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ombredouble さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/31

    1985年1月、モネ劇場で収録(ナンテール・アマンディエ劇場、スカラ座共同制作).脂の乗りきっていたシェローの人間性の最深部に触れる演出にカンブルランが献身的に「追従」し、舞台に生命を吹き込んでいる演奏.逆に言えば、音だけで聴くと少し強引に聞こえるところがあるが、技術の不足ばかりでなく多くはちゃんと理由がある.モネ時代に散々修行を積んだから今の彼があるのだ.

    モーツァルトの演劇的天才がこの青年期の作において既に発露している事を確認させてくれるのは大きいが、音楽だけを資料的に聴くのにはベストの音盤ではないかもしれない.

    ブリット=マリ・アルーンの希望とナイーヴな感情に満ちたチンナ、いつも端整で丁寧なアン・マレイのチェチーリオ、舞台に華を添えるクリスチーヌ・バルボーの若々しいチェーリア、レッラ・クベッリの凛としたジューニア、そして何と言っても内に苛立ちと怒りを秘めたロルフ=ジョンソンのルーチョ・シッラの威厳(レコードは、彼の素晴らしい写真がジャケットだった!)と、音だけでも素晴らしいが映像は更に見所満載なので、ベルギーのテレビ局が持っている録画をぜひともソフト化してほしい!

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/14

    旧Philips盤でも持っているが、ギーレンの音楽語法への入り込みと響きの組み立ての鋭さが尋常ではない.ORF響(現RSOヴィーン)はさほど滑らかではないが、それを問題としない程音楽把握が直截に伝わってくる演奏.録音が古くやや明瞭さを欠く点を除き、文句なく《モーゼとアロン》のベスト・レコードとして推したい.しばらく入手難だったが、こうしてレーベル再編に伴い再度出てきたのは大変目出度い.モーゼ役のライヒはブーレーズ旧盤(BBC響)にも出ているが、音程をすっきりさせる事に拘り響きの色彩が見事なそちらよりドイツ語のごつごつしたイントネーションが支配的な解釈になっているのも面白い.独唱をロケで同時録音したストローブ=ユイレの傑作映画と、キャストは共通しているが当然ながら別録音である.

    ギーレンは比較的近年に至るまで新ヴィーン楽派の最高の解釈者だったが、この頃が別格に脂が乗りきっていたと思う.ORF響との組合せでは同時期ザルツブルクでの《期待》ライヴも超名演だったので、近年の放送録音CD化ブームに乗っかってOrfeo辺りで出てくると嬉しいのだが.

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/29

    オランダ放送ラジオ4の生中継で8割方聴き、その後DVDで見直した.ライヴではギルフリー、ティリングとも少々危なっかしかったが修正されて印象は良くなっている.才人オーディらしくここでは演技をさせるのを諦めてしまい、オケを真ん中に取り囲む立体的なセノグラフィと照明変化だけでかなり変化をつけて見せるのはアイディアだが、聖フランソワの上演はその超大規模のせいかほとんど「演劇」なしのものが多かったから(パリ3回目のノルデ版とDOB版は未見、またセラーズ版もドキュメンタリーしか見ていないが)、ひとつくらいはそこに突っ込んだものがあってもいいように思う.もちろんオペラとは言ってもドラマ的要素がさほどあるわけではなく、8景からなる一種の聖史劇のようなものだから、何かしら違った発想が必要だろうが.

    とはいえ同オペラ初の映像ソフト、貴重は貴重であるが、メッツマッハー=レジデンツ管は房状和音の色彩の豊かさには欠けるきらいが大きい.昨年ナガノ=バイエルン州立の精緻さにカンブルラン=SWR響の圧倒的な色彩感、そして世界初演小澤征爾=パリ国立歌劇場の絢爛たる響きと比べてしまうとこれを最高と評価する事はできない.

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/06/08

    hr mediaからPALで出ていた2004年フランクフルト歌劇場の録画(コンスタンツェのダムラウとセリムのクヴェシュトは同じ)がメジャーどころから出直すのかと思ったら、リセウ再演でがっかり.あの凛とした美しさは、やや崩れたこの再演では見出せない.

    ロイの演出は長方形の演技スペースの前後に薄く青空をプリントした紗幕、背後の中空にさらに部屋を設え、ドラマと非現実的な浮揚感をうまく紡いでゆく(辛気くさい登場人物の怒鳴り合いもかなり追加されている).登場人物の関係が始めから壊れているような、印象的な舞台だ.演出は概ね同じだが、イェニチェリの合唱の登場場所が舞台上から下手のロージュに変更されていたりする.

    2004年のキャストでは弱かった男声陣は良くなったが、反対にブロンデのシェシュティン・アヴェモなど嵌り役だったし、何よりダムラウがもっと若かった.そういうわけで取るべき所は、ボルトンの粘っこく鋭い音楽づくりくらい、という事になろうか.

    フランクフルトはロイにとって中々落ち着いて丁寧な仕事ができる場所らしく、ゲアハーハーを題名役とし音楽や場面の順番をかなり入れ替えた《こうもり》などかなり面白かったからぜひソフト化してほしい.

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/06/01

    ちょいと期待しすぎてしまっただけにややがっかりな1枚.普通に考えればメインのシェーンベルク2番、ピーターゼンQはメンデルスゾーンでも弾くかのようにすいすいとこなすのは良いが、音づらだけでなく演奏内容も少し肩の力が抜けすぎて調性内部崩壊のエネルギーは何処へやら(この点ではアルディッティが圧倒的).シェーファーもパリの女狐をキャンセルした時期にあたったが、音域がちょうど彼女の胸声と頭声の境目に落ちるせいか(ちゃんと歌っているのに)「当たらない」感じがところどころしてしまう.

    そういうわけで、ヴェーベルンの作品番号なし緩徐楽章を経て最後に配された抒情組曲終楽章の「声楽付版」を、シェーファーの凍るような声で聴けるのが一番の愉しみ.尤も声はいずれかの声部を模倣するだけなので、新しい音楽が聴かれるわけではない.この「声楽付版」には既にクロノス盤やプラジャーク盤(未聴)もあったので初録音ではないが、クロノス盤ではアップショウがさっぱり冴えないので当盤の価値は一応ある.どうせなら、シェーンベルクは無くてもいいから抒情組曲を全曲聴きたかったな.

    マイナーレーベルがこうした通向けな選曲のCDをリリースする場合、ライナーノートをもう少し充実させる努力は必要であろう.シェーファーは七つの初期の歌やアルテンベルク歌曲集をレパートリーとしているし、メッツマッハー&ドイツ響との《ワイン》も素晴らしかったから、マーラー角笛と併せてでも早く録音して欲しい.

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/05/21

    バレエ音楽を含む仏語グランド・オペラ版である点と、ド・ビリーの(やや劇的高揚には欠けるものの)丁寧な指揮・歌手陣の概ね卒のない歌唱に星4つ.それにしても、ヴァルガスが達者に歌うのを聴いても、やっぱりヴェルディにはイタリア語のイントネーションが似合っている、と思ってしまう(アラーニャだとわりと納得するものがあったが).

    舞台はコンヴィチュニーの中でもがっかりで、文化圏を出ることの難しさを感じる.彼の演出はオペラ歌手を<駆り立てる>事で滲み出す身体性、児戯が同時に極度に真剣なものでもあるような不自然さから緊張を生み出していたが、ここでは皆手馴れすぎすべてがwell-made.これでは全く意味がない.休憩を挟んだ火刑の場でのテレビ中継にしてからが、観客との共犯関係が成立してしまうのも宜なるかな(ヴィーンの聴衆でなくとも、’80年代の記念碑的制作《ランスへの旅》ロンコーニ版を知る人は少なくないだろう…).尚当演出はこの4月から再演されているので、ヴィーンのレパートリーから消えたわけではないようだ.

    というわけで、ヴィデオでコンヴィチュニー演出を見るなら《魔弾の射手》(ハンブルク)なり《神々の黄昏》(シュトゥットガルト、ベルト・ノイマン舞台美術!)のほうが楽しめるだろうし、仏語5幕版《ドン・カルロス》を映像付きで聴く目的ならシャトレ座盤(ボンディ演出、アラーニャ題名役、パッパーノ指揮パリ管.ただし複数の版の混合)くらいしか競合盤はないから、当盤の価値は十分にある.

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     2012/01/18

    <映画を撮る>という営為を前にしたストローブ=ユイレの峻厳さにはほとんど畏怖を覚えるほどだが、対するレオンハルトやコンツェントゥス・ムジクスの面々も実に厳しい.彼らの古楽研究が成熟と広がりを見た’70年代以降ではなく、まだ試行錯誤の内にある時期に撮られたことも、この映画の感銘をいっそう深いものにしていると思う.周囲の状況が暴力で満たされたときのひとりの男の反応を描いた作品であるというストローブのコメントも頭の片隅に置くと良い.

    そのユイレももうこの世になく、レオンハルトも彼岸の人となった.しかしフィルムに残された一瞬は永遠だ.気に入ったらギーレンとの《モーゼとアロン》も見てみてほしい.普通に綺麗な映像を見る、音楽を聴く映画とはちょっと違うのでご注意.

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/12/02

    ジャケット写真にも見える大きな幕(「襞」は印刷?)数枚と椅子など、僅かの小物しか使わずに進んでゆく《椿姫》.スケールダウンはしたが、「アイディア」過剰に陥らずコンパクトで効果的な舞台進行が好もしい.細かい、また大きなシークエンス丸々のカットなど、リアリティを指向するコンヴィチュニーらしい潔さで気持ちは分からなくもないが、そこがまた限界でもある.

    演奏陣もそれに応え、殊にヴィオレッタは初役のマーリス・ピーターゼンが堅実な歌唱と鮮やかな演技で、コンヴィチュニーの右腕として舞台を牽引する役割を果たしている(できることなら《ルル》もソフト化してほしいけれど).アルフレード役以下も与えられた役割をよくこなしており、引き締まった指揮ともども格別なニュアンスには乏しいものの、ドイツ語圏の歌劇場でこのレベルなら御の字だろう.

    付録では、足を踏みならし合唱団の指導をする(いかにもドイツ人らしく大柄な)コンヴィチュニーのリハーサル風景を見ることができる.厳しい批判に晒される大都市圏を離れ、少し生き生きしている彼を見たいなら買いだ.

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     2011/01/08

    満を持してと言うに相応しい録音.まずは角笛から始めモダンオケも経験した周到さが結実しており、響きが物珍しい域は完全に脱している.

    第4を様式の異化の実験と捉える今日では標準的な楽曲解釈だが、それが逆にマーラーの特異さを浮き彫りにするスコープとなる.透明ですっと温度が低いトーンの端々から、ピリオド楽器ならではの音色や演奏上の着想が耳慣れた響きとの「ずれ」として二重写しになり、常に考えさせられるが、同時に感覚的な悦びでもあるから堪らない.「異なるフレージングありき」のノリントン盤とはある意味対極のアプローチとも言える.

    しかし何より素晴らしいのは、その精度高い演奏が湛える抒情性の豊かさ.ジョシュアの独唱は「天上的な」歓喜の表現の驚くべき二面性を鋭く浮き彫りにしつつ、ぎりぎりのところでこちらに帰ってきてくれる.長木誠司氏がかつてブーレーズ盤を評した「修復されたルネサンス絵画のよう」なコワいマーラーという賛辞(?)を、この演奏にこそ捧げたい.目新しい事が書かれているわけではないが、解説も優れている.

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     2010/09/28

    コンチェルトは来日公演でも取り上げていたが、解釈が格段にこなれている.ブーレーズらしくやたら分かり易い演奏で、スクリャービン風の和声進行、反復を含みながら弧を描くように展開する音楽の軌道を明晰に描く.テツラフの音色のコントロールも滅法巧く、一種のヴァンダラーとしてのヴァイオリン独奏の性格を明らかにしながら、オーケストラと骨太で鋭いアンサンブルを繰り広げてゆく.第3交響曲での大気感も素晴らしく、デイヴィスリムの透明でリリックなテナーがシマノフスキ特有の詩世界に寄り添う(合唱には今少しの精妙さが欲しいが).バルトークとはまた全く異なる世界.全体に、久々にヴィーン・フィルの上手さの光る録音でもある.”Boulez 2010”としてリリースされた3枚の中では、これが一番正解.インタヴューはドイツ語のが面白い(リハーサル風景は収録されていない).

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     2010/09/26

    録音せずに残しておいた《角笛》、かっきりと陰翳豊かに歌う二人をオーケストラの曇りのない音楽性が包み、マーラーの創作世界の源泉としての適切な提示以上のものになっている.個々の曲にはより拘りある演奏ができようが(たとえば評者は、シェーファー・シュターツカペレ・ベルリンとの演奏での、内省と光輝、突き放したユーモアの交錯が忘れられない)、全体としての水準は高い.

    第10交響曲アダージョも元よりストーリーを作ろうという演奏ではないが、熱くデフォルメを受け容れた表現は、後期マーラーがドイツ表現主義の系譜に連なることを改めて感じさせ感動的.響きのテンションばかりがやたらきつく堅苦しいロンドン響との旧録への疑問が氷解したような感じだ.

    ブーレーズの録音は良くも悪しくも実演の空気を伝えない怜悧なものばかりだったが、たまにはこういうものがあっても良いのではないだろうか.この上は《嘆きの歌》再録(正しい原典版で)まで期待したい.

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/09/26

    二曲の協奏曲はブーレーズには珍しく本当にライヴ録音したようで、そのせいか抜けが悪く、ピッチイントネーションの統制も綻んで嘗ての透徹したアンサンブルの面影は最早ない.斬新な音色の混合がもっとはっきり聞こえなければ聴く意味は薄い.尤もベルク室内協奏曲の再録に見るようにスタジオ録音で必ずしもベストを出せないようになってきているから、これはこれで良かったのかもしれない.《鏡》の方は一時期よりはペダリングの技術を修復し、和声の重なりを明晰に捉えて好演.少なくとも面白く聴いた.全体に、客観的に見てそこまで悪い演奏ではないからこの程度で.

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/23

    ユニテル・クラシカでは既に何度も放送されている映像、意外にもEuroArtsから.

    これは近年では出色の《ドン・ジョヴァンニ》だった.同オペラに対する事大主義でリアリズム的な(あまりに近代的でしかない)既成イメージを逆手に取り、敢えて「夜の明けない森」での一夜のブラック・「ブッファ」として演出したグートのアイディア勝ちという感じで、強力なレシュマンを「第二の狂言回し」としてエルヴィーラに回した配役も正解(ヴィーン版での追加ナンバーであるレポレッロとツェルリーナの二重唱が、またそうしたコンテクストにマッチする).マルトマン、シュロット初めそれぞれの歌手が役設定に似合いすぎているのも見物だ.実のところリセウのビエイト版からの拝借が少々目立つが、その分より細やかに演技付けがなされているので、とりたてて不満はない.

    その一方で質の悪い冗談のような「出口のない」感覚、ドン・ジョヴァンニの死へ向けて一直線に進み六重唱なしで終わる独特のシリアスさはボート・シュトラウス『公園』などをそこはかとなく連想させ、グートの面目躍如だろう.

    ド・ビリーの統率は丁寧にディティールを拾っており、「モーツァルトっぽい雰囲気」だけで誤魔化す演奏とは一線を画しているのもポイント.スリムな響きだが特段ピリオド・スタイルというわけでもなく、そういう意味でも中庸だが、見通しがよく舞台への適合の仕方も上手い.濃い味付けを好む聴き手には若干淡泊に感じられるだろうし、歌手陣はところどころいい加減だが、全体的には質の高い演奏で満足できる.比較的動きの多い演技付けでも発声のぶれない高級な歌手だけを使った、ザルツブルグならではの極上のエンターテイメントである.

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     2010/04/18

    ミュンヘンで収録日を観たときはグルベローヴァのフレージングのぶらぶらさが気になり、オケにも今少しの覇気が欲しく思ったが、改めて見てみると案外良いんじゃないの、と思ったので書いておく.

    当盤の魅力は何と言ってもジェンナーロを歌う新進のパヴォル・ブレスリックであり、少し翳の掛かったようでいて凛とした暗めの声質は、イタリア系のカラッとしたテナーを好む向きには不満だろうが、くすぶる怒りを内に秘めたような役柄を演じるのに好適のもの(彼のオッタヴィオ役なども見てみたい).アリス・クートを始め他の歌手陣も充実しているが、彼がいる事で舞台がぴりっと引き締まっている.ここではプリマに配慮してか少しセーヴ気味に思えるが、これからの躍進を期待したい.

    もちろんそうした持ち味が引き立つのはロイの演出あればこそ.少し美術を簡素化し過ぎて物語が追いにくくなったきらいはあるものの、男声陣にハーフパンツを履かせてGrundschuleのような雰囲気を醸しつつ、登場人物たちの齟齬を鮮やかに浮き彫りにしてみせる.彼としては適当に作った感じだが、細やかな演技付けや大人数のモブを動かす手管はさすが.

    ド・ビリーは非常に的確な音楽構築をしているが、ここではやや安全運転に傾きすぎ、もう少し突き抜けてくる何かが欲しいところ.声技術にやや限界の生じているプリマに合わせた結果でもあろうが、当のグルベローヴァ、このキャリアにしてまだここまで危なげなく歌えるのは確かに大したもの.ファンの方々には多言は必要あるまい.一方で終盤の力みすぎた低声の強調や、もう20年来のアクートのやや縮れたフレージングなど、一人前時代的な空気を醸しており、個人的には気分良くは聴けない.まあ、ご当地では大変な人気であり、彼女あってのプロダクションなのだから、あまりうるさい事は言わないほうが良かろうが.

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     2009/10/31

    パリではお馴染みのエンゲルの演出(聞くところではシャトレ版?の手直しとの事だが)と、現代音楽振りのイメージの強いラッセル=デイヴィスの組み合わせが正解の《女狐》.舞台を横切る線路の後ろに一面の向日葵畑がいかにも作り物的な装置、動物に擬態しながら非常に人間的な(あるいみナンセンスな)動きをする歌手たち、そしてそれを思わせ振りな身振りなくさらっと纏めてみせる演出は意外に複雑な視線の交錯を生んで見飽きないし、オーケストラも粗はあるものの洗練された色彩感が美しい明晰な演奏を行い、満足感が大きい.何と言ってもちょっとサテュロス風の顔つきのラジライネンが演じる森番、蠱惑的なツァラゴヴァの女狐に男っぷりが板についた(?)ミヌティッロの雄狐、すっかりキャラクターテノールになったデイヴィッド・キューブラーの校長(彼のアルヴァ役が懐かしい)と役者が揃っており、ドン・ケントの的確な映像編集も相俟って、見所の多い映像となっている.そうしたのちに訪れる大団円でふと浮かび上がってくる幻想性は何とも魅力的で(ネタバレになるので具体的には書かないが)、幸福感に満ちた余韻を残した.ハイトナー/ガロッタ(振付)=マッケラス盤も感銘深い名演だったが(こちらはこちらでパリ管の響きが美しい)、それとは楽しみどころが異なるのもいい.マルターラー=カンブルラン版《カーチャ》、シェロー=ブーレーズ版《死者の家から》と近年優れた映像のリリースが続くが、ヤナーチェクの傑作にまたひとつ名盤が加わったことを喜びたい.

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