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検索結果:26件中16件から26件まで表示
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2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2009/11/03
チェリビダッケがミュンヘン・フィルとともにあった17年間を通じて主席ファゴット奏者を務めた著者が、「彼のディナーミク、フレージング、バランス、お互いに聴き合うことへの要求」に応えようと努めていくなかから学び得たチェリビダッケの音楽の神髄と人となりを知ることのできる良著である。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
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1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2009/10/27
第三楽章のチェリビダッケのかけ声をただの雑音としか感じられない人は決して購入すべきではないと思います。なお、先にブラームス4番がしばらく同様に税込み1,050円という廉価で販売されていましたが、再び従来の値段に戻されています。一回限りの再生されることのない演奏会であるからこそ、この上ない慈しみをもって演奏された音楽を、無断で録音し、それをまた聴いて楽しもうとは、はなはだ人の真心と幸せを盗み聴きしているようで誠に申し訳ない気はするのですが、やはり世に出し共有されるべき貴重な録音記録です。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2009/07/19
力強くも繊細な演奏で、とりわけ第4楽章のアンサンブルは至高なまでに素晴らしい。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2009/07/01
チェリビダッケは、このCDに記録された1952年のウィーン交響楽団によるブラームスの交響曲第1番とリストの交響詩「前奏曲」を指揮した3年ほど前の1949年末に初めてウィーンでの演奏会としてウィーン交響楽団でベートーヴェンの交響曲第3番を指揮したのだが練習不足のために失敗していたと伝えられている。(当時フルトヴェングラーはチェリビダッケに宛てた書簡で「・・・(叔父がウィーン国立歌劇場の支配人であり、ウィーン交響楽団をも手勢としていた)カラヤン以外に今ウィーンには指揮者がいなくて真空状態といえるので、貴方のスタートの時期としては非常に良かったのですが。・・・ベスト・メンバーが揃っているかぎりはさほど悪くないオーケストラなのですが。「ある」場合にはわざと二軍メンバーを配置するとか聞いています。・・・」と記していた)しかし、このCDの演奏からは、既に指揮者として傑出したマエストロとしての不動の地位を実力で確立していたことを容易にうかがい知ることができる。1957年のケルン放送交響楽団によるドイツ・レクイエムともども大変にスケールの大きい至高な精神性を有した演奏で、音楽という響きが人間的な心の深奥と一体になっているかのような崇高な世界を感じさせてくれる。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2009/06/30
チェリビダッケがなぜ戦後のベルリン・フィルの常任指揮者として大喝采を浴び続け、1954年11月28日にベルリン・フィル復興の功績によりドイツ連邦共和国功労十字大勲章を受章したのかが大いにうなずけるブラームス・チクルスである。とりわけ第2番終楽章のテンポの移行は圧巻であり、第4番終楽章のアンサンブルは秀逸である。この優れたLiveが1959年3月24日(第1番と3番は同20日)当時のミラノ・イタリア放送響の演奏によるものであることにも驚嘆させられる。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2009/06/25
ブルックナーの敬虔な音楽の真実を実現した1990年3月の演奏記録である。ピアニッシモがいかに重要かを知らしめるとともに、そのピアニッシモを実際の音の響きで感じ取ることは、その演奏会場に居合わせなければ不可能であることをもあらためて知らしめられるCDである。そのような録音としての限界という意味での前提はあるとしても、それを差し引いて余りある演奏記録である。最低限の音を大切にすることによって、最大限のレンジ・スケールを可能とした演奏であり、それによってこの深奥な曲にふさわしい時間と響きの構造を得て敬虔な人間のこころの構造と合致させたブルックナーのミサ曲第3番の演奏における金字塔である。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2009/06/13
作曲家・指揮者としてのチェリビダッケの真価を遺憾なく堪能できる掛け替えのないチェリビダッケ音楽の傑作である。シューマンの子どもの情景とサンサーンスの動物の謝肉祭を連想させるような、大自然の中にのびのびと子どもが駆け回り動物と共に戯れているような生き生きとした情景が色彩感豊かに描かれている。また、ブルックナーの交響曲を連想させるような、こころの深奥と音楽の真実に通じるような深遠な世界も表現されている。終曲となる13曲目の「これでおしまい」は、始まりの1曲目のダカーポになっている。商業主義を戒め、指揮者としての生業を営んでいく上でやむを得なかった放送用の録音と、(CD化のためではない)オーケストラの公演記録としての録音は必要最低限度において認めつつも、音楽という真実を伝えたいがためにCD化という方法を一貫して避け続けたチェリビダッケらしく(ドキュメンタリー映画監督のご子息による説得で、LD化は晩年におこなっているものの)、生前にCDとして世に出したものは、このCDのみであった。しかもオーケストラと共に版権と謝礼を辞して売り上げはすべてユニセフのものとしている。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2009/06/09
『音楽の本質は、音―人間の関係に、時間的な響きの構造(副次現象ないし発振現象)と人間的な心の構造の合致するところにある。』『音楽は美しいのではなく真実なのです・・・私が聞いた最高の讃辞は、・・・「まさにその通りでした!」それだけ。これ以上の讃辞は聞いたことがありません。』といった、チェリビダッケ本人の発言が忠実に再現された講義と質疑応答のすべての内容が貴重な写真と共に明らかにされる、チェリビダッケの音楽思想を(一面的にではあるが)理解する上で重要な手がかりとなる講義録である。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2009/05/13
モーツァルトの40番もハイドンの92番もとても質感の高い演奏で精神的に充実した見識の高い美しさを感じさせる。とりわけオックスフォードはハイドンの交響曲の素晴らしさとその魅力を生き生きとしかも慈しむように表現していて至高なる安堵感にいざなわれる名演である。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2009/04/24
このような演奏記録は至高の極みとしか言いようがない。ベートーヴェンの交響曲第2番と第4番の演奏はその生命的深遠さにおいて比類がなく、とりわけ第2番の本質的な音楽表現は、慣れ親しんできた第2番の可能性を高め、音楽表現の従来的な有限性を超越した演奏であり、チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルのみが成し得た尊いコンサート記録である。
指揮者を要せずオーケストラのみでも演奏できる曲の既成概念の払拭から出発し、創造的な練習を重ね、新たに息吹を込められたシューマンの交響曲第3番と第4番に出会える演奏です。これは作曲者が意図した音楽を演奏会場において、その時にのみ生じ得た音といういのちの表現です。チェリビダッケが警鐘するように、録音は一度限り生じたいのちの抜け殻ではありますが、このCDは演奏会場で創造された素晴らしい音の一生の息吹きを感じ取ることのできる貴重な手がかりにめぐりあえるチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの掛け替えのない録音記録です。
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