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「ブラームスを聴き、ヒンデミットを聴いてもマーラーを思う今日この頃」

2011年6月20日 (月)

連載 鈴木淳史のクラシック妄聴記 第31回

「ブラームスを聴き、ヒンデミットを聴いてもマーラーを思う今日この頃」

 大阪に行って、ハーディング指揮マーラー室内管弦楽団を聴いた。東京公演もあったのだけど、こちらは音響イマイチなホールだし、何よりもブラームスの交響曲を全曲やってくれるのは大阪だけやねん、ということで、なんとまあ18年振りに大阪を訪れたのだった。
 ザ・シンフォニーホールは、意外に奥行きがない。そして、噂通りの鮮やかな音響。よく比較の対象となるサントリーホールが明るく柔らかい音響特性があるのに対し、こちらは、ほどよいバランスに恵まれている印象。ほかにも、ホワイエで供されるケーキがなかなかレベル高かったり、休憩時間に商店街のアナウンスみたいな公演を宣伝する放送があったり、20分の休憩時間なのにお客のほとんどが10分で客席に戻っていたり、終演後パンを販売していたり(このパンもレベル高いらしい)と、不思議なことが続出、まさしく旅行気分に酔いしれたのであった。開演前に客席でスポーツ新聞広げてるおっさんとかおんのも、大阪らしくてええな。
 ハーディングのブラームスは、文字通りマーラーっぽかった。全体的な構築を危うしてしまうほどに、各部分の表現付けが雄弁なのだ。とくに緩徐楽章の濃さには脱帽。さすが「マーラー」室内管のブラームスじゃんか。東京公演のマーラーの交響曲第4番も聴いておけばよかった。

 マーラー・イヤーのなかでは、地味なリリースなのかもしれないけど、メゾ・ソプラノのカタリナ・カルネウスの歌ったマーラーの歌曲集がいい。安定感のある歌い口に、深みのある低音。声楽付きの交響曲の一パートとして歌うと、もう少しドラマティックさがあってもいいよなあと思うものの、リートであれば、彼女の繊細さが光るってわけ。
 エーテボリ交響楽団を振るのは、これまた注目すべき指揮者スザンナ・マルッキ。《亡き子をしのぶ歌》の最終曲「こんな天気になるのなら」後半は、浄化した心地が歌われるのだけど、ほとんどの演奏は、重い雲が晴れたように、ウキウキとまではいかないけど、妙に緊張感に欠けた音楽になってしまいがち。なんか無理してんなあ、努めて明るく振る舞ってるだけじゃないか、などと思ってしまうこともあったりするのだが、マルッキは、もっと複雑な表現で聴かせる。平安のうちに、悲しみが宿る。浄化されるべき理由をそのなかにはっきりと聴きとることができる浄化、といった表現で。浮いてしまいがちなチェレスタの響きの処理など、ゾッとするような巧さ。
 マーラーの歌曲のほとんどは、喪失感、そしてそれからの立ち直りを描く。その「立ち直り」の部分が、いかにリアルに感じられることができるか。カルネウスとマルッキの演奏は、そこに明確に答えを出している。

 マーラーといえば、『マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来』(前島良雄著 アルファベータ)という本も出ている。「不遇」で「死の影に怯えた」といったマーラーのイメージが、実は妻アルマ・マーラーによる虚飾であった、ということを丹念に検証した評伝である。
 なるほど、「やがて私の時代がやってくる」だのといったコピーや、第9番にまつわるジンクスなど、これまでのマーラー・ブームを構成した要素は、アルマの作り出したイメージに準拠していたというわけか。だとすると、アルマのプロデュース能力の高さも評価すべきってことにもなるんだけどね。

 マーラーを演奏して欲しかった人たちがいる。
 ジョン・ネシュリングとサンパウロ交響楽団だ。ネシュリングはすでにこのオーケストラと決別。一昨年だったか、来日が予定されていたのに、それが大きな話題になることもなく、突然中止になってしまったのも悲しかった。オーケストラには、新しい常任指揮者としてヤン=パスカル・トゥルトゥリエが就任していて、そちらのコンビも要注目とはいえ、ブラジル尽くしのマーラーは、さぞや興味深いものになったはず。
 こんな妄想をしてしまったのは、彼らが2008年に残したヒンデミット録音がリリースされたからである。ヒンデミットの《画家マチス》交響曲、《気高き幻想》は動きが少ない作品だが、このブラジル・コンビは、とにかく色彩がゴージャス。テンポやリズムではなく、まるで音色だけで曲を動かすかのよう。
 一方、《ウェーバーの主題による交響的変容》は、オーケストラの機能性を問うような動的な作品なのだが、これもまた独特な演奏なのであった。個々のパーツをクリアに描くなんて発想はまるでないので、フーガでは、様々な色が混ざり合って、かなり複雑怪奇な音響になる。
 この曲ならではの気恥ずかしいとさえ思われる主題も、彼らの手にかかると、のんびりアンニュイ。ドラマ仕立てでなはく、ソフトなメタモルフォーゼなのだ。この調子でマーラーをやれば、これまで誰も聴いたことのないような、南国風の喧騒さと明媚さに彩られた演奏になったに違いない。それもまた、アルマの作り出したイメージとはまるで無縁のマーラーだ。

 話を最初に戻そう。大阪でのハーディングのブラームスは、これまでの録音や演奏と比べると、格段に表現が闊達になっていた。第2番はクライバーを思わせ、第4番にはチェリビダッケの影が見えるほどに(これらの巨匠の絶対的な境地に達するには、まだまだ歳月が必要であり、そして、それを期待していいことも……)。
 ただ、交響曲第1番はどうなのだろう。この曲に関しては、わたしの場合、ハーディングだけではなく、現在の指揮者で満足する演奏に出会ったことがほぼ皆無なのだ。みんな中途半端に熱情的でスマートなのが、なにやら気恥ずかしいのである。いっそ、「俺はこの曲大嫌い」とばかりに徹底的にデスりまくった激クールな演奏なんてあればいいのだが、そういうものを聴いたことは一度もない。曲の重厚さ、ブラームスの綿密すぎる書法にほだされて、いい塩梅にホットにロマンティックになってしまうのだろう(そして、それが正解なのだろう)。そういうもんならば、手の付けられぬほどにイケイケなフルトヴェングラーのライヴ録音のほうに軍配を上げたくなるのだが……。
 でも、やはり今回リリースされたシューリヒトのライヴ録音を聴くと、彼だけはまったく別の道を行っていることに気付く。1959年のモントルー音楽祭のライヴで、モノラルで音質もビリつきがちなのだけど、個性がムンムンと漂う演奏であることはよくわかる。
 終楽章は、とにかくテンポ揺らしまくり。酔いそう。しかし、シューリヒトの揺れは、ロマン性を演出するというより、それをブチ壊すような超絶アゴーギグなのだ。熱情をもって、熱情を否定するような。さすが、アサッテの人シューリヒト。

(すずき あつふみ 売文業) 


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