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一人のクラシックオールドファン さんのレビュー一覧 

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     2013/01/09

    2011年6月NHK/BSでオンエアーされた様に丁度50歳になった佐渡裕さん(以下敬称略)が子供の頃からの夢を実現させるBPOを指揮しての定期演奏会デビューはヨイショ記事の面はあるにしても「BPOを本気にさせた」大勝利に一段落したのですが本盤はその演奏会ライブを収録しているのにその聴衆の拍手.歓声等雰囲気がカットされているのが先ず残念と思いました。演奏自体は先ずショスタコーヴィッチ交響曲第5番(タイム@17’38A5’44B15’11C11’27)はマァマァの仕上がりでこの曲自体が誰がどう振ってもある程度の演奏効果を上げ易い事もあるのですがBPO演奏は珍しい事が第一に注目しました。この曲のリハーサル冒頭BPOメバーから3・11大震災に対して見舞いメッセージを受け取った佐渡は緊張もし遠慮するところも無きにしも非ずといった具合で正直BPO側も新人指揮者の為に演奏してやろうという様子すら先のNHK番組で見て取れました。しかし彼はそのメンバー連中に心底アプローチし本番出来上がりは全体ライブ故の若干のアンサンブル乱れはあったにせよ時折曲に挿入されるVソロを務めたコンサートマスターの樫本(当時33歳)のサポートもあり神経の行き届いた感じになっておりました。第1楽章、第2楽章はややゆったり目な毒のない運びでBPOのサウンドが発揮されます、寂寥感がこみあがる様に表現された第3楽章を経て最終楽章はスタートはやや速めに動き〆に向かっては見得を切る如くどっしりティンパニーを強調してゆっくり閉じられます。もう少し起伏感があってもと勝手に思った最終楽章ではありましたが聴衆の拍手・スタンディングオーベションが入っておればCD聴く側も引きずられたかもしれません。もう一つの曲 武満徹の「5人の打楽器奏者とオーケストラの為の〜フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム」(トータルタイム31’02)は日本人指揮者しか振れない静謐な曲という感覚もあったのでしょう、BPO選抜メンバー(来日デ馴染みのフルートのE..パユ他)も流石佐渡にある敬意を持っての演奏だったのでしょう。勿論私も初めて聴いた曲なのですが武満独特の東洋的水墨画的世界が展開され私も時々ブラつく佐渡の出身地 京都の竹林や厳しい日本庭園の映像のバックに流れるのに相応しいその緊迫感は息詰まりそうでもありました。ベルリンフィルハーモニーホールの五角形に合わせた様にネクサスを構成する人数である「五」を基数に置いての曲でもあり水・火・大地・風・空を象徴して5人の管楽器奏者は青・赤・黄・緑・白上着で演奏しているらしく、この辺りはどうも視覚に訴える要素が大きくDVDで見たらより意図が掴めるのではないかと思った次第です。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/01/08

    本盤はデュメイが多分まだ30歳にも達していない頃の1976〜1978年に収録したフォーレのヴァイオリン・ソナタ他で伴奏ピアノ担当もデュメイとほぼ同世代のコラールであります。フォーレのヴァイオリン・ソナタ二曲は作曲時期が約40年の隔たりがあり第1番の方は若い頃の作品だけに幾つものメロディを畳み掛けて行く展開に若い演奏者にフィットしている感じと受け取っています。演奏タイムは@7’05A7’41B3’50C4’57で第1楽章スタート闊達なピアノからVが入るのですがその山谷の激しさが若さに相応している様です。静かな第2楽章、中ほどに情緒を挟んだトリオ形式の第3楽章を経て最終楽章では時に影というか物憂げさを見せるものの〆に向かっての凄い高揚感は聴き処でしょう。第2番(タイム@9’45A8’38B6’47)の方はフォーレ晩年の作品で第1楽章から唐突にスタートする曲なのですが演奏自体は瑞々しさの中に結構フランコベルギー派グリュミオーを継いでいるだけにじっくり取り組んだ印象を持ちました、ただ私には曲そのものへの入り込みが充分となっていない時点ではありますが・・・。併録曲は未聴なのでタイムだけメモしました・・・「子守唄」(3’24)、「ロマンス」(5’43)、「アンダンテ」(4’33)、「初見視奏曲」(1’35)。もう一昔前となった当時若手の二人のフランス演奏家による素晴らしい演奏盤と思います。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/01/07

    アバドはブラームス交響曲第2番を1970年に本盤と同じオーケストラBPOを振って収録(演奏タイム@21’55A10’22B5’33C9’45)し当時マァまだ若い頃他の交響曲もオーケストラをVPO等も含めてボチボチ録音しバラではありますが結果的に彼のブラームス交響曲集となっておりました。周知の様に交響曲第2番はその前の第1番が苦節十数年の長年の仕上がりの反動なのか比較的短期間数ヶ月で順調に作曲された明るく伸びやかな雰囲気を有した曲でブラームスの「田園交響曲」とも呼ばれその流麗さというかラテン歌謡的な処からもイタリア出身の若き指揮者アバド(1970年当時37歳)に向いた曲でもあり更にまだBPOとの関係もニュートラルだけだっただけに前向きな演奏として聴いておりました。そうして年月を経て本盤で1988年の再録演奏(同@20’57A9’56B5’20C9’41)となるのですが東京都の方も書かれています様に時期的にはBPO芸術監督就任が近々決まるムードがあがっている頃・・・年齢的にも55歳だしある意味微妙なだけにBPOとの対局が先のニュートラルというわけには行かなかった事は容易に想像されますね。アバド自体はそんなにサプライズを起こす指揮者ではなくこの彼に向いた第2番は根本的に前回と異なる結果とはなっていない様です。第1楽章結構重心低く落ち着いた運びで進みそれにBPOサウンドが余裕を見せます、提示部では前回と同じく反復演奏がなされます。第2楽章は特に弦が美しい!ですね。喜びが噴出する最終楽章での管の威力を聴かせてくれます。ただ何となく二十年近く経った結果が私には発見出来ずこの曲に私が求めたい「前向きさ」が当然少し薄められた様に気のせいか?感じてしまいました・・・・・・。併録曲の「アルト・ラプソディ」(タイム13’03)は交響曲と同じ1988年収録で独唱者リポヴシェック(録音当時42歳)の流石落ち着いた歌唱ぶりが素晴らしいですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/01/06

    アバドはブラームス交響曲第2番を1970年に本盤と同じオーケストラBPOを振って収録(演奏タイム@21’55A10’22B5’33C9’45)し当時マァまだ若い頃他の交響曲もオーケストラをVPO等も含めてボチボチ録音しバラではありますが結果的に彼のブラームス交響曲集となっておりました。周知の様に交響曲第2番はその前の第1番が苦節十数年の長年の仕上がりの反動なのか比較的短期間数ヶ月で順調に作曲された明るく伸びやかな雰囲気を有した曲でブラームスの「田園交響曲」とも呼ばれその流麗さというかラテン歌謡的な処からもイタリア出身の若き指揮者アバド(1970年当時37歳)に向いた曲でもあり更にまだBPOとの関係もニュートラルだけだっただけに前向きな演奏として聴いておりました。そうして年月を経て本盤で1988年の再録演奏(同@20’57A9’56B5’20C9’41)となるのですが東京都の方も書かれています様に時期的にはBPO芸術監督就任が近々決まるムードがあがっている頃・・・年齢的にも55歳だしある意味微妙なだけにBPOとの対局が先のニュートラルというわけには行かなかった事は容易に想像されますね。アバド自体はそんなにサプライズを起こす指揮者ではなくこの彼に向いた第2番は根本的に前回と異なる結果とはなっていない様です。第1楽章結構重心低く落ち着いた運びで進みそれにBPOサウンドが余裕を見せます、提示部では前回と同じく反復演奏がなされます。第2楽章は特に弦が美しい!ですね。喜びが噴出する最終楽章での管の威力を聴かせてくれます。ただ何となく二十年近く経った結果が私には発見出来ずこの曲に私が求めたい「前向きさ」が当然少し薄められた様に気のせいか?感じてしまいました・・・・・・。併録曲は「1987年収録「大学祝典序曲」(10’04)、1990年収録「ハイドン主題の変奏曲」(18’03)であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/01/05

    シューベルトの「アルペジオーネ・ソナタ」は現代では廃れてしまったギターの形に似たアルペジオーネという楽器の為に書かれた曲で早くからチェロを代用にして演奏されて来たらしいのですが意外な事にロストロポーヴィッチは三十代半ばまで弾いたことがなく1968年彼が41歳頃にやっとブリテン(当時55歳)のピアノ伴奏を得て収録したという貴重なもの(タイム@13’27A4’35B10’29)で多分唯一の演奏になってしまった様です。私は当初DECCAのLPで本演奏を聴いたのですが、同じシューベルトの「未完成」のスタート時の地の底から湧き出す様なテーマに雰囲気的に似た第1楽章ピアノはとにかくゆったりとしたアプローチでやがてチェロが豊満にスケール感よろしく入り込みますが何もサウンド感に訴えるばかりではなく弱音も実に内省的に活きた運びになって行きます。LPでは録音質に充分満足もしていたので若干影薄いピアノの存在も前面フルのチェロに対するフォロー役と割り切って聴いておりました。マァ、チェロの朗々たる響きがシューベルト・メロディを紡ぎ出して行くのに聴く側もどっしりと構えて満足する類いの演奏と受け取りました。正直このコンビの演奏本質には微妙な味わい違いは勿論介在するわけで1961年収録の同コンビによるシューマン「民謡風の五つの小品」(タイム3’30+3’32+5’39+2’32+3’10)とドビュッシーのチェロ・ソナタ(同@5’06A3’27B3’53)はその辺りに注目して七年間の「コナレ具合」を聴くのも面白いと思います。本演奏・・・特にその寂寥感が印象的な「アルペジオーネ・ソナタ」・・・はいろいろ音質改善された盤も出ている様ですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/01/04

    小澤征爾さん(以下敬称略)が日本人指揮者として本格的にメジャーレーベルレコードに初めて吹き込んだのが確か1960年代のシカゴSOを振っての諸盤でありました。その中にEMIレーベルで本盤と同じ曲の1969年録音のリムスキー=コルサコフ「シェエラザード」(タイム@9’43A11’55B9’48C12’04)があってLP盤を発売後即買い求めて聴いたものです。小澤はこの「シェエラザード」を後年録り直ししており1977年ボストンSOを指揮した演奏(同@10’18A12’12B10’02C12’18)の物が出ました。2002〜2010年かのウィーン国立歌劇場音楽監督を務め上げる過程でVPOコンサートでもお目見えして行くわけですがそうした時期でライブでのこの「シェエラザード」が本盤であります。つまり1993年VPOとの演奏録音(拍手を除いたタイム@9’40A11’28B9’20C12’03)のものでがあります。そこで時折思うのは演奏者の年齢の事でこの「シェエラザード」でも1969年での若々しい意欲に満ちたフレッシュな演奏から誰しも避けられぬ老齢化に懸かるわけですが本盤ライブはまだ小澤が58歳・・・その様な影響は出ておらずだからこそ絶頂期に向かって行くわけですね。聴き比べをして見てこちらの方はライブならではの雰囲気がVPOの美しい弦を底流としたサウンドに支えられ素敵な仕上がりになっております。大体小澤の「シェヘラザード」は勢いあるボストンSOのものも含めて茶漬けみたいな味わい(上手く言えませんが小澤だからこそ出せる東洋的感触とでも言っておきましょう・・)があり彼が意図した方向と私の感じ方が異なるかもしれませんが、弱音も綺麗だし好きな盤となっています。「聴き飽き」もしないところが長所でその辺りが彼が欧米楽壇でも受け入れられる一応のレベルだったのでしょう。確かにどちらかと言えばあっさり気味で音色上も欧米指揮者とはちょっと違った日本人にしか出せない特徴を聴きとれるのではないでしょうか。序曲「ロシアの復活祭」(同14’55)もVPOのしなやかで豊麗な音色を小澤が上手く引き出した演奏かと思います。高品質盤でもあり最高ランクとします。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/01/03

    マリナーはその演奏活動において晩年?何でも屋的になった様に私には思え、当然各ジャンルの作品に対しては夫々においてもっと抜きん出たアーティストがいる為中途半端にマリナーの存在を見てしまった傾向がありました。ただ本盤1976年マリナーがまだ52歳の頃収録したレスピーギの管弦楽小品はかつてビバルディ「四季」での溌剌とした演奏を思い出す程、手兵アカデミーCOのアンサンブルをフルに厚めに発揮させレスピーギの色彩感の魅力というものを余すところ無く表現しております。大体レスピーギの作品にはタイトル付きの管弦楽曲が親しみが持たれ特に夫々の鳥の特徴等を織り込んだ「鳥」(タイム・・・前奏3’00,鳩4’23,雌鳥2’39,夜鶯4’40,郭公4’06))はバロック時代のラモー、バスクィーニ、ガロ等の曲を編集して作曲されただけに曲自体は初めて聴かれる方にもアプローチし易く更に本演奏は色彩豊かに描き出した素敵な演奏と思いました。色々鳥の鳴き声らしいパッセージが挿入され最後によく聴く前奏曲テーマに戻って来て宮廷的雰囲気を再現させる周到さはレスピーギの面目躍如たるものです。同じ様に同年収録のボッティチュルリの三枚の絵(タイム・・・春5’39,東方博士の礼拝8’45,ヴィーナス誕生4’32)は演奏機会も少なく私も本演奏においても詳細には聴いておらず「つまみ食い」なのですが作品そのものの緻密な良さを巧く引き出した演奏の印象は持ちました。素晴らしいランクの演奏とさせていただきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/01/02

    カラヤンの「新世界交響曲」は四度のBPOとの録音・・・1940年(モノラル、タイム@9’47A13’11B7’27C9744)、1958年(タイム@9’33A12’50B8’06C10’52)、1964年(同@9’20A13’08B8’14C11’07)、1977年(同@9’42A12’08B8’24C11’06)とラストはVPOとの1985年収録分(同@9’57A12’31B8’37C11’30)がありますが本盤は1964年カラヤン56歳の頃DGで収録したものでBPOとの「新世界」交響曲では一番メリハリがついた印象を受けました。カラヤンはこうしたローカル色を本来有している曲をインターナショナル化してある意味分り易くする法に長けており従ってボヘミア色は薄くBPOの機能を全開させて他の多くの曲演奏録音でもある様にカラヤン完全主義を見せつけて行く演奏と思いました。いずれにしても四度のBPOとの「新世界」交響曲では比較的簡潔なスタンスが取られているのがこの演奏に見出せる意義はありましょう。1959年に録音したスラヴ舞曲・・・第1番(3’23)、第3番(4’35)、第7番(3’09)、第10番(4’50)、第16番(6’23)はDGからリリースされていたLPを聴いていたのですがこれも各曲バシッと集中力溢れた演奏の印象を持っております。ポスト・フルトヴェングラーの位置付けからも振るオーケストラをPHOからBPOに軸足を移しつつある時でもありBPOから筋肉質な音色を引き出そうとした演奏に出来上がっている様に思いました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/01/01

    2013年スタートです、良いことがあります様に元旦に「新世界」への書き込みをさせていただきます。カラヤンの「新世界交響曲」は四度のBPOとの録音・・・1940年(モノラル、タイム@9’47A13’11B7’27C9744)、1958年(タイム@9’33A12’50B8’06C10’52)、1964年(同@9’20A13’08B8’14C11’07)、1977年(同@9’42A12’08B8’24C11’06)とラストはVPOとの1985年収録分(同@9’57A12’31B8’37C11’30)がありますが本盤は1958年EMI分であり私はLP時代カラヤン/PHOによる「悲愴交響曲」(1955年録音)と併録・・・今から思えば超詰込み盤で聴いていた為か熱気ある演奏の割りには古いアナログ音質レベルを超えるものではありませんでした。本盤EMIに敬意を表すならば実に丁寧に演奏され以降の彼の伏姿勢からの跳躍を予測させるものですが録音状態は如何とも出来ません。さて、新世界交響曲収録期の直前1957年にカラヤン/BPOは初来日している頃ならばポスト・フルトヴェングラーの位置付けからも振るオーケストラをPHOからBPOに軸足を移しつつある時でもあり筋肉質な美しい演奏に出来上がっている事には間違いありません(機械技術に興味のあるカラヤンはその来日時新幹線0系車両に感心して乗ったらしいです・・・)。さて肝心の演奏で第1楽章と最終楽章はそのBPOの機能全開の迫力ある突進をしているし有名な第2楽章も望郷の思いをとても素直に出しています。さすがにボヘミア色こそ薄くインターナショナル的でその辺りがカラヤン完全主義にも合致したのでしょう。いずれにしても四度のBPOとの新世界の基本的スタンスがこの演奏に見出せる意義はありましょう。翌1959年に録音したスラヴ舞曲・・・第1番(3’23)、第3番(4’35)、第7番(3’09)、第10番(4’50)、第16番(6’23)はDGからリリースされていたLPを聴いていたのですがこれも各曲バシッと集中力溢れた演奏の印象を持っております。本盤かつてのEMIとDGのソース同居というのも我々の世代には珍しいものであります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2012/12/31

    2012年大晦日、今年もほぼ毎日データ中心でレビューを書き込んで来ましたが本日は昔からの定番物ワルターの「運命」「未完成」をあげて今年のラストとして閉じましょう。本カップリング盤についてはもう皆さんのレビューに尽きると思いますが、屋上屋を重ねます・・・・。ワルター/コロムビアSOのベートーヴェンはホッとする面があります。この「運命」は昔から聴き慣れた第1楽章最初の運命の扉動機のフェルマータはワルター特有のものでさりとて決して深刻ではありません。1958年録音という事はワルター82歳の高齢でもありこの調子で行くとタイム的に長いのかなと思うと「さにあらず」でむしろ短い・・・全体タイム@6’24A10’50B5’47C9’32・・・「運命」の曲を聴く上で何を期待?するかにより評価は微妙ですが私の年代では冒頭記したように無形の財産として貴重です。その第1楽章は反復されていない事と最初の運命扉動機のフェルマータから反転した様に展開部はやや性急さの為短めになってはいますが終始弦のリアルな擦り音や後段詰めでの絶妙な瞬間の溜め切りにより面白い楽章になりました。第2楽章はスタート跳ねる様な感じでゆっくりした足取り、「間」を充分取りながらの運びは正直ダレル直前で更に中間段落での引き伸ばしはワルター独特の「歌う」範囲なのでしょう。第3楽章はまぁ無難に過ぎますが最終楽章への移り変わりにはもう少し効果的なものを期待しなかったわけではありません。コロンビアSOは映画音楽などを専門にレコーディングしていた音楽家達を集めた急造オーケストラである為か録音のせいかやや甘ったるい処もあり暖かい響きで最終楽章での勝利の雄叫びの力強さに少し物足りなさを覚えはしました。なお、ワルター指揮の運命交響曲はHMVカタログ等では他に何れもNYPOを振った1941年物(タイム@6’09A10’51B5’22C8’01)、1950年物(タイム@6’16A11’29B5’56C8’43)、1951年物(タイム未確認)等が見られます。次に「未完成」に移ります。「未完成」にはワルター/コロムビアSOの盤は無く?1958年収録のNYPOによるゆったり謳わせ品よく蕩けそうな演奏(同@10’56A13’53)が味わえます。何とも言えない起伏感、ニュアンスに富んだ陰影感・・・もう何処を聴いても実に丁寧に情緒纏綿に謳った美しさは晩年ワルターの良さが結集した感じであります。兎に角、この「未完成」は愛好家にとり必聴物です。なお、ワルター「未完成」の他の録音歴で手元資料のデータをいつもの通りメモしておきます。1936年VPO(同@10’19A11’55)、1947年フィラデルフィアO(同@10’25A11’58)、1950年バイエルン国立O(同@10’37A13’15)、1960年VPO(同@11’05A14’17)・・・ライブが多く今後も新音源発見があるのではないでしょうか。本盤は高品質化により定番名演が更に最高ランクになっている事でしょう。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2012/12/30

    ワルターのステレオ時代ベートーヴェン交響曲で特に偶数番として有名な演奏であり私もこの演奏を収めた他盤にレビューした者ですが本盤にもデータ中心に書き込みさせていただきます。ワルター/コロムビアSOの田園(ステレオ、タイム@9’52A11’56B5’42C3’42D9’45)は基本的にVPO演奏等からそう懸け離れたものではないと思います。そう、1936年VPO盤(モノラル、同@9’21A12’06B5’27C3’25D8’40)とスタイルは変わっておりませんが最終楽章が一分程度長いコロムビアSOの1958年収録のこの演奏は少し軽やかさとワルター(録音当時82歳)のとろけそうな甘さが加わったようにも感じています。実に丁寧に楽章を進めて行き彼の田園を聴き終わりますと何かホッとした安堵感を自然と抱く次第です。手の内は自明であり全体の演奏アプローチスケールはそう大層なものではなく響きもこのオーケストラの独特な明るさがこの曲への感慨を助長する様です。第4楽章から第5楽章への移ろい、第5楽章の最後の感謝平安のエンディングには他演奏家に更に上手さを発見するのも事実ですが全体として演奏自体については躊躇せず「最高」盤ランクにします。なお、ワルター指揮の田園交響曲には他に1946年フィラデルフィアO(モノラル、同@9’07A11’51B5’10C3’22D9’09)等があり・・・この頃の彼のベートーヴェン全集はオーケストラがNYPOなのが普通なのに田園だけがフィラデルフィアOなのですね・・・。一方、交響曲第4番もワルターにうってつけの曲と私には思われ1958年録音の本盤演奏(タイム@9’45A9’57B6’17C5’51)は先のオーケストラ音色がプラスに働いた如く同曲盤ではトップクラスでその流麗さ・明るさそして何よりも大らかさが魅力であります。なお、1952年NYPOとの演奏(同@9’25A9’54B5’31C5’45)の方はもう少しキリッとはしていますがモノラルでもありこの曲の「良さ」は本盤ステレオ演奏に私は軍配をあげたいですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2012/12/29

    ワルターのステレオ時代ベートーヴェン交響曲で特に偶数番として有名な演奏であり私もこの演奏を収めた他盤にレビューした者ですが本盤にもデータ中心に書き込みさせていただきます。ワルター/コロムビアSOの田園(ステレオ、タイム@9’52A11’56B5’42C3’42D9’45)は基本的にVPO演奏等からそう懸け離れたものではないと思います。そう、1936年VPO盤(モノラル、同@9’21A12’06B5’27C3’25D8’40)とスタイルは変わっておりませんが最終楽章が一分程度長いコロムビアSOの1958年収録のこの演奏は少し軽やかさとワルター(録音当時82歳)のとろけそうな甘さが加わったようにも感じています。実に丁寧に楽章を進めて行き彼の田園を聴き終わりますと何かホッとした安堵感を自然と抱く次第です。手の内は自明であり全体の演奏アプローチスケールはそう大層なものではなく響きもこのオーケストラの独特な明るさがこの曲への感慨を助長する様です。第4楽章から第5楽章への移ろい、第5楽章の最後の感謝平安のエンディングには他演奏家に更に上手さを発見するのも事実ですが全体として演奏自体については躊躇せず「最高」盤ランクにします。なお、ワルター指揮の田園交響曲には他に1946年フィラデルフィアO(モノラル、同@9’07A11’51B5’10C3’22D9’09)等があり・・・この頃の彼のベートーヴェン全集はオーケストラがNYPOなのが普通なのに田園だけがフィラデルフィアOなのですね・・・。次に1959年演奏収録の第2番(タイム@10’23A14’31B3’50C6’54)は、第1楽章様々なニュアンスを抱えた序奏は少しテンポ速く経過し展開部は活き活きとスケール感も適度にあり特に後段詰めのこの曲の畳み掛けの醍醐味を充分伝えます。〆はゆっくり引っ張って終わります。さて、第2楽章、バランスからすると長い楽章なのですが演奏のテンポ感と強弱感の絶妙さと言うのでしょうか過度な情緒に陥らずその長さを意識させません。やはり活き活きした最終楽章では時に大きく息継ぎしゆり動かしながらフィナーレへ、最後はサッと引き上げます。得てしてイン・テンポで一様な乾燥的演奏が多いそうなのですがワルターのきっちり基本の情感溢れたよーく「歌う」湿質的演奏はこれも最高ランクにあげておきたいですね。なお、この第2番については案外録音回数は少ない様で私は1952年NYPOを振った演奏(勿論モノラル、タイム@9’58A13’11B3’40C6’33)・・・一回目全集の内訳分しか知りません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2012/12/28

    データ中心の再書き込みをさせていただきます。ワルター/コロムビアSOのベートーヴェンはホッとする面があります。この「運命」は昔から聴き慣れた第1楽章最初の運命の扉動機のフェルマータはワルター特有のものでさりとて決して深刻ではありません。1958年録音という事はワルター82歳の高齢でもありこの調子で行くとタイム的に長いのかなと思うと「さにあらず」でむしろ短い・・・全体タイム@6’24A10’50B5’47C9’32・・・「運命」の曲を聴く上で何を期待?するかにより評価は微妙ですが私の年代では冒頭記したように無形の財産として貴重です。その第1楽章は反復されていない事と最初の運命扉動機のフェルマータから反転した様に展開部はやや性急さの為短めになってはいますが終始弦のリアルな擦り音や後段詰めでの絶妙な瞬間の溜め切りにより面白い楽章になりました。第2楽章はスタート跳ねる様な感じでゆっくりした足取り、「間」を充分取りながらの運びは正直ダレル直前で更に中間段落での引き伸ばしはワルター独特の「歌う」範囲なのでしょう。第3楽章はまぁ無難に過ぎますが最終楽章への移り変わりにはもう少し効果的なものを期待しなかったわけではありません。コロンビアSOは映画音楽などを専門にレコーディングしていた音楽家達を集めた急造オーケストラである為か録音のせいかやや甘ったるい処もあり暖かい響きで最終楽章での勝利の雄叫びの力強さに少し物足りなさを覚えはしました。なお、ワルター指揮の運命交響曲はHMVカタログ等では他に何れもNYPOを振った1941年物(タイム未確認)、1950年物(タイム@6’16A11’29B5’56C8’43)、1951年物(タイム未確認)等が見られます。一方、交響曲第4番はワルターにうってつけの曲と私には思われ1958年録音の本盤演奏(タイム@9’45A9’57B6’17C5’51)は先のオーケストラ音色がプラスに働いた如く同曲盤ではトップクラスでその流麗さ・明るさそして何よりも大らかさが魅力でありますなお、1952年NYPOとの演奏(同@9’25A9’54B5’31C5’45)の方はもう少しキリッとはしていますがモノラルでもありこの曲の「良さ」は本盤ステレオ演奏に私は軍配をあげたいですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2012/12/27

    HMVレビューにもありますようにロペス=コボスは語り口が巧い指揮者として正直私はローカル指揮者としてくらいしか認識していなかったのですが見直しております。出だしの頃は本盤作曲家のレスピーギ他のイタリアそしてお国のスペインの作曲家作品を主に収録しておりましたが今やマーラー、ブルックナー等へも進出するという活躍ぶりであります。さて、本盤のレスピーギ「リュートの為の古代舞曲とアリア」は1978年38歳の時にLPOを振って演奏録音したもので演奏タイムは第1組曲→(3’05+4’00+5’34+4’09)、第2組曲→(3’44+3’54+6’16+5’22)、第3組曲→(3’40+8’06+4’00+2’53)と後年1991年ローザンヌCOとの再録演奏分第1組曲→(2’57+3’37+4’40+3’46)、第2組曲→(3’57+3’59+5’44+5’17)、第3組曲→(3’13+6’57+3’33+3’12)と比べて全体本盤のLPOの方がどっしりした感じになっております。演奏そのものも指揮者の個性を別にしてLPOというオーケストラの割には私には線太く感じました。第1組曲スタートから比較的生々しくアプローチがなされガサツな印象を与えつつ運んで行きます。この曲に従来持っていた感傷性は淡く大味な元気活発面が「とりえ」ともなり管ソロの使い方も含め身近な演奏となっております。第3組曲の最終コーナーは「切れ」を入れつつ重心低くゆっくり〆へ結びつける巧者ぶりを示しております。マァ全体として熱っぽい素晴らしい演奏という総括にさせていただきましょう。なお、1979年ロスアンゼルスPOを指揮してのファリア組曲「三角帽子」(6曲・・・タイム2’15+3’34+4’02+3’22+2’40+6’07)はロペス=コボスのお国ものなのですが未聴であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2012/12/26

    先ず本盤レビュー欄をお借りして2009/8に同演奏のCD盤TOCE14169においてオーケストラを文中VPOと書き誤っており正しくは勿論1948年収録のフルトヴェングラー指揮のブラームス交響曲第4番はオーケストラはBPOであります事に訂正させていただきますのでよろしく・・・。VPOを振ったものは1950年演奏分(タイム@12’44A11’57B6’16C9’18)のみであとは全てBPOがオーケストラであります・・・即ち1943年(同@12’00A12’15B6’07C9’09)、1948年(同@12’42A12’12B6’30C9’47)、同年1948年(本盤演奏分、同@12’52A12’10B6’19C9’37)、そして1949年(同@13’06A12’58B6’30C9’57)と資料的には言った具合です。1948年10月24日の本盤BPO録音は同じ年月で二日前の22日演奏より良いとのことですがまだ聴いていない22日録音盤にも接して見たい気持ちです。ただ何となく本盤演奏分がフルトヴェングラーのブラ四として行渡っている感じでこの演奏で受容しているのが私の現状です。さてこの演奏第1楽章と最終楽章の終わりの方のフルトヴェングラーそのものの結びへ持って行く凝集力たるや凄いものがあります。激しい緩急や自由自在のフレージングも彼にとってそれは常に音楽の密度を濃密に保つための表現手段なのでしょう。時としてもう少し語って欲しいとも思われる場面もありますが彼の曲に対する本質把握を歪めるものではありません。それに第2楽章の必ずしも「枯淡」的とは割り切れない運びは今触れた「語り」以上のものを我々に提示してくれます。繰り返しになりますが正直もっと女々しいし言うか男の哀調を訴える演奏は他にもっとあるかも知れませんが・・・・。なお、併録の1947年VPO演奏のベートーヴェン「コリオラン」序曲(タイム8’30)及び1954年BPO演奏ベートーヴェン「レオノーレ序曲第2番」(同15’53)はどちらもスケール感のある感動揺さぶる演奏に高品質化本盤音質が更にプラスに働いているのではと期待しております。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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