第6位
2005年9月1日 (木)
黒人音楽史上、最も重要な存在
“ソウル・ミュージック”の発明家として知られるSam Cooke。
Ray CharlesやJames Brownなどサム同様ソウル・ミュージックを作ってきた先人の中でも、33歳という若さで亡くなったサムの短い生涯を考えれば、彼の影響力の強さは他を寄せつけない。
ロック・シンガーにも影響を与えた絶対的なその歌声と、ゴスペル、ソウル、ブルース、ロック、ポップスと様々な音楽シーンで歌い継がれているサムの楽曲。彼がいなければ、Marvin GayeもStevie Wonderもいなかった。ましてやR KellyやD'Angeloはなおさらだ。これまでサムの名前を知ってはいたけれど聴く機会がなかったという方は、今こそサムの「ワンダフル・ワールド」に触れてみて欲しい。
サムの短くも濃い生涯
1931年1月22日、デルタ・ブルース発祥の地で知られるミシシッピのクラークスデイルで生まれる。大恐慌時代の中、 他の多くの黒人たちがそうしたようにサムの家族も職を求めて30年代はじめにシカゴのサウスサイドに移住する。 バプティスト教会の牧師であった父親のチャールズ・クックは、方々から招かれて伝導師としてロードに出て旅する生活に入るようになり、その巡回に同行していたサムと兄弟たちは、自分達のグループ、シンギング・チルドレンを結成し、父のオープニング・アクトとして歌うようになった。
ゴスペル界の大スター
ハイスクールに入り、
ハイウェイQCズという地元のカルテットに参加。サムの歌は地元でも評判になり、歴史的なゴスペル・カルテット、Soul StirrersのR.B.ロビンソンに指南を受けるようになる。このことがきっかけで、突然Soul Stirrersを脱退することになったリードVo.のR.H.Harrisの後釜にとサムに白羽の矢がたった。
20歳そこそこだったこの若くハンサムなシンガーが名門ゴスペル・カルテットのリードに昇格したことでゴスペル界は大きい変革が起こった。彼を一目見ようとこれまで教会に興味を示さなかった若者や女性たちがこぞって教会や集会に集まるようになっのだ。 サムの人気が上がると、今度は"Touch The Hem Of His Garment"や"I'll Come Running Back To You"などに代表されるようないわゆる「ヨーデル唱法」と呼ばれるこぶしをまわす流麗なスタイルが若いゴスペルシンガーの間で流行るようになり、サムはゴスペル界でポップ・スター並みの地位を獲得していくようになる。
世俗音楽の世界へ
しかしそんなサムの才能を当時、Soul Stirrersが録音していたレーベル、スペシャルティにいた雇われプロデューサーのバンプス・ブラックウェルは見逃すはずもなく、バンプすはサムにポップス界の転向をうながす。当時、ゴスペル界にとってポピュラー・ミュージックは悪魔の音楽とされ、セキュラー・ミュージック(世俗音楽)を歌うことはタブーとされていた。しかし、サムもゴスペル界には限界を感じており、より成功と富を求めて、ポピュラー・ミュージックの世界に足を踏み入れることを決断する。
Soul Stirrersから独立しポップス歌手に転向したサムは、ガーシュウィンの"Summertime"と自作の"You Send Me"を録音するが、スペシャルティのオーナーのアート・ループに気に入られず、新興レーベルのキーンから"You Send Me"を1957年の6月にリリースすることになるが、見事ミリオン・セラーを記録。 世俗音楽を忌み嫌っていた純粋なゴスペル・ファンから最初は非難・中傷されるも、 サムはポップス界で見事、成功の糸口を見つけたのであった。
アーティストの権利を獲得したパイオニア
しかもサムは決して歌うだけのシンガーではなかった。作曲、アレンジ、プロデュースをこなすマルチな才能を持っており、さらに自分のレーベルSARを興しかつてのゴスペル仲間とのレコード契約をとりつけ、音楽出版社KAGGSミュージックを共同経営、自らの楽曲を経済面でもコントロールすることを獲得するなど、まさにこの道のパイオニア的な存在であった。
この後、キーン・レコードと金銭問題で行き詰まっていたサムは 数々のビッグ・レーベルのオファーの中から十万ドルの保証金を含むという巨額の契約金で RCAとディールを交わし、ティーン向けのポップス"Teenage Sonata"をリリース。RCAの用意したプロデューサーのヒューゴ&ルイジ の読みは外れ、キーンからリリースされた"Wonderful World"のほうがヒット。 方向転換を余儀無くされたヒューゴ&ルイジはサムが用意していた、かつての厳しい一夜興業(ワン・ナイター)で、黒人差別法に酷い目にあわされた経験から生まれた"Chain Gang"を60年にリリース。
ヒット連発...封印された傑作ライヴ・アルバム
そして61年には全国的に大ブームとなっていたツイスト人気に乗った"
Twistin The Night Away"を発表。62年には、Animalsのカヴァーでも知られるCharles Brownの"I Want to go home"を下敷きにしたゴスペル時代を彷佛とさせる"Bring it on home to me"をリリースしチャート入り。
このように成功をおさめながらも、サムはゴスペルへの情熱も失うことはなかった。全国のゴスペル・プログラムに飛び入りし、RHハリスのレコーディングをプロデュースしたりしていたのだ。サムには2面性があったというのは有名だが、事実、甘いバラード・アルバムを吹き込んではその数週間後には情熱的にゴスペルのリードを歌って教会を沸せたりしていた。
もっと自由にありのままの自分で歌いたいと思っていたサムは63年、遂にマイアミのハーレム・スクエア・クラブでライヴ・アルバム「Live At The Harlem Square Club1963」の録音に入る。 観客を煽り、説教師のように導き、ゴスペル調のシャウトで言葉にならない感動と高みに連れて行く。「興奮に満ちたワイルドな夜」とルイジが記憶しているように、この作品はサムの本来の姿、というのだろうか、いや、サムのもう一つの面が現れたものであった。しかし、RCAは「ポップ・シンガーとしてのサムのイメージを壊す」としてこのテープを缶の中にしまいこんでしまう。
傑作「Night Beat」〜「Copa」の成功
その年の2月には初のコンセプト・アルバム「Night Beat」のセッションを行う。カクテル・ラウンジ・ブルース・アルバムとも呼ばれる「Night Beat」は、Billy Preston のオルガン、レイ・ジョンソンのピアノ、ハル・ブレインによるスモール・コンボをフィーチャー。後にストーンズが"Little Red Rooster"と"You Gotta Move "をカヴァーしたことでも知られる名作だ。
64年の7月クラインとRCAの後押しによりサムは、かつて敗北を味わったNYのコパカバーナに舞い戻ってきた。大成功に終わったステージの模様を収録したアルバム「At The Copa」は、彼の死を挟んで55週にわたってチャートに留まった。
公民権運動、そして突然の死
63年頃にはサムは進歩的な態度を表面に出すようになり、
モハメド・アリやマルコムXとも親交を深める。時は公民権運動まっただ中。
サムはBob Dylanがうたった"風に吹かれて"を非常に触発されていた。
サムは「この曲は私が書くべき曲だった」という言葉を残している。
そして、"風に吹かれて"のアンサーソング、Otis Reddingのカヴァーでもよく知られる"A Change Is Gonna Come"をすぐに制作。
公民権運動を支持の表明でもあり、とてつもなく私的で内面の部分をさらけ出しているともとれる"A Change is gonna come"は、ポップ・スターを目指していたサムにとっては大きなリスクを持った曲であった。しかし、サムはもう自分自身の中にある黒いプライドを隠す必要はないと強く決心していた。
ところが、悲劇は突然やってくる。64年12月11日、サムはモーテルで女主人にピストルで撃たれあっけなくその人生に幕を閉じてしまう....。
サムの遺産
優雅な雰囲気とシンプルなストーリーテリング、スウィートでメロウに歌っておきながら、時には激しく、ディープにシャウトするサム。ただの甘いだけのポップスかと思えば聴けば聴くほど、時折ゴスペルで培ってきた黒い部分が垣間見れる...こんなに歌に深みがあり、聴くたびに発見があるアーティストはどこにもいない。
Otis Reddingがこよなく愛し、Rolling Stonesはサムと会うことを熱望し、Rod Stewart にいたってはサム自身になりたかった(今でも) と言われるほど大きな存在だったサムだが、その割には後年の評価はStevie WonderやMarvin Gaye、James Brownらと比べ著しく低い。
その要因の一つとして考えられるのは、彼の作品のリリース状況の悪さもあった ここまで偉大なアーティストであるにも関わらず、 サムの死後、RCAに残した音源に関してAbkcoとRCAの間で起こった様々な権利関係の問題などにより長い間サムの作品がスムーズに世に出ることがなかった。そのことがリスナーがサムの作品を気軽に聴く機会を奪っていたように思う。
しかし、ここ数年、ようやくAbkco、RCAから過去の名作がリイシューされはじめ、ボックス作品やDVD、関連書籍も発売されるなどサム再評価の動きが進んでいる。
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。
samcooke - THREE OF THE BEST
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Live At The Harlem Square Club1963
Sam Cooke
ユーザー評価 : 5点 (3件のレビュー)
価格(税込) : ¥3,212
会員価格(税込) : ¥2,956発売日:1986年09月15日
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販売終了
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輸入盤
Complete Specialty Recordingsof Sam Cooke With Soul Stirrers
Sam Cooke
ユーザー評価 : 5点 (1件のレビュー)
価格(税込) : ¥4,279
会員価格(税込) : ¥3,937
まとめ買い価格(税込) : ¥3,937発売日:2002年10月15日
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輸入盤
Man Who Invented Soul
Sam Cooke
ユーザー評価 : 4.5点 (7件のレビュー)
価格(税込) : ¥6,919
会員価格(税込) : ¥6,366発売日:2000年09月26日
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販売終了
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