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100人の偉大なアーティスト - No.63

2006年8月26日 (土)

80年代、白人アーティストしか放送しなかった当時の保守的なMTVで、 マイケル・ジャクソンとこのプリンスだけがプロモーション・ビデオの放送が許され(ヒップホップ・アーティストなどはずっとずっと後だった)、ロック・フィールドをも席捲した黒人アーティストである。マイケルは幼少の頃から大人に囲まれたショウビズの世界にどっぷり漬かり、ある意味強制的に商品として扱われていたのとは対照的に、プリンスは同じく10代から音楽の世界に身を投じてはいたが、彼の場合、全ての楽器をこなすマルチ・プレイヤーであり、セルフ・プロデュースもする非凡な才能を持ち、さらにはイメージ戦略を打ち出すような野心家でもあった。そして、見事成功を自らの力で掌中に入れた前代未聞のブラック・アーティストである。

今の10代の若者は知らないだろうが、プリンスのプロモーション・ビデオを初めて見たときの衝撃といったらなかった。性を強烈にアピールしたその過激な内容に、見てはいけないものを見てしまったような、ましてや両親と一緒の夕飯時のテレビから流れようものなら、濃厚ベッド・シーン並みのバツの悪さだ。そういったスキャンダラスなイメージから、最初は色物的存在としてプリンスをとらえ賛否両論分かれていたが、徐々に彼の天賦の才を知ることとなる。日本でも始めはアメリカと同じように、昔からのR&B/ソウル・ファンはプリンスの音楽を受け入れることができず、ロック・ファンが彼の音楽に興味を示した。音楽誌の影響がまだ強かった当時、『ロッキング・オン』がプリンスの才能を紹介し続けたのは象徴的だ(「パレード」の日本盤LPのライナーが渋松対談!)。ともかく、プリンスのようにマルチ・プレイヤーであり、さらにポップ・スターというアーティストは、これまでの黒人音楽史には存在しなかったのだ。

プリンス・ロジャー・ネルソンは1958年6月7日、ジャズ・バンドのリーダーだった父親とシンガーだった母親の間にミネソタ州ミネアポリスに生まれた。両親はプリンスが7歳のときに離婚してしまい、淋しさをまぎらわせるためにピアノをはじめ、やがてギター、ベース、ドラムスなどを次々に独学でマスターしていく。そして12歳のときに初めて自分のバンドを結成、14歳のときにはデモ・テープを作っていたという。白人ばかりの街ミネアポリスでプリンスはブラック・ミュージックだけでなく様々な音楽を聴いてその才能を培っていく。当時のバンド活動の音源は「One Man Jam」というアルバムで聴くことができる。 プリンスがワーナー・ブラザーズからファースト・アルバム「フォー・ユー」を発表したのは78年のことだ。ワーナーはメジャーながらも大きな賭けに出たのか、この弱冠17歳の青年にセルフ・プロデュース&セルフ・レコーディングを任せたのである。全曲オリジナル曲。MCハマーがカヴァーした事でも有名になった性愛路線のシングル"Soft And Wet"は全米ポップ・チャートで92位どまりに終わる。

79年に発表されたセカンド・アルバム「プリンス」(邦題:愛のペガサス)は日本でのデビュー作となる。前作よりも才能は開花し、ファルセットを多用したり、後にチャカ・カーンにとりあげられた"I Feel For You"のようにポップなダンス・ナンバーからロックっぽいギターが特徴の"バンビ"など後のプリンスを彷佛とさせる。

しかし、80年の「ダーティ・マインド」はジャケットの写真からもわかる通り、もう黒人音楽のエロいなんてものを通りこし、バイセクシャルな匂いプンプン。なんてったってビキニパンツだ。中身もオーラル・セックスを連想させる"Head"や近親相姦を題材にした"Sister"といった超・過激な内容(案の定この2曲は放送禁止に)。続く「コントラヴァーシー」(81年)には自らのゴシップを題材としたタイトル曲、レーガン大統領にロシアとの対話を求めた"Ronnie, Talk To Russia"のような曲を収録。

82年の「1999」はオールド・プリンス・ファンの間で最高傑作と言われる作品。第一弾シングル"Little Red Corvette"はMTVでも頻繁にオンエアされ、初めて全米ポップ・チャートのトップ10入りを果たす。アシッド・ハウス、ロック、バラードと全てのスタイルで唯一無二のプリンス・サウンドが完全に確立した。

この後の怒濤の快進撃は御存じの通り。84年、プリンス&ザ・レヴォリューション名義でリリースされた同名映画のサントラである「パープル・レイン」をリリース。映画の大ヒットもあり、"When Doves Cry" といった全米ナンバー・ワン・ヒットを放ち、アルバムも1500万枚の売り上げを記録した。 85年のプリンス版「サージェント・ペッパーズ」と呼ばれる「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」では一般リスナーには難解で、サイケ調の音作りでプリンスの内面を見事に浮き彫りにした作品だ。売り上げは「パープルレイン」に及ばなかったものの2曲が全米トップ10入り。86年の映画「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」のサントラもかねた「パレード」はリスナーの間では評判が良く、とりわけ"Kiss"は全米ナンバー・ワンに輝いたが映画は大コケ。追い討ちをかけるようにこの年に行われた「パレード・ツアー」もアメリカでは予想外の不振に終わる。シーラEのアルバムを手掛ける一方、自身の作品の商業的な失敗もあり、翌87年、プリンスはレヴォリューションを解散。「サイン・オブ・ザ・タイムズ」を制作した。

同年、問題作「ブラック・アルバム」の発売禁止事件が勃発。プリンスは名前を伏せてこのアルバムを発表するはずだったが、結局様々な要因でお蔵入りになってしまう。その数カ月後、衝撃の発表された「ラブセクシー」(88年)を発表。裸になったジャケットが話題となった。

しかし、台頭してくるヒップホップやハウス、ニュージャック・スウィングといった新しいタイプの音楽にプリンスも巻き込まれ、89年には自分が出演しない映画「バッドマン」のサントラを手がけることとなる。斬新なサンプリングが人気を復活させ、90年にはサントラ「グラフィティ・ブリッジ」を発表。タイムジョージ・クリントン、クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子テヴィン・キャンベルメイヴィス・ステイプルズキャンディ・ダルファーシーラEら参加しバラエティに富んだ内容となった。

91年にはニューパワージェネレーションを結成、「ダイアモンズ・アンド・パールズ」をリリース。その後、ワーナーともめたり、The Artist Formerly Know n As Princeへの改名(これは印刷会社の人も困ったとか)などあり、「カム」は殿下としては不本意な作品。そして、99年アリスタ移籍第一弾「レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック」をリリース。この作品はプリンス自身も様々な問題が吹っ切れたのか、全盛期を思わせる内容となった。もちろんThe Artist〜名義でリリースしたものの、プロデュースはプリンス名義。ノーダウトのグウェン・ステファニーやシェリル・クロウをフィーチャーしたポップ・ソング、チャックD、メイシオ・パーカーEveアーニー・ディフランコがゲストで参加している。

しばらくリリースがなく、ワーナーからデジタル・リマスターされたベスト盤「ヴェリー・ベスト・オブ」がリリースされたりしていたが、ようやく2001年プリンス名義で「レインボー・チルドレン」を発表。ジャケットのアートワークや1曲目のジャズに???が浮かんだものの、2曲目以降の展開は、孤高の天才プリンス再び!と叫びたくなるような内容。出すものすべて傑作という時期はもはや昔、ラップやハウスといった流行のサウンドに試行錯誤しなが音楽を制作してきたプリンスであったが、今作で肩の力が抜け、ようやく「らしさ」を取り戻した。バラードありファンクありディアンジェロ風ありと、伸び伸びとした雰囲気すら漂う。

そして2002年、プリンスはさらに活発に動きはじめた。コモンの最新アルバム「エレクトリック・サーカス」に参加、ゴールド・ツアー以来のひさしぶりの来日、そしてそれまでNPGの会員しか購入できなかったライブ盤「One Nite Alone. . . Live」がパワー・アップし3枚組というボリュームで正規リリース。往年のプリンス・ファンにとってここ数年のうちで最も興奮した年であったろう。

プリンスは、あまりに突出した才能のため、フォロワーがいない数少ないアーティストの1人であるが、 日本なら岡村靖幸、アメリカならディアンジェロらを始めとした多くのアーティストに大きな影響を与えたのは御存じの通り。またタイム ウェンディ&リサ らのようにプリンスが深く関わりを持ったアーティストやグループの作品は時が経った今でも評価が高い。このような音楽的な影響も重要であるが、自分の創作意欲を最も重要視し、メジャーレーベルやテレビ、ラジオなど固定ビジネスと呼ばれるものと対等に渡り合っていく一アーティストとしての姿勢も、後の音楽シーンに少なからず影響を与えた。

さらに プリンスは、血の滾るようなファンクネスと甘美な音のハーモニー、そして時折見せるリスナーを突き放すがごとく激しいエネルギーを上手く使い分け、 私達聴く側に極めて能動的に音楽と接するように仕向けた初めてのメジャー・アーティストではないだろうか。全盛期のプリンスには、「何だかわからないが凄い/もっとこの衝撃を体験してみたい」と思わせる強烈な引力を持っていた。 そういう意味においてプリンスはリスナーにまで強い影響を与えた、とてつもなくデカい存在、というか「プリンス」という『ジャンル』と捉えた方が何だかしっくりくる。今後も殿下には、命果てるまで、その枯渇することのない才能を惜しみ無く出し続け、いつまでも私達リスナーの一歩先を走っていて欲しい…。
※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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