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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/11

    11月にはN響に客演して2番(復活)を振るので、日本でもシュテンツの指揮が見られるが、輸入販売元はこの指揮者の「売り方」を考え直した方がいいのではないか。派手な大立ち回りを演ずるタイプではないとしても、若手らしくシャープな感性の持ち主で、ドイツ伝統の楽長タイプではもはやない。「埋もれた」声部を巧みに浮き立たせる彼の手腕の冴えは、マーラーとしては比較的オーケストレーションが薄い4番やこの「角笛」歌曲集で良く聴くことができる。エルツェはヴェーベルン歌曲集(DG)と1999年グラインドボーンでのメリザンド役以来のファン。さすがにちょっと老けたが、歌い回しはまだまだ魅力的。フォレはニュートラルな歌曲歌いの声ではないが、この曲集ではオペラティックな歌い方も悪くない。曲の配列も指揮者が決めたものと思われるが、「原光」を「歩哨の夜の歌」の次に持ってくるとは、実にうまい。「死んだ鼓手」「浮き世の暮らし」「天上の生活」と続く最後の3曲は痛烈だ。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/08/04

    今さらこの天下の名曲にケチをつけても仕方がないが、『幻想』はもちろん恐ろしく清新な革命的作品であるのは確かだが、ベルリオーズとしてはやはり若書きの曲。演奏時間の最も長い第3楽章などはテキトーに演奏されるとどうしてもダレてしまう。しかし、このサロネンの演奏ほど「テキトー」の対極に位置するものはない。ブーレーズの旧録音以来、アバド、ティルソン=トーマスなど、この曲の精密な録音は数々あったが、ライヴでのこの水準にはぶったまげるしかない。しかも、一昔前のサロネンなら「考えうる限り、最も緻密に演奏しました」というだけだが(それはそれ自体、凄いことなのだが)、今の彼はそれだけでは終わらない。終楽章最後の追い込みなどは、この曲ではもはや定番かもしれないが、第4楽章終盤での減速+急加速には思わずのけぞる。つまり、精密でありながら、必要とあればハッタリもかますという、十分にロマンティックかつ情熱的な演奏なのだ。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/27

    フランクフルト放送響との前回録音は長らく私にとって、この曲のベスト盤だったが、今回は全く様変わりしている。ポルタメントなど総譜の指示に忠実な緻密さは変わらないが、透明でクリアな前回録音とは違って、非常に繊細で曲線的な、小粋と言うべき音楽になっている。量感は乏しいがデリカシーに富む都響の弦の音が、まさにこういうアプローチにぴったり。第3楽章第1主題など史上最美と言ってもよいだろう。相当にエキセントリックだった(以前、一度だけある席でご一緒したことがある)この指揮者の人柄も年月を経て丸くなったのだろうか。ただし、ほぼ同時期に同じレーベルから出たホーネックの録音に比べると、昔ながらの4番のイメージに沿ったメルヘンチックな解釈であり、フランクフルト時代の新鮮さから後退していることは否定できない。どちらを好むかによって、聴き手の4番に対する姿勢が試されることになるが、この曲をアイロニーに満ちた、悪魔的なパロディ交響曲と考える私は断然、ホーネック支持。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/26

    第5〜第9の交響曲五連作のなかでは最大の傑作だと思うが、初演者ムラヴィンスキー(私がよく聴いたのは1982年録音のフィリップス盤)のあまりに禁欲的な、荒涼たる雪景色のような演奏に対し、もちろん悲劇的な作品ではあっても、現代の指揮者たちは途中の風景をもっと細やかに楽しませてくれるようになった。第3〜第4楽章の劇的なコントラストに関しては、さすがに先輩ゲルギエフに一日の長があるように感じるが、緻密さと長大な第1楽章の抒情ではペトレンコに軍配を挙げたい。極めてデリケートな終楽章の起伏を丁寧に描いているところにも好感がもてる。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/18

    これは誰もが認める「最高」の演奏で、私の出る幕もあるまいと思っていたのだが、ドゥダメル否定派の皆さんもまだ根強いようなので一言だけ。指揮者+オケ双方のリズムの切れは、やはり前代未聞と言うべきでしょう。しかも、ただ大音量で押しまくるだけではなく、畳みかけるところと引くところの切り替えがちゃんとできている。いわば全員攻撃、全員守備の規律のとれたサッカーチームのような演奏。これに比べるとブーレーズ、サロネンですら硬く、クールに過ぎると感じるほどで、『春祭』に関しては当分、文句なしのベストワンとして推せる。さほど面白い曲と思わなかった『マヤの夜』もこういう演奏だと魅力全開。単なるストラヴィンスキーの亜流ではないことも、はっきりと分かる。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/17

    グート演出の『フィガロ』で既に拒否反応の人には決して薦めないが、演出・演奏ともに極めて興味深い、現代ならではの上演。演出は「地獄落ち」という出来事を超自然的な次元なしに説明しようとする「神なき時代の『ドン・ジョヴァンニ』」で、その点ではザルツブルクにおける一世代前のクーシェイ演出と同傾向だが、地獄落ち後のエンディングの音楽がないという点では一層、徹底している。各人物の心理的な掘り下げもユニークで、もはや主従ではないドン・ジョヴァンニとレポレッロのむしろSM的な関係(レポレッロの方がS)。ジョヴァンニとしっかり「お楽しみ」した後、婚約者のオッターヴィオをうまく丸め込もうとするドンナ・アンナ。ツェルリーナに至っては、小悪魔と呼ぶしかない悪女で、いつまでもジョヴァンニに未練たらたらのドンナ・エルヴィーラが一番古風に見える。歌手陣も強力で、特にシュロット、ダッシュが光る。マルトマンは演出コンセプトに従って、弱々しいドン・ジョヴァンニを好演。ド・ビリーの指揮も細身でシャープだ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/07/06

    なかなか評価の難しい演奏。第1楽章のクライマックス、序奏のリズム・モティーフがトロンボーンの最強奏で戻ってくる、いわゆる「死の打撃」部分の打楽器の扱いなどは、なるほど目からウロコの見事な楽譜の読みだ。しかし過度な情緒的のめりこみを排して、緩みのない速めのテンポで進められる両端楽章、リズミックな推進力とポリフォニックな多声様式を両立させた中間楽章、いずれも水準以上の出来だとは思うのだが、これまでのサロネンの仕事ぶりを知る者としては、彼ならもっとやれる、もう一押しが足らないという印象もまた禁じ得ない。この今一つの食い足らなさがオケのせいなのかどうかは、今秋のウィーン・フィルとの来日公演で明らかになるだろう。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/27

    プロコフィエフが二十代半ばで完成させた最初のオペラで、同時代のスキタイ組曲やピアノ協奏曲第2番のような荒々しい、無機的な響きがする。このオペラの場合、伝統的な舞台を見たことのない我々は、最初から現代に舞台を移した読み替え版を見せられるわけだが、チェルニャコフの演出は堂に入ったもので、全く不自然さを感じさせない。ドストエフスキーの原作自体が、リーマン・ショックなど現代の事象に重ね合わせることが十分可能な題材だからだ。ディディク、オポライスの若いカップル、本物のおばあちゃんであるトツィスカともに申し分なく、バレンボイムの精力的な指揮も曲に合っている。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/27

    1番以上に旗幟鮮明な演奏で、4番はメルヘンチックでのどかな曲という昔ながらのイメージを壊されたくない人は拒否反応を起こすかも。第1楽章は基本テンポこそ速めだが、楽想ごとのコントラストは大きく、ポリフォニックな対旋律の強調や、朝顔の中に手を突っ込んで金属的な音を出すホルンのゲシュトップト奏法をエグいほどやるので、パロディックな「古典交響曲」の趣きが強い。色彩的な第2楽章をはさんで、第3楽章では静謐な歌が聴かれるが、第2主題の暗い嘆き節をこれでもかと言うほど盛り上げるので、やはりパロディを感ぜずにはいられない。楽章最後の突発的なクライマックスはまさに渾身の力演。終楽章の独唱は透明、至純だが、オケ・パートの方は非常に痛烈かつドギツイ表現を持ち込んでいて、アイロニー満点だ。強いて欠点を探せば、オケのせいもあって表現に含みが乏しく、指揮者の意図がストレートに音化され過ぎ、何もかもがなまなまし過ぎることか。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/21

    フィラデルフィアでの2番、6番ではどうも重箱の底をつつくような堅苦しさがつきまとったが、楽員の間ではまるでマーラーその人のような練習魔として嫌われているらしいエッシェンバッハ、細部にこだわったリハーサルをし過ぎて、音楽が硬くなってしまう傾向もあるようだ。ところが、客演でのこの1番では逆に硬さがほぐれ、音楽の流れがとても自然だ。第1楽章で1回、終楽章では計2回、ファンファーレが「突発」する直前のタメの作り方など、力こぶを入れるところも見事にはまっている。終楽章では第2主題の歌の美しさも、提示部、再現部ともに印象的だ。リュッケルト歌曲集でのシェーファーは、さながら精巧な工芸品を見るよう。超フィッシャー=ディースカウとでも言いたくなるような微視的なアプローチで、大変な聴きものだ。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/21

    非常に細かいアゴーギグを駆使した演奏で、1番の終楽章など楽想ごとに全部テンポが違うが、決して人工的ではなく、自然な流れがある。つまり、まぎれもなくロマンティックな志向を持つアプローチだが、一昔前のシューマンのように響きが肥大化しないのは、ピリオド・スタイルを踏まえているせいだろう。楽器はもちろんモダンだが、たぶん管楽器は二管編成のままで、同じイタリア人でもシャイーのように金管が響きすぎることもない(あちらはマーラー版だから仕方ないが)。3番の第4楽章のアクセントの強い打ち込みは明らかにピリオド風だが、一方、4番の第2楽章冒頭の旋律はバーンスタイン同様、チェロのソロにするなど一筋縄ではいかない。全体としては緩徐な部分の歌の美しさ(2番の第3楽章が典型)と速い楽章の猛烈な追い込み(同じ2番の第2楽章)がどちらも楽しめる演奏だ。P.ヤルヴィとドイツ・カンマー・フィルという本命盤がまだ控えているが、とりあえずシューマン・イヤーにふさわしい見事な交響曲全集と言えよう。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/13

    期待のカウフマンはさすがにドイツものでは違和感皆無。確かにイケメンでもあるのでローエングリンにはふさわしいが、重い声の持ち主ゆえフォークトのような強烈なインパクトには欠ける。ハルテロスも歌、演技ともに申し分なく、エキセントリックなキャラクターを見事に表現している。対する悪役コンビはバーデンバーデンのフォックス、マイアー組に比べて小粒の感は否めないが、冴えない中年オジサンのコッホ、非キリスト教徒でブロンドの髪、つまり典型的アーリア人として表象されるシュースターともに役にはうまくはまっている。抒情的でロマンティックと評されがちな本作だが、指揮は鋭角的で、このオペラの悲劇性を鋭く浮き彫りにしている。最も好みが分かれそうなのは、舞台をナチス台頭直前の1930年代に移した読み替え演出。なかなか良く考えられているが「Tシャツ姿で登場のローエングリンなんて見たくもない」という声は依然強いだろう。結末については伏せるべきだろうが、「実はすべては・・・でした」と解釈できる。もっとも、前奏曲から周到に伏線が張られているし、第3幕でようやく完成した二人の新居の名がヴァーンフリート(バイロイトにあるワーグナー邸の名、妄想が平安を見いだす地の意)と明かされる時点で結末はバレバレなのだが。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/07

    おなじみのピュア・トーンもさることながら、このコンピのマーラーの特色は同一フレーズ内でのクレッシェンド/デクレッシェンドから細かいテンポの変動、はてはグリッサンドといった特殊奏法に至るまで、可能な限り作曲者の指示に忠実であろうとしている所にあると思う。音だけでは良く分からないが、管楽器のベルアップなどもこまめにやっていると思われる。一昔前のインバル/フランクフルト放送響にもそうした印象があったが、このコンピは一段と徹底している。だから、この第9も過去の演奏伝統と完全に切れているわけではないが(全体のテンポ設計はワルター/VPOのSP録音に近いところがある)、たとえばバーンスタインのように両端楽章を滔々たる流れの歌謡楽章とするのではなく、もっと鋭敏でなまなましい感触がある。バーンスタインの終楽章はテンポ設計に関しては、マーラーの指示をことごとく無視しているが、ノリントンはほぼ作曲者の指示通り。しかし、だから良いと簡単に言えないのが演奏の難しいところで、後は聴き手が説得力を感じるかどうか。私はこれを唯一無二と推すつもりはないが、ある意味、新鮮な演奏を大いに楽しんだのは事実だ。

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  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/07

    6番、7番はなかなかユニークで面白い演奏だったが、5番は緩急の起伏こそ大きいものの、やや普通のロマンティックな演奏になってしまったのが残念。12分29秒とアダージェットにずいぶん時間をかけているが、作曲者がテンポ上げを指示している中間部でほとんど速くならないせいであって、両端部は特に遅いという印象はないし、歌い口の細やかさでは12分35秒のルイージ/中部ドイツ(ライプツィヒ)放送響に及ばない。終楽章は速いテンポで一気呵成に突進するが、この楽章が本来持っていると思われるパロディ、アイロニーなどの複雑な味わいは吹っ飛ばされてしまっている。最も良いのは、力のこもった第2楽章か。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/06/01

    ヴェルザー=メストとチューリヒ歌劇場による最後の映像ソフト(の一つ)と思われるが、チューリヒ歌劇場を世界屈指のオペラハウスに押し上げた栄光の時代を締めくくるにふさわしい、素晴らしい出来。特に繊細さと活力を兼ね備えた指揮は絶賛に値する。いまこれほどのモーツァルトを聴かせてくれる指揮者が世界に何人いるだろうか。演出は18世紀風の衣装によるもので、このコンピによるダ・ポンテ・オペラ前二作と違って何の読み替えもなく、それだけに演出家の素の実力が問われる舞台だが、小道具の使い方がうまく、随所にワサビを効かせた音楽と台本に対する鋭い読みが見られる。ベヒトルフを頭でっかちの「読み替え演出家」と思い込んでいた不明を恥じねばなるまい。歌手陣も突出したスーパースターはいないが、6人とも芸達者を揃えて見事なアンサンブルを聴かせる。特に女声陣は、もはやプリマドンナの貫祿を見せるハルテリウス、スザンナに続いて魅力的なスーブレット役のヤンコーヴァに加え、ボニタティブスもまた歌、演技ともに巧く、姉妹のキャラクターの対比がしっかりついている。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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