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100人の偉大なアーティスト - No.27

2006年11月18日 (土)

キャロル・キングは1942年2月9日、ニューヨークのブルックリン生まれ。4歳の頃から歌に興味を持つようになり、ピアノを習い始める。当時は街に溢れるジャズやポピュラー・バラードを聴きながら育ったそう。そして10代になった頃には当時最も新しかったロックンロール・ミュージックの虜に。ハイスクールではゴスペルやR&BなどR&Rのルーツにも興味を持ち、大きな影響を受けたという。彼女の”ソウル”への想いはこの頃に育まれたものだろう。高校時代のフェイヴァリット・グループは白人ドゥワップのトーケンズ。当時のリード・ヴォーカルは後にソロとして活躍するニール・セダカだった。彼はキャロルの最初のボーイフレンドとなり、彼の影響もあって高校卒業頃からキャロルは曲作りを開始したり、コサインズというグループで活動したりする。

カレッジに入学したキャロルは2人の重要人物と逢う。最初の夫となるジェリー・ゴフィンと後にサイモン&ガーファンクルとして名を成すポール・サイモン。作詞は苦手だがメロディ作りの才に長けたキャロルと作詞は得意だが曲作りはイマイチというゴフィンはソングライター・チームを組むようになり、ポール・サイモン。からはデモ・テープ制作を教わった。ゴフィンと組んで作った曲をデモ・テープに収め、彼女は各レコード会社にシンガーとして売り込みに行った。

’58年ABCパラマウント・レコードからシングル"ライト・ガール"でデビュー。その後幾つかのレーベルからシングル3枚(ニール・セダカキャロル・キングをモデルに作った"オー・キャロル"への返歌"オー・ニール"など)をリリースするがどれもヒットには至らなかった(レコード会社としては女性版ポール・アンカを狙った?なおこの辺りの音源はBrill Building LegendsというCDで聴けます)。

そんな中、キャロルとゴフィンは"オー・ニール"の録音セッションで音楽出版社(シンガーにヒットする曲あるよ〜と曲を売り込む)アルドン・ミュージックの設立者のひとりドン・カーシュナー(その確かなヒット曲、流行の嗅ぎ分け方から”黄金の耳を持つ男”の異名を持つ)と出会う。それを機にゴフィン=キングはプロの作曲家チームとして歩み出す。50年代に爆発したロックンロールの波は一段落を迎え、エネルギーを失いかけていたが、ロックンロールの誕生によって生み出されたティーンエイジャーのマーケットは依然確かに存在していた。そこに目をつけたドン・カーシュナーはアルドンを拠点にキャロル・キングらの他、ニール・セダカ&ハワード・グリーンフィールド、バリー・マン&シンシア・ウェイルら若手(まだ当時10代後半から20代前半)の優秀なソングライター達と契約を結び、ヒットを連発した。因みに30年代の'ティンパン・アリー'のように、アルドンの在った建物からそのヒット曲群には'ブリルビルディング・サウンド'という愛称が付いた。’61年ゴフィン&キング初のヒット、シレルズ"ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ"全米1位をはじめ、リトル・エヴァ(キャロルのメイドさんだったというエピソードは有名)の"ロコモーション"、ドリフターズの"アップ・オン・ザ・ルーフ"などがヒットに輝き、彼らの知名度は上がった。またフィル・スペクターのもと(フィレス・レコード)に残したクリスタルズ"ヒー・ヒット・ミー"などはポップな楽曲に当時の10代の気持ちを反映したラジカルな作風の詞を乗せていて、物議を醸したりもした。’62年に設立されたドン・カーシュナーの新レーベル'ディメンション・レコード'からキャロル本人も歌手として"イット・マイト・アズ・ウェル・レイン・アンティル・セプテンバー"を初ヒットさせたりもしているが、基本的にこの時期は”裏方さん”の時代だった。

ビートルズを筆頭とする自作自演のロック・グループが現れると、彼らベルトコンベア式のシステムを利用した職業ソングライター達の時代は終わった。'ロックの時代'は急速にそうした旧態依然とした業界の常識を覆していったのだった(実際にはモンキーズなどの”ロック・グループ”も作られたものだったのだが)。前後してキャロル・キングも公私共にキビシイ時代を迎えていた。’65年'トゥモロウ・レコード'の設立〜しかしほどなく閉鎖、’67年頃にはジェリー・ゴフィンとの結婚生活も破綻。そんな中、トゥモロウ〜時代に関わったミドル・クラスのベーシスト、チャールズ・ラーキーと再婚、ロサンゼルスに移住する。

’68年ラーキーとその紹介で知り合ったダニー”クーチ”コーチマーとキャロルはシティというグループを結成。プロデューサー、ルー・アドラーのもとにデモ・テープを送り、アドラーのレーベル'オード'から唯一のアルバムである'幻の名盤' 夢語り(Now That Everthing's Been Said) をリリースする(余談ですが同時期オードから出た元クインシー・ジョーンズ夫人で、TVツイン・ピークスにも出演してた女優ペギー・リプトンの作品は、米ポップス・ファンの裏名盤として知られてます〜乞CD化!)。

’歌に自信がなかったため’バンドとして活動を始めた彼女だったが、’70年にはソロ1stライタージェイムス・テイラーシティのメンバーも参加などキャロル・キング・ファミリー出揃う)を発表。’71年には2作目 つづれおり(Tapestry) が空前の特大ヒットを記録(302週にわたって全米チャートにランクされ、2200万枚を売り上げた)!! ベトナム戦争の泥沼化、ヒッピー・ムーヴメントの幻想崩壊を経験したアメリカのリスナーにはキャロルや盟友ジェイムス・テイラーらシンガー・ソングライターの作る内省的な”うた”が深く染み込んだのだった。

3作目 キャロル・キング・ミュージック(Carole King:Music)はヒット作つづれおりの余波もあってチャート1位を獲得するとともに、内容的にも充実した彼女の内面を反映したような爽やかな仕上がり(心なしか彼女の歌声も柔らかい気がする)。

やや地味な印象を残す 喜びは悲しみの後に(Rhymes & Reasons) 、'フリー・ソウル’世代にも人気のファンタジージェイムス・テイラーなど身の回りの友人達にダニー・ハザウェイのアルバムを配って回った、というエピソードが残っているほど、この時期のキャロルはダニー・ハザウェイやニュー・ソウル・ムーヴメントに入れ込んだらしい。冒頭からパーカッションの波が全体を包み驚かせてくれるが、メロディなどはやはりキャロル節。逆にいうと、いつでも彼女のヴォーカル・スタイルには洗練されたソウル感覚が流れていたので、こうしたサウンドと合うのだろう。ニュー・ソウルに共鳴したメッセージ性もNYの街角で黒人音楽に浸っていた彼女には自然な流れとして受け止められる。

次作 喜びにつつまれて(Wrap Around Joy)は往年のポップス時代のファンにも歓迎されたアルバム。ややシリアスだった前作よりもポップ・フィーリングが戻ってきてヒットした作品となった。録音された音自体は当時最先端のAOR寄りのサウンドに。テレビ・アニメのサントラ おしゃまなロージー(Really Rosie)も好盤。そしてオード時代最後を飾る作品は サラブレッド 。本作制作前にキャロルは2番目の夫で公私共にパートナーだったチャールズ・ラーキーと別れたため、その影も見え隠れするが全体的にはなかなかの仕上がり具合といえる。

この後’70年代後半から’80年代にかけて、キャロルはレーベルを移りながらゴフィン=キング時代のポップス・カヴァー集 パールズなどの秀作をはじめ作品をコンスタントに発表。’93年には映画プリティ・リーグの主題歌やガンズ・アンド・ローゼズスラッシュ(!)との競演曲を含む カラー・オブ・ユア・ドリームスで健在ぶりを示したし、当初日本だけの独自CD化だったシティのアルバムがリイシューものとしてはかなりの好セールスを記録するなど、若いリスナーの間にも確実にキャロル・キング再発見の気運が出てきた。

だが特筆すべきは’90年代中〜後半のキャロル・キング再評価の盛り上がりだろう。直接的影響はそれほど無いかもしれないが、シェリル・クロウアラニス・モリセット以降の女性ロックンローラー/SSW達の奔放さがウケる今日に元祖’ナチュラル・ウーマン’であるキャロルの評価が再び高まったと考えるのは当然といえば当然のこと。また例のトリビュート盤のリリースがキッカケとなった部分もあるだろう。彼女の半生をモチーフにしたと思われる映画グレース・オブ・マイ・ハートの公開、当代人気歌姫達と競演したディーヴァズ・ライヴ、そしてキャロル節炸裂! の映画 ユー・ガット・メールの主題歌などこの時期、話題は尽きなかった。その Anyone At Allには彼女が常に現役感覚を持ってショービズの世界を生き抜いてきた気概のようなものと、やはりいつになっても変わらない”うた”の素晴らしさが滲んでいて、聴いていて胸が詰まりそうになる人も多いだろう(筆者もそのひとり)。

A Tribute To Carole King
本文でも触れたキャロル・キング・トリビュートTapestry Rivisitedディーヴァズ・ライヴ。前者にはエターナルの"I Feel The Earth Move"、エイミー・グラントの"It’S Too Late"、ビー・ジーズの"Will You Love Me Tomorrow? "、マンハッタン・トランスファーの"Smack Water Jack"、セリーヌ・ディオンの"Natural Woman〜"などが収録されている。後者ではショーの途中で別格扱いの紹介を受け、"You’Ve Got A Friend"などをセリーヌ・ディオングロリア・エステファンらと共に歌う(ピアノも披露)。

Jo Mama / Danny Kootch
ダニー・コーチマー、チャールズ・ラーキーというシティのメンバーが西海岸に渡り結成したグループがジョー・ママ。音楽性はシティのスマートさも残しつつ、イナタいロック風なところもあり、一筋縄ではいかないヒネリのセンスが最高!!なグループだ。 ジャズ〜R&B色、ゴスペル、スワンプ風味など様々な要素をメンバー自身が楽しんで演っている雰囲気が良い。個人的にはアーシーな雰囲気のセカンド・アルバムがジャケ、サウンドともども、かなりカッコいいと思う。またファーストのラスト曲は’フリー・ソウル’・ファンにはお馴染みのグルーヴィ・チューンでこちらも要チェック。更にダニー・コーチマーのソロ作『クーチ』収録のフォー・センチメンタル・リーズンズも同様にフリー・ソウル世代から再評価されたことも最後に付け加えたい。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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