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てつ さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/03/01

    うむ〜、全部持っているのに、リマスターでセット化ですかぁ。おそらく良くなっているのは間違い無いけれど、買い直すかと言うと即決できないなぁ。でも、Altusは、通常盤→HQ盤→SACD→アナログレコードという四変化が得意だから、ここは冷静に見送るか。いや、でも欲しいなぁ・・と二転三転のファン心理なのでした。我が祖国はもう説明の必要がない大名盤だけど、1965年の3枚がイケてます。筋肉質のクーベリックとバイエルン、これを聞いた当時の方は、「すごい」としか思えなかったでしょう。私はヒンデミットはサロネンと並ぶ名演だと思うし、フランクももっと注目されてしかるべきだと思っております。あーでもものディスク買うなら、NHKのDVD買えるんだよなぁ。でも欲しいなぁ。レビューでもなんでも無い独り言になってるなぁ。このリマスター盤は所持していないけど、レビューに書き込みしてしまいました。スミマセン。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2021/01/05

    良い演奏は冒頭を聞けばわかる。29番第一楽章を聞いたら「マッケラスってこんなに凄かったのか」と本当に瞠目した。マッケラスと言えば、今でも”ウィーンフィルとのヤナーチェクだよね”と私も思っていたし、ブレンデルがマッケラスをパートナーに選び、再録音したモーツァルトの協奏曲がリリースされた時に購入したが、「なんでマッケラスだったんだろう」と言うことが私には当時全くわからなかった。ところがマッケラスは1992年から始まったECOとの関係の中で、早くからこのモダンオケにピリオド奏法とナチュラルホルン、トランペット、ティンパニを導入、新しい表現を目指していた(これはライナーに書いてあったから事実だろう)。その終着点とも言えるのが2007年と9年に録音されたこのディスクである(レクイエムは2002年)。特に最晩年の29、31、32番とハフナーとリンツは物凄い名演。29番は優しい響きの中にも立体的な響きと、細かいニュアンスの両立が奇跡に近い。これを聞いてしまうと、勢いが良い29番の冒頭とかもう聞きたくなくなる。また、ハフナーはピリオド奏法でありながら推進力と暖かみが両立し、また各声部の音量調整が見事。第一楽章の終結部とかたまらない。特に第二楽章がここまで心に染みる演奏は他では聞けない。三楽章はリズム処理が見事だし、終楽章もしっかり鳴らしてくれる。リンツに至ってはこの美点にスケール感が加わるのだから鬼に金棒とはこう言うことを言うのだろう。従来のピリオド演奏では曲の構成感とインテンポのためにモーツァルトの持つ慈愛が失われていたんだなぁと改めて気付くことになった。38−41も悪かろうはずがない。プラハは演奏の難しい曲だが、対位法の良さを引き出しながら、細かいニュアンスに心がこもる。それがジュビターになるともう一つギアを上げて曲にふさわしくボリュームアップする。やはりこの曲は別格なんだなと思わせる。このディスクの素晴らしさについてはいくらでも書けるが、従来のSACDから通常CDになったがボックス化して求めやすくなったし、これを機に多くの方にマッケラスの至芸を聞いて欲しいと願わずにいられない。なお、ブックレットに記載されたSCOのドナルド・マクドナルド総裁(なんちゅうお名前じゃー)の「Some reflections and reminiscences」と言う寄稿は、2020年の8月に書かれたもので、没後10年経ってもなお、マッケラスへの敬愛をはじめ、ブレンデルやラトルとのエピソードやこのディスクに対する誇りが記載されており、心に残る。

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     2020/12/26

    ユーリ・エゴロフは「意志をピアノに込める」ことができるピアニストだったと私は思っている。彼にはロシアピアニズムの系譜とも言える、力強い打鍵はない。しかし、彼の出す音には彼の感情とか意志が詰まっている。どうしてエゴロフがこう言う音を出せるようになったのか、私は知らない。でも、カーネーギーホールライブのショパンの幻想曲を聞けば、リリシズムの上に強い意思が聞こえてくる。冒頭などはまるでシベリアのツンドラのようだ。何もない寂寥の世界。こう言う表現が出来るのがエゴロフだ。だからエゴロフは短調の曲が似合う。皇帝よりモーツアルトの20番が似合うのだ。このアルバムのジャケの屈託のない笑顔の奥底に、エゴロフ自身だけが知る世界があった。このアルバムは、そう言う孤高のピアニストのエッセンスが詰まっている。エゴロフは走り去ってしまったが、もし、彼を聞いたことがない方がいれば、是非聞いて欲しいと願わずにいられない。死後32年、でも彼の音楽はこうやって聞き継がれている。

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     2020/12/10

    僭越ではあるが、「よくぞ大賞に選んだ」と思う。交響曲部門での大賞受賞なので、第九について述べさせて頂くと、この演奏は新たな地平を描いたもので価値が高い。何が凄いのかというと、一言で言うと「出したい音にとことん拘った」ことだ。最近の瞠目するべき演奏は、クルレンツィス然り、アダムフィッシャー然り、スコアをよく読み、主としてアゴーギグ中心の表現により、我々に新たな発見をもたらしてくれた。しかしこの演奏は徹底的にデュナミークである。ほとんどインテンポだが、とにかく各声部のバランスに徹底的に拘っている。快速テンポでパワフル的評価が並ぶが、小生から見れば、それよりもこの音のバランス感覚が、いや感覚ではなく計算が凄すぎる。とにかく第一楽章を聞くとわかる。冒頭の6連符から明晰で、第一主題もスケール感を持ちつつ過不足なく全ての音が鳴り響く。展開部のフーガもこれ以上ないバランス。特にホルンの音量調整が細かい。また終結部の木管の扱いも見事。この調子で最後まで計算され尽くす。もちろん声楽も曲の構成の一部だから、綿密にバランスをコントロールされている。こういう演奏だから、一発勝負大感動的ではなく、繰り返し聞くことにより発見できるものが増えてくる。その意味で再現芸術としての「CD」である必然性があり、大賞に選出されたのは、その要素も評価されたのだと思う。

    ところで、この演奏、ライバルがいる。対象に選んだ雑誌の名盤投票でわずかにこれを上回ったアントニーニである。アントニーニの方が録音が早い。第一楽章の終結部などブラインドされたらどっちがどっちかわかないほど同じ路線を模索している。どこが違うかというと、演奏に対する努力の総量を同じと仮定すれば、カサドの方が精緻であり、その分アントニーニは歌に少し振れている。これはもう好みの世界です。

    最後に、私はこの演奏を、素晴らしいとしか言いようがないと思うが、前述の通り往年の名盤と比して、また実演で聞いたら感動するのだろうか。あまりに精緻に描かれた絵よりも、そうでない絵の方に名画が多い。素晴らしいと言いつつ自分の感性に自信が持てなくなる。カサドが本当に来日するのかどうか心配なので、年末のN響との第九チケットの購入を躊躇っていたが、早急に決断しないといけなくなった。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/11/27

    もしかしたら、私たち日本人はこういう演奏が好きなのではないだろうか。オーケストラの雄大な響きを基本としつつ、引き締まったテンポの中で、各声部を際立たせる演奏。基本的に楽譜通りであり、インテンポで、反復もないがしろにしない。巨匠ヤノフスキ、何度も来日してくれていて、私たちにもお馴染みの存在。ベートーヴェンやブルックナーが得意という王道路線。ん?こういう方他にもいなかったっけ。・・スキ?そうだ、スクロヴァチェフスキだ。この演奏を聞いて、ミスターSを思い出し、ああ、この系統の演奏が私は好きなんだと心から思った。おそらくこれを突き詰めるとヴァントに行き着き、方向性としてはクーベリックも見えてくる。このディスクは繰り返すが少し早めのテンポで雄大さと見通しの良さの両立を狙うものなので、スケール感のある奇数番が良い。特にエロイカは、テンポ感を守りつつ、締まった造形美で透徹された名演と思う。5番は既出であり、その素晴らしさについてご存知の方も多いだろうし、7番は昨年の来日時でも低弦をしっかり鳴らしながらも響きはクリアで、聞いていて充実感が半端ない。この系統の指揮者はヴァントもそうだったが1番が精緻で良い。9番はあえてこのスタイルを貫徹し、明晰さの中にこそ、この曲の真価があると思わせる。
    最近のクラシック界はこのような演奏、自分の目指すものを徹底した演奏が引っ張っている気がする。私たちはヴァントやスクロヴァチェフスキを愛してきた。ヤノフスキはその路線を引き継ぎ発展させた。これこそ日本人の琴線に触れる演奏である、と言いたくなる。あながち間違っていないのではないだろうか。

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     2020/11/16

    私は、この演奏会をウィーンで聴いている。初めてのムジークフェラインだったのでもう聴きながら心臓バクバクだったことを思い出す。1楽章の最後とか、ティーレマンの身振りは小さいものの、ウィーンフィルが良く鳴っており、指揮者の腕の振りが小さくてもオーケストラはこんな音出すんだなぁって、昔のクナみたいなことを感じていた。細かい部分の作り込みもあって、ティーレマンって本当に巨匠っぽくなってきたなぁと変に上から目線で感心していたものだった。ということで思い入れもあるこの演奏、先日BSを見たら、どうも私の聴いた10/5ではなくて10/13の方を使っていたので、この演奏自体も13日の演奏中心なのかもしれない。もう一度ディスクで聴き込んでみると、やはり冷静になれたのか良し悪しが見えてきた。良いのはなんといってもこの完成度とウィーンフィルの鳴りっぷり。この音を聞いたら誰でも、惚れてまうがな〜という感じ。一方で、そうなんだよなぁ、この演奏ってウィーンフィルのための演奏なんだよなってところが気になる。ティーレマンはピッチャーに良い球投げさせるために乗せまくるキャッチャーみたい、そんな気がする。自分の配球よりもピッチャーを乗せる事が優先なのだ。ピッチャーが首を縦に振るまで、サインは変更される。力関係は明確にピッチャーが上なのだ。このディスクのジャケだって、クレジットはウィーンフィルが先。だから、この演奏には新しい発見とかそういうものはない。細部の隈取りの濃さも、ウィーンフィルにとっての許容範囲内。ウィーンフィルの魅力全開が主目的だから、超の付く名演とは言えないのではないだろうか。極めてレベルの高い予定調和、それがこのディスクなのではないか。これってネルソンスのベートーヴェンの全集でも同じ感じがした。このコンビならもっとすごい事ができるのかもしれないが、それをしちゃおしまいなのよ、というなんとももどかしい感じ。20世紀なら、毎月のように新譜が出ていた。スタジオ録音は、ほぼこの演奏のように高いレベルの完成度を目指していたが、爆演や超名演ではなかった。そんな中でたまに出たライブ盤の中にはものすごい演奏があった。カラヤンや一連のAltusの録音がその代表だ。ところが21世紀になるとメジャーオケの新譜はほとんど演奏会ライブだ。スタジオ録音なんてほとんどない。そうなるとライブ自体が以前のスタジオ録音同様失敗が許されないものになった。だから現在望みうるのはこのディスクのような演奏なのだ。それでもやっぱり、ライブって緊張感と燃焼度の高い物であり、一期一会を望んでしまう。しかしウィーンの聴衆は本当に熱狂していた。そうなのだ。現在これだけのブルックナーをウィーンフィルから引き出せる指揮者って他にいない。ウィーンフィルがやり易い指揮者を選ぶ、なんてたまに言われるが、それを求めているのは実はウィーンという街なのだ。無い物ねだりしてはいけないのかもしれない。

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     2020/11/07

    これはバレンボイムのみに許された贅沢ではないだろうか。そもそも、ベートーヴェンの全集を5回もリリースする演奏家なんて空前絶後である。長いキャリア、演奏のクオリティ、そして市場価値の3つが揃わないとこんな事ありえないし、それだけでもバレンボイムは称賛に値する素晴らしいピアニストである。さて、このディスク、最近の彼の指揮同様にややゆっくり目のテンポで細部を浮き彫りにする演奏と思う。特に重視しているのは弱音と中低音域。弱音については例え楽譜がp→f→pという指定であっても、音楽の流れ上pで通したり、バレンボイムなりの解釈を徹底している。また熱情の冒頭などは、中低音を重視して、沈み込むような独特の世界を構築しているし、テレーゼの冒頭など、その丁寧な慈愛溢れる音に惹かれた。このアプローチが全曲を通し味わい深さを醸し出している。私は現在のバレンボイムの境地が感じられてとても好ましく思える。ところが、これを機に彼の過去の録音を聞いたところ、このディスクは過去の演奏と決別している事に気付いた。彼の録音、60年台のEMIは「若気の表現意欲」80年代のDGは「類稀な明晰さ」そして2000年代のデッカは「雄大なスケール感」がウリであり、その年代に応じてバレンボイムの表現が変遷していたことがよくわかる(もう一つのDVDからの全集は未聴)。それらを聞いた上で今回の全集を聞くと、明らかに粒立ちの良い高音域を捨て、中低域中心の表現にシフトしている。特に80年代の全集と比較するとそれは歴然である。ハンマークラヴィーアの冒頭など落ち着きすぎているような感がある。極端な言い方をすると超高域カットの録音を聞いているような気になる。その意味で本当に今回の全集は「いぶし銀」というべきものであり、このピアニズムの是非については正直私にはよくわからない。こういう表現が「アリ」なのか専門家の意見を聞きたいとすら思う。それでも私はこの全集が好きだが、賛否はあるやもしれない。もし私がピアニストで、生涯に一度の全集録音しか許されないなら、今回のような演奏はしないだろう。もっと自分の技巧と曲の良さを両立するさせるために努力を払う。でも、バレンボイム はとっくにそんな事やり尽くしている。だからこの全集は、この表現を目指した段階で、バレンボイムにしかできない演奏である。過去があるから、明確にそれとは違うものを目指したのである。やはり私は、その割り切りができる事自体が贅沢ではないか、と思っている。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2020/11/01

    クラリネットソナタ第2番はブラームスの最高傑作ではないか、と思うことがある。生涯愛用したテーマで始まる第一楽章は、ブラームスの曲の中で最も優しく沁みる音楽で、特にコーダはほとんどブラームスじゃない。突き抜けた天上の音楽だ。第二楽章は得意のスケルッツオで、短調の曲想がソナタ全体を引き締める。終楽章は素敵な変奏曲。いかにもブラームスっぽいのが堪らない。これだけの名曲なのに名盤となるとウラッハかライスター(オピッツとのオルフェオ盤)かと言ったところ。そこに登場したのがこのディスク。ヴィトマンは初めて聞くが、うーつんさんご指摘のように弱音が素晴らしい。特に終楽章での、sotto voceの音色が沁みる。フレーズの最後の音が綺麗に減衰する。これって相当レベルが高いのではないだろうか。いつもの通りシフの読みの深さも健在。ピアノの音量に細心の集中が図られている。もちろん第一番も名演で、この名曲に新たな名盤が誕生しことを心から喜びたい。ヴィトマンの間奏曲は曲名からしてブラームスへのオマージュであり、作品117の間奏曲が常に聞こえてくる音楽。ヴィトマンは会心の演奏に加えて、シフに自作を演奏してもらえて、音楽家冥利に尽きるだろうなぁ。良かった。

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  • 11人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/10/28

    このディスクは五嶋みどり会心の一枚ではないだろうか。正直私にとって彼女は天才少女のイメージが強く、2013年のバッハ以降、エトヴェシュの協奏曲が出ていたらしいがノーマーク。そもそもワーナーに移籍したことすら知らなかったのだから、申し訳ないと言う感じ。そこに出たこのディスク、コロナ禍中の今年3月の録音!3月だったら日本では学校がもう休みになっており、欧州ではもっと凄い話になっていただろう。そんな時期の録音である。なんと言うか録音してくれたこと自体に感謝するしかない。まずは録音がとてもよく、冒頭のティンパニを聞けばわかる。オーケストラ部分については、分離も定位も良く、理想に近いバランスである。その中で五嶋みどりが格式高いベートーヴェンを奏でる。そう、この録音私からみると「格式が高い」正攻法ど真ん中。他の奏者に失礼かもしれないが余計な装飾一切なく深い音を朗々と響かせる。この曲は皆さんご存知の通りダブルストップとか凝った奏法が少なく、まさに「ヴァイオリンの音と表現そのもの」が勝負の曲だけに五嶋みどりのこの気高さが身に沁みる。特に第3楽章コーダに至っては後光が差すような突き抜け方である。こんな抽象的なレヴューで恐縮だが、五嶋みどりの凄さを改めて知らしめる名盤と思う。次回来日時には必ず行かねばなるまい。よく見るとジャケ写も気高い。まるで巫女のようだ。

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     2020/10/18

    内田光子は現在世界最高峰のピアニストであるから当然素晴らしいが、この演奏を聴いて小生はラトルが何をしたかったのかなんとなく理解できた。このベートヴェン、ラトルは明晰さを志向しており、室内楽的見通し良い演奏である。小生はバーミンガム時代の録音をそう多くは聞いていないが、当然ベルリンフィルより響きは薄かっただろう。そうなるとラトルとしては当然のことながら各声部を生かしたクリアな方向に向かわざるを得ない。この方向性がもっとも結実するのがマーラーだからラトルの名盤にはマーラーが多い。特にベルリンフィルにおいては、オケが従来持つ重厚さとラトルの指向する明晰さが合致するのがマーラーだった。その意味でラトルが演奏したかったベートーヴェンがこのディスクではなかっただろうか。ラトルとベルリンフィルが交響曲でここまで見通しが良い演奏をしたら、賛否両論になる。でも協奏曲ならメインはソリスト。ソリストを生かすという大義名分ができる。だからこういう伴奏が可能になった、と私は勝手に推測している。以前ブレンデルと共演したウィーンフィル との演奏とは大違いである。小生はラトルの本質はこの演奏だと確信している。さて、内田光子はとにかく徹頭徹尾、ピアノの響きを計算し尽くして、高い技術のもと、それを表現する。各声部はどこでもクリアである。一言で言うと「血が通った完璧さ」である。このベートヴェンでもそれは顕著。特に第一番とかは、どこをどう聞かせるという細かい読みが全曲を通じて展開されるすごい名演。第3楽章の冒頭を聴くだけで、どれだけ凄いかはわかると思う。ザンデルリンクとの旧盤は、巨匠の芸風に合わせて内田自身の演奏もスケール感に振れているが、ここではとにかく内田自身の考えるベートーヴェン像を作ることに没頭しているような気がする。そしてラトルにも内田光子にも共通するのは、絶対にダレない、手を抜かない、やり通すという強い意志。一切の綻びを許さない断固とした姿勢である。世の中の録音には「あれ」と気がつくミスがたまに聞かれる。メジャーレーベルでも良くある。でもここにはそんなことは全くない。それはそうだ、ラトルも内田光子も目指す方向性が同じだから。ということで、明晰と完璧が強い意志の下、結託し共演したこのディスク、間違いなく内田光子の代表作としてこれからも輝き続ける名盤である。

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     2020/09/12

    バレンボイムは変わった。この演奏を聞けば、冒頭から響きが立体的で「おやっ」と思わせる。また、37小節からの低弦のパッセージも両翼配置によりググッと迫り効果的。こういうじっくりした作り込みは、少なくてもデュプレとの演奏では全く聞けない。何が変わったのか?その正体は村井先生がバレンボイムのブラームス交響曲全集レヴューで指摘されたことにに尽きると私も思う。(引用できないので、ぜひ村井先生のレヴューをお読みいただければ幸甚です)良いオーケストラが、このスタイルで雄大なテンポで演奏されたら悪いはずがない。特にこの曲はオーケストラの比重が高いので素晴らしい効果を生んでいる。ソルターニは丁寧に弾いてあり、好感が持てるが、ほとんど崩さないので少々生真面目に聞こえるかも。でも若いんだから、こういうある意味青い演奏が良いんだよなと、思ってしまう。大成を祈りたい。それにしてもバレンボイムには驚いた。2016年実演で聞いたブルックナーはここまでじゃなかった気がする。これからのバレンボイムに期待したい。まだ77歳。健康に気をつけて頼みますね!

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/08/14

    参りました!
    誰もが、自分の大切なものに対して、共感されたり、大事にされると嬉しくなりますよね。この全集はそういう演奏です。

    例えば、12番の第一楽章を大切に思っている方は多いと思いますが、エベーヌの演奏は冒頭から響きを大切にして、Maestosoなんだけど、優しくかつ宥和した響きで始まります。テンポは落ち着いていて、第一主題もとても優雅。第二主題に入る前には、ちょっと音を膨らまして、表情を変える細やかさ。また本当に羽毛のような繊細な音を響かせてから、冒頭音型に戻ってくれます。もちろん優雅なだけではなく、決めるところはキッチリ強めの音を鳴らし切る、その切り替えもまた凄いものです。そして第一楽章のコーダに入る直前では、ちょっと「溜め」てから入って、とにかく優しく、大切にコーダを演奏してくれます。楽章最後の音など、本当に心を込めて、そっと置いてくれるような音で、本当に共感できる演奏です。
    全般にゆっくり目のテンポでよく歌うことを心がけながら、音色を見事に使い分け、オールドスタイルのようにルバートを多用しますが、それがツボにハマります。14番の終楽章を聞けば、皆様にも「ツボ」が分かって頂けると思います。
    小生はゲヴァントハウスとアルテミスを高く評価していましたが、このエベーヌは両方のいいとこ取りのような演奏で、本当に参りました。この演奏を成し遂げるのにどれだけの努力と修練が必要だったのか、想像するだけで頭が下がります。録音データ上全て「ライブ録音」であることが、信じられられないくらい完成度が高いと思います。
    やはり、こういう「エモーショナル」な演奏こそ、ベートーヴェンなのではないか、と思ってしまう説得力のある演奏だと、力説しておきます。本当に、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に対して、我々が持っている「かくありたい」という思い込みを、具現化してくれたような演奏です。
    大切なものを、心から共感してくれた演奏。本当にありがとう。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 13人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/08/12

    新たな発見が多い!
    間違いなく名盤です!                                     名盤の定義は多々あるでしょうが、一聴して解るのは「立体感」です。各声部がクリアに、かつバランス良く鳴ります。基本的にはピリオドなんですが、ボリューム感があるのと、サヴァールの表現がオーソドックスなので、安定感があり、かつ、響きが立体的です。これは録音効果ではなく、サヴァールが目指した「音」だと思います。小生にとっては、この響きが今まで聞けなかったものであり、新たな発見が多かったのです。だから名盤なんです。あと、HMVのレビューにもありましたが、ティンパニのペドロ・エステヴァンがすごい。彼を中心に録音したのではないかと思えるくらい、決まってます。なるほど、ベートーヴェンはこういうティンパニの響きをイメージしていたんだな、モーツァルトとはここが違うんだなと、納得させれらます。本当に演奏というのはこれほど、新たな地平を見せてくれるものなんだと、可能性は無限なんだと、それを教えてくれたサヴァールに心から感謝します。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2020/02/25

    現在のポリーニを評価するのは極めて難しい。「故障後技巧は衰えたが、深みは増したのではないか」という意見や、「やはりポリーニはポリーニ」的意見まで多岐に亘る。その意味ではこのディスクは良い試金石だと思う。旧盤と比較試聴するとまずわかるのは、当たり前だけど録音が明晰になった事。何せ以前の録音は45年も前である。比較して聞くと以前の録音は少しこもり気味の録音で、当時のポリーニのあの明晰なタッチが入っていないのではないかと思われた。で、この新録音、一聴してわかるのはペダルの多用。そのため粒立ちが良い昔のポリーニとはやはり違う。だが、レンジが広い録音であるのは間違いない。当然スタジオ録音だからこのところ指摘されるミスタッチはないものの、ポリーニの唸り声は聞こえる。やはり最近のポリーニの特徴ともいえる「追い込むようなテンポ」はここでもみられ、32番の第一楽章は旧盤では8分47秒だったものが、この新録音では7分40秒と1分以上も早い。序奏で1分40秒対1分25秒だから。押し並べて早くなっている。主部もやや弾き飛ばす感じがする。念のため申し添えるが提示部の繰り返しは実施している。32番の第二楽章も約1分今回の方が早い。前回の録音が33歳、この録音時が77歳。それでも前回より相当早く弾くポリーニ。自らの技巧的限界論へのアンチテーゼなのだろうか。ポリーニは挑戦しているのか?それとも急ぐしか道がないのか?小生にはこの是非はよくわからないが、ポリーニが現在の最善を尽くした事実だけは間違いないと思う。それでも、このディスクがあまたあるこの曲の名盤のトップに君臨するようなディスクとも思えない。なぜなら、ポリーニはこのディスクで「自分との戦い」に終始している気がするからである。

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     2020/01/05

    このディスクは怖い。我々に音楽について問いかけてくる。村井先生が絶賛されていたので聞いてみた。まずフィッシャーの仕事はスクロヴァチェフスキと通底する指揮者としての素晴らしい仕事に魅せられた。小生は特に田園が一番わかりやすいと思う。誰がここまでのフレージングをしたのか?一つとして同じフレーズを流すようなことはしない。また8番の冒頭も眼から鱗である。1番も瑞々しいし、7番も工夫の権化である。なるほど、指揮者というのはこういう仕事なんだな、と心から思わせる。実は小生もネルソンスとウィーンフィルの全集には不満があったが、その不満の正体について、自分でもよくわからなかった。ところがこのディスクを聞けば「曲に対する読みの深さ」という村井先生の指摘が、こういうことだったのかとよく理解できた。しかし、このネルソンスの全集に対して「最近流行のエキセントリックな演奏と一線を画すのが評価できる」という某雑誌の評を読み、心から怖くなった。クルレンツィスの演奏もこのフィッシャーも私からすれば「スコアを徹底的に読んだ上での表現」である。でも、もしかしたら彼らの演奏を「エキセントリック」と評する方もおられるのかもしれない。クラシックの世界であれ、何であれ、過去に囚われず、自分なりの何かを追い求める姿勢こそが尊いのではないかと私は信じている。無論この演奏がエキセントリックとは私は髪の毛一本程思わない。新しい視点を提供してくれた素晴らしい演奏である。常に新しい視点、感性を求める姿勢こそが、クラシック音楽の可能性を広げるのではないだろうか?実際にこのディスクのような新しい試みは、確実に広がっている。メジャーオケも無視できない。例えばシュターツカペレドレスデンは、ヘルヴェッヘとピリオドスタイルのモーツァルトを演奏し、HIPスタイルと彼ら特有のシルキーな音色を融合することに成功している。ベルリンフィル もクルレンツィスにヴェルディのレクイエムを任せており、新しい可能性を探っている。その意味ではやはりウィーンフィルはちょっと心配なんだけど。話をまとめると、このフィッシャーのディスクを聞いて、「よくやった」と思えるのか?それとも「やりすぎ」と思うのか。それこそ踏み絵である。もちろん芸術は主観であり、多様性を許容するものであるから、「よくやった」も「やりすぎ」も意味をなさないかもしれない。しかし、フィッシャーはここまでスコアから表現の可能性を読み取り、それを具現化した。ここまでやると、クルレンツィスの悲愴同様、他の演奏を陳腐化する可能性すらある恐怖の演奏である。それでも気がついたのは、フィッシャーの深い読みは、主としてフレージングと強弱に表れており、それが繰り返しの怠慢を拒絶する厳しいものであるが、まだベートーヴェンのリズムの革新性については捉え切れてない気がする。またここまでやるなら、不協和音やセブンスの和音ももっと強調して欲しかった。いずれも、いや、たぶん、おそらく物理的に無理なのかもしれないけれど。さて結論は、この演奏はベートーヴェンを通じて、我々に「表現の可能性は無限」ということを教えてくれる希有のディスクである。おそらくこれを聞いて、勇気付けられる音楽家の方も少なくないのではないだろうか。少なくても小生はクラシック音楽の未来はまだある、と信じるに至った。

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