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遊悠音詩人 さんのレビュー一覧 

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/01/08

    冒頭から終局まで緊張感が全く途切れない凄まじい第九!1979/80年収録の著名な全集盤も際だった名演だったが、このライヴは全く別次元!白眉は終楽章。聖ルカ教会でシュトリェーベン氏が収録したときのような生暖かい感触など皆無。バリトン・ソロのピッチが恐ろしくハイ上がりだし、ソプラノなどビブラートどころではない震えっぷりだ。だが、旧東独の威信をその身に受けた者しか味わえない緊張感が、痛いくらいに伝わって来る。加えて、ゼンパーオーパーの再建記念の、それもワーグナー以来の歴史がある“枝の主日の第九”である訳だから、プレッシャーは凄まじいはずだ。会場に立ち込める押し潰されそうなほど緊迫した冷気と、演奏家の発する切れば血が出るほど飽和した熱気が混ざり合い、聴き手を終始金縛り状態に遭わせる。楔を打つ如くそそり立つゾンダーマンのティンパニなど指揮者のビートと完全に一致し、時折見られる意図的な強打が、団員達を鼓舞するようにも、あるいは思いのほか冷徹な態度を取る聴衆を叱責するようにも聴こえる。コントラバスの重低音も、ホールの床をえぐり取るが如きである。そもそもブロムシュテット自体、いつもと違う。彼の普段の指揮ぶりから端正な演奏を想像すると、見事に裏切られる。彼を信奉するファンが違和感を抱くのも無理はない。温厚な雰囲気が緊張感のために押し殺されていると言っても差し支えない。だからといってヒステリックに過ぎないところが、さすがSKDである。第3楽章がここまで甘美に奏でられた例を僕は知らない。しかも背景には緊迫した空気が流れているので、皮肉にも、曲が本来的に持つ“かりそめの美”の雰囲気が一層と増している。その空虚さは最後の最後、観客の拍手で頂点を迎える。何だこの冷めきった反応は!?取って付けた様ではないか!もっとも、日本のようにヘタクソな演奏でさえ間髪入れずブラボー合戦を始める馬鹿丸出しの反応ではなく、最後の和音が消え行くまで拍手を待つという礼儀作法であることは百も承知だ。ここまで来ると、これは果たして歓喜の歌として適切な演奏なのだろうかという、根本的な問いにぶち当たる。感動はする。しかし、魂が解放されるような晴れやかさはない。まして、我が国における年末恒例の、刹那的な達成感と明くる年への期待を促すような、商業用の演奏とは訳が違う。この異様な感想を言い表すだけの語彙を、(これだけ長文を連ねてもなお)如何せん僕は思いつかない。まずは聴いていただくに限る。賛否両論大いに結構。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/01/01

    「ウィンナ・ワルツやポルカはVPOに限る」などと頑なに譲らないような人にこそ聴いていただきたい。ボスコフスキーやクライバー亡き後、全世界に中継こそされようが、もはやマンネリ化の域を出ないVPOのニューイヤー・コンサートに比べたら、SKDの演奏は格段に上品である(因みに、VPOの事情に詳しい某演奏家曰く、VPOの団員は大晦日に酒盛りをするらしく、従って元日はヘベレケらしい)。《美しく青きドナウ》の冒頭の弦からして違う。まるで朝霧が段々と晴れていくような幻想味を帯びている。そこにペーター・ダムのホルンの主旋律が、谷間にこだまするように朗々と響くのだ。《観光列車》など、SLが「シュッシュッ、ポッポ」と軽快な音を刻みながら走るさまが、リズミカルな弦によく現れている。最後の弦のノンビブラートは、列車がブレーキを軋ませて駅へなだれ込む時の音に聴こえる。《むらつばめ》の囀りも可愛らしいし、《百発百中》の小気味良さも特筆ものだ。驚くべきは《雷鳴と電光》で、曲の両端にウィンド・マシーンが登場!「シュトラウスって、リヒャルトじゃないんだから!」と思わず笑ってしまうが、こうした遊び心にも事欠かないのが“粋”というもの。スウィトナーのランナー&ヨーゼフ・シュトラウスの名曲集およびケンペのジルベスター・コンサートとともに、シュトラウス・ファミリーの名盤として強力に推薦したい。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/12/24

    円熟の至芸!ザンデルリングといえば、他のレビューにもある通り、SKDとのブラームスがとにかく有名だが、そのブラームスが収録されていない(多分、音源がDenonおよびRCAに渡っている関係で、版権が取れないのだろう)。代わりに収録されたのがシベリウスの全集とマーラーとショスタコーヴィチという、決して聴きやすいとは言えないヘヴィーな曲目である。それらをどう聴かせているか知らしめるというところに、本BOXの意義があるように思えてならない。つまり、安易な妥協が一切通用しない作品群だからこそ、かえってザンデルリングの中庸を得た真摯なアプローチが光るのである。例えばシベリウスでは、北欧の透明感を押し出した演奏ならベルグルントを筆頭にいくらでもあるし、オケの機能美ではオーマンディのほうが上かも知れない。しかし、シンフォニックで手堅い演奏となると話は別で、やはりザンデルリングが頭一つ抜きん出ている。ショスタコーヴィチにしても、ムラヴィンスキーに代表されるような金管強調型快速路線からは一線を画し、重厚な響きを構築。殊に打楽器の小気味良さは、録音の良さも相俟ってムラヴィンスキーからは聴かれない魅力の一つだ。驚くべきはブルックナーで、往年のゲヴァントハウスの深々とした響きが余りにも美しく、後年の同オケとは比べものにならない弦の優しさや管の円やかさを宿している。録音も、1963年収録ということが信じられないくらいの豊かな音響だ。ボロディンやフランクもよいが、音像がアンバランスで、かつ重低音が腑抜けており、往年のSKDの渋い音を捉え切れていない憾みがある。同時期の録音でも、例えばKING復刻のハイパー・リマスタリング・シャルプラッテン・ベストなどではしっかりと重低音が響いていることから、恐らくは悪名高きソニック・ソリューションズ・ノー・ノイズ・システムによる音質改竄の結果だろう(宇野功芳氏は、「シャルプラッテン原盤の音はファンの宝だったが、その後のCD化によってことごとく音質が悪くなった」「KINGのリマスタリングによってLP初出時の美音が蘇った」と述べている)。最近ではedel輸入盤でもノー・ノイズ・システムを使わず、オリジナル・マスターから復刻をするようになってきているし、何点かはKINGからも復刻が出ているから、音質にこだわるのであればそれらの方をお勧めする。だが、16枚組で体系的にザンデルリングの至芸を味わえるという点においては、これ以上のセットを望めないだろう。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/12/20

    オリジナル・マスターからの復刻でないことが余りにも惜しい!XRCDはホールそのものの空気感までも再現できる超高音質なディスクだが、その特性がフルに発揮できるのは、やはりオリジナル・マスターを使用したときであろう。RCA原盤の復刻では殆ど守られていたが、今回はBASFの日本盤LPプレス用のマスターということで、オリジナルではない。そのせいもあるのだろうか、ダイナミック・レンジがXRCDにしてはかなり力不足で、加えて盛大なヒスノイズが混入している状態である。痛々しいテープから出来る限りの音は取ったのだろうが、高音質を標榜するまでのレベルには至っていないと思う。だが、演奏は素晴らしい。安易に効果やウケを狙うなどといった打算的な表現は皆無。厚みのあるサウンドで、しかも少しの力みもなく、自然体に奏でられている。とてもよい演奏だけに、オリジナル・マスターからの復刻を切に願う。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/12/13

    素朴といえば聞こえはいいが、荒削りに過ぎる。アンサンブルに定評がある団体だということだが、放送オケ母体の楽団にありがちなヒステリックな弦楽合奏である。ピッチも安定せず、ビブラートも余り心地好いものではない。まるで、寒くて手足のかじかんだ人がブルブルと落ち着きなくしているような、終始肩に余計な力の入った音程である。録音も、硬質で分離に乏しく、弦楽器の音色をきつくさせてしまっている憾みがある。「廉価盤だから仕方ない」というような言い訳は無用。安価でも質のよいものを求めようとするのが消費者の心理というもの。まして同郷オケのお国ものという期待を持たせておいて、この程度のクオリティでは満足いかない。だが、決して有名ではない作品を共感に満ちた演奏で世に紹介しようとする気概は感じられるので、この点を勘案するとOKというところだろう。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/12/07

    始めに、これだけ豊かな音響を引き出した杉本一家さん始めJVCのエンジニア諸兄に感謝!次に、従来盤との違いを的確に批評して下さったレビューアー一同に感謝!そして何より、これ程の名演を今日にまで残してくれたオーマンディ&フィラデルフィア管の方々に感謝!もはや異次元、未曾有の音響世界を体感。リマスタリングの違いによって演奏に対する印象が変わることはしばしばだが、まさかここまで違うとは。驚くべき見通しの良さで、団員達の息遣いや指回り、更には表情に至るまで、克明に目に映るような恐るべきリアリティ!徹底して音にこだわった優秀な復刻は、まさに職人芸の極み!コピー・マスターを一元的なシステムで適当にノイズ除去やイコライジングをしただけ、そのくせ新媒体を使用して高音質を標榜するような、安易で打算的な復刻盤が跋扈する中、それらとは全く一線を画した手作りの味わいが、そこかしこに溢れている。天国のオーマンディやシベリウスが聴いたらびっくりするだろう。演奏は豪快さと繊細さが絶妙に調和した絶美なものだ。弦のハリや艶やかさ、低音の力強さ、轟くティンパニ、牧歌的色彩を醸す木管(特にオーボエ)、伸びやかで決してうるさくならない金管などなど、各パートの上手さもさることながら、これら特徴を完全に掌握しドライヴしていくオーマンディの手腕にはただただ脱帽!作曲家本人をして「私の思い描く通りに、美しく音楽が流れている」と、絶対のお墨付きを得ていたオーマンディのシベリウス。それを手間隙かけて精確に再現してみせるエンジニア。オーマンディの職人芸が、エンジニアの職人芸によって見事に甦った、奇跡的な一枚と言えよう。多少値は張るが、よい仕事を成し遂げたエンジニア諸兄への敬意を込めた謝礼と思えば決して高くはないし、むしろ大きな感動が、それを補って余りあるだろう。従来盤をお持ちの方も是非!

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/12/01

    サヴァリッシュ&SKD以外は、単なるオマケ程度。演奏はそそっかしく、録音も薄っぺらだ。神経質過ぎるツィンマーマンや癖の多いツァハリアスなど、聴けたものではない。メインのサヴァリッシュは、兼ねてから名盤として名高いが、リマスタリングによってかなり差があるのは周知の通り。エンジニアの名前は記載されていないが、2002年に施したリマスタリングであることから、恐らく辣腕として知られるイアン・ジョーンズ氏によるArtリマスターだろう。EMIの復刻には賛否両論が付き物で、特に国内盤のHS2088など聴くに堪えないが、当盤は歪みやノイズなどなく優秀の部類に入る。しかし、例えば初期リマスターによる西独プレス盤の方が、よりSKDの魅力を伝えていると言ってよい。Art盤は、全ての音がパワフルになり、低音もよく響くようになるが、そのために却って透明感や明晰さが削がれ、厭に機械的な音になる憾みがある。殊に、ゾンダーマンのティンパニが他の楽器に埋没してしまっているように聴こえるのは頂けない。西独プレス盤は、やや高音が強く感じられるところも無きにしもあらずだが、金属的な部分は皆無で、何よりティンパニのマッシヴな質感が心地好い。だが、西独プレス盤は現在廃盤であり、中古でも入手困難かつ高価である。恒常的に手に入るもので比較的音質が優秀となると、やはりどうしてもこのArt盤ということになる。それにしても、何故EMIはリマスタリングが新しくなる度に音を悪くし、良質な盤を廃盤の憂き目に晒し、その癖、HQCDだの何だので音質向上を標榜するセールスに走るのであろう。願わくば今後再発買する際に、悪質なリマスタリングなどしないようにして頂きたい。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/25

    解説書でも触れられているが、宇野功芳氏はコンヴィチュニーを以下のように酷評している。曰く「古いオーケストラの持つ古い味をそのまま発揮させるというのが目的であるとすれば、それはもはや音楽とは何の関係もない博物館行きのものでしかない」と。だが、伝統ある響きを守るのが如何に大変であるのかは、シャイー就任後急速に軽量化したゲヴァントハウス管の実情を見れば容易に見当がつく。他の名門オケ、例えばコンセルトヘボウやシュターツカペレ・ドレスデンなども、イタリア人指揮者らの手によって随分様変わりしている。良くも悪くも国際化の潮流に乗った挙げ句、長い間培われた伝統の味わいがすっかり剥奪され、どこのオケを聴いても、国際平均的で当たり障りのない音楽しか聴けなくなった現状を思えば、純ドイツの味わいをストレートに聴かせるコンヴィチュニーの芸風は、むしろ貴重なものとして充分評価に値しよう。演奏はコンヴィチュニーらしい、重心の低い、それでいて躍動感にも事欠かない素晴らしいものだ。バンベルク響のアンサンブル力も上々で、至るところで低弦が効果的に響き、それが大きなスケールを醸し出すのに一役買っている。第2楽章のノスタルジックな味わいもさることながら、第3楽章のアグレッシブな質感も聴きもの。勿論両端楽章も腰の座った、ハッタリ虚仮威し一切なしの正攻法の演奏である。音質も、第3楽章に若干揺れはあるものの、年代を考慮すれば大変優秀であり、各パートの分離や残響も程よい。総じて、大変に深い味わいを持った、大人の演奏と言えよう。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/14

    例え現代的なスペックからすると聴き劣りのする音質でも、そこに刻まれた音楽的情報量は、現代の演奏を凌駕するものがある。我々が過去の録音に接する最大の理由は、ビット数では算出できないこれら魅力にある。旧東独時代のSKDはまさに魅力の宝庫であった。それは現代の如何なる録音技術をもってしても、如何に高価な再生機器をもってしても再現不可能なアンサンブルの妙に尽きる。ティンパニのゾンダーマン、ヴァイオリンのミリングにフンケ、ホルンのダム、オーボエのマーンなど、そうそうたる面々が揃っている。しかも彼等は、名技をひけらかすのではなく、その持ち味を全てアンサンブルのために役立てている。かつてのカペルマイスター、シノーポリは「シュターツカペレは伝統をふりかざし、これみよがしの名人芸をひけらかす団体ではない。内なる人間の声の伝統を守りつづけることこそ、音楽を奏でる意味なのだ」と語った。これは、昨今の偏狭な古楽器原理主義者と好対照であろう(もっとも古楽器演奏には今日におけるベートーヴェン研究の成果が反映されており、個人的には、十把一からげに非難する風潮には距離を置いている)。演奏評に移ろう。第5交響曲において、口説い位に連ねられた三連符を、当演奏ほど有機的に、有意義に掛け合った演奏はそう多くない。また、第7交響曲において、第1楽章序奏部で提示されるタン・タタンというリズム打ちが曲の要になっているが、このことをここまで明瞭に示した例を私は知らない(これは上記のゾンダーマンの貢献に依るところ大)。その他、第6番におけるオーボエの鄙びた色合いや、第9番における合唱の優秀さ、第1番や第8番における小気味よいティンパニなど、挙げ出したらきりがない。「録音は一流、演奏は三流」というようなCDが跋扈している今日、音質的瑕疵を差し引いても、この全集から得るものは大きい。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/13

    余韻の消え方における位相が変。ミュンヘン・フィルならチェリの来日盤の方が演奏、録音ともに優秀だし、ザンデルリンクならシュターツカペレ・ドレスデンの名盤を筆頭に据える。このオケ特有の正確なピッチが、録音の所以で腑抜けて聴こえるし、ザンデルリンクならではの格調高さもやや散漫な印象である。だが、珍しい共演の記録としての価値は他に変え難いので、「すばらしい」の評価。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2010/10/05

    オリジナル・マスターテープの威力!筆者はニ曲とも、edel輸入盤を聴いているが、音質の差は歴然!ピアノ協奏曲など、edel盤では妙チクリンな音響に嫌気がさした程だ。まるでピアノのソロにニ対のバンダを合わせたような、気の抜けた、しかも厭に左右に広がった音響だった。そこへいくとKING盤では、オケの力感、特に低音域の情報量が増し、位相も安定している。もっとも、ステレオのピアノにモノラルのオケを合わせたような貧弱な音響ではある。同時期のシューマンの協奏曲録音では透明感や立体感に優れていただけに、やや残念な印象も残らなくはないが、決して万全とは言い難いマスターテープからこれだけの音を引き出し得たKINGの技術者には、敬意を表したい。一方のヴァイオリン協奏曲は、edel盤の艶やかな音響とは違って、燻し銀ともいうべき渋い音響に仕上がっている。ヴァイオリンのの美しさを生かしたのはedel盤だが、オケの風格を伝えるのはKING盤といったところだろう。これには好みが分かれると思う。演奏としては、何れも中庸を得た名演である。殊にヴァイオリン協奏曲は、とかく技巧一辺倒に陥りがちな部分でさえ落ち着きを忘れない、味わい深い演奏といえよう。ヴィルトゥオーゾ系のヴァイオリニストに辟易している向きには特にお勧めである。

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  • 9人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/10/04

    BLU-SPECだとかHQCDだとかいうだけで、全部が良質だと思う勿れ。リマスターが新しければ何でもかんでも音質が向上していると思い込み、その都度再発盤を買い直すファンがいるが、要はメーカーの策略に躍らされているのだ。筆者は色々聴き比べさせて頂いたが、結論からいえば、SKDの持ち味を最もよく伝えているのは、国内盤の何れでもなく、このRCA輸入盤だ!試しに第1交響曲で比較しよう。国内盤はスクラッチノイズもなく、確かに力強いが、総ての音が逞しくなった代償として、音がダマになってしまっている。特に、ゾンダーマンのティンパニ。名前の通り特別な男であった彼のアグレッシブなティンパニが、国内盤では他の楽器に埋没して篭って聴こえてしまうのだ。しかし当盤ではオケの上に君臨する如く、あるいは地響きのようによく鳴るのである。これは《悲劇的序曲》や第4番第3楽章でもよく分かる。弦楽器の質感も輸入盤の方が丸みを帯びている。中音域の情報量が豊富なのだ。余韻の豊かさも、国内盤ではかなり剥奪されている。原盤はオイロディスクだが、エンジニアにはシュトリェーベン氏の名前がクレジットされていることから、シャルプラッテンとの共同作業だと分かる。しかも会場が聖ルカ教会ならば、もっと豊かな余韻や抜けのよさが得られるはずなのだ。そこへいくと当盤は、オン気味の録音ながら残響も程よく、殊に第3番第3楽章におけるペーター・ダムのソロおよびオーボエの旋律や、第2番第3楽章でのピチカートなど、味わい深く響いている。位相について逆ではないかとの指摘があるが、これは誤り。確かにVnが右から鳴るときもあるが、2ndVnのみ。つまり対向配置の音響で、1stVnは勿論左側から鳴っている。値段も手頃であり、燻し銀の風格溢れるブラームスの決定盤として、高く評価したい。

    9人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/09/26

    白眉は《新世界》!重厚でありながら弾んでいるような素晴らしい第一楽章。反復もしっかり行っている。強弱や緩急の一つ一つが胸のすくような絶妙ぶり。一転第二楽章では、家路の旋律が、やや速めのテンポでありながら味わい深く響く。後半、ヴァイオリンとチェロとの掛け合いにおけるパオゼはもう少し溜めた演奏が好みであるが、スウィトナーも説得力充分。続く五音音階のメロディも懐かしさに溢れている。第三楽章ではSKB特有の木目調の管楽器の音色がよい。弦楽器の細やかな刻みも素晴らしい。終楽章はスウィトナーの面目躍如!音のいちいちが熱気に満ちており、わざと拍手でもつけたらライヴ録音として十分ごまかせる程ライヴ的!驚くべきはコーダのテンポ設定。まさかと思うところで倍速で驀進(笑)。しかも最後のディミヌエンドは思い切り引っ張って、まるで後ろ髪を引かれるような印象を聴き手に焼き付ける!これヤラレました。その他について。諸氏絶賛のドヴォ8も名演。特に両端楽章におけるコーダの捲りは最高だ。だが個人的には、響きのニュアンスの豊かさにおいて、ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンの演奏に軍配を挙げたい。ゾンダーマンのティンパニや、至るところで名技を発揮する管楽器群(マーンのオーボエやダムのホルンなど)が絶妙としか言えないほどのブレンド具合で鳴らされているからだ。ブラ1は東京ライヴと録音年代も近く、甲乙付けがたい名演だ。終楽章主題全奏での加速はヴァントもやったが、スウィトナーのはよりエネルギッシュだ。もっとも私としては、この部分はインテンポで通してほしいことから、ザンデルリンクなどをより好むが、これ程までにエナジーを孕んだスウィトナーの指揮に文句をいうのは野暮である。総じて、曲によって多少粗っぽさや強引さがあるにせよ、魂のこもった熱演として高く評価したい。殊に昨今ありがちの、精緻な余り勢いに欠ける演奏に辟易している愛好家には、強く推薦したい。

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     2010/09/23

    「フルトヴェングラーのバイロイトの第九」と聞いただけで、祭壇に奉られた神を崇めるが如き面持ちになるクラシック愛好家が余りにも多い。右向け右とばかりに誰かが絶賛すれば我も我もとなる。そうした無批判な態度こそ、昨今のクラシック音楽の勢いを減じている一要因なのかも知れない。さて、演奏は万感の思いがそのまま音になったかのような熱っぽいものだが、アンサンブルはラフな部分が散見される。冒頭の弦楽器の三連符からして合っていない(もっとも、VPOのある古参団員によれば、混沌たる世界に空虚五度を響かせることにより、宇宙塵、すなわちカオスを表したものと言われている。逆をいえば、縦に整然と三連符が並んでいるからといって、杓子定規に合わせなければならないなどと考えるのは誤りだとしている)。ライヴだが、少しもライヴの香がしない(オルフェオ復刻が発売された時にも議論になったが、EMI盤はゲネプロではないかとの説が有力。国内盤のみに存在する足音入りディスクなどもあり、謎は深まる一方だ)。音質も、年代を考慮しても貧弱。エポックメイキングな逸話によって、排他的なまでに名盤として君臨している一枚だが、私のような素人が批判出来るくらいの議論の余地は、充分にあるはずだ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/09/21

    演奏、録音共に、カラヤンのナルシストぶりが容赦なく発揮されたCD。これは褒め詞でも酷評でもある。オケがチェロを完全に喰っている。これは火花を散らすタイプでも何でもない。録音および編集を駆使することによって、あのロストロポーヴィチをベルリンPO以下に押さえ込んで服従させようと試みたのだ。カラヤンの徹底した“芸術観”が透けて見える。さすが、ソリストの意向云々よりまずジャケット写真の見栄えを優先させる巨匠である(ロストロポーヴィチ、オイストラフ、リヒテルと組んだベートーヴェンの三重協奏曲における逸話は、こうした“カラヤン美学”の典型)。演奏自体も、さすが洗練の極みというべきバックだ。ドヴォルザークであることをすっかり忘れさせる程の、土臭さなど皆無のスポーティさ。民族性濃厚な作品ですら絢爛に仕立てあげるところは、カラヤンの唯一にして最大の芸風であり、見方によっては最大の欠点でもある。さて、皆さんはどう評価するだろうか?恐らくその評価は、個々人が音楽に何を求めるかに由来するだろう。私としては、ドヴォルザークには哀愁と野趣、それに五音音階の旋律に象徴される懐かしさを求めるため、洗練さと豪快さ、それに、旋律楽器たるチェロのソロを埋没させるような雰囲気を持つ演奏には馴染めない。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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