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箕面猿。 さんのレビュー一覧 

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     2016/07/20

    やっと出た。ミュンシュのbox。ありがたや。思い入れの強い指揮者なので、8割方ダブりだが、それでも買う。
    一点、オネゲルの5番。天下の名演だが、既存のCDは無音部を切り詰めすぎて、冒頭、唐突に始まり、一瞬音が切れているように聴こえる。
    ここだけはどうしても直して欲しい。
    (※ 今回改めて聞き直してみたが、(C)1991のJVCの外盤?(09026-60685-2)は問題ない。(P)1998で、2006年発売の日本盤(BVCC-38465)、明らかに冒頭の1音が欠けている。処分してしまったが、一時フランスから出ていたデジパック2枚組もそうだった記憶があるので、1998年以降のマスターに問題があるように思う。あるいは編集ミス?)

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     2013/10/24

    スリリングという形容詞がまさしくぴったりな、痛快な超絶技巧に、ちょっと聴くとヴァルネリかなと思うような、練れたビブラートのかかった、太く美しい音色。’50年代のアメリカで、フランチェスカッティは、ハイフェッツに比肩しうる数少ない名手の一人だった。
    父親がパガニーニの門弟シヴォリに学んだ関係から、パガニーニ直系のヴァイオリニストと言われ、実際にパガニーニを得意としていた彼は、そういう方面で評価されたりもしたが、我々LP世代の生き残りとしては、やはり、サン=サーンスの協奏曲第3番や、ラロの『スペイン交響曲』、カサドシュと組んだフランクやフォーレのソナタ等、フランスものの名手、という印象が強い。私は、フランクとフォーレのソナタはすぐ入手できたが、ラヴェルのソナタがなかなか入手できず、心斎橋や、神田界隈をさまよった思い出も、今はなつかしい。(まさしくこのCDのジャケットと同じデザインの、米オリジナル盤LPを入手できたのは、ごく最近のことである。)
    彼はティボーにも学んでおり、ティボーの弟子と言われることもあるが、ティボー流の歌い回し、弾きくずし、みたいなものはなく、解釈は今聴いても特に不満はない正統派である。これは合理主義華やかなりし’50年代のアメリカ、という時代背景によるものが大きいと思う。
    もっとも、ある種「ワンパターン」とか、「大げさ」みたいな批判があるのも確かだが、ハイフェッツでさえ「冷たい」とか、「機械的」とか言われたりするわけで、この辺は、最終的に好き嫌いの問題だと思う。
    しかし、彼の魅力は何と言ってもその美音であろう。これは、たぶん、知人の知人からまた聞きした話なので、話半分で読んで欲しい。
    フランチェスカッティは晩年、節を汚すことなく、あっさりと引退を宣言し、フランスの片田舎で余生を過ごしていた。ある時、友人だったパガニーニ弾きのアッカルドが、フランチェスカッティの愛器(『ハート』というあだ名のついたストラディバリ)を借りて、いくつかのアンコールピースを録音し、CD化して発売した。ところが、それを聴いた人の話によると、フランチェスカッティのLPやCDとは、似ても似つかない音色だった、という。
    私は、もちろん、アッカルドを中傷するためにこの話を書いたわけではないが、聞いた時、さもありなん、と思った。フランチェスカッティのどんなLPであろうと、CDであろうと、また近年発掘されるライヴであろうと、必ず聴き取れる、あの素晴らしい音色を、他の人が再現することは困難だと思われるからだ。(なぜあんな音が出せるのか、と聞かれても、私にはさっぱりわからない。すみません。)
    しかし、と私は思う。20世紀の偉大なるヴァイオリニストのうち、フランチェスカッティほど再評価の遅れている、あるいは、一向にCD全集の発売されないヴァイオリニストも稀なんじゃないか?と。
    私自身は特に気をつけて集めていたので、フランク、フォーレ、ラヴェル等の主要録音はもうとっくの昔にCDで入手していたし、また、ウォルトンの協奏曲(超名演)や、カサドシュのソナタ(!?)みたいなレア物も持ってはいる。
    しかし、ある世代、レーベルを代表するヴァイオリニストとして、私の持っていないお宝音源もかなりあるはずで(具体的には、自分がLPで持っていて、SONYから正規にCD化されていないものだけでも、シューベルトの幻想曲、パガニーニの奇想曲の抜粋(ただし、ピアノ伴奏付き)や、ヴィラ=ロボスの小品『ブラック・スワン』(!)、クライスラーの小品など、結構ある。)、ぜひともこのヴァイオリニストの全体像が俯瞰できるような、価値のある、オリジナルマスターからのCD全集発売を期待している。
    できればハイフェッツ・コレクションのような、オリジナル紙ジャケットで発売して頂ければ、私も、もう、思い残すことはほとんどない。(あくまで、クラヲタとして、だけど。)
    SONYさんには、ここはひとつ、ぜひ頑張って欲しいと思う。

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     2013/10/16

    『ドヴォルジャーク』、である。もちろんチェコの作曲家ドヴォルザークのことだが、こう書くと、何か、重量挙げの選手か、乾した牛肉のようにも聞こえてくる。(そんなことないか。)
    まあ、発音のことはさておき、作曲家ドヴォルザークには、日本の聴き手の方に、多少の誤解がある、と私は思うことがある。それは、日本人の好きな、たいていの作曲家がピアノ弾き出身だったのに対し、ドヴォルザークはヴァイオリン弾き出身だったということである。
    そんな些細なこと、と言うなかれ。ドヴォルザークに対して、大衆化してしまったいくつかの交響曲や、いかにもぎこちないピアノ協奏曲等を聴いて、少々彼を過小評価する向きのある人は、ぜひとも、ヴァイオリンのために作曲された『ソナチネ』とか、『マズレック』とか、『4つのロマンティックな小品』とかを聴いてみて欲しい。いかにも旋律楽器らしい、きれいなメロディーに、ヴァイオリン特有の超絶技巧や重音奏法等を交えて、思わずうならせる出来映えになっている。
    中でも、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲は、この作曲家をしてかくも、と思う程、真摯で深い情感が盛り込まれている傑作である。個人的には、有名なチェロ協奏曲よりもよほどこちらの曲の方を愛しているが、逆に、重すぎて軽々に向き合えない曲でもある。
    演奏は、古くてもプシホダ(「プルジーホダ」なんてとんでもないのである。)の旧録音が一番。’30年代、SP録音の『ツィゴイネルワイゼン』等を聴くと、彼は、どちらかと言えば、ハイフェッツのようなドライな完全主義者に近い感じがするが、この曲に関しては、まさしく入魂の気迫で作品に応えている。
    歌い回しは、まさしく天衣無縫、と言った感じで、引きずるような深刻な暗い情念をぶつけたかと思うと、歌うべきところはしみじみと歌い、明るいパッセージではひばりが舞い上がるような軽快さを聴かせる。
    また、曲想に合わせて、微妙にピッチが揺れている感じがするのも絶妙だ(反則かも)。
    部分部分では、真面目にやっているのに、全体としては、ある種アバウトな、ボヘミア風の自由な表現になっているのが面白く、また、この曲にぴったりと合っているように思う。
    録音も意外に良くて、針音は少なく、古風に引き締まったオケの残響までよく聴こえる。’43年録音、とあるので、オリジナルは最初期のテープ録音かもしれない。
    余談だが、プシホダの使っていたストラディバリは、彼の引退後、ヴァイオリニストの後輩であるスークに貸与されたらしい。私は大人なので、プシホダとスークを比べてどうのこうの言うつもりは全くない(スタイルが違いすぎる)が、スークの全盛期、東欧だったスプラフォンのマイクは、果たして機材としてベストなものだっただろうか?という自問は、時に私を少々困惑させる。

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     2013/10/11

    プレートルが’63年に録音した、プーランクの『スターバト・マーテル』について書きたかったのだが、現役盤としては、もうこのBOXセットにしか収められていないようなので、少々場違いかなと思いつつも、恐縮しながらここに書かせてもらうこととした。
    友人であった、画家であり、舞台装置家でもあるクリスチャン・ベラールの死を悼んで作曲されたプーランクの『スターバト・マーテル』は、プーランク畢生の傑作であるとともに、20世紀の宗教音楽の最高峰の一つである。
    「クリスチャン・ベラール」と言っても、まぁすぐにピンと来る人はほとんどいないと思うし、何よりこの文章を書いている本人(私)自身が知らなかったので、何をかいわんやという感じなのだが、ジャン・コクトーの映画『美女と野獣』で美術を担当したりして、生前は、フランスでとても盛名があったそうである。プーランクの属している、いわゆる『六人組』は、コクトーが命名したようなものだから、3人とも、古くからの顔見知りであったとしてもなんら不思議ではない。
    とまれ、この『スターバト・マーテル』は、例えばバレエ音楽『牝鹿』や、いくつかの楽しい協奏曲等々からこの作曲家に入った人を黙らせてしまうような、深刻で、沈痛な表情に貫かれている。まるで恋人でも失ったかのような。(少々下世話な話だが、プーランクはいわゆる両性愛者だったらしいので、ベラールが本当に「恋人」であった可能性もある。)
    少しでもプーランクをかじったことのある人はわかると思うが、作品に晦渋なところはまるで無い。美しいメロディーが次から次へと湧き出てくる。その一方、使用されている和声は、いかにも20世紀の作品らしく、ある種の気持ち悪さを伴っている(慣れると快適だが)。個人的には、ピアノ曲等も含め、晩年のプーランクが使用していた和声は、メシアンに非常に近いものを感じているのだが、どうだろうか。(自分は、もちろん和声に関しては素人なので、大きく間違っているかもしれない。その場合は、どうかご容赦ください。)
    私はこの曲にもう30年ほども前、LP時代の最後に出会って以来、思い出したように何年かごとに聴き返すのだが、聴くたびに、いつも、ひどく打ちのめされる。そしてしみじみ、何と奇跡的な傑作だろうか、と思うのである。
    演奏は、LPからCDへメディアこそ変わってしまったが、1963年、作曲家の死の数か月後に録音された、このセットに収められたプレートル盤がやはり一番いいと思う。(この曲に関しては、デュトワ盤や、プレートル自身が’80年代に再録音したCDも持ってはいたが、すぐに聴かなくなってしまった。)何と言っても、演奏者たちに追悼の気持ちがあったのか、この曲に素直な共感を持っているのがいいし、加えて、ソプラノのクレスパンの官能的で、しかも何となくデッドな造形性をも感じさせる、質量のある声が、まさしく慈母のごとく、行き場を失って傷ついた現代人の心に沁みこむのである。
    プレートルはプーランクの信任厚く、私が音楽を聴きだした頃は、この作曲家の専属指揮者みたいな扱いだった(同様の感想を述べておられる方がいるのをネット上で拾い読みした記憶がある)が、最近ではマーラーやウィンナ・ワルツ等を振って評価も高いようだ。全く、世に常なるものは何もない。

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     2013/09/15

    まず、(孫の指揮者クリストフではない、)作曲家、エルネー(エルンスト)・フォン・ドホナーニに関して少々。
    私は、もう20年ほども前に、蘭フィリップスから出た、『ERNST VON DOHNANYI plays DOHNANYI』というアルバム(もちろんCDです。)をたまたま中古で入手し、いたく気に入って愛聴していた。
    それは、ドホナーニのピアノ曲の自作自演、特に『ルーラリア・フンガリカ(ハンガリア牧歌)』(Op.32/a)を中心としたアルバムだったのだが、まるでスクリャービンにハンガリー民謡を加えたような響きがする、不思議な曲集だった。(あくまで、個人的な感想です。)
    爾来、この作曲家には、折に触れ、目にするたび、特に興味を持って集め、聴いてきたのだが、どれもこれも、どうもいま一つ、という感じで、次第に興味が薄れつつあった。
    しかし、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、とでも言うべきか、ようやく最近、とうとう、これ、というアルバムを発見したので、ここに、ご紹介しておきたい。
    と、言っても、これも『ルーラリア・フンガリカ』(ただしオケ版、Op.32/b)を中心としたアルバムで、それも悪くはないのだが、1曲目の『オーケストラのための組曲 』(Op.19)がとてもいい。
    アンダンテ、スケルツォ、ロマンツァ、ロンドの4曲から成り、特にスケルツォが一番いいと思うが、全体的にミステリアスな、また、重層的な雰囲気が漂っていて、ところどころにバルトークでも、コダーイでもない、先ほど言ったような、ドホナーニ的、とでも言うしかないハンガリー的哀愁が顔を出す。まるで東欧の迷宮に迷い込んだよう。
    一つ間違えると、とりとめのない散漫な印象の曲になるところだが、ダニュービア(ドナウ川?)交響楽団は、まさしく流れる川のごとくうまく微妙に変化する曲想をとらえて、しかし拘泥しすぎず、豊饒に流れていく。
    私は、バルトーク、コダーイ以外の近代ハンガリーの作曲家としては、例えば、ヴァイネルの『小オーケストラのためのセレナーデ』(Op.3、ショルティの名演がある。)みたいな曲も大好きで、なぜこれが話題にならないのか不思議に思っているくらいなのだが、(まあ、一部「通」の間では知られているようだが、)ヴァイネルのセレナーデが好きな人は、ぜひこの一枚も試して欲しいと思う。

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     2013/09/15

    よく、アリアーガのことを『スペインのモーツァルト』と言ったり、サン=ジョルジュのことを『黒いモーツァルト』と言ったりするのだが、実は、我が町内にもモーツァルトがいる。『なにわのモーツァルト』ことキダ・タロー氏である。何が近いって、ご自宅まで、歩いて10分もかからんのだから相当に近い。もっとも、残念
    ながら面識はない。
    そのキダ・タロー氏の、60年にわたる偉大なる楽業を集大成したのがこのアルバム。関西人なら誰でも知っているかに道楽のCM曲「とれとれぴちぴちカニ料理〜」やNHKの『バラエティー生活笑百科』のテーマ曲など、心に残る名曲がずらり。関西に住む人は、音のアーカイヴとして、一家に一セット、ぜひとも備え付けて欲しいものだ。
    3年前の晩秋、寒風吹きすさぶなか、このCDの発売を記念して、地元で行われたキダ・タロー氏の握手会に行って来た。もうかなりのお歳だと思っていたのだが、トークはとても面白く、またいわゆる芸能人として、華やかなオーラがあるのにびっくりした。
    もし私にヴォーン=ウイリアムズ程の作曲能力があれば、『キダ・タロー氏の主題による幻想曲』みたいなのを書いてみるのだが。(ワーグナー的な半音階進行の中に「とれとれぴちぴち〜」の主題が回帰する傑作になる、予定。)

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     2013/09/10

    マルクジンスキ(我々LP時代からのファンはこう呼ぶ。たとえその発音が間違っているとしても。)は、英EMI系のLP(HMVとかColumbia)が好きで、ショパンが嫌いでなければ、必ずと言ってよいほどお世話になるピアニストだ。
    もちろん、EMIには、SP時代から、コルトー、リパッティ等を初めとする偉大なショパン弾きたちが揃っていたわけだが、両者の録音はさすがに音が古いし、’50年代末〜’60年代のステレオ初期のEMI系ショパン録音といえば、パテのフランソワが何か専横している感じで−と言えばもちろん言い過ぎだけれども、フランソワの個性的すぎるショパンには少々抵抗がある、という人は(私も含めて)結構いるのではなかろうか。
    そこでマルクジンスキ様の登場となる。ショパンの母国ポーランド生まれの彼の演奏は、やはりスタンダードな解釈で、安心して聴ける。特にワルツとマズルカは、行間から、苦み走ったビターな大人の味わいを漂わせる逸品。(あくまで、古いLPや、CDを聴いた印象。)協奏曲の2番も悪くない。
    一方、ポロネーズやソナタでは、少々技術的な苦しさを感じさせる。そういう意味では、「技術的に完璧」な演奏が好みの方にはお勧めしない。「秋の夜長、じっくりしっとりショパンでも聴き込みたい」という人に、あえてお勧めしておきたい。
    なお、余談だが、彼のポートレートは、阪神の加藤というピッチャーに若干似ている、と思う。

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     2010/03/08

    LP時代から、名演として知られていたクレンペラーの『ドイツ・レクイエム』だが、今回のリマスタ盤は凄い。とにかく、SN比の改善が半端でない。アナログ臭さが完全に消え、まるで最新のデジタル録音でも聴いているかのよう。おかげで、以前分からなかった細部まで聞こえてくるようになった。
    このSN比の劇的改善は、同じシリーズのクリュイタンスのフォーレ『レクイエム』や、トルトゥリエのBOXセットでも感じた。
    一体、何があったんだEMI?
    この演奏に関しては、楽団員に指揮者の意図の透徹していることは尋常ではなく、どうやら合唱まで自由自在に、徹底的にコントロールされているらしい、のが分かる。全体的には透明感と静謐さが増す一方、第6曲目など、ヘンデルかロッシーニのオラトリオでも聴いているかのような躍動感が出ている。
    LPで聴いた時は、重厚一辺倒って感じだったんだけど、また、このリマスタ盤で聴いても、名演は名演なんだけど、少し違和感を感じるのは、私だけだろうか?

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     2010/01/29

    これは、何とも悪趣味なアルバムだなぁ。付属(であり本体でもある)のブックレットが、言わば「カストラート小辞典」とでも言うべき、厚手の扉の、立派な本の体裁をなしているのだけれど、カストラートにあまり興味の無い人(普通は無いよなぁ)には、かなり重量的に重たく、また激しく邪魔である。
    ブックレットの中身もエグい。下半身裸の男がベットにあお向けにされ、今まさに手術されようとしている絵があったり、本の扉の裏にあるCDのケースにハサミやメスが描かれてたり、バルトリの顔とCGで合成した石膏の彫刻の、ちょうど男性器に当たる部分が破損していたりと、普通の男性なら思わず引いてしまう、「去勢」に関するメタファー(暗喩)に満ちている。
    副題には「何世紀もの間、音楽の名のもとに犠牲となった何千人もの少年たちに捧げる」みたいなことが書かれてるんだけど、気やすめでしょう、とツッコミを入れたくなる。ただ、もともと、「バロック」という言葉そのものが、「過剰、悪趣味」という意味をも含んでいるので、あながち全否定すべきものでもない。(ちなみに、中身はほとんど読んでません。すみません。)
    肝心のバルトリの歌は、すばらしい、の一言。カストラートを意識してか、少々男性ぽい声で統一しているが、その圧倒的なヴィルトオジティと腹にこたえる声の量感には、陰惨(?)なブックレットの内容を一蹴してあまり
    ある破壊力がある。すっかり参りましたって感じだ。オペラが苦手な人(私だ)でも、声だけで楽しめるんじゃないかな。イル・ジャルディーノ・アルモニコの伴奏も快調。効果音も面白い。
    星は、CDの内容のみの評価。ブックレットのコンセプトとは分けて考えた方がいいと思う。おまけCDに入っている、『オンブラ・マイ・フ』欲しさにこの限定版を取るかどうかというのは、難しい選択だな。もっとも、曲としては、おまけCD1曲目の、ブロスキの曲の方が、演奏も含めて、はるかに面白いとは思うけど。

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     2010/01/20

    サヴァリッシュが若い頃、SKDと組んでシューベルトの録音を行っていたことは知っていた(「グレート」はLPを持っている)が、まさか交響曲を全曲録音していたとは。最近入手し、すっかりハマってしまって、毎日のように聴いている。SKDの柔らかくて弾力があり、しかし歯切れの良い木調の響きが、耳に何とも心地よい。
    SKDのシューベルトと言えば、ブロムシュテット盤が兎にも角にも有名なのだが、力で押しすぎるきらいのあるブロ盤と、才気に走りすぎる(テンポに違和感のある人はいると思う)きらいのあるサヴァ盤と、結局のところ好みの問題であろうが、今の私にはサヴァ盤の方がしっくりくる。特にこの5番、6番あたりは私にとって理想的と言える演奏だ。(6番が真ん中で切られているのは痛いが。)
    思えば、ケルテス(&VPO)から始って、ブロムシュテット、マリナー、カラヤンと経巡ってきたシューベルト交響曲全集の長い旅も、ようやくここで終着駅を迎えそうだ。
    これを記念に、自分のニックネームも「サヴァ太郎」にでも改名してみようと思っているのだが、どうだろうか?

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     2010/01/17

    以前、カミュが自作『異邦人』を朗読しているCDを紹介したので、その繋がりで、昔読んで、さっぱりわけが分からなかった『シーシュポスの神話』も、この歳になって再読してみたんだけど、とんでもない本だな、これは。
    なんか、巻末の『神話』の部分だけやたら有名で、人口に膾炙してしまったこの本だが、カミュによると、「不条理」とは、「この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態」のこと、であるという。これって、今の日本人が、漠然と、常日頃感じていることじゃないか?
    この本では、その「不条理」に関する論証が延々と(と言ってもそう長くはない)続くわけだが、カミュは、その中で、ヤスパースやキルケゴールなど、「実存哲学」者たちに敬意を示しながらも、彼らは「不条理」を見据えながらも、最後のところで、哲学的な「跳躍」を行っている、と撥ねつける。(撥ねつけるのである。つまり、安易な逃避を行っていると切り捨てているわけだ。)そして、この不条理な世界において生きて行くためには、常にそれを意識し、見据え、反抗をつらぬいて生きていくしかない、と説く。その場合、おまえの「人生が生きるに値するか否か」と、はげしく問い掛ける。
    その回答は、あなたの心にあるだろうか?
    まるでナイフのような先鋭さを未だ失わない、今の日本人にこそ読まれてしかるべき本だと思う。
    (少し言い訳をしておこう。私は、この、いろんな問題を含んだ本を、かなり乱暴に要約してしまった気がする。こういう難しい本には、専門に研究されている方もおられるし、そういう方には独自の見解や反論があろう。−たかがネット上の、一般人のたわごと、と寛容を持って、読み流して頂ければ幸いだ。)
    なお、カミュには根強い自殺説があるそうだ。私も、この本を読む限り、自殺説に賛成だ。「不条理」な世界における「生」を力強く肯定してはいるものの、何かしらこの本には、嫌になるほど、暗い、暗い、閉塞感と、死の匂いがしている。少々大げさな言い方だが、私は、この本を再読した後、2日ほど、すっかり精神に変調をきたしてしまった。先ほどとは矛盾する書き方になって申し訳ないが、精神の脆弱な者は、軽々に、この世界に立ち入っては、絶対に、いけない。

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     2010/01/10

    リヒテル、ギレリス、ヴェデルニコフ、または息子スタニスタフの師として有名なゲンリヒ・ネイガウスだが、「ピアニスト」ネイガウスもなかなか魅力的だ。
    特に、リスト(第2番)とスクリャービンの協奏曲は、この曲がこんなに分かりやすくていいのかな、というくらい見通しの良い演奏。スクリャービンは、ソナタや小品でも、独特の平易さと明るいファンタジーを聴かせてくれ、秀逸なことこの上ない。長年の苦手意識が解消できそうだ。
    また、ドビュッシーの前奏曲は、こってりした音色が、パテかバターでも切っているかのような感覚美を与えてくれる。これは特筆もの。
    ただ、ショパンやシューマン等、つまり、速く、力のいるパッセージになると、技術的な弱さ(ソビエト当局に腕を痛めつけられた話は有名)が前に出てしまい、痛々しい。
    ピアノ関係者は別として、純粋な聴き手は、上記の三作曲家を中心に、狙いを絞って買うべし。

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     2009/12/25

    私はもともと、チェリストは、フォイアマンとフルニエのファンだったのだが、最近、フルニエはちょっと軽すぎるな、と感じ出していた。といって、ロストロポーヴィッチでは重過ぎる。 そういう人にとって、トルトゥリエは最適ではないかな。
    ちなみに、この人もスコアの読み方が的確で、技巧が安定しているので、ハズレというものがとても少ない。このセットのうち、私はフォーレ、メンデルスゾーン、ショパンとラフマニノフのソナタを持っているが、個人的には、前三作曲家については、ベストの録音と思っている。ラフマニノフは、他の人の演奏を聴いたことがないので判断しかねるが、悪くないと思う。
    20枚で4000円弱。値段も安いし、シューマンやショスタコの協奏曲など、この人で聴いてみたい曲がたっぷり。今からとても楽しみだ。

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     2009/12/18

    アルベール・カミュに、その代表的な著作であり、出世作でもある『異邦人』を朗読したCDのあることは、20年ほど前、私がまだ仏文科のバカ学生だった頃から知っていたし、実際所有もしていた。(たしか仏AdesのCDだったはず。)ところがこのたび、探してみたものの一向に見つからない。どうやら、友人か先生にあげてしまったようだ。代りにネットで検索してヒットしたのがこれ。早速入手して、びっくりしたのだけれど、CD3枚分、第二部、第5章までちゃんとある。えっ、ってことは、本一冊、まるまる朗読してるのか?うーん、何とも暇なことだなぁ。ちなみに、カミュは確か役者もやっていたはずで、語りは明瞭そのもの、って言うか、逆に、ほとんど思い入れや熱意が感じられない。そこらのおっさんが淡々としゃべっている感じ。その乾いた感じは、作風と似通っているかも。(と言っても、聞いて内容が分かるほど仏文力はないけど。)さすがに最終章くらいになると、語りに自然と熱が入ってくるが、誰だって2時間以上も朗読していれば、最後はそうなるだろう。内容も内容だし。とある陽射しの強い日に、窓を開けて、これを聴きながら原文を繙(ひもと)けば、アルジェの乾いた風が吹いてくる(わけないか)。持っているだけで価値がある、箔がつく、そういうCDは少ない。音楽だけでなく、文学にも興味がある。あるいは有り余るほどお金があって、知恵と暇を持て余している。そういう人には、あえてお勧めしておきたい。
    なお、私が学生だった頃、カミュの『異邦人』って、サルトルの『嘔吐』や、ランボーの詩集等と並んで、仏文では、最もかっこいい本の代名詞だったんだけど、今はどうなんだろ。今回、この文章を書くに当たり、改めて『異邦人』を日本語訳の文庫本で読み返してみたんだけど、アルジェの強烈な「光(太陽)」の、細密な情景描写に感嘆すると共に、現代の日本で、「人間がこんなに簡単に死刑が宣告され、執行されるわけがない。」という非現実感(リアリティーのなさ)と、「人間が(簡単に会社を解雇され、)自ら死を選択せざるを得ない(不条理な)状況に置かれている。」という現実感、言い換えれば、ムルソー(主人公)の問題の「遠さ」と「近さ」を同時に感じて、とても興味深かった。昔読んだ時は、ただ、ムルソーの衝動的な言動に、刹那的な美学を感じていただけだったが。
    余談だが、CDのブックレットの裏面の宣伝によると、先ごろ物故された構造主義の祖であり、フーコーやブーレーズの師匠筋に当たるレヴィ=ストロース先生のCDも出てるらしい。(対談のようだ。)面白い国だなぁ、フランスは。日本でも、芥川龍之介あたりの声の入ったCDでも出たら、真っ先に買うんだが、私は。
    (芥川也寸志先生が自作を振ったCDなら持っているんだけど。実は、一番好きな日本の作曲家なのだ。武満さんには、会ってサインを貰ったこともあるので、心苦しいんだが・・・)

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     2009/11/30

    オペラとは知らずに購入してしまい、あまり期待もせず、(時間的に)短い2枚目から聴き出したんだけど、なんか聴いたことのあるメロディーだなぁ、と思っているうちに、声楽入りの『禿山の一夜』が始ってびっくり。そういえば昔、アバドが、声楽入りのこの曲を録音していたはず、と昔のCD(SONY CLASSICAL盤)を引っ張り出して解説を読んでみたけれど、オペラとの関連性については、ほとんど触れられていなかった。
    結局、HMVさんのレビュー以上のことは分からなかったが、アバド盤に比べ、臨場感と意外性があって私にはとっても面白かった。オペラにはあまり蘊蓄がないので、その価値には言及しかねるが、(私のような)好事家にはお勧めしておきたい。話の種にはなる。
    なお、おまけのスヴェトラーノフの『禿山の一夜』(原典版じゃないけど)も一興。

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