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100人の偉大なアーティスト - No. 80

2003年4月3日 (木)

 Nat“King”Coleは、1917年5月17日に生まれ、1962年2月15日亡くなっている。12歳で伴奏者としてピアノ奏者となり、15歳の高校生の時に初めての自分のバンドを結成している。
 17歳ではじめての結婚をし、20歳になる頃には、ナットのピアノ・プレイはLAのそこら中のビアバーに知れ渡っていた。こうしてナットはピアニストとしてのキャリアを積んでいった。

 1939年、ナットは、The King Cole Trioを結成した。ある晩、観客のリクエストに答えて歌を披露したナットはそれ以来、歌も歌うようになる。

 1940年12月、遂にナットにレコーディングのチャンスが巡ってくる。名前を挙げたのは「DECCA Records」だった。“Sweet Lorraine" "Honeysuckle Rose" "Hit That Jive Jack”の3曲こそはナットのスタートしての第一歩を歩ませたヒット曲だった。

 やがて、戦争が終わるとともに、ナットは二度目の結婚をするマリアと出会うことになる。この頃、ウイークリーのラジオ番組を持ち、ナットはスターの仲間入りをするようになる。1948年、“Nature Boy”が大ヒットとなり、マリアと結婚、1950年にNatelie Coleが生まれた。ナットは「ヴェルヴェット・ヴォイスを持つ男」と賞されスターの座を思いのままにしていた。

  「キャピトル・レコード」へのレコーディングをしつつ、1956年にはTVショウを開始、遂にナットはテレビの世界に進出した。当時のヴォーカリストとしての一つの頂上を記録したのが、『After Midnight』で、『Love Is The Thing』には、ナットのも一つの代名詞といっていい“Stardust”が収録されている。

 エンターテイナーとしての実績を積みつつ、そうした経験が結晶したのが、『Nat King Cole At The Sands』で、人種差別がまだまだ強かった時期としては異色だった。しかし、そうした影響もあって、スポンサーが付かないというアメリカの“悲しむべき現実”の前に、TVショウは一年少しで終了した。

 そうした時代を差し引いてもナットがアメリカのエンターテイメントに残した実績は偉大であり、まさに『Unforgettable』なものであり、後年、発売されたこのCDでは、時代と空間を超えたテクノロジーによって、素晴らしい歌手に成長した娘、ナタリーとの夢のデュエットが収録されている。

 ナット・キング・コールは、歌手としてだけでなく、ピアニストとしての影響を挙げるジャズピアニストは数多い。

 例えば、Red Garland も最も大きな影響を受けたミュージシャンとして、Count Basie とNat King Cole を揚げており、ガーランドのスタイルがベイシーのカンザス・スイングとコールのモダンスイングを見事に消化した「スイング」であるのは、一聴すれば理解できる。『 So Long Blues 』では下手ながらナットばり(?)の歌まで聞かせている。

 一方、歌手としてのナットの影響は、さらに広く広がり、ジャズ畑では、うり一つといってもいいOscar Peterson は、ナットに捧げた『 With Respect To Nat』を録音しているほかにも、初期にはコールと同じ、ベース〜ギターとのトリオで演奏していた。

 近年、人気の John Pizzarelliもナットのナンバーをレパートリーに、ニュージャージーの小さなクラブで父のBucky Pirzzarelliとの演奏を出発としてスターダムに上っていった。

 影響はほかのジャンルにも及び、Marvin Gaye『Tribute To The Great Nat King Cole』は、ジャズヴォーカルファン必聴の“他ジャンルの名盤”となっている。

 “Route 66”の大ヒットを言うまでもなく、ナット・キング・コールは、現在まで5000万枚以上の売上を誇るアメリカが生んだ黒人ヴォーカリストのナンバーワンといっても過言ではない存在なのだ。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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