな部分もありますが、元々は45年のショーロで、アデミルヂ・フォンセカ(Ademilde Fonseca)という凄い早口のショーロ歌手が歌った曲なの。だからその曲の速度を下げて歌の練習をしなければならなかったわ。なので、このアルバムでも速度を下げて録音しています。


「故ドリヴァル・カイミはバイーアを象徴する存在だった・・・」


--- ドリヴァル・カイミ(Dorival Caymmi)「君は愛を知らない」ですが・・・。

パウラ 亡くなられましたね。

--- えっ?

パウラ 数日前に亡くなりました・・・。

--- 知らなかった。

パウラ 確かおとといに・・・。ずーと具合が悪くて、入院していて亡くなってしまったのですが、94歳でした。作曲家としても、歌手としても素晴らしく、笑顔の絶えない人で、多くのブラジル人から愛されていました。ジョビンドリヴァル・カイミが大好きで、昔2人で録音したアルバムがあります。若い人たちも彼の影響を受けているわ。海や漁師を歌ったり、そのシンプルさにね。

ドリヴァル・カイミ
ドリヴァル・カイミ

--- パウラさんはジョビンと長く一緒に活動されていて、彼はボサノヴァの王様でしたが、あなたにとってドリヴァル・カイミはどのような存在でしたか?

パウラ ドリヴァル・カイミは実際ボサノヴァの人ではなく、ジョルジ・アマード(Jorge Amado)と並ぶ、バイーアを象徴する存在でした。

--- ジョアン・ジルベルトが日本に来た時も毎日この「君は愛を知らない」を演奏していました。ギター1本で、ドリヴァル・カイミなどの古いサンバを演奏しているのを観ながら、50年前にこれを人は「ボサノヴァ」と呼ぶようになったのかなぁと思った。昨日のあなたのライヴを観ながら同じように思いました。つまり、古いサンバがあるからこそボサノヴァがあるのだと確信しました。

パウラ まさにそのとおりです。ジョアン・ジルベルトは昔の曲をたくさん歌っている人で、もちろん私も彼の曲を聴いて育ちました。それはオリジナルの曲が残っていないので、ジョアンからそれらの曲を学んだというわけ、アリ・バホーゾ(Ary Barroso)とかノエル・ホーザ(Noel rosa)

ノエル・ホーザ(左)、アリ・バホーゾ(右)
ノエル・ホーザ(左)、アリ・バホーゾ(右)

とかを。このアルバムをそういう意味で若い世代に伝えたかった。古い作品を、ブラジル音楽のルーツの部分を、今のスタイルで残すということがコンセプトだから。

--- ライヴではアルバムに入っていない曲、「ビリムバウ」とかを演奏していましたが、もっと他の曲を入れたかったのではないですか?

パウラ いいえ。でも、若干迷ったわ、けれどこのアルバムはこの12曲でいこうと決めました。

  


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   【パウラ・モレレンバウム・バイオグラフィー】
ブラジルを代表するボサノヴァ・シンガーのひとり、パウラ・モレレンバウムはリオ・デ・ジャネイロ生まれ。プロとしてのキャリアを1980年,セウ・ダ・ボカというコーラス・グループのメンバーとしてアルバムをリリース、ブラジル国内をツアーしたことに始まる。82年2枚目のアルバムのミュージカル・ディレクターだったジャキス・モレレンバウムと知り合い、結婚。ソロ・シンガーの道を歩み始め、同時に女優としても活躍する・・・

バイオグラフィーの続きはこちら!

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