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100人の偉大なアーティスト - No. 92

Saturday, March 22nd 2003

ブルース史には「サニー・ボーイ・ウィリアムスン」という同じニック・ネームを持つブルースマンが二人存在した。しかもどちらも同じくブルース・ハープ奏者。当の本人達は単に「サニー・ボーイ・ウィリアムスン」という芸名を名乗っていただけで一世やら二世やらと名乗っていたわけではなく、後年二人を分別する為に便宜上付けられた名前である。ややこしいようだが本稿の主人公は一世よりもやや遅れてその名が知られるようになった酒癖が悪く、喧嘩っ早くてビッグマウスなほうのサニー・ボーイ・ウィリアムスン二世である。

サニー・ボーイ・ウィリアムスン二世ことアレック・ライス・ミラーは1899年12月5日、ミシシッピ州グレンドーラで生まれた(彼の生年については1987年から1909年まで諸説あり)。6、7歳の頃からハーモニカを吹き始め、1930年頃まで教会音楽のみを演奏していたという。そしてある時継父と喧嘩を起こした事を切っ掛けに実家を飛び出し、アーカンソー州ヘレナへと移り本格的な音楽活動を開始することとなる。

ヘレナでのサニー・ボーイ二世はハーモニカを吹きながらギターを弾き、さらには足でドラムまで叩くというスタイルで日銭を稼いで過ごす。そしてサニー・ボーイ二世の名を一躍広めたのはヘレナのインターステイト食品会社がスポンサーを務めたKFFA局のラジオ番組「キング・ビスケット・タイム」というAM放送の15分番組(毎週月曜から金曜の12時15から30分までの放送でスポンサーの販売する小麦粉を宣伝する為の番組だった)への出演が決定するのである。余談ながらサニー・ボーイ二世が宣伝した小麦粉「ホワイト・コーン・ミール・ミックス」にはサニー・ボーイの絵がかかれていたそうだ。こうしサニー・ボーイ二世はその名を知らしめ、もうひとりの「サニー・ボーイ」に付けられていた差を徐々に縮めて行く。番組は41年から65年まで続く人気長寿番組となり、その差はもはや縮まるところか決定的なものになったのここに記すまでもないだろう。

サニー・ボーイ二世は40年代に録音を残していない。初めてのレコーディングが51年、ミシシッピのトランペット・レーベルに残したものとされているので、一世に10年以上の差をつけられていることになる。50年代にシカゴに移り、55〜64年にチェス/チェッカーに『Down And Out Blues』を代表とする数々の名作を残すが65年、5月25日、長年の深酒がたたり心臓麻痺によりへレナにて帰らぬ人となった。

本稿の参考文献とさせていただいたブルース&ソウル・レコード・マガジン誌のサニーボーイ特集号でザ・ハイロウズの甲本ヒロト氏がサニー・ボーイ二世について語られていたが、これがまた凄まじいサニー・ボーイ評で、「ハーモニカが身体にくっついた人間がチ○ポから音を出している感じ」と評されていたが、言いえて妙とはまさにこの事である。

サニー・ボーイ二世は後の後のハーピスト達に多大な影響を及ぼしただけでなく、ロック・ミュージシャンにも多大な影響を与えている。それはヤードバーズアニマルズと共演からも明らかであるし、ザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』のなかでロビ−・ロバートソンリック・ダンコーはかなりの時間を費やして、サニー・ボーイ二世二世が演奏中バケツに血痰を吐くエピソードなど彼に纏わることを語っている。そしてそこに登場するポール・バターフィールドサニー・ボーイ二世から影響を受けたアーティストの一人である。

* Point ratios listed below are the case
for Bronze / Gold / Platinum Stage.  

top 100 most influential artists The List So Far....