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100人の偉大なアーティスト - No.7

2006年12月6日 (水)

 長年、Louis Armstrong の誕生日は、1900年7月4日のアメリカ合衆国建国記念日だといわれてきたが、現在では1901年8月4日というのが真説になっている。いずれにしても20世紀初頭に生まれ、まさにジャズの歴史とともに歩んできたミュージシャンである。

 ニューオリンズという、ジャズにとって、まさにその出自の最初の一歩を踏み出した、フランス租界であった土地に生まれたルイは、その名前からして、フレンチ・テイストなミュージシャンであった。

 貧しい一家に生まれたルイは祖母のもとで数年を過ごしたのち母に返されたが、幼少時から厳しい家庭環境の中でサッチモ兄妹は育った。やがてサッチモは、ジャズ・コーラスの原初的な形態であった「Barber Shop Quartet」で歌うようになる。このときの経験が、後年彼の旨みのある歌声へ繋がっていく。このスタイルの最も有名なのは、もちろん、Mills Brothers だが、床屋さんのコーラスは今でも毎年「コンテスト」が開かれている。

 黒人ジャズメンたちの最も初期のアイドルであったKing Oliver に魅せられたサッチモは、1918年、オリヴァーがシカゴへ移動するのに従って彼のバンドでプレイするようになった。プライヴェートなことではこの年、短い結婚になるがサッチモはデイジーと結婚している。当時はダンスホールと、いわゆる「リヴァーボート」と呼ばれる、ミシシッピ川を上下する“移動ダンスホール”とでもいえる船上のスペースが仕事場だった。

 1922年、キング・オリヴァーは彼のバンドのセカンド・トランペットとしてサッチモをシカゴに呼び寄せた。このバンドは当時シカゴにおける最もインパクトの強いバンドとして存在した。1924年にはサッチモはバンドのピアニストのLil Hardinと2度目の結婚をしている。

 この年、彼女の願いによってサッチモはニューヨークへ上り、Fletcher Henderson のバンドに参加している。サッチモはあっという間に名を上げたが、翌年には再びシカゴに戻って彼の最も初期の演奏として不滅の名前を残すことになるグループ、“HOT FIVE”を結成する。この当時サッチモはより広い音楽的な幅を求めてコルネットからトランペットへと楽器を変更している。

 1927年、「Louis Armstrong And His Stompers」を結成したサッチモは、4月、初めてのヴォーカルとしてチャートインした作品を録音する。ある意味でのサッチモのひとり立ちであり、早い時期から彼のソロとしての才能は花開いていた。

 こうして、ソリストとバンドリーダーを兼ね備えた活動を持続しながら、ヒット・メイカーとして活躍し続けた実績から言えば、後年、商業映画に出たり、ややコマーシャルな仕事をこなすことは彼にとっては「芸人」として十膳のことであっただろうし、むしろ、そうすることによって幅広いチャンスをつかんで言ったといってもいいだろう。

 しかし、そうした活動によって、次第にジャズメン、サッチモとしてのプレゼンスを失いつつあった1940年代、サッチモはチャンスを手にする。1947年8月13日、LAに現れたサッチモは、11月、Jack Teagarden(tb)Barney Bigard(cl)Dick Cary(p)Arvell Shaw(b)Big Sid Catlett(ds)というまれに見るハイレベルな」バンドを率いて「シンフォニー・ホール」で演奏、名盤『Satchmo at Symphony Hall』を残す、中期サッチモの頂点を記録したこの作品によって再びジャズメン、サッチモは大きなプレゼンスを獲得する。

 1954年多くのヒット曲を放った「Decca Label」と契約満了後は、専属契約を避け、さまざまなレーベルに録音している、「Columbia」「Verve」そして、意外な面を見せて多くいのファンを獲得した「Disney Record」での『Satchmo Way』は今での人気盤だ。『Hello Dolly』での愛くるしい謡ぶりも忘れられない。そして、いまや“ハロ−・ドーリー”をしのぐ、サッチモの名詞代わりの作品が“この素晴らしき世界”であり、映画『グッドモーニング・ヴェトナム』にフィーチャーされ、多くの若者の口にも上った。

 しかし、そうした中、後年のサッチモで忘れられないのが、ライヴで歌ったジョン・レノンのメッセージソング“ギヴ・ピース・ア・チャンス”だった。

 貧しい黒人の世界から、出発しつつもいつも聴くものに夢を与え続けたサッチモの声は、20世紀を超えてもさらに輝きを増し、多くのミュージシャンに夢と勇気を与え続けている。歌という点では、Tom Waitsなども影響を受けているし、ジャズメンの中ではサッチモ張りに歌うのが特技の猛者はたくさんいる。

 しかし、最も大きいのは、黒人の持つ独自の感性に対する自信を与えたという意味では、彼に続いたMiles Davis Jon Faddis などから近年の「ニューオリンズ派」トランペット、Nicholas Paytonは最もストレイトな影響を受けているだろう。

 ジャズが持つ「楽しさ」、そして、黒人だけが持つ独自の感性を音楽、映画、そして、その存在そのもので、世界に向かってアピールし続けたルイ・アームストロングこそは、ジャズが帯びた使命(=音楽で世界をひとつにする)を見事に体現した稀有な存在だった。そして、いま、さらにサッチモの音楽は、輝きを増している!!

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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