アルバート・スポールディングの芸術(9CD)
ヒストリカル・レーベル「アルス・ノヴァ(Ars Nova)」から、アメリカの往年の名ヴァイオリニスト、アルバート・スポールディングのセットが登場。通好みの芸風で、ハマると堪らないとも言われるスポールディングの現役盤は少ないので、往年のヴァイオリニスト好きには注目のリリースです。
ちなみにスポールディングの父親は、有名なスポーツ用品ブランドの「スポールディング」の創業者です。
バーバーのヴァイオリン協奏曲初演
20世紀アメリカの傑作、サミュエル・バーバーのヴァイオリン協奏曲は、作曲段階でいろいろと問題が発生し、虚偽の話も広まったりしていたので、以下に流れをまとめてみます。
●1938年11月、トスカニーニの依頼で完成した「弦楽のためのアダージョ」が放送され、カーティス音楽院出身の28歳の作曲家サミュエル・バーバー[1910-1981]の知名度が一気に上昇。
●1939年、カーティス音楽院出身のヴァイオリニスト、アイソ・ブリセルリ[1912-2005]の友人が、ブリセルリのキャリア・アップのため、アメリカ人若手作曲家に作品を書いてもらうという方法を提案し、「弦楽のためのアダージョ」の人気が急激に高まっていたサミュエル・バーバーを選択。
●1939年5月、ブリセルリのパトロン慈善家で、石鹸会社社長のサミュエル・フェルスが支援することが決まり、以下の条件でバーバーに作曲を委嘱。
・長さ15分ほどのヴァイオリンとオーケストラのための作品。
・報酬は1,000ドル(現在価値で約18,000〜20,000ドル)で、注文時に500ドル、受取時に500ドルの支払い。
・ブリセルリによる1年間の独占演奏権。
・1940年1月にフィラデルフィア管弦楽団で初演。
・締め切りは1939年10月1日。フルスコアで納品。
●1939年初夏、バーバーは恋人のメノッティと共に、過去数年間、夏に訪れていたスイスのシルス・マリアとルツェルンの間にあるお気に入りの場所に向かい、作曲を開始。
●1939年9月、第2次大戦開戦により帰国。ぺンシルヴェニアの実家に戻って病気の父サミュエル・リロイ・バーバー[1879-1947]を見舞った後、フィラデルフィア郊外のポコノ山地の山荘で作曲を継続。
●1939年10月中旬、バーバーは完成した第1楽章と第2楽章をブリセルリに届けます。ブルセルリは2つの楽章を美しいと感じ気に入ります。しかしブリセルリの知人でもあるヴァイオリン教師のアルバート・メイフは、ヴァイオリン独奏部分の技巧が弱く、それを初演することはブリセルリの評判を傷つけることになるので書き直す必要があると、支援者のフェルスに対して警告。
ちなみにアルバート・メイフは「現代のパガニーニ」(1949)という著書や「マラゲーニャ」という小品も出版している人物ですが、もともとブリセルリは、14歳の時にロジンスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団との共演でパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番でデビューしている技巧派ヴァイオリニストでもあったので、メイフの心配も理由の無いことではありませんでした。
●1939年11月、バーバーは第3楽章の演奏具合について確認するため、母校のカーティス音楽院で、鉛筆原稿を用いた試演を実施。演奏はカーティス音楽院の学生、ハーバート・バウメルで、2時間の準備の後、「非常に速く」演奏させて問題ないことを確認。ブリセルリへの引き渡しに向け仕上げに入っています。
●1939年11月下旬、バーバーは第3楽章を完成してブリセルリに届けます。しかし、もともと「弦楽のためのアダージョ」が気に入ったことで、バーバーに作曲を委嘱したブリセルリには、4分ほどの第3楽章は短すぎて軽過ぎ、第1楽章と第2楽章の抒情的な美しさや壮大さに見合うものとは思えず、音楽の拡大を申し入れます。バーバーも引き下がらず、芸術的に問題ないとしてこの提案を拒否。そしてブリセルリも受取を拒否することとなり、予定されていた初演日には、代わりにドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲を演奏しています。
●バーバーとフェルスの契約は、注文時に500ドル、受取時に500ドルの支払いということだったので、受取が拒否されたため、作曲報酬は、注文時の500ドルのみとなってしまい、さらに1年間の独占演奏権も有効だったため、初演は1年以上後ということになります。
●第1楽章と第2楽章の楽譜も戻ってきたため、バーバーは1年後の初演に向け、さらなる調整をおこなうことになり、その間に作品への愛情も沸いて「コンチェルト・デル・サポーネ」「ソープ・コンチェルト」というあだ名をつけて楽しんだりもしていました(どちらも石鹸協奏曲の意)。
●1940年初頭、調整の終わった楽譜を用いて、今度はフル編成での「試演」をおこなって関係者の反応を見ることになります。独奏は以前の試し弾きと同じく、ハーバート・バウメルで、フリッツ・ライナー指揮カーティス音楽院管弦楽団の協力を得ています。試演はオスカー・シュムスキーによっても実施。
●1940年8月、バーバーはアルバート・スポールディングに完成した楽譜を見せ、スポールディングは初演をおこなうことで同意しています。
●1941年2月、フィラデルフィア管弦楽団のリハーサル。スポールディングの到着前に、仮の独奏者として以前試演をおこなったハーバート・バウメルが演奏。バウメルはフィラデルフィア管弦楽団の第1ヴァイオリン奏者となっており、のちにコンサートマスターに就任。
●1941年2月7日、フィラデルフィア管弦楽団のコンサートで初演。独奏はアルバート・スポールディング、指揮はユージン・オーマンディ。使用ヴァイオリンはグァルネリ・デル・ジェス。
この作品に関して長く流布していた定説は、ブリセルリが演奏できないため受取りを拒否したとか、バーバーが貧乏で金を返さなかったといった素朴な話ですが、実際にはバーバーは「弦楽のためのアダージョ」の印税で裕福でしたし、慈善家のフェルスも、生涯に各方面を支援した金額の累計が現在換算で5億ドル以上という気前の良い人物だったので、両者は単に当初の契約の通りに動いたということでしかありません。
バーバーとブリセルリの関係も生涯に渡って特に問題はなかったということです。
妙な作り話の原因となったのは、バーバーのアダージョ人気に乗じて、バーバーが44歳の時に、バーバーの楽譜の出版社であるシャーマー社から、バーバーのプロモーション用に出版された「サミュエル・バーバー」という111ページほどの簡単なバーバー紹介本で、著者は、同じくシャーマー社の刊行する季刊誌「ミュージカル・クォーターリー」の副編集長であるネイサン・ブローダー。
ブローダーはおそらくチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲でのレオポルト・アウアーのエピソードを真似て話を盛り上げたかったのでしょう。実際、ブリセルリはアウアーにも師事していますが、すでにそのとき83歳ですし、そもそもブリセルリは14歳でパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番でデビューしているほどの名手なので、ブローダーの話には無理があり過ぎました。
ともかく、こうした背景を持つ作品のスポールディングによる初演が、音質が悪いとはいえ、実際の音で聴けるのは興味深いところではあります。
スポールディングと戦争
スポールディングは1888年の生まれで、アメリカが第1次大戦に参戦した1917年の年齢は29歳。徴兵登録要求年齢に該当しましたが、登録義務では無かったことと、すでに有名なヴァイオリニストだったこともあって、兵役免除について提案されています。方法は、赤十字に登録、YMCAにボランティアで参加、芸能人団体に入会、といったものでしたが、スポールディングは断わり、フランスに出征、翌1918年に帰還しています。
それから23年が経過した1941年、今度はアメリカは第2次大戦に参戦。徴兵登録義務付けが18〜45歳、徴兵登録要求が18〜65歳ということで、すでに53歳のスポールディングには登録義務はありませんでしたが、愛国的なスポールディングは、兵役に就くことを希望。
イタリア語と他のいくつかの言語に堪能であったことから、アメリカ陸軍の戦争情報局、心理戦部隊に配属。イタリアでのスポールディングの放送(呼びかけ等)は、南北分断後、北イタリア(イタリア社会共和国)でのレジスタンス活動を助け、最終的なイタリア解放に役立ち、「大統領自由勲章」を授与されています。
ナポリの洞窟でのコンサート
スポールディングの逸話で有名なものに、ドイツ軍の爆撃を避けてナポリの洞窟に隠れていた何百もの人々のために、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾き、人々が感動して静かになったというものがあります。楽器はその場にいた人がたまたま持っていたものを使い、伴奏無しで弾いたということなので、おそらく第3楽章を演奏したということだと思います。
興味深いのは、ナポリの爆撃事情で、1940年11月から1943年9月にかけておこなわれた200回に及ぶ爆撃はすべてアメリカ軍とイギリス軍によっておこなわれており、爆撃の後は、基本的に護衛の戦闘機が市中の人々を老若男女問わず機関銃で射ちまくるというアメリカ軍お得意の残虐ルーティンが組まれてもいました。約3年のあいだにアメリカ軍とイギリス軍によって殺害されたナポリの一般市民は2万人を遥かに超えており、1943年9月の休戦以降に始まったドイツ軍の数少ないナポリ爆撃による死者300人とは比較にならないほどの残虐行為が民間人に対しておこなわれたことになります(名目上は軍事関連施設攻撃)。
特に1943年8月にアメリカ軍がおこなった400機のボーイングB17重爆撃機による絨毯爆撃は、大聖堂も教会も市街地も徹底的に破壊し尽くし、ナポリ市民を恐怖と絶望に追い込んでいたので、翌月の休戦以降に急にナポリ人がアメリカ万歳になるとはとても思えません。ちなみにドイツ軍によるナポリ爆撃は、1943年11月から1944年3月まで主にユンカースJu88軽爆撃機によっておこなわれていますが被害は小さなものでした。
なので、スポールディングは、演奏の際にアメリカの軍服を着ていなかったと考えられます。
年表
1888年(0歳)
●8月15日、アルバート・スポールディング、シカゴに誕生。父ジェイムズ・ウォルター・スポールディング[1856-1931]は、実兄のアルバート・グッドウィル・スポールディング[1850-1915]と共に、資金400ドルずつ出しあって1876年にスポーツ用品販売店の「スポールディング」を創業した実業家。兄のアルバート・グッドウィルは、元プロ野球選手で、1871年に入団したボストン・レッド・ストッキングスでは投手として5年間で205勝、打率も3割越えという偉業を達成、5年後の1876年には、シカゴ・ホワイトストッキングスに監督兼投手として入団、好成績でスタートしますが、肩の故障により2年後に引退、弟に任せていたスポルディングの仕事にも力を入れるようになりますが、1882年にはシカゴ・ホワイト・ストッキングスの社長に就任、10年間でリーグ制覇を5回達成するほどの強豪チームに育てています。
母メアリー・ボードマン(旧姓)[1864-?]は、アルト歌手、ピアノ奏者、ハープ奏者という音楽家で、アルバートは幼少期に母から音楽の手ほどきを受けています。
なお、1888年には、クナッパーツブッシュとネイガウスが生まれています。
1889年(0〜1歳)
1890年(1〜2歳)
◆シャーマン銀購入法制定。アメリカ政府の決めた銀:金の交換レートは、実際の金属市場における銀の価値を大きく上回っていたため、投資家たちがこれに注目。「金属市場で銀を購入 → 財務省で金貨と交換 → 金属市場で金貨を売却」という流れで大きな利益が生まれることから、このサイクルが大量に繰り返され、連邦準備制度の金の危機にまで発展する事態となります。
1891年(2〜3歳)
1892年(3〜4歳)
1893年(4〜5歳)
◆1893年恐慌。株式と銀が暴落。銀行約500行が閉鎖し、企業約15,000社が破産、多くの農場や鉱山も経営難に陥り、ノーザン・パシフィック鉄道、ユニオン・パシフィック鉄道なども経営破綻。失業率はミシガン州で43%、ニューヨーク州で35%に達しています。
1894年(5〜6歳)
1895年(6〜7歳)
●スポールディング、フィレンツェで、ウルピアーノ・キーティにヴァイオリンを、アントニオ・スコントリーノに作曲を師事。
1896年(7〜8歳)
◆アメリカ経済ほぼ回復。以後、1929年の世界大恐慌までは上向き景気が続くことになります。
1897年(8〜9歳)
1898年(9〜10歳)
1899年(10〜11歳)
1900年(11〜12歳)
1901年(12〜13歳)
1902年(13〜14歳)
●スポールディング、ボローニャ音楽院に入学。
1903年(14〜15歳)
●スポールディング、ボローニャ音楽院を卒業。
●スポールディング、パリ音楽院に入学、ナルシス=オーギュスタン・ルフォールに師事。
1904年(15〜16歳)
1905年(16〜17歳)
●スポールディング、パリでデビュー。
●スポールディング、ハンス・リヒター指揮ロンドン交響楽団と共演。
1906年(17〜18歳)
1907年(18〜19歳)
1908年(19〜20歳)
●スポールディング、カーネギー・ホールでウォルター・ダムロッシュ指揮ニューヨーク交響楽団と共演。
1909年(20〜21歳)
1910年(21〜22歳)
●スポールディング、ロシア帝国ツアー。
●スポールディング、レオポルト・アウアー[1845-1930]に誘われて、サンクトペテルブルク音楽院のレッスン室を訪れ、少年ハイフェッツ[1901-1987]の演奏に立ち会います。
1911年(22〜23歳)
1912年(23〜24歳)
●スポールディング、スカンジナビア・ツアー。
●スポールディング、ロシア帝国ツアー。
●スポールディング、メアリー・ヴァンダーホーフ・パイル[1886-1970]にプロポーズ。
1913年(24〜25歳)
●スポールディング、ロシア帝国ツアー。
●スポールディング、ヨーロッパ・ツアー。翌年春まで。
1914年(25〜26歳)
●スポールディング、クーセヴィツキーからヴォルガ・ツアーに誘われます。ヴォルガ・ツアーは、クーセヴィツキーが自前のオーケストラと共に、夏のヴォルガ川を何千キロもチャーター蒸気船で移動し、往路は西岸、復路は東岸の町で演奏するという魅惑的なツアーでしたが、スポールディングはほかに約束があったため、悩んだ末に断っています。しかしそれから間もなく第1次大戦が始まってヴォルガ・ツアーそのものができなくなっていました。
1915年(26〜27歳)
●スポールディング、中南米ツアー。
1916年(27〜28歳)
1917年(28〜29歳)
●スポールディング、兵役免除の方法として、赤十字に登録、YMCAにボランティア参加、芸能人団体に入会といった方法を提案されますが、断ります。
●スポールディング、兵役。翌年までフランスで軍務に就きます。
1918年(29〜30歳)
●スポールディング、兵役終了。
1919年(30〜31歳)
●6月19日、スポールディング、メアリー・ヴァンダーホーフ・パイルと結婚。
1920年(31〜32歳)
●スポールディング、演奏活動を再開。当初は年に100回から120回に及ぶ演奏会をこなしています。
1921年(32〜33歳)
1922年(33〜34歳)
1923年(34〜35歳)
1924年(35〜36歳)
1925年(36〜37歳)
1926年(37〜38歳)
1927年(38〜39歳)
1928年(39〜40歳)
1929年(40〜41歳)
1930年(41〜42歳)
1931年(42〜43歳)
1932年(43〜44歳)
1933年(44〜45歳)
1934年(45〜46歳)
1935年(46〜47歳)
1936年(47〜48歳)
1937年(48〜49歳)
1938年(49〜50歳)
1939年(50〜51歳)
1940年(51〜52歳)
1941年(52〜53歳)
●スポールディング、サミュエル・バーバーのヴァイオリン協奏曲の公式初演で演奏。
1942年(53〜54歳)
●スポールディング、アメリカ陸軍の戦争情報局、心理戦部隊に配属。
1943年(54〜55歳)
1944年(55〜56歳)
イタリア語と他のいくつかの言語に堪能であり、イタリアでの彼の放送は、1945年の北方の反乱と最終的なイタリアの解放を助けました。彼は戦時中の仕事で米国自由勲章を獲得しました。
●スポールディング、ナポリ近郊の洞窟に立ち往生した数百人の市民のためにコンサートを行いました。
1945年(56〜57歳)
●スポールディング、アメリカ政府より「大統領自由勲章」を授与。戦時中のイタリアでのスポールディングの放送(呼びかけ等)が、イタリア南北分断後、北イタリア(イタリア社会共和国)でのレジスタンス活動を助け、最終的なイタリア解放に役立ったと評価されての受勲。
1946年(57〜58歳)
1947年(58〜59歳)
1948年(59〜60歳)
1949年(60〜61歳)
1950年(61〜62歳)
●スポールディング、コンサート活動を停止。引退。
1951年(62〜63歳)
1952年(63〜64歳)
1953年(64〜65歳)
●5月26日、スポールディング、マンハッタンで死去。
収録情報
CD1
ベートーヴェン
・ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 61
ブラームス
・ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 77
録音:1952年11月
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン)
オーストリア交響楽団
ヴィルヘルム・ロイブナー(指揮)
CD2
ブラームス
・ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 Op. 78
・ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op. 100
・ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op. 108
録音:1951年10月
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン), エルネー・ドホナーニ(ピアノ)
CD3
ベートーヴェン
・ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 Op. 47「クロイツェル」
録音:1952年5月26日
ジュール・ウォルファース(ピアノ)
・ヴァイオリン・ソナタ第10番 ト長調 Op. 96
録音:1953年1月16日
エルネー・ドホナーニ(ピアノ)
・ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番 ト長調 Op. 40
録音:1935年3月11&4月25日
・ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番 ヘ長調 Op. 50
録音:1935年3月11日
アンドレ・ブノワ(ピアノ)
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン)
CD4
メンデルスゾーン
・ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op. 64
録音:1941年12月20日
シュポアー
・ヴァイオリン協奏曲 第8番 イ短調 Op. 47
録音:1938年5月9日
サミュエル・バーバー (1910-1981)
・ヴァイオリン協奏曲 Op. 14
録音:1941年2月7日
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン)
フィラデルフィア管弦楽団
ユージン・オーマンディ(指揮)
CD5
ヴァイオリン・リサイタル
・ブラーム: ハンガリー舞曲第1&2番
・ドビュッシー: 月の光
・パガニーニ: ソナチネ
・シューベルト: アヴェ・マリア
・アルベニス: マラゲーニャ
・ラヴェル:ハバネラ
・グラナドス:祈り
・ファリャ: はかなき人生(スペイン舞曲第1番)
・ファリャ: 7つのスペイン民謡〜ナナ
・ファリャ: 7つのスペイン民謡〜ホタ
・バッハ: 前奏曲 嬰へ短調
録音:1953年5月15日
ジュール・ウォルファース(ピアノ)
モーツァルト
・ヴァイオリン・ソナタ第28番 変ホ長調 KV 380
録音:1936年
アンドレ・ブノワ(ピアノ)
シューマン
・夕べの歌 Op. 85, No.12 (編曲:ウィルヘルミ)
録音:1935年5月21日
アンドレ・ブノワ(ピアノ)
アルバート・スポルディング(ヴァイオリ)
CD6
ヘンデル
・ヴァイオリン・ソナタ ホ長調 Op. 1-15 HWV 373
録音:1935年11月12日
タルティーニ
・ヴァイオリン・ソナタ第4番 ト短調「悪魔のトリル」Br. g5
録音:1935年3月11日
フランク
・ヴァイオリン・ソナタ イ長調
録音:1934年2月1日
ブラームス
・ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op. 100
録音:1934年5月22日
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン) , アンドレ・ブノワ(ピアノ)
CD7
ヘンデル
・トリオ・ソナタ ト短調 Op. 2-8 HWV 393
録音:1941年7月1日
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン) , ウィリアム・プリムローズ(ヴィオラ), アンドレ・ブノワ(ピアノ)
モーツァルト
・協奏交響曲 変ホ長調 KV 364
録音:1941年5月28日
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン) , ウィリアム・プリムローズ(ヴィオラ)
ニュー・フレンズ・オブ・ミュージック管弦楽団
フリッツ・シュティードリー(指揮)
ショーソン
・ヴァイオリンと管弦楽のための詩曲 Op. 25
録音:1950年
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン)
ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
ディミトリス・ミトロプーロス(指揮)
CD8
ブラームス
・ヴァイオリンとピアノのためのハンガリー舞曲集 (編曲: ヨーゼフ・ヨアヒム)
第6 番 変ロ長調
第7番 イ長調
第8番 イ長調
第9番 ホ短調
第17番 嬰へ短調
第18番 ニ長調
第20番 ニ短調
第21番 ホ短調
第 1番 ト短調
第 14番 ニ短調
第 4番 ロ短調
第 5番 ト短調
第 16番 ト短調
第 15番 イ長調
第 2番 ニ短調
録音:1952年
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン) , アンソニー・クーイカー(ピアノ)
ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 イ短調 Op. 102
録音:1939年3月26日
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン), ガスパール・カサド(チェロ)
ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
ジョン・バルビローリ(指揮)
CD9
ドホナーニ
・ヴァイオリン・ソナタ 嬰ハ短調 Op. 21*
録音:1952年
コレッリ
・ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ イ長調Op. 5-6 (編曲.アルバート・スポルディング)
・ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ長調 Op. 5-1 (編曲.アルバート・スポルディング)
・ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ短調 Op. 5-12「ラ・フォリア」:前奏曲 (編曲.アルバート・スポルディング)
タルティーニ
・ヴァイオリン・ソナタ ト短調 Op. 1-10「捨てられたディドーネ」
J.S.バッハ
・平均律クラヴィーア第2集-第14番 嬰へ短調 BWV 883 :前奏曲 (編曲.アルバート・スポルディング)
録音:1951年
アルバート・スポルディング(ヴァイオリン)
エルネー・ドホナーニ*, アンソニー・クーイカー(ピアノ)
商品説明:年表シリーズ
指揮者
●
アルヘンタ
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オッテルロー
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ガウク
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カラヤン
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クイケン
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クーセヴィツキー
●
クチャル
●
クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル
●
クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィル
●
クラウス
●
クレツキ
●
クレンペラー
●
ゴロワノフ
●
サヴァリッシュ
●
シューリヒト
●
スラトキン(父)
●
ターリヒ
●
チェリビダッケ
●
トスカニーニ
●
ドラゴン
●
ドラティ
●
バルビローリ
●
バーンスタイン
●
パレー
●
フェネル
●
フルトヴェングラー
●
ベイヌム
●
メルツェンドルファー
●
モントゥー
●
ライトナー
●
ラインスドルフ
●
レーグナー
●
ロスバウト
鍵盤楽器
●
ヴァレンティ
●
ヴェデルニコフ
●
カークパトリック
●
カサドシュ
●
グリンベルク
●
シュナーベル
●
ソフロニツキー
●
タマルキナ
●
タリアフェロ
●
ティッサン=ヴァランタン
●
デムス
●
ナイ
●
ニコラーエワ
●
ネイガウス父子
●
ノヴァエス
●
ハスキル
●
フェインベルク
●
ユージナ
●
ランドフスカ
●
ロン
弦楽器
●
カサド
●
コーガン
●
シュタルケル
●
スポールディング
●
バルヒェット
●
フランチェスカッティ
●
ヤニグロ
●
リッチ
室内アンサンブル
●
グリラー弦楽四重奏団
●
シェッファー四重奏団
●
シュナイダー四重奏団
●
パスカル弦楽四重奏団
●
パスキエ・トリオ
●
ハリウッド弦楽四重奏団
●
バルヒェット四重奏団
●
ブダペスト弦楽四重奏団
●
伝説のフランスの弦楽四重奏団
●
レナー弦楽四重奏団
作曲家
●
アンダーソン
●
ベートーヴェン
●
ヘンツェ
●
坂本龍一
シリーズ
●
テスタメント国内盤