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「奇跡のフランク」

Monday, April 15th 2013

連載 許光俊の言いたい放題 第219回

「奇跡のフランク」

 有名なわりには演奏されない曲は少なくないが、フランクの交響曲ニ短調もそんな例のひとつかもしれない。まったく演奏されないわけではないけれど、人気指揮者でこの曲を得意のレパートリーとしている人など皆無ではないか。少なくとも、日本において外来の有名指揮者がコンサートのメインでこの曲を振るなど、とうてい考えられないだろう。
 私にしても、さして関心が持てない曲だった。循環形式などというともっともらしいが、要するにしつこい。恨みがましいような陰気な主題が何度も何度も出てくるのが粘着気質っぽくてうっとうしい。ブラームスの交響曲第1番と同様、こういうウンウン力んでいるばかりで前に進まない音楽が私は苦手なのである。
 だが、名演奏の力というのは恐ろしい、最近私はあるCDを聴いて、心底この曲が好きになってしまったのだ。本当にすばらしい傑作だと信じるようになったのだ。こんなに美しく、雄大で、かつ静謐な曲はなかなかないとまで思うようになったのだ。本当の名演奏を聴くと、その曲の端から端まですべてがわかったような気にさせられるが、これもそうだ。
 そのCDとはジュリーニ指揮スウェーデン放送交響楽団のライヴ録音。1996年、最晩年の記録である。演奏時間はなんと約48分かかる。特に第1楽章がほとんど22分とは。だが、これが全然ノロくないのだ。ズバリこのテンポでないとやれない音楽なのである。
 もともとジュリーニはこの曲を得意にしていた。ウィーン・フィルやベルリン・フィルとのスタジオ録音は評価も高かった。短い間に録音や演奏を繰り返していることからも、だいぶ愛着があったのだろうと推測される。だが、このCDで聴ける演奏は、ウィーンよりもベルリンよりも圧倒的にすごい。なるほど、どちらの名オーケストラも力のこもった良心的な演奏をしていた。しかし、スウェーデンでの音楽は、そういうレベルとはまったく違う、ジュリーニとしてもめったにできないような特別な演奏だったのではないか。
 まさに大海がうねるような異様なスケールで音楽が起伏する。息が長く余裕がある歌手のカンタービレのようだ。こんな雄大、壮大な音楽の流れは、ベルリンでもウィーンでも作れなかった。おそらくオーケストラに強い個性がなく、自分たちの音楽にしてしまわないがゆえに実現したのだろう。なぜジュリーニはレガートを多用するのか。その理由はこの録音を聴けばよくわかる。練習のときに「歌って」と繰り返していた理由がわかる。単に歌う演奏がやりたかったのではない。このフランクみたいな音楽をやりたかったに違いないのだ。
 驚くべき大きな振幅の中で、管楽器の弱音はまさしく教会の中で響くオルガンのようだ。ブルックナーのような深い沈黙もある。はるか彼方の天上の光景が垣間見られるときもある。この演奏で聴くと、これまで知らなかったディテールの美しさが次から次へと現れてくる。
 まさしく宇宙的なスケールである。ブルックナーの第8番か9番のようである。第1楽章14分すぎからの、荘厳としか言えないような音の積み重なりは、クラシック音楽が到達したもっとも偉大な瞬間ではないだろうか。何度聴いても呆然としてしまう。
 そして、いよいよフィナーレでは甘美で幸福な世界が目の前に開ける。特に後半は圧倒的に深い。音楽が完全に別次元に入り込んでいる。
 このオーケストラのライヴ録音はスヴェトラーノフをはじめとして昨今いろいろ発売されている。もしかして1990年代、世界でいちばんすばらしい音楽をいろいろ聴けたのはストックホルムの聴衆だったのではないかと。
 おそらく、この曲の演奏としては空前にして絶後であろう。全然しつこくない。わずらわしくない。陰気でもない。ベートーヴェンの5番ではないが、ひとつの主題が生き物のようにさまざまな姿で呼吸している曲だとよくわかる。いや、そういうことを言うのも馬鹿馬鹿しい気がする。
 フランクのあとには同日に演奏された「海」が入っている。が、このフランクのあとでは、とてもではないが、気分を切り替えて聴くことはできない。なので、まだ一度もちゃんと聴けていない。それくらい、フランクはあとをひく演奏なのである。
 なお、ジュリーニのスウェーデン・ライヴではマーラーの第9番も発売された。特に両端楽章は同傾向のすぐれた演奏である。しかし、フランクがあまりにすごすぎて、そちらについてはわざわざ何か書かなくてもいいだろうと思ってしまった。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)


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