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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/01/22

    以下はSACDハイブリッド盤についてのレビュー。私はオペラ以外のカラヤンの録音ではこのセットとワーグナー管弦楽曲集(1974年、EMI)がベストと考えてきた。しかし残念! 録音はSACD化によっても、そんなに劇的に改善されたとは言えない。エコーがかかったような響きで楽器の定位は不明瞭。強奏になると音のひずみ、高域のヒスノイズが盛大。やはりマスターテープにないものは、SACDにしようが取り出せないということか。SQ4チャンネル録音の失敗がつくづく恨めしい。しかし、ほとんど一発ライヴに近い感覚で録られたと思われる、この録音の凄まじい躁状態、マッシヴなエネルギーだけは今回、かつてないほど強烈に感じられた。演奏は5番のみ「不発」だという初発売時の印象は変わらないが(75年DG録音の方が遥かに良い)、4番と6番は全く壮絶。後のウィーン・フィルとの録音など寄せつけぬ高みに達している。6番の一糸乱れぬ第3楽章は、まぎれもなくこのコンピの頂点、ひいては20世紀オーケストラ演奏の頂点をしるすドキュメントだ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/01/22

    インバルとチェコ・フィルの蜜月は比較的短命に終わったようだが、相変わらず曲との相性が非常にいい。7番はフランクフルト放送響との全集中でも屈指の名演でベルリン放送響(現在のベルリン・ドイツ響)との来日公演の映像もあった。交響曲の理念そのものを茶化すようなこの「メタ交響曲」にインバルの細密な指揮は実にふさわしい。ただし、この録音では指揮のシャープさがマーラーを弾き慣れているチェコ・フィルの様式美にうまく補完されて、かつてほど鋭角的な印象はない。シャープな演奏を望むなら、前の全集録音を聴けばいいわけだから、これはこれで良いと思う。第1楽章の再現部に入るところで大きくタメを作るのも、最近のインバルらしい「巨匠風」スタイル。スケルツォではトリオで思いっきりテンポを落として、大きなコントラストを作る(指揮者の鼻唄がちょっとうるさいけど)。近年では「冷感症的」に奏でられることも多い第4楽章は、細かいテンポ・ルバートを使って、意外にロマンティックだ。終楽章はショルティ/シカゴほどではないが速いテンポで一気呵成に行く。ここでも第1楽章第1主題が回想される部分(ここはそもそも、とても不自然な接合のされ方に聴こえるように書かれているのだ)でのテンポの落差の作り方がうまい。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/01/17

    十数年前にNHK-FMで放送された、BBCウェールズ響を振ったこの版の演奏がとても良かったので、ひそかに期待していたディスクだが、期待以上の出来ばえ。ベルリン・フィルやウィーン・フィルの演奏は確かにそれなりの充実感があるが、これはいわば文学的な解釈を排して、音そのものをリアルに見つめた「裸形のクック版」といった印象。クック版自体がそもそも過剰に音を重ねることを避けて、完成している小譜表(パルティチェル)を必要最低限のオーケストレーションで演奏可能にすることを目指した版だから、その趣旨にふさわしい演奏と言える。どうもオーケストレーションが薄いという感じを抱きがちなクック版だが、この演奏では各声部のからみがしっかり表現されていて、あまり薄さを感じさせない。細部について触れると、両端楽章の遅い部分ではたっぷりしたテンポがとられているが、第1楽章でも第2主題などはかなり速く、コントラストがしっかりつけられている。快速テンポの両スケルツォに対し、間の第3楽章「プルガトリオ」は普通より遅いのも特色。終楽章での大太鼓の打撃は、ほとんどffで、第6交響曲のハンマーストローク並みに強烈だ。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/12/12

    豪華な装置を備えた大劇場での上演が見たい人は、こんなもの論外だろうし、逆にコンヴィチュニーの仕事に興味がある人は何をおいても買うだろうから、レビューしがいのない商品ではある。ある意味ではとてもリアルだが、究極のところオペラとは高度に様式化された、アンチリアルな芸術であることを良く心得た、いつもながらのコンヴィチュニー演出。だから、舞台上にあるのは椅子一つでも立派に『椿姫』が成り立つし、最終景で舞台に残るのはヴィオレッタ一人、他の面々は客席側に降りてしまう。興味深いのはコンヴィチュニー演出の定番だったパロディの要素がほとんど見当たらないこと。死期の迫った娼婦に不器用な眼鏡のオジサンが恋するという基本設定だけで十分笑えるので、それ以上の「ひねり」は不要ということだろう。『サロメ』のように元のストーリー、さらには音楽そのものと演出が致命的にすれ違ってしまうということもない。彼の手の内は先刻承知のつもりだが、それでも「ここは、こう来るか」と思わず唸らされるようなアイデアはまだ豊富で、特に多くの論者がこの曲のクライマックスだという第2幕のヴィオレッタと父ジェルモンの二重唱は秀逸だ。しかし全体としてはカーセン、デッカー、ムスバッハ、ペリーなどそれぞれ意匠を凝らした近年の各演出に比べて「格上」「別格」とまでは言えない。この版では第2幕第2場のジプシー女と闘牛士の合唱がないのは当然だろうが、どうも気になるのは細かく音楽を削った結果、逆に流れが悪くなってしまっていることだ(特に第3幕)。ペーターゼンは他にライマンの新作『メデア』初演の舞台しか見たことがないが、さすがの歌と演技力。救いがたいヘタレ男のアルフレードは完全に演出家の意図通りの演唱。指揮とオケにもっと表現意欲があれば、全体の印象も変わっただろうが、残念ながら手堅い出来にとどまる。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/24

    ティーレマンも得意にしている曲だが、世界初の市販映像、しかも次の録画がそう簡単に現われそうもない演目であることを考えると、ちょっと複雑な気持ちにならざるをえない映像。つまり、非常にポップでキッチュな舞台なのだ。もともと地味なオペラなのだから、面白く見せてやろうというサービス精神は分からぬでもないが、緑色の天使たち、赤紫色のキリスト像など、色使いが何とも奔放。宗教会議での大型リムジンの登場なども、違和感なしとは言えない。亡き妻ルクレツィアの亡霊の着ぐるみにも、思わず笑ってしまう。ヴェントリスは歌いっぷりからも非常に知的なテノールであることが分かるが、パルジファルといいパレストリーナといい、どうしてこんなに自分に合わない役ばかりを歌いたがるのだろうか。どう見ても、死期の迫った(この演出では実際、第3幕の終わりで死ぬことになる)老作曲家に見えないのは困る。シュトルックマン以下、宗教会議の出席者たちは皆、適役。二人のズボン役(前記の亡霊を除けば、このオペラには女性が一人も出てこない)も好演だし、ヤングの指揮は重厚な、堂々たるものだ。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/24

    幾つかのシュトラウス伝では、『ダフネ』や『カプリッチョ』以上に高く評価されているオペラだが、それを実感させるようなCDがまだなかった。しかし、この映像を見て私も納得。オペレッタ的(『美しきエレーヌ』風)な喜劇的シーンとシリアスな場面との配合も良く、音楽もまだ「だしがら」ではない。ハームズの演出が大変すばらしい。ダナエが金色の雨の夢を語るところでは、逆さ吊りにされたピアノ(ジャケ写真にも見える)からこのオペラの楽譜が降ってくるが、最後にダナエはこの楽譜(つまり霊感)をユピテルに返してしまう。作曲者がこの曲を最後の自作にしようとしていたことを踏まえた演出だ。ウールは声に関してはやや非力に感じるが、クリムト作の『ダナエ』(これもジャケ写真で上の端の方が見える)に似ているのは偶然としても、この役には合っている。クリンクもやや軽めのテノールだが、彼女の相手役としては悪くない。『影のない女』のカイコバートが最後まで舞台に出てこないのに対し、このオペラではもはや人間界に干渉できないことを悟った神ユピテル(=老シュトラウス)の諦念が色濃く描かれていて味わい深いが、デラヴァンのユピテルも好演。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/23

    ドニゼッティの師でもあったドイツ生まれのイタリア・オペラ作曲家、マイールの代表作の160年ぶりの蘇演。第1幕半ばで登場して以来、メディアが出ずっぱりのケルビーニ版に比べると、クロイサの婚約者のアテネの王子が登場する(つまり、ジャゾーネ/クロイサ組はダブル不倫ということになる)など人物が増えた分、ストーリー、音楽ともに散漫になった感は否めないが、殺人、強姦山盛りで相変わらずスキャンダラスなノイエンフェルス演出が飽かせずに見せてくれる。ノイエンフェルスはこれがミュンヒェン初登場らしいが、ライマンの新作オペラ同様、きわめてメディアに同情的な演出で、これを見ると、メディアよりもコリント人たちの方がよほど狂っていることが強く印象づけられる。ミヒャエルは彼女にとって初挑戦であろうベルカント唱法もうまくこなし、いつもながらのスタイルの良さと抜群の演技力で圧倒する。能天気なヴァルガスもジャゾーネの馬鹿さ加減に見事にはまっている。新鋭ツァラゴワも清純そうに見えて、実はしたたかな悪女という難しい役柄を好演。ボルトンの指揮は手堅いが、ケルビーニほど尖鋭な音楽ではないので、これはこれで正解。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/15

    『本当は怖いグリム童話』じゃないけど、メルヒェンの深層に潜む残酷さを余すところなく明るみに出してしまうクシェイの凄い演出。パリでのカーセン演出がほのめかしにとどめていたところを、すべて露骨に見せてしまうので、やりすぎという声もあろうが、方向としては全く徹底的で、迷いがない。もちろん舞台は現代で、水の精と魔女は監禁した少女たちに売春で稼がせているヒモ夫婦という設定。元の物語では、なぜルサルカが「湖の底」から人間世界に出ようとするのか、いまいち説得力がないが、この読み替えなら了解できるし、自らも夫の暴力の犠牲者である魔女が彼女を助けようとするのも当然。赤いハイヒールをはかされたルサルカのおぼつかない足どりは、まるで纏足された女性のようにエロティックだ。しかし、彼女を待っていたのは、女を狩りの獲物か人形ぐらいにしか思っていない恐ろしい人間の世界。花嫁衣装の女+男(!)達が皮をはがれた鹿を相手に踊る第2幕のポロネーズは強烈だ。フレミングのような意味では「美女」ではないかもしれないが、ドラマティックな力のある歌唱と迫真の演技でオポライスは存在感抜群。ここまで見せるかというセックス・シーンまでやらされている(だから全裸が出ないにも関わらず12禁だ)フォークト、クラステヴァも適役だし、とんでもない悪役でありながら優しい二面性も見せるクロイスベックもうまい。唯一のチェコ人であるハヌスの指揮は、もう少し劇的な起伏をつけても良いと思うが、細やかで綿密だ。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/13

    10年前にBS2で放送されて以来、お気に入りの映像。DVDは長らく米KULTUR社のものしかなかったが、ARTHAUSに移って日本語字幕付きになったのは朗報。最大のチャームポイントはソフィー・コッホ。作曲家役では最も魅力的な映像だと思う。演出は手堅いものだが、この演出ではオペラのなかでも作曲家が狂言回しとして出てきて、最後はめでたくツェルビネッタとゴールイン(チューリッヒのグート演出とは使われ方が180度逆なのも面白い)。意外に出来不出来の大きい指揮者だと思うデイヴィスの指揮も、引き締まった運びでとても良い。マルティネスのツェルビネッタは、技術的にはもっとうまい歌手がいるとしても、(演出の意図でもあろう)下品な感じがなかなかいい。ヘルデン+ハイ・テノールという難しいバッカス役のヴィラーズも技術的には及第点だし、見た目もまあ悪くない。アリアドネのアンソニーは可も不可もなし。今をときめくラルス・フォークトが端役で出ているので、探してみてください。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/07

    イタリア人指揮者のマーラーは今や少しも珍しくないが、イタリアのオケでというのは珍しい。このコンビはチャイコフスキーでも実にユニークな名演を記録しているが、マーラーの方がさらに相性が良さそうだ。まず魅了されるのは、明らかにラテン的と言いうる音色の多彩さ。この曲は形式的にはスクウェアな4楽章交響曲であるものの、打楽器の騒音効果やカウベル、チェレスタのメルヘン的な音など、音の色合いという点では非常に豊麗な曲なのだが、遅めのテンポをあまり動かさないアポロ的な造型のなかに、音色の豊かさが一杯に詰め込まれている。このコンピのEMI録音はもともと鮮麗な音がするものが多いが、このライヴ録音の鮮明さは特筆に値する(それゆえ客席のノイズもそれなりに拾っているが)。金管が突出しがちな曲なのだが、弦や木管の音を近接マイクで多めに拾っていること、チェレスタをクローズアップ気味に録っていることなどは指揮者の要求なのかもしれない。全く救いのない終楽章の終結は確かに衝撃的だが、6番という曲自体は決して陰々滅々とした音楽ではなく、むしろあっけらかんとしたハードボイルド交響曲なので、こうしたアプローチは全く正解。久しぶりに6番の凄さを堪能した。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/07

    バレンボイムによるショパンの2つのピアノ協奏曲も興味尽きない面白い演奏だったが、ショパンではツィメルマンを超えられないかなとも思った。その点ではこのリストの方が一段とユニークだ。ピアノ協奏曲第1番はもちろんリストの代表作と言って差し支えない名曲だけど、かなり軽薄なところがあって、ロ短調ソナタのようなピアノ独奏曲とは同列に語れないところがある。ところがバレンボイムは遅いテンポで、しんねりむっつり、ロマンティックな濃い情感をたっぷり込めて、この曲を弾いてみせる。65歳を過ぎても技術的にはまだまだ達者で、ライヴでも大きな破綻はないが、もとより切れ味鋭いテクニックで圧倒するというタイプのピアニストではない。円熟したと人は言うけど、私の見るところではむしろ今や枯れ過ぎ、リスト音楽の「色気」をすっかり脱色してしまったようなブーレーズのクールな指揮が、また何ともミスマッチ。この曲はもう聞き飽きたという人にこそ、勧めたい独特な演奏だ。第2番の方は何の問題もなく、両者とも曲にうまく適合していて、このあまり人気のない曲の良さが改めて感じられる。

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/07

    DG移籍後、意欲的なアルバムを次々に出しているグリモー。リストのロ短調ソナタほかによる「レゾナンス」も良かったが、聴き手をねじふせるような技巧の持ち主ではないだけに、この種の超絶技巧曲ではいまひとつ、食い足りなさが残った。しかし今回のモーツァルト・ピアノ協奏曲集は文句なしの出来ばえ。非常に編成の小さなオケ(限定盤のオマケDVDで見ると十数名であることが分かる)を弾き振りしているが、繊細かつ自発性の高い、生気あふれる演奏になっている。オケも含めてピリオド・スタイルを踏まえているのは明らかだが、緩徐楽章での旋律装飾は行わず、楽器はもちろんモダンだし、必要とあれば弦楽器もたっぷりヴィブラートをかける。特に第23番の第2楽章はかなり遅めのテンポで非常にロマンティックな音楽になっている。終わり近くの弦の伴奏も旧全集版通りのピツィカート。一方、両協奏曲とも終楽章は速いテンポで溌剌たる演奏(2曲とも最後に拍手あり)。第23番第1楽章では、ホロヴィッツが弾いていたのと同じブゾーニのカデンツァを採用。協奏曲の間にはさまれたk.505のコンサート・アリアも実にいいコントラストになっている。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 17人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/07

    これまでの3曲と同じく、いわゆる爆演型の対極に位置するような演奏。やや遅めのテンポを維持しつつ、5番の特色である線的対位法のからみを隅々まで描き尽くすことに全力をあげていて、音楽を感情的に煽ろうという気配を全く見せない。「嵐のように激動して」という第2楽章冒頭あたりは、さすがにクールに過ぎるのではと思ってしまうが、第2主題に入ると、チェロの主旋律と木管から第2ヴァイオリン以下のピツィカートに渡される対旋律、あるいは「茶化し」旋律の配合のうまさに魅せられてしまう。かつてのシカゴ響を思わせるほど、金管が雄弁な響きのバランスも、この曲に関しては、まさしく正解。終楽章も無理に突っ走ることはしないが、ホルン、トランペットの見事な名人芸からごく自然に盛り上がって、白熱的なエンディングに至る。曲のポリフォニックな構造をここまで克明に聴かせてくれた演奏は前代未聞と言っても過言ではないだろう。それにしても、相変わらず「一流のオーケストラとは言い難い」と言われたのではピッツバーグ響がかわいそう。マゼール、ヤンソンスの時代から全米屈指のオケだったと思うし、そもそもこの録音がまぎれもない「一流」の証明だ。

    17人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/10/15

    アンディ・ゾマーの映像演出が好みを分けているようだが、これは実に秀逸だと思う。瞬間的なストップ・モーション、オーバーラップ、画面分割などの映像処理も嫌味なく行われていて、私は大好きだ(曲ごとにスタイルを変えていて、4番が最も遊びが多い)。舞台上に常に数人のカメラマンがいるのを目障りと思う人もいるだろうが、それでこそのいい絵が撮れている。特に演奏中の奏者たちの真剣な表情をとらえたショットは絶賛に値する。かつてのカラヤンの時のような単なる「楽器」ではもはやない。5番の最後ではコンマスのテレンティエフがいかにも愉しそうに、ほとんど笑いながら弾いているのにも納得。演奏はやはりその5番が格別の出来で緩急自在、個性的な「ゲルギエフ印」が随所に刻印されているという点では、最も得意な曲なのだろうと思う。ただし、管楽器は倍管にせず、弦楽器も基本は14型というやや小振りな編成からも分かる通り、かつての巨匠たちのような濃厚一辺倒ではなく、軽みや繊細さも大事にした演奏。もう少し音色的な華やかさが欲しいとも思うが、このマッシヴで暗めの響きがいいのだという声もあろう。4番は従来の行き方へのアンチテーゼとして明らかに軽めに仕上げることを意識しているが、それでも第1楽章展開部から再現部にかけての火を噴くような盛り上がりには手に汗握る。6番も両端楽章の修羅場の表出力は申し分なく、明らかに不出来だったVPOとの録音を名誉挽回するには十分な出来。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/10/09

    マーラー・フェスティヴァル最終公演の録画で画質・音質はきわめて鮮麗。カメラワークも良く、舞台を埋めつくす大オーケストラ、ヒナ段(本来は客席)に鈴なりの合唱団など約500名が参加した演奏は見どころ満点ではある。ただし、演奏は2番に比べるとやや安全運転気味。作りが単純なだけにツボさえ外さなければ絶大な効果が得られる2番と違って、8番の方がオケ、声楽陣ともに遥かに要求が高いだけに短い準備期間では手堅くまとめるだけで精一杯だったのだろう。古くはバーンスタイン、テンシュテットの録画のような神がかった演奏は期待できないし、一部演奏者が共通している今年9月のラトル/BPOの演奏(ご存じ、デジタルコンサートホールで見られる)と比べても音楽の追い込みが甘い。別動隊金管楽器群の配置も、この演奏のような正面高所では作曲者の意図した効果は得られまい。つくづく8番という曲は難しいなと思わされる。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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