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100人の偉大なアーティスト - No. 54

2003年4月29日 (火)

40年にも及ぶ活動歴を誇る世界最古/最大級のロック・バンド、 ローリング・ストーンズ 。ソロ・アルバムをリリースすることもあるが、基本的にその巨大なバンドの全キャリアを通し、リズム・ギタリストとして活躍してきたのが キース・リチャーズ だ。非常に大雑把に言ってしまえば、60年代にビートルズに対抗するための戦略もあってローリング・ストーンズに課せられたイメージ、「不良のロックンロール集団」といったものを具体的なイメージとして体現しているのが、キース・リチャーズであるともいえる(60年代はブライアン・ジョーンズだったかもしれない)。またそうしたイメージ的なものだけではなく、ギタリストとしてもストーンズの魔力的なグルーヴ、サウンドに欠かせないのがキース・リチャーズが繰り出してくるリズム・ギターなのだ。できれば、実際にオープンGチューニングで名曲“ブラウン・シュガー”や“ロックス・オフ”などを弾いてみて欲しい。細かい箇所を除くと、基本的には人差し指一本でバー状に弦を押さえ、そのまま横にスライドさせながら押さえつつコードを弾くだけといえるほど、その動きはシンプルなのだが、これが異常なまでにカッコ良く響くから凄い。こうしたある意味、天才的なロックのリフはほとんど天から降ってくるようなもので、そのシンプルさや何やらは、もうどうでもよくなってくるはず。いやこれをキース・リチャーズがルーズなアクションでこれをキメるとき、殆どの音楽ファンは「これがロックンロールか」と感心せざるを得ないのではないだろうか。

キース・リチャーズは、1943年12月18日、英ケント州ダートフォードに生まれた。7歳の頃には後にローリング・ストーンズで一緒に活動することになるミック・ジャガーと同じ学校に通い、同じブロックにも住んでいたとのことだが、この当時の二人はそれほど仲がよいという風でもなく、単に顔見知りといった程度だったそうだ。そんな二人が仲良くツルむようになるのは10代半ば頃のことだった。真偽のほどは判らないが、 ミック・ジャガーキース・リチャーズが近づくきっかけとなった出来事として、ロマンティックともいえるエピソードが残っている。米国産ブルースの好きだったキース・リチャーズが、ブルースのレコードを小脇に抱えていたミック・ジャガーに声を掛けた、というもので、その後ミックキースの家へ行ってレコードを聴いたり、ギターを弾いたりするようになったという。

一方実際にローリング・ストーンズを作った男であるブライアン・ジョーンズは、1962年、音楽新聞にメンバー募集の広告を出していた。それを見て連絡してきたのはイアン・スチュアートという男で、続いてブライアンはロンドンの「イーリング・クラブ」でミックキースの二人と出会い、グループの結成を決めた。バンド名はマディ・ウォーターズの作品からとって、ローリング・ストーンズと名付けられた。メンバーはやや流動的だったが1962年末〜63年初頭に掛けてビル・ワイマンチャーリー・ワッツが加入。後の5人が揃った。クラブ出演によって人気を得ていった彼らは、アンドリュー・ルーグ・オールダムをマネージャーに迎え、1963年5月に英デッカと契約、10月にチャック・ベリーのカヴァー “カム・オン(Come On)”でシングル・デビューした。

アルバム単位で言うと、初期ストーンズ(デッカ時代。 レット・イット・ブリード(Let It Bleed)までとする)の作品の内容は、大きく分けて二期にわけて考えることができる。ごく簡単に言ってしまえば、最初期のアルバムはブルースやR&B、ロックンロールのカヴァーが大半を占め、後半に当たるアルバム アフターマス(Aftermath) 辺りから、デッカ/ロンドンでのライヴを除いた最後の作品レット・イット・ブリード(Let It Bleed)までは、オリジナル中心となってくる。

初期ストーンズのサウンドを聴いて思うのは、彼らが黒人音楽の「良きリスナー」であった、ということで、またそれは60年代初頭の英国では相当ヒップなことだったのだなということ。それはビートルズを始めとする同時代のバンドと比べても、群を抜いてマニアックなカヴァー・センスを持っていたことが物語る。

オリジナル曲を作るようになったストーンズは “サティスファクション(Satisfaction)”や “夜をぶっとばせ(Let's Spend The Night Together)”等のヒットでアメリカ市場を制覇。その後、時代の流れでコンセプト・アルバムを作ったりしながら、アルバム単位での頂点を最初に迎えたのがベガーズ・バンケット(Beggars Banquet)(  アフターマス辺りが最初の黄金期と言えようが、その時期は周辺リリースのシングルも込み、で言わないといけない気がする)。その頃、バンド内部でミックキース側と初期ストーンズの牽引者ブライアン・ジョーンズは徐々に関係を悪化させ、結果1969年6月ブライアン脱退に至る(代わりに2代目ギタリスト、ミック・テイラーが加入)。7月にブライアン死亡。また同年12月、「オルタモントの悲劇」と呼ばれる米カリフォルニア州でのフリー・コンサートで死者が出る、という風に時代は節目を迎え、ストーンズも混沌とした様相を呈していた。ブライアン・ジョーンズ脱退後、初のアルバムレット・イット・ブリード(Let It Bleed)はこの年のリリース。これも前作に続く傑作で、アーシーな情緒をたたえた曲や、パーカッシヴなグルーヴィ・チューン等が収録されていた。

70年代初期のストーンズは1971年発表の スティッキー・フィンガーズ(Sticky Fingers)(“ブラウン・シュガー(Brown Sugar)”、“ワイルド・ホース(Wild Horses)”等収録。アンディ・ウォーホールによるGパンのジャケは当初ジッパーの所に本物が付いていた)、そして メイン・ストリートのならず者(Exile On Main Street)(“ダイスを転がせ(Tambling Dice)”、“ロックス・オフ(Rocks Off)”、“ハッピー(Happy)”等収録。LP時代は2枚組)という二枚の名作をモノにした。もの凄く簡単に言ってしまうと、前者はストーンズの王道を感じるロック・アルバム、後者は米南部音楽の粘っこいテイストが印象的な作品だ。

その後70年代にローリング・ストーンズがリリースしたアルバムを追うと…ヒットした ”悲しみのアンジー(Angie)”を収めた 山羊の頭のスープ(Goats Head Soup)(1973年)、そのタイトルがキャッチーなストーンズ・イメージを決定した イッツ・オンリー・ロックン・ロール(It's Only Rock 'N'Roll)(1974年)、3代目ギタリスト、ロン・ウッドを迎えたアルバムで、当時流行のレゲエのリズム等も垣間見られる ブラック・アンド・ブルー(Black And Blue)(1976年)、ライヴ盤 ラヴ・ユー・ライヴ(Love You Live)を挟んで、ストーンズがディスコに接近、と話題となった “ミス・ユー(Miss You)含む 女たち(Some Girls)(1978年)となる。

80年代のストーンズは一般的に、という前提で話せばやや低迷した時期とも言えるだろう。ただ逆に言うとこの時期の危機を乗り越えた事や、ニューウェイヴに対するオールドウェイヴとしての意地、みたいな部分が、現在のストーンズの活躍を可能にしたとも言える。1980年 エモーショナル・レスキュー(Emotional Rescue)、1981年 キースお得意のリフが炸裂する”スタート・ミー・アップ(Start Me Up)”含む刺青の男(Tatoo You)、ライヴ作 スティル・ライフ(Still Life)デューク・エリントンの ”A列車で行こう“で幕を開けるライヴ充実作)を挟んで、1983年 アンダー・カヴァー(Undercover)、1986年 ダーティー・ワーク(Dirty Work)という作品をリリースしたこの時期は、やはりメンバー同士の関係も傍目にはチグハグそうに見えた。というか、メンバー達も長くバンドを続ける中で、自らにとってのストーンズの意味を見失っていたというべきかもしれない。

そして90年代。概ねこの時代のストーンズは充実した活動/作品を残した。東西冷戦構造が終焉を迎え時代の節目を感じさせた1989年に発表された快作 スティール・ホイールズ(Steel Wheels)からのストーンズを「90年代のストーンズ」と定義してもいいだろう。日本のファンには事件だったスティール・ホイールズ(Steel Wheels) に伴う「アーバン・ジャングル・ツアー」でのストーンズ初来日(70年代の公演は中止となりファンをガッカリさせた)。1991年には新曲”ハイワイアー“ などを含むライヴ作 フラッシュ・ポイント(Flashpoint)を発表と、90年代のストーンズは頭から勢いづいた。ただ一方で、この時期1993年初頭にビル・ワイマンがバンドを正式脱退するという出来事もあったが。そして現在ストーンズが所属するヴァージン・レーベルからのベスト盤 ジャンプ・バック(Jump Back) を経て、1994年に、これも快心作となったヴードゥー・ラウンジを発表。続いて通常のオリジナル・アルバムとは違うが、過去の名曲をアコースティックにリメイクして、70年代の自らのグルーヴを再解釈した、とも言える優れた企画盤 ストリップド(Stripped) (1995年)、さらに1997年には90年代ストーンズの有終の美を飾る快作 ブリッジズ・トゥ・バビロン(Bridges To Babylon)を発表。そしてライヴ盤 ノー・セキュリティ(No Security) を1998年に発表し、ローリング・ストーンズは90年代を終えた。

多少、好みが異なったとしても、おそらくローリング・ストーンズの歴史の中で、キース・リチャーズミック・テイラーというギタリストのコンビネーションが好きなファンが多いのではないだろうか。それほど70年代初期のストーンズのサウンドは無敵であったし、そのサウンドの要ともいえる部分を担ったのがこの二人であり、いやもっと極論を言ってしまうと、キース・リチャーズによる、あのオープン・チューニングを多用したリズム・プレイであったことは間違いないとさえ言える。そして現在のストーンズ・サウンドにおいてもキースのプレイは(毎度フィーチャーのされ方の程度の差こそあれ)、きわめて重要な役割を担っているのだ。彼とコンビネーションを組むリード・ギタリストは歴史の中で替わっていったが、キース・リチャーズは常にローリング・ストーンズのキーマンであり、バンドの「ソウル(魂)」であり続けている。

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