100人の偉大なアーティスト - No. 99
2006年7月22日 (土)
William “Count”Basieは、1904年8月21日ニュージャージー州に生まれた。カウント・ベイシーほど日本人にとって親しみやすいビッグバンド・リーダーはいないだろう。トレードマークのキャップを被った姿には日本のジャズファン全員がいつも大きな拍手を贈った。 ベイシーは母からピアノを習い、長じてからはボードビルの一座のピアニスト兼俳優として舞台に立っていた。ある日、二日酔いの頭で聴いたWalter Pageのバンドの音にすっかりノックアウトされたベイシーはこのバンドのメンバーと知り合いになった。Hot Lips Pageもその一人だった。次に彼ら“Blue Devils”(ペイジのバンド名)と会ったのは、彼らの本拠地のオクラホマで、ベイシーもツアーに来ていた。偶然出会ったこのブルー・デヴィルズでベイシーは二日間「トラ」(臨時ゲスト)でピアノを弾いた。こうしてこのバンドに入りたい気持ちが大きくなったベイシーはペイジに空きが出たら連絡をくれるように頼み、ペイジもベイシーを気に入って連絡先を教えてくれた。
一方、ボードビルの一座は解散し、ベイシーは無声映画の音楽担当としてストライド・ピアノで伴奏をつけることになった。もちろん、この頃のベイシーのアイドルはFats Wallerで彼を手本として練習していたようだ。
1928年ベイシーは念願叶って、Jimmy Rushingを擁する“ウォルター・ペイジのブルー・デヴィルズ”に参加するが、早くも1929年にはそこを辞して、Bennie Motenのバンドに参加する。やがて,ベイシーは“Moten's Kansas City Orchestra”のピアニストとして認知されるようになる。
この頃のモーテン・バンドの音楽性は、ほとんどが後のCount Basie Orchestraに近いものになっていた。当時はカンザス・シティも遊興の街となっており、多くのクラブが毎日ジャズを演奏していて、ミュージシャンたちはクラブの演奏とジャム・セッションに明け暮れ、次第にジャズは進化を遂げていった。
ベイシーはセカンド・ピアニスト兼アレンジャーとして次第に重きを置かれる存在になっていった。この当時のこのバンドは、実質は正式な編曲者であり、バンドメンバーのEddie Harhamと、一応はスタッフ・アレンジャーであるベイシーが中心となって運営されるようになっていった。
1932年、「Victor」に録音された“Moten Swing”は、この当時のカンザスシティの音楽の典型を示した演奏で、ベイシー・バンドの行く末を予感させる演奏だった。やがて、ベイシーがかつて働いていた「エルボン・シアター」が新装オープンし,モーテンのバンドも出演することになったが、経済的にはうまく行かず結局モーテンがバンドを出て、皆の推薦によってベイシーがバンド・リーダーとなってバンドが継続されることになった。実質的なカウント・ベイシー・オーケストラの船出である。
1935年、突然ベニーが亡くなり、ベイシーはバンドを出ることになる。程なく同じバンドのメンバーとともに彼自身のバンド(The Barons Of Rhythm)を結成し、カンサスシティの「レノ・クラブ」を根城として活動を始めた。この当時のバンドは9人編成でラジオにレギュラーの時間を持っていた。Herschel Evansを追って入団した24歳の若者は、当時既にナンバー・ワン・テナーにのし上がったLester Youngだった。
たまたま、これを聴いていたJohn Hammondが彼のもとに跳んでいってレスターと契約することになった。ただ、既にレスターには「Decca」との契約があったため、「Columbia」との契約は1939年になってからだった。
ベイシーのバンドには次第に、Buck Clayton、Sweet Edison、Dicky Wells、Jimmy Rushingと、キラ星のメンバー達が揃ってきた。『The Best Of Early Basie』は、1937年から1939年までの演奏から集められたアルバムで、この当時のベイシー・バンドのスタイルがわかる。やがて、Columbiaに移籍したベイシーは、歴史に残る名演を次々と生み出す、Columbia時代の作品は『Best Of Count Basie』として聴ける。
その後、40年代後期からバンド経営は苦しくなり、50年代初頭にはバンドは解散縮小を余儀なくされ、ベイシーは中編成のバンドでこれを乗りきることになる。しかし、1951年にはバンドを再結成、やがて、ノーマン・グランツがバンド再興に向けて手を差し伸べ、「クレフ」、「ヴァーヴ」から彼らの演奏が盛んに発売されるようになる。『Basie In London』『April In Paris』はこの時代の二大作品といえるだろう。
やがてメンバーは大幅に入れ替わり、編曲もNeil Hefty、Quincy Jones、Frank Fosterなどの若手が担当、70年代に入いるとSammy Nesticoがその任を担った。 1957年、「ルーレット」に移ったベイシーは『Atomic Basie』で爆発的な演奏を聴かせ、60年代に入ってからも日本の学生バンド御用達の『Straight Ahead』など、その時々でいい作品を作り出している。『Easin It』『Kansa City Suite』なども忘れられない作品だ。
1972年にはノーマン・グランツが「Pabloレコード」でジャズ界に復帰し、再び二人の黄金コンビでのアルバム制作が始まった。世界ツアーとアルバム発売がうまくリンクしたプロモーションのお陰でベイシーのバンドは再び大きな名声を獲得していった。サミー・ネスティコのアレンジによって録音された『Warm Breeze』はスウィート・エディソン、Sonny Cohn、Eric Dixonを含むメンバーによるベイシー健在を印象付ける作品だった。
Pabloではトリオ演奏やOscar Petersonとの共演など興味深いプロジェクトが録音されており、ベイシーの音楽的な可能性をさらに大きく広げて見せたグランツのプロデューサーとしての先見性が、ベイシ−の様々な姿を見る機会を我々に残してくれた。 車椅子での来日を含め、最後まで現役で居続けた“ウイリアム・カウント・ベイシー”、彼も遂に1984年4月26日、ガンのため死去。
バンドはThad Jones、Frank Foster、そして、近年、1995年からはGrover Mitchellが率いており、近作『Count Basie orchestra Plays Duke』は、Duke Ellington生誕100周年の1999年度グラミー賞を受賞した。これがベイシ−・バンドにとって17個目のグラミー賞だった。
“カンザス・シティ・スイング”(正しくは濁る)の典型という、ピアノ〜ベース〜ドラムス〜ギターという「フォーリズム」のスイング感を完成し、「オール・アメリカン・リズムセクション」と賞されたスイングリズムは、いかなる曲が来ても、“あのスイング感”を呼び起こし、人々をスイングさせた。影響は多岐に及び、日本の学生バンドはほとんどがベイシー・バンドを手本として、練習を繰り返した。
また、ベイシー・バンド出身の、「ジョーンズ三兄弟」の真ん中のサド・ジョーンズは、ベイシーが確立したスイング感をモダンに構築し直し、その指揮ぶりも含めて、黒人ビッグバンドとしてのエンターテイナー性と音楽的な進歩性を両立した70年代最高のバンドを率いた。また、ベイシーバンドのアレンジャーたちも“ベイシーアイツ”を盛んに起用した臨時編成のバンドで録音を行い、ベイシ−の精神を伝えるサウンドを作り出している。そうした中では西海岸ながら現在最高のスイング感覚を見せるGrover Mitchell が健在だ。
カウント・ベイシ−は、ライバル、デューク・エリントンが、「アメリカン・クラシック・ミュージック」を企図して、クラシック音楽への「挑戦」に全人生を掛けたのに対して、カンザス・シティが生んだ「黒人独自のスイング感」を頑なに推し進め、聴き易く、思わず体が動く、分かり易い音楽で人気を掴んだ。結果的には同時代を凌ぎあった不世出のこの二人の偉大なバンド・リーダーによって20世紀アメリカが生んだ最高の遺産、ジャズが大きく花開くことになった。
数多い来日と親しみやすい人柄から、ベイシーの日本での人気は死後も高く、特に各時代の代表作は何回も発売され聴きつづけられている。そんなベイシ−にとって「最高の時代」は、やはり、レスター・ヤングを擁した戦前と戦後1950年代後半といえるだろう。
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