アレクシア・ボンテンポ、インタビュー!
Tuesday, September 2nd 2008

アレクシア・ボンテンポ、独占インタビュー! text by Horiuchi Takashi(Cafe Vivement Dimanche)
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デビュー・アルバム『アストロラビオ』を語る!
![]() 堀内隆志 (以下 堀内) はじめまして。日本盤ライナーを書かせていただく堀内隆志です。Pierre AderneとDadiのファンだったので、初めてアレクシアさんのアルバムを聴いたときは感動で涙が出ました。 アレクシア・ボンテンポ(以下アレクシア) ありがとう!アルバムを気に入ってもらえてうれしいわ。DadiとPierreのタッチを感じてもらえたんじゃないかしら。 堀内 日本では、CDが輸入される前からmyspaceでチェックしていた人も多かったようですが、myspaceの反応は大きかったのでしょうか? アレクシア とても大きな反響があったの。myspaceはここ数年のうちに音楽業界で起こった最もすてきなことのひとつじゃないかしら。myspaceによって、アーティストはレーベルがなくても、コストをかけずに世界中と作品をシェアできるもの。私のmyspaceでは、多くの人が興味を持ってくれたみたいで、とてもいい反応があったわ。私の歌を聴いてくれた人たちからコメントをもらうのがうれしくて、いつも返事を書いているの。音楽を聴いてくれる人たちがどこに住んでいるか関係なく、彼らを身近に感じることができて素晴らしいわ。インターネットによって親近感を共有できているのよ。
堀内
アメリカのワシントン生まれということなのですが、アメリカでの生活は長かったのでしょうか?プロフィールを教えてください。
アレクシア 私はワシントンD.C.で、アメリカ人でシンガーソングライターの母と、ブラジル人でパフォーミングアートのプロデューサーをしている父の間に生まれたの。7歳までアメリカで育ったんだけど、そこでは母親と、すばらしい作家で あり詩人である祖母の影響で、ごく自然にアートに慣れ親しんでいたわ。父親とブラジルに移ってからは、ブラジルの音楽に強く影響された。レコードだけじゃなく、ライブパフォーマンスからもね。父はショウビジネスの世界でエグゼクティブ・プロデューサーをしていて、私は子ども時代を、Caetano Veloso、Gilberto Gil、 Tom Jobim、 Gal Costa、 Djavan、 Marisa Monte、 Vinicius de Moraes、 Adriana Calcanhotto...などの魅力的なコンサートの数々に囲まれて過ごしたの。
アレクシア 17歳になったとき、「自分探し」と将来なにをするのか決めるためにアメリカへ戻る決心をして、そこで音楽の海へと漕ぎ出したの。高校を卒業してから発声法を勉強し始めて、ニューハンプシャーにあるプリマス州立大学で音楽を勉強したわ。クラシックの発声法を学んでいたんだけど、私もコーチも、私がクラシックの歌手には向いていないことにすぐ気がついた。それで私が得意なジャズやボサノヴァを始めたの。ブラジルを離れてみて、私の人生がブラジルの音楽と切り離せないものだってことがわかって、とてもよかったわ。物事をより理解するためには少し距離を置かなくちゃいけないことって時々あると思うけど、それがまさに、私にも起こったというわけよ。
堀内
アルバムを聴いていると様々な音楽のエッセンスが活かされているように思うのですが、これまで影響を受けた音楽、アーティスト、曲などがあったら教えてください。
アレクシア あらゆる音楽の影響を受けてきたわ。ブラジルだけでなく、アメリカの音楽にもね。アルバムはそれを反映してると思う。ブラジルにいたときによく聴いていたのは、Caetano Veloso、 Gal Costa、 Rita Lee、 Joao Gilberto、 Novos Baianos、 Jorge Ben、 Gilberto Gil、 Marisa Monte、 Marina Lima、 Maria Bethania、Tom Jobim、 Vinicius de Moraesやほかにもたくさん! アメリカにいたときは、母親の音楽に始まって、Monica Nagleと彼女に影響を与えたアーティストすべて、例えばJoni Mitchell、Bob Dylan、 Lou Reed、そしてもちろん、Billie Holiday!さらに私には大のロックンロール好きの叔母が二人いたから、Beatles、 Rolling Stones、Doors、 U2なんかも聴いたわ。
堀内
プロデューサーのDadiとの出会いを教えてください。そして、どういう経緯で、このアルバムが誕生したのでしょうか?
アレクシア Dadiと私は、兄のSergioを通して出会ったのよ。弟も音楽プロデューサーをしていて、アメリカに住んでいた頃、休暇でリオに行って、いくつかコンサートをやったんだけど、そこでDadiと初めて会ったの。すぐに意気投合したわ。彼の曲も、独特の音楽スタイルも、そして人柄も好きだったし、彼は「新しい声」と一緒に仕事をしたいって思ってたところだった。私たちは仲良くなって、リオで何度か一緒にコンサートをして、それから3曲のデモを録音しようって決めたのよ。その後、ブラジルに戻って、このプロジェクトに専念することにしたんだけど、ダヂも私もアルバムをレコーディングするっていう考えは持ってなかったの。でも彼が書いた曲や、私が歌いたいって思った曲をレコーディングしているうちに、Pierre Aderneがすばらしい歌詞をつけてくれた。その時初めて、自分でも曲が書けるってことに気がついたの。とくにメロディーを書くのは得意よ。こうして数ヶ月間取り組んでいて、「わお、私たち、12曲もできてる!アルバムができるわ、仕上げましょう!」ということになって。そうしてすべてがごく自然に進んだの。
堀内
Dadiのプロデュースということで、このアルバムを聴いた人は、Marisa Monteに通ずる世界観を感じる人は少なくないと思いますが、アレクシアさんは、Marisaについてはどう思いますか?
アレクシア 私と同じ年代の女性ボーカリストがみんなそうだったように、私も彼女の作品から影響を受けたわ。それはGal CostaやElis Reginaが彼女たちの年代のシンガーに影響を与えたのと同じことで、ごく自然なことだったわ。でも、私のアルバムを聴いた人が「Marisaテイスト」を感じるのは、Dadiのプロデュースだからだと思う。彼とMarisaは長年一緒に仕事をしているしね。彼女は自分のキャリアをとても賢い方向へと導いた超一流のシンガーだと思うわ。優れた音楽センスを持っているし、自分のイメージを保つにはどうしたらいいかよく知ってる。音楽業界で安定したキャリアを築きたい人にとって、とても参考になるはずよ。
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【アレクシア・ボンテンポ・バイオグラフィー】
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アメリカのワシントンD.C生まれ。7歳までアメリカで育ち、後に音楽プロデューサーである父とブラジルへ移り住み、日常的にCaetano Veloso、Gilberto Gil、Marisa Monteなどビッグ・アーティストらのコンサートにする接するという、恵まれた環境の中で育つ。17歳の時に再びアメリカに戻り、本格的に音楽の勉強を始める。最初はクラシック音楽を学ぶが、自分の得意なジャズやボサノヴァへと転向。兄を通じてDadiと出会い、デビュー・アルバムをリリース・・・
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