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4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/04/23
今更わざわざ書くまでもないような有名な演奏ばかりで、実際殆ど持っていたのだけれど、値段に惹かれて改めて買ってしまった。リパッティの凛とした、渓流に煌めく陽光のような演奏が未だに人の心を惹き付けつづける、とは何と素晴らしいことだろう。師に擬せられるコルト―とは正反対に、タメを作らず、いささかの人為的な細工もなしに、さらさらと感興のままに突き進む(かに聞こえる)爽やかさ!ただグリーグなんかを聞くと、実は叙情派だけではなく、スケールの大きいヴィルトゥオジティも備えていたことが分かる。音質は今までのと同じようなものだと思うが、リストとショパン、バルトークはかなり落ちる。とくにリストは商品化する必要があったのかと思うが、他の二曲は、この劣悪な音でもリパッティの音楽は聞き取れる。力つきて最後の(といっても曲順は違えている。スタジオとライブでも違う)一曲(2番)のワルツだけが弾かれていないブザンソン・ライブはそう知ってしまうと痛々しいし、聞き比べるとスタジオと比べると、最後になった1番はやや精彩を欠くような気がしなくもないが、それでも生彩にあふれた音楽的記録である。20世紀の最良の音楽的遺産の一つ。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。
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ケンプとのベト協全集で感服して買ったのだが、今度も感服。この時代の指揮者たちってほんと凄かったんだと思い知らされる名演です。51年の集中的録音で、原盤は多分蘭フィリップスですが録音は良好。ただし同時期・同オケのベイヌムのデッカ盤に比べると鮮明度や色彩度より、音の厚みや威力が勝った感じですね(でもこれもデッカ盤もあるんですね。リマスターで音違うのでしょうか?私の聞いたのはAndromeda盤)。まずこの頃のコンセルトへボウの実力は、ベイヌムのボックスでも感嘆しましたが、ここでもそれは同じ。すさまじい腕前と体力!ケンペンはオランダ人ですが、ドイツ国籍を取得し、主戦場はドイツだったようです。ベイヌムとの兼ね合いとかあったのでしょうか?それはともかく、このチャイコフスキーもどれも全くドイツ風で重心が低く、雄大かつ豪快極まる演奏です。管が咆哮している所でも(そこも凄いが)、弦が負けずに刻みでも何でも唸るように弾き切るっていう感じ。音のアーティキュレーションの克明さが凄いので彫りが深いこと(これはベイヌムとも共通。とくに「悲愴」が目立つ)!暴風雨のようなチャイコフスキー。五番は終楽章が大胆なカット(これは元々ハンブルクでの作曲者自身からの伝統でもあるとか)と最後のプレストに突入する直前の所で追加されたシンバルの二連発でも有名ですが、楽章冒頭からぐっとテンポを落として重戦車のように突進する所は見事というほかはありません。ケンペン、大将軍の貫禄です。この迫力に匹敵できる演奏は殆どないでしょう。カットは不自然ではないものの、あれもうコーダ?という感じではあります。シンバルはそれなりに効果的だと思うし、バランス的におかしい音量ではなく、まぁ、凄いね、それにしても。いやはや。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/04/21
LP時代に旧盤を愛聴していたが、この新盤は評価も高く、価格もこっちの方が安いので購入した。もはや旧盤は30年ほど前の記憶の彼方だから比較は難しいが、これも豪快で闊達な、太い筆で一気に書かれたようなバッハである。旧盤で著しかった指板の上を指が叩くペタペタと言う音は今回は聞こえないが、発音の明確さは依然として変わらない。ただ、そのうろ覚えの記憶だと(だからあまり当てにはなりません)、今度の演奏の方が色々とアゴーギグが大きかったり、自由闊達さを増したとも、スタイリッシュな趣きがやや失われたともいえそうな気がする。私的にはやや後者かなぁ、という感想で、そのために星半分くらい引きたいかなぁ?でもないから5つにしておきます。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/04/17
ラローチャの若い頃の吹き込みの集大成。 その後RCAやDECCAに再吹き込みがあり、そちらに比べると やや色彩感に乏しい憾みはある。そのせいかあるいはラロ―チャ の年齢のせいか、意外に彼女のメカニックの切れの方が前面化している ように聞こえ、後年の録音の方が民族色や余裕が感じられる。 グラナドスやアルベニスは生の民族色は避けていたみたいだけれども、 この演奏では、そうした「近代音楽」風の所が強調されているかな? 星一つ減じたのはそのため。 でもこれだけまとまってこの値段だからという気はします。 例外がCD7のトゥリナとモンサルバーチェで、これは90年代の 円熟期の演奏が聴かれる新しい録音。 ロスア・アンヘレスとのコンサートは、実はこのファリャ目当てで買った のだけれど、素晴らしい。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/04/11
甘美なロマンティシズムとは無縁で、荘厳で暗い「未完成」と、大部分は巨人的で田舎風で素朴な遊びの音楽(某批評家のいう所「命をかけた遊び」という奴)が一緒になっている、というプログラム的には不思議なアルバム。クナには近代人フルトヴェングラーのような神経症的なところはないが、この「未完成」は凄い。ウィンナコーヒー風の甘さなどはかけらもなく、絶壁を仰ぎ見るような音楽だ。一方小曲の各々も、余裕綽々というか自信満々というかそういう音楽。特異の「バーデン娘」をはじめとしてやりたい邦題で、野人クナの面目躍如。この人間性を見よ(聞け?)というところかなぁ。ファンなら必携でしょう。音質はこの種のものとしたら悪くはない。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/04/11
クナの演奏は小さな場面毎に型ができ上がっていて、それをかなり自由に、時には即興的につないでいくという趣があるけれども、ワグナーやブルックナーではこのつなぎ方がごく自然に隆起していくのに対して、ブラ―ムスとかベートーヴェンの曲だと、突然テンポが落ちたりとかなりぎくしゃくする。異形と形容される所以だろう。相当大時代的で、メンゲルベルクやストコフスキーなどのデフォルメにも通じて聞こえる。異常にテンポが遅かったりするのもこれらの曲であって、ワグナーやブルックナーでは必ずしもそうではない。全体の見通しよりも部分の表情の味付け(もちろん濃い)の方が優先されている。このアルバムでその味付けで堪能させるのは二番(とくに最初の二楽章)と三番の交響曲。ハイドン・ヴァリエーションも然り。四番は音質(解像度が低くて、ティンパニが遠い)とオケが今いちで、これはクナのブラ四のベストとはいえない。二重協奏曲も音はやはり鮮明さに欠けるが、クナの厚い音でのサポートに対してソロ、とくにチェロが思い切りの感情移入で応えている。ピアノ協奏曲は、カーゾンがもの凄く粗っぽくて、殆ど崩壊している。オケは聞くべき所は十分あるが(三楽章の静かな持続音だけで伴奏する所とか)、やはりソロがこれではね。アルトラプソディのソロは、これほどではないが、音程が不安定。たださすがにステレオで音はいい(多分同時の大学祝典よりバランスが良い)。ということで、最初の二枚なら星五つだが、最後の二枚は三つどまりで、平均して四つというところか?
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/04/09
下の書き込みを見ると演奏以上に音のことが多い。前の盤はそんなに悪かったのだろうか?確かにこの盤は、ツァラトゥストラの冒頭の重低音からして非常にレンジが広くて、演奏自体がそうなのだろうが、弦も管も滑らかで刺激的でない。ソロも素晴らしくうまい。強いていえば、ややオケの中に頭を突っ込んでいるみたいな、全体が溶け合い過ぎという気がしなくもない(客席からステージまでの距離感があまりない)けれども、歪みのないところは気持ちがいい。ケンペの演奏は質実剛健みたいないわれ方をしているが、SKDとのこの演奏に限っていえば、渋いというよりきわめて流麗で艶やか、むしろカラヤンに近い(晩年のDGのカラヤンのシュトラウスは、彼としてはあまり出来が良くないと思うが)。色々と珍しい曲も収録されていて、この値段なら買わない手はないだろう。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/03/29
先日のブロンフマンの「戦争ソナタ」三曲のリサイタルは凄いものでした。このCDの表紙の若い頃の写真とは一変して「重量級」の体つきでしたが、その巨躯ならではの壮絶な音(と演奏)。本CDは約四半世紀前の吹き込みですが、もっと若々しく、しなやかさもある演奏が聴けます。とくにソナタの方がいい。全曲吹き込みとしたらやはり第一に指を屈するべき演奏のように思えます。今年彼はまた全曲演奏に取り組むとかで再吹き込みが期待されますが、これはこれで三階級制覇のチャンピオンの軽量級時代の記録として価値があります。録音も上々。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/03/28
正直アラウは苦手なピアニストである。ライブでも聞いたが、良さがいま一つ分からなかった。でもこれだけ称賛されるのだから、と考えて、時折機会を捉えて聞いてみようとする。先日図書館で借りた「皇帝」の旧盤(ハイティンクとの)を聞いてこれがなかなか良かった。あの頃の方が良いのかと思ったのだが、この新盤の評価があまりに良くて、かつ安い。それでついつい買ってしまった。しかし、やっぱり、苦手感は解消されなかった。旧盤と比べて、このしんねりむっつりしたスローテンポは何なのだろう。とくに四番が著しいのだが、堂々としているといえばそうだけれども、音楽が流れず、自由な飛翔感がまるでない(ミケランジェリがチェリビダッケとスェーデンでやった「皇帝」と比べてほしい)。ディヴィスの棒もアラウに敬意を表して合わせたという以上の積極的な意図が感じられない。余裕しゃくしゃくというよりかえって窮屈な音楽と聞こえて仕方がない。クレンペラーみたいなことをやってもディヴィスはディヴィスでしかないのだし‥‥。晩年のチェリのスローテンポ(これも個人的にはもう少し前の方が好きだが)のような克明なテクスチャーの描き出しがあるわけでもない(これは指揮もピアノも)。ファンの方には申し訳ないが、苦手と言うのはダメなものか?
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
5人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/03/27
まず、音がいい。このステレオ初期のRCAは本当にいい音がするものが多い。かえって60年代のよりもいいのではないか?歌手の三人が豪華で皆さん絶賛されているのは、ま、当然でしょうか?コレッリひいきの私としては、ビョルリンクは張り上げる所は素晴らしいが、たとえば一幕の最後の例の旋律がはじめて、抑えた形で登場するところなどがちょっぴりものたらない(しまりがない)。けど、聞き所の盛り上がりは立派、立派。聞き所と言えば、私にとってのこの曲のそれは三幕でのトゥーランドットとリウが絡む所(「氷のような姫君の」のアリアに入る前です)。二大女声が抑えながらも並立して、二人の女性の違いを描き出す。ここのテバルディがほんと、さすがさすが。奴隷女と言うよりは(アイーダ同様)囚われのみの王女様ではないかという気品だけど。ニルソンもいい。実はあまり好きではないのだけど、そういうしかない、この役の場合―テバルディのもう一つの盤は、どうもシュトラウス声で、イタリア・オペラだと含み声すぎるボルクなんで今イチ(だけど、カラスとテバルディの張り合いとか聞いてみたかったなぁ、本音のところ)。あと歌手で面白いのは皇帝で、聞いたことのない人だけれど、なかなか良い。さて、惜しむらくは、とこの盤でくさされるのが定番(?)なのがラインスドルフだけれど、私は結構立派なものだと思う。プッチ―二的な複雑な声部の絡みがちゃんと聞こえる。さすがオケに恐れられた神の耳の持ち主。同じくくさされ役のモリナーリ・ブラデッリよかずっといいと思うが(あ、だけど、あの盤はなんたってコレッリですからねぇ。そんなのどうでもいい)。
5人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/03/16
第九のみ聞いたのですが、下の方たちとあまりに感想が違うので、書き込むのを躊躇うほどですが、この会場の残響おかげでふやけて分離の悪い音の塊に閉口(たとえば一楽章の第二主題)。ブルックナーのポリフォニックな音の作り方がこれでは伺えません。
14人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/03/14
このボックスを買う人々の多くは、既にクナのブルックナーのCDはいくつも持っているに違いない(初めての人は真に幸いであるという他はないけれど)。私もご他聞に漏れず、全くお初は64年の第三。実は第四も昔LP(海賊版です)をもっていたけれども、壮絶に酷い音質で到底演奏がとかいえる代物はなかったから、お初同然。多分このボックス以外に現在は入手が困難で、そういう意味で最も価値のある第八は、半年位前にボックス全部の2.5倍くらいの値段で海賊CDR(RARE MOTH)を買ってしまって、要するに聞いて間もない。重複もあるけれども、この値段だし、まとまっているのは便利だから買っておこう、別にブルックナーを立て続けに聞かなくともいいだろうし、便利なリフェランスとして置いておけば良い、そんなところだった。けれども未聴だった第三から聞き始めたら、もうそんな思惑関係なし、すっかり堪能してクナのブルックナーの世界にずっぽりハマってしまった。全部ライブだから傷はあるけれども、そんな末節は関係ない。もっているものが違う、という感じ。録音ですら、ヒストリカル慣れしていれば問題ないでしょう。たとえば、昔のLPでは聞くに堪えなかった第四、今度のもやはりこれが一番貧しいけれど、かつてのに比べたら格段に良くて(とはいえ、最近のボックスに収録されている30年代のベームの同じ曲より良いともいえないが)、クナの演奏の凄さは十分堪能出来る。第八は、数年前ドリームライフから出た、オリジナルテープから起こしたというふれ込みの盤(今は8000円位する中古しか手に入らない?)は知らないが、残念というか嬉しいというべきか、少なくとも大枚(?)はたいたRARE MOTHよりずっといい音がする。同じふれ込みのドリームライフの第五はもっているけれども、ほぼ同レヴェル(ただこれはテープの消去が完全でないアナウンスみたいなものが背景に聞こえる。ARCHIPEL盤も同じだから仕方ないのでしょう)で、盛大なノイズのあるARCHIPELよりずっとクリアだ。やはりARCHIPELの第七と比べてもやはりこっちの方が明快な音。 でなくとも長文なので、各々の曲の演奏について細かく語ることはしないけれども、クナのブルックナーは、ちょうど歌舞伎役者の演技のように部分部分の型と言うのが出来上がっていて、サビの部分だとそれが見栄を切るような形でものの見事にキマるようになっている―ある種の腹芸みたいなものか?あとはこうした「点」をどう繋いでいくかという部分で即興的に流れが決まり、それがまた部分のテンポや表情にフィードバックする、という感じで全体が流動的に構築されていくのではないだろうか。決してインテンポな指揮ではない。基本的な進行=テンポ感の中で流れがつくられながら、それが寄せては返し的に変動している。最晩年の第三、第四。第八はこの点で、かつてより自由自在に振る舞っているように聞こえる。 このやり方というか、私にはそう聞こえる特徴は、クナのブルックナー演奏でいつも問題になる改訂版問題にも関係するのかもしれない。つまり、それで型ができ上がってしまっていたということだが。私のように、ブルックナーといえば、クナとシュ―リヒトで、ヴァントも朝比奈も全然視野の外だった時代から聞いている者からすると、クナのは改訂版だから最初から聞かなかった、という人がいたりするのはびっくり。確かに改訂版、とくに第九の二楽章のオーケストレーションの変更。あの素晴らしい冒頭のピッチカート主題を何でまた木管に、と、さすがのクナの演奏であっても思わざるを得ないが、それでも楽器法や表情記号の変更もあって(でもいわゆる原典版だってハースとノヴァークで楽器法が違ってたりする)思い切り表情濃厚な両楽章は聞かせるし、次いで顕著な第五ですら、あちこちで引っかかりながらも、否応もなく引きずり込まれてしまう。ヴァントは改訂版とクナと言うだけで聞きたくもない、という反応だったらしい。時代遅れといえばそうなんだろうが、そもそもブルックナー本人が、第八のフィナーレで、三帝会戦だとか称してラッパを吹き鳴らし、ティンパニをどかんどかんと炸裂させて喜んでいる「危ない」人です。第五の終楽章の第一主題の最初のクラリネットによる提示も下品としかいいようがない。ファンにはえらく叱られそうだが、私なんかは「幻想」交響曲の恋人のモチーフが終楽章でグロテスクに再帰するところを思い出してしまう。そういえば低弦によるこの主題の反復なんかもサンサーンスの「動物の謝肉祭」じみたユーモア音楽ではないか。そういう人の音楽に過剰に純粋主義の障壁を立てて、シンバルやトライアングルの追加が、とか目くじらを立てて、この指揮者の音楽的魔力に耳を塞ぐのはどうなんだろう?私にとっては、ブルックナー音楽の聖なる危なさ(パルジファル的愚者?)に最も光を当て得た指揮者は、未だにクナにとどめを刺す。星は六つでも七つでもつけたい。
14人の方が、このレビューに「共感」しています。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/03/03
第一集に続いて聞き応えのあるボックス。多少の前後はあるが、こちらの方が古い吹き込みで全部モノーラル。ブルックナーなどは戦前吹き込みだが、意外に音はいい。この手のヒストリカルを聞き慣れている人なら問題はないだろう。ブルックナーは新古典主義的な演奏で、旧世代のクナとかフルトヴェングラーのような指揮者の演奏とは全く一線を画す、明確なアーティキュレーションとタメをつくらない進行。後年のバイロイトでの『トリスタン』や『指輪』を思い起こさせる。五番は他にないので貴重な資料でしょう。感銘の深いのは七番で、芸風にもあっていると思うが、この音質でも堪能出来る。昔々ムジ−クフェラインザールで生を聞いて、一楽章の最後であのきんきらのホールの中を輝かしい金管と弦が絡み合って上昇していった様を半世紀近く立った今もまざまざと思い出すけれども(直後のスタジオ盤は、昔聞いた記憶だと似ても似つかぬひからびた演奏に聞こえた)、ずっと前のこの演奏でもその面影はある。ただ晩年に行くほど遅くなっていったベームなのに、二楽章と三楽章のトリオは何故かもの凄いスローテンポ。けれどもちゃんともたせているところが素晴らしい。 他の曲では、第九が、ノイズを取りすぎて、飽満感に欠けるのが残念だが、あとはいずれも名演揃い。モーツアルトは「ジュピター」より「リンツ」がいいし、「レクイエム」は実に感銘深い。「ミサソレ」も同様で、共にステレオ盤を凌ぐ出来(とくに「レクイエム」)。ブラ2もいいが、一番がステレオであるので、もうちっと待ちたかった。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/02/28
ベイヌムの録音されたレパートリーの中で、何故かベートーヴェンの交響曲が少ないのは遺憾であり、不思議だが、実際にはロンドンでもチクルスをやっていたことがリーフレットには書いてある。このフィルハーモニアとの演奏会はクレンペラーのチクルスが、有名なベッドでの失火事件でキャンセルされたものの代役だったとのことで、一部はジュリーニもやり、ベイヌムは6つのコンサートしか指揮しなかったと書かれているが、この二曲の他には、三番をやって、九番は出来なかった以外には分からない。このコンサートだけでも残されているのは有り難いというべきだろう。録音は58年のライブならこんなものだろう。決して悪い音ではなく、むしろ聞きやすい。肝心の演奏だが、両方ともに素晴らしい。充実しきった名演で、死の前年だが、巷間囁かれるような衰えの跡は微塵も見せず、求心的な活力に満ち満ちている。ACOとのエロイカのライブよりは録音がいいだけに感銘も深い。二番はACOとのスタジオ録音があるが、甲乙付け難い出来だ。ベイヌム・ファンなら見逃す手はないCDだ。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/02/21
晩年になるとぐっとテンポが遅くなる演奏家(とくに指揮者)がいる。チェリビダッケ然り、ベーム然り、ジュリーニ然り。ひょっとするとクレンペラーもそうだったのかもしれない。理由はまちまち、必ずしも運動神経を衰えのせいともいい難いけれども、ジュリーニは若い頃からリズムの固い、流れない指揮者だった。ここはクレンペラ―に似ている。けれども、クレンペラーが最初から情動的ではなかったのに対して、ジュリーニは遅いテンポで表情が濃くなっていった。そこがどうなんだろう、と私なんかは思う。下の評でもいわれているが、四番ではとくに後半の楽章にそれが著しい。ただ、それがいい方に作用しているかというと、どうもあんまり首肯出来ないなぁ。四番はフルトヴェングラーのように一気呵成なフィナーレでも、もうちょっとじっくりやってほしいという気がするのだけれども、こんなにしんねりむっつり「固練り」でやられても、音楽としては如何なものかと思う。好みと言われたらそうかもしれないけれど。
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